神保町にある岩波ホールで11:30から、映画「ハンナ・アーレント」を見てきました。
一時間近く前にいっても、すでに多くの人が並んでいて、平日の午前なのに200人の会場は、ほぼ満員でした。
アーレントはユダヤ人の女性哲学者で、ナチスにも協力した哲学者ハイデガーの弟子で恋人でもあった人です。
物語は有名な「イェルサレムのアイヒマン」の話です。
ナチスのユダヤ人虐殺の総責任者のアドルフ・アイヒマンのイスラエルのでの裁判を報告したアーレントは、アイヒマンは極悪人ではない、ただの小役人にすぎない、本当の悪とは「凡庸さ」の中にあるといい、特にユダヤ人達から激しい反発を買いました。
この話の肝は何か。
大虐殺という、大変な悲劇を経験したユダヤ人達はその反動で、ナチスにかかわった人達を感情的に攻撃して、一方的に責める。
そうなる理由は分るにしても、それは理性的な立場ではないのではないか。一種のヒステリーではないのか。そのような疑問を呈したものと思われます。
ある種の左翼運動などで、悪者を一方的にとっちめる。そのときにそれに反対すると、今度は、お前は悪に味方するのかといわれてしまう。その恐怖から集団ヒステリー的弾劾が始まることは往々にしてあることです。
後に、歴史になってみてれば、それに異を唱えた人はヒーローになるかもしれませんが、当時は反動的という烙印をおされてしまう。
この映画は、ある種の左翼批判であると思いました。
しかし、僕が疑問に思ったのは、この様に平日の午前に岩波ホールに映画を見に来る人達は、左翼文化人のような人が多いのではないのか。
では、この映画のこのような盛況ぶりは何を意味しているのだろうか。
アーレントも、左翼批判をしていますが実際に左翼的な思想そのものを嫌悪しているわけではありません。
今日、特定秘密保護法案が採決されようとしています。
選挙で、民主党が大敗して自民党が大勝して、どんどん右翼的な方向に政権は舵を取ろうとしています。
そんななかで、左翼が本当に信用できると思えるのは、ただ左翼的なイデオロギーを吹聴して、勢いで悪者を作り上げ、吊るし上げる人ではなく、そのような左翼的な欺瞞を勇気を持って断罪し、それでも理想を捨てない人ということなのではないでしょうか。
だから、左翼的な人もこのような左翼批判の映画に強く惹かれるのではないでしょうか。
そんなことを思いました。
2013年12月5日木曜日
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