2015年3月14日土曜日

社会学ゼミナール「感情の統治論-哲学的人間学」

朝日カルチャーセンター新宿校「社会学ゼミナール「感情の統治論-哲学的人間学」」宮台真司先生、堀内進之介先生、にいってきました。

昨今の「感情の政治」にどう抗うかが、大きなテーマだった様な気がします。
宮台先生は、マクロにはどうにもならないといいます。
ビッグデータを使ったマーケティング手法で、人々を動員するようになってきているが、自分がそれを嫌だといっても他の人がそれを使うだけのことで、どうしようもない。

自分はマイクロな立場で抗っていくといいます。

堀内先生もそれには賛成します。

もう一つの問題、宮台先生の言葉、損得勘定で動く「自発性」ではなく、損得勘定を超えて動く「内発性」をいかに涵養するか。

堀内先生は、「内発性」は強制できないのだから「やる奴はやる」に過ぎないといいます。
そして、「自発性」を発揮する条件をいかに整えるかを考えるべきかといいます。

宮台先生は、現在のテクノロジーの発達によって、「自発性」と「内発性」をはっきり区別できなくなったことを指摘します。

講演でも、今はとなりの部屋に大きなスクリーンを用意して見ていることが多いといいます。それは、マイクロなミメーシスといえるのか。
ドイツの電子音楽グループのクラフトワークがロボットに演奏させていても、それを見ている観客は変性意識状態に入る。これをどう考えるのか。難しい問題だといいます。

堀内先生は、ミメーシスが起こるのは「過小」「過剰」の場合だといいます。
そして、人に感染しているあいだはまだ安全だといいます。
マーケティングの怖さは、人為的に感染を作りだしてしまえることだといいます。
ハバーマスのいう「新たな不透明性問題」がある。民度が低い場合、それを引き上げるのではなく、低いままに置いておく方がコントロールしやすいということです。

結局、話は戻ってきて、マクロにはどうしようもない、マイクロに抗っていくしかないというのが結論のようでした。

感情と理性の問題は、古くて新しい問題だと思いました。
単純に、感情が悪くて、理性的に振る舞えば世の中良くなるというものでもないのが厄介なところです。
理性には、理性の暴走という危険もあります。
マクロに構造を変えるのが難しい時代、マイクロに少しずつ抗っていくしかないのかもしれません。
そういう、営みの中で偶然ミメーシス(感染)が起こって、「内発性」が発揮されることがあるというものなのかもしれないと思いました。


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