「森の哲学」第三弾 対談 「型」の思考で生きるとはどう生きることなのか 宮台真司先生、弓玉先生を朝日カルチャーセンター新宿で13時から受けてきました。オンラインでも中継があり、教室はすいていました。
オントロジー→存在論と訳すが、世界はそもそもどうなっているのか知っているということ。
帰納法、世界はそもそもどうなっているのか3歳の子でも分かる。主観ではない、視座とも関係ない。
主観によってどうにでも構成できる。←デ・カストロ批判 存在論的転換 90年代以降 人類学→哲学
「人新世」アントロポセン 自業自得の時代 主観の問題ではなく摂理 人間中心主義ではない
散文的思考使わない、神話的思考を使う
世界はそもそも、不確実、不確定として神が造った どう処理するか パターン=型に整理される 伝承される 年代、文化、時代によって違ってくる→相対主義ともちがう
生存戦略としてのリアリズム
精神分析、ラカン 現実界 想像界 象徴界 世界と直接に向き合うことできない 世界体験、社会システム、人格システムによって変換される 言葉の世界、バタイユ、リーチ的なもの拾えない
ユング 内部表現 システム理論、内部イメージ 神、天使、など表象、人が思っているに過ぎない、グノーシズムに親和性 世界に対する畏怖がある 小さいときからの超越体験
ラカン すべて体験 想像界 それを象徴界、大文字の父、命令、間違っている→神経症
言葉は暴走する、言葉を使うのも大概にしろ
型に従えば生き残れる
真理 空観=実態はない、中観=空観、仮観同時には取れない、仮観=実態があるかのように
廣松渉 仏教に詳しい 仮観 ハイデガー四肢構造論 関係主義 般若心経
マルクス主義というよりハイデガー、マッハ=超スローモーションの写真を繋げた世界観 全ての実態は存在しない
ロジカルにしゃべっている これも体験 シニフィエ以上の何か 人生体験による
象徴界未然のものに媒介された体験 A、B A→Bへのシフト=祭
A=社会を生きるのに役立つがオントロジカルなリアリズムには役立たない
B=社会に適応できないが世界に適応できる=開かれ
世界に閉ざされることもある、ヘーゲルの精神現象学←マルクス批判 もともとは開かれ しかしどこで歴史が終わるのかは恣意的
開かれに見えて、閉ざされ、常に更新しなければいけない 第2ヴァチカン公会議
タイムリープもの、摂理だと思われているものに閉ざされていることを開く マートン
想像力に開かれるもの 一般相対性理論の後ハイゼンベルクの不確定性原理
テネット 我々は真理を知らない 強迫神経症的に時間の改変を拒否する人 往相、還相
誰もが思っているような日常こそ奇跡
宮台先生がいわれたことをまとめるとこんな感じです。
やはり根本は社会から世界への開かれということだと感じました。
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