インターネット番組「ビデオニュースドットコム」で、先日亡くなられた社会学者、見田宗介さんの追悼番組を見ました。ジャーナリスト神保哲生さん、お弟子さんでもある社会学者の宮台真司さん司会で、お弟子さんのでもある社会学者の大澤真幸さんをゲストになされました。僕が見田宗介さんの朝日カルチャーセンターの講座にでたとき、偉大な学者ってどんな感じなんだろうと思っていました。僕の感想は、「意外と声が低くていい声しているな」「字が綺麗だな」いろんな本のことを知っているんだろうなと思ってたら「この本は昔読んだので詳しい内容は忘れてしまいました」と、謙虚で正直な人だなと、思ったことです。スペイン語で、「何を話すか」ではなく「誰と話すか」という言葉があるが、今日はそういう気持ちできた、といわれてたことをおもいだします。もっと偉そうで、知識を振りかざすのかなと思っていましたが、それらが全くなく、その謙虚さが意外だった思い出があります。一日2講座を受けて、最初「宮沢賢治」の話でした。最後に、「この宇宙に大事なものがあって、言葉にすると、言葉というのは裏返ってしまうので、この楕円形にしましょう、マルクスが面白いことをいっていっていて、この大事なものから疎外されたものがヤーヴェの神になったり、仏教というのはその疎外のされ方が少ないというか」「賢治の辞世の句があって、賢治が亡くなったのは祭りの日だったんですが、「みのり」という言葉が出てきて、初めこの「実り」かと思ったんですが、信徒の方に聞いたら「御法」という意味じゃないかとおっしゃって」ということをいわれ、僕自身、病気があってずっと苦しい状況だったんですが、話に聞き入り身を乗り出して聞いた覚えがあります。終わるとさっと立ち去っていかれて、僕はしばらく茫然として動けなかった思い出があります。
2022年5月7日土曜日
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