ルードウィヒ・ウィトゲンシュタイン著 『青色本』を読みました。
帯にもっとも読みやすいウィトゲンシュタイン。とありますが、難しいです。
ウィトゲンシュタインの本は、「何が書かれたか」以上に「いかに書かれたか」が重要だと思います。
『論理哲学論考』の無前提の断言の連続に対して、この『青色本』は、ほとんど断定のことばはなく、否定形、疑問形、命令形で、しかも、文は「章」や「節」が全くなく全て一冊の本が繋がった文章になっています。
内容的には、明確な肯定が少ないので分りづらいのですが『〜論考』のテーゼに反して、語と意味が一対一で対応していることを否定している様に思います。
また、「独我論」に対しては、「普通の独我論」すなわち「言葉で説明できる独我論」を否定して、自分では積極的に語らないけれども、本来の独我論ならこうなるということを「示そう」としているように思いました。
この本は、やはり『〜論考』と同じで、何かを「説明」することを拒んでいる本の様に思います。
では、何のために書かれたのか。
永井均氏は「独我論」という病気の治療のためといいます。
僕はそれに反するわけではないのですが、ウィトゲンシュタインが他者とコミュニケーションをしたいと願って書いたのではないかと思います。
書かれてある意味を分析するより、書かれた意図を探求することに意味がある様にも思いました。
2013年4月28日日曜日
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