2011年6月10日金曜日

大人


先日、インターネットの動画サービスのニコニコ生放送で、マンガ原作者で評論家の大塚英志さんがでていました。
ニコニコをやっている会社の社員研修というものでした。

その中で、『きみはひとりでどこにいくか』という本を使っていました。

それは、大塚さんが出された本で、中身は人の輪郭だけが描いてあるもので、使用者はそれを自分なりに絵にして物語を創っていくものです。

大塚さんはそれをワークショップで1000人以上の人に試してきたそうです。
心理分析というわけではないのですが、その中身を見るとその人らしさがすけて見えるといいます。
いくつかの典型的パターンがあって、ユングのいう影(自分の負の部分)がでてきて最後に統合されるパターンや、移行対象がでてくるパターンなどがあるそうです。

移行対象とは、児童心理学者のウィニコットのいう概念で、人が母親から自立する移行期に自分の支えになる母親の代わりになるものです。
大塚さんは、宮崎アニメを例にだし、「魔女の宅急便」の黒猫のジジがはじめ主人公のキキと会話できていたのに、あるときから人間語をしゃべらなくなったこととか、「千と千尋の神隠し」でカオナシがずっとついてきたのに最後にはいなくなってしまうことなどを例にだされていました。
他の本ではテディベアなどを例にだされていました。

僕はその話をきいて、胸が痛くなりました。「魔女の宅急便」は僕の中で宮崎アニメの中でNo.1の作品で、他にも「魔女〜」が好きだという人が多いと思います。

大人になるためにジジと話が通じなくなった。でも最後はまた魔法をとりもどす。一度大人になったのか。大人になるには何らかの喪失を経ないといけないのか。

エンディングテーマの荒井由美の「やさしさに包まれたなら」も感動的な歌で子供のころ世界がまだあるという歌詞だと思っていました。

今日、カウンセリングでその話をしたら、カウンセラーの先生はどこが好きなのというので、映画館で観たときとなりのメガネをかけた冷たそうな女の人がキキとトンボが笑いあっているシーンで泣いていたのが印象に残っている、といいました。
そして、僕が入院して間もなく絶望の淵にたっていたとき、病棟内の映画鑑賞で「魔女の宅急便」を皆で選んで観た時も、じっくり観られなくて、苦しくて、、もう宮崎アニメを観るのも最後かなと思いつつ、出たり入ったりして観て「やさしさに〜」はオープニングテーマだと思っていたのが実はエンディングだったとか意外と記憶が曖昧だったことなどを思いだすといいました。
この歌詞も見せてこれに感動したともいいました。

しかし、カウンセラーさんの反応は鈍く、で何がいいたいの、という感じでした。

僕は大人になるにはイニシエーションを経なければならないと思ったけど、こういうやり方もあるのだなと思いました、というと。

キキはイニシエーションをしてると思います。一度魔法がなくなったから。「やさしさに〜」の世界は子供の世界。空を飛べる。神様がいる。愛情を一方的に与えられる。鈴木さんは、魔法を失っているかな?といわれました。

始めは理解できなかったのですが、段々話していくうちにわかってきました。僕がまだ魔法の世界に居続けようというのが不満のようでした。

僕は、帰り道に考えました。この歳になっていうのもなんですが、子供から大人になることが僕のテーマだと。しかし、子供の世界をすてるのがこわい。だから移行対象を得て少しづつ移行していこうという考えだった。でも、カウンセラーさんにはそれがまだ甘えに感じられた。

家に帰ってユング派の河合隼雄さんの『大人になることのむずかしさ』という本を再読しました。
以下、印象に残ったことば。
「〜ただここで、自立ということを依存ということのまったくの対立概念として把えないことが大切である。自立とは孤立ではない〜適切な依存ができる人こそ自立している〜」
「大人になるためには、何らかのことを断念しなければならぬときがある。単純なあきらめは個人の成長を阻むものとなるだけだが〜単純なあきらめと、大人になるための断念との差は、後者の場合、深い自己肯定感によって支えられている〜もちろんそのときは苦しみや悲しみに包まれるだけのときもあろう。しかし、それによって大人になってゆく人は、そこに深い自己肯定感が生じてくることを感じるであろう。」
「〜現代の青年は大人になることが実に難しいという事実を、われわれ大人はよく了解しなければならない。」
「青年期は子どもと大人の境界にあって、早く大人になりたいという気持ちと、いつまでも子どもでいたいという気持ちのジレンマに苦しんでいる時期である。〜大人になることは、子ども性をまったく放棄することではなく、むしろ子どもをうまく大人のなかに残してゆくこととが、真の大人になる道である〜」
「創造的退行の現象は、今までのいい方によると、大人が自分の内なる子どもと接触をはかり、子どもとの対話のなかにヒントをつかみ、それを再び大人の知恵によって現実化してゆくことといえそうである。」
「古来から絶対視されてきたものが、絶対でないことを、彼らはあまりにも多く知りすぎたのである。〜人生のなかに存在する多くの対極に対して、安易に善悪の判断を下すことなく、そのなかに敢えて身を置き、その結果に責任を負うことを決意するとき、その人は大人になっているといっていいだろう。それらの対極はハンマーと鉄床のようにわれわれを鍛え、その苦しみのなかから個性というものをたたき出してくれるのである。」

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