
『「むなしさ」の味わい方』きたやまおさむ著をKindleで読みました。7月にNHKカルチャーで北山さんの講座を聴くので、予習のために読んでみました。北山さんのことを初めて知ったのは、大学時代、講談社現代新書の『ビートルズ』を読んだことでした。フォーク・クルセダーズについては姉がフォーク好きだったので薄っすら知っていましたが、その人が精神科医になっているとは驚きました。それからしばらくして、僕が大学に適応できず病気になってしまって、「世界没落感」に陥ってしまいました。それから焦って、カウンセラーさんのところにいって、しばらくしてふっと楽になった感じがしました。それから一人でパチンコにハマった時期があったのですがその頃は夢の中を生きている感じでした。その後、ある時ソファーに寝そべっていたとき、急に腹の底から「衝動」のようなものを感じて、それを抑え込もうとしてその葛藤で苦しみが始まりました。抑えよう、抑えようとしても抑えられないこの「衝動」に覚醒しているときはずっと悩まされて苦しかったです。なんとか楽になりたいと思い、多くのカウンセラーや医者にいきましたが、くれるのは脳に効く薬ばかりで頭はボーッとするのですが「衝動」は治まらない。様々な本を読んだり、講演を聴きにいったり、音楽を聴いたりして自分を癒そうとしていました。その頃の僕は異様だったと思います。はじめいくのが怖いと思っていた医者にいけたのは、北山さんの『みんなの精神科』という本を読んだからです。それから、いくつかの本や講演、音楽などが一瞬僕を癒やして苦しみを忘れさせてくれました。北山さんの本でいうと、『心の消化と排泄』吉本隆明さんとの共著『こころから言葉へ』小此木啓吾さんとの共編『阿闍世コンプレックス』などを読みました。本では他には河合隼雄さんの『コンプレックス』『影の現象学』、見田宗介さんの『宮沢賢治 存在の祭りの中へ』、中井久夫さんの『徴候・記憶・外傷』などが苦しみを忘れさせる本でしたが、読み終わったらまた苦しみが続きました。講演では放送大学の渡邊二郎さんの『芸術の哲学』、とくにショーペンハウアーについてのお話が効きました。音楽では、北山さんのことを知ってフォーク・クルセダーズ関係のアルバムを買いました。北山さん作詞ではありませんが「悲しくてやりきれない」、フォークルではないですが「風」など、あとMr.Children「ALIVE」、The Beatls「Let It Be」などが僕の慰めでした。これらを聴きながら車で夜中じゅう彷徨ったりしていました。北山さんや他のフォークルの曲の特徴は、言語メッセージでは実に厳しいことを言う。だけどメロティーはハーモニーは限りなく優しいというものでした。言葉では「振り返らずただ一人一歩ずつ 振り返らず泣かないで歩くんだ」とか「この限りないいむなしさのすくいはないだろか この燃えたぎるくるしさは明日もつづくのか」と父性的なメッセージをいい、同時にそれを優しい母性的なメロディーとハーモニーにのせて伝える。それが、どちらかに偏らずにいるので、癒やしにつながった、という感じです。最初にもどりますが、この本では「むなしさ」について書かれていますが、正直いって今までの僕には「むなしさ」はあまり感じられないのです。それより「苦しさ」の方が強かったです。「むなしさ」を感じてしまうと絶望に陥るということで、むなしさを苦しさで覆い隠していたのかもしれません。むなしさを味わうことがいいことだったのかもしれません。それは、分かりませんがとにかく、むなしさをある時期から感じなくなっていました。でも、この本に書かれた「こころの沼」という考え方には感銘を受けました。確かにこころには沼があって、そこに割り切れないものを置いておくというのは意外な発想でした。その沼は汚いかもしれないが、生命の発現のもとになるかもしれない。
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