2011年2月28日月曜日
2011年2月27日日曜日
2011年2月26日土曜日
決定論
カルチャーセンター「自由と行為の哲学」野矢茂樹先生、第三回。
今日のテーマは、決定論と自由です。
僕自身もよく考えたテーマですが、多くの哲学者が考えることでしょう。
因果律と厳格な因果法則があれば、全てのものは決まっている。決定論。
決定論と自由が両立するという立場と両立しないという立場がある。
自由を「強制されたものではない」と考えると、決定論と両立可能。
両立しないという立場は、決定論者とそれを認めないリバタリアン分かれる。
リバタリアンは自由とは「しないでもいられた」と反実仮想ができることと考える。
先生はその立場。
決定論は論破し難い。
しかし、決定論の根拠となる自然法則は本当に正しいのか。
フックの法則、ボイル=シャルルの法則、万有引力の法則は、それぞれ理想状態での理論で実際に現実世界では理想状態は存在しない。
そうやって決定論の論拠をつぶしていくしかない。
僕の考え方とも似た道筋で理論展開しているので、分りやすかったです。
2011年2月25日金曜日
羽生
今日は朝日カルチャーセンター「<対談>脳と将棋」茂木健一郎先生と棋士の羽生善治さんです。
茂 将棋の神様を見る?脳のフロー状態。時間感覚が違う?
羽 集中の密度が違う。時間の観念がない状態。長くはない。
茂 外部環境関係あるか?
羽 外部環境がないとならない。深くもぐる感覚。一つの場面の全体像がどういうことなのかを考えようとするとき。わかってしまえば終わる。わからないと集中できないこともある。
茂 コンピュータのプロトコルのようなもの?
羽 ジグソーパズルを解いていくとき、片っ端から置いていき、バラバラに置いていって、ある時つながる。すると戻ってくる。
ちょっとしたことが勝負を決める時。拮抗してる時。これはとどく、とどかないという感覚ある。
茂 闘牛士が牛を追いつめている時、モーメント・オブ・トゥルース。生命は追いつめられた時、集中するメカニズムがある。
疲労感はある?
羽 集中したときの方があまりない。中途半端だとある。
茂 コンピュータは将棋をかえる?
羽 新しいアイディアを出すことはまだない。いずれはあるかもしれない。人間はつよくなると考えることが少なくなる。コンピュータは足していく。しかし、トンネルを右からと左から掘っている感じ。いつかつながるのでは。そのときどうなるかは、私は知らない。
茂 現代将棋はモダンアートに似ているといっていたが。
羽 目新しさ。古典と違って何がすごいのかわかりにくくなってきている。美しさの秩序、価値観自体が変わってきている。
ここから、将棋以外のはなし。
茂 AKB48知ってる?
羽 そういうグループがあることはなんとなく知っているが、一人も識別できない。
茂 歴史小説、読むのがお好きらしいが、坂本龍馬の人気が高いが。
羽 龍馬が現代にいたらなじめなかったのでは?
ある種の知性のある人は、どの時代にも一定程度いるのでは。たまたま環境があって、必要があって活躍できた。必要があればでてくるのでは。
カリスマはある種の謎の部分が必要だが、現代ではむずかしいのでは。
茂 ウィキリークスについては?
羽 昔から秘密をもったら誰かにいいたいのが人情。その手段ができたということでは。
茂 尖閣の問題は?
羽 私はいろいろなところに対戦でいくが、そこで思ったのは、間に山がある人達は仲がいい。間に川がある人達は仲が悪い。
水というのは貴重なもの。川でも海でも争いになりやすいのでは。
茂 やる気のない人はどうすればいいか?
羽 一番たいへん。能力があっても使えない。一度その方向にいってしまっては。たとえば一日中何もしないでいるとか。そうすれば、次の日には何かしようかと思うのでは。
茂 人を好きになる瞬間ってあるか?
羽 瞬間はない。気がついたら。
茂 好きな人への最初の一手は?
羽 話す。
茂 ボーイズラブが流行っているが。
羽 知っているかぎりではいない。オカマの人と話したことはある。なんとなく雰囲気でわかる。
茂 日本の政治について。
羽 期待することと、実際に権限を持ってできることの違いが大きいのでは。
茂 原発について。
羽 今の生活を維持するには必要。本当に危険かどうかは100年たってみないとわからない。止めるなら生活を変えざるを得ない。
茂 普天間について。
羽 沖縄の人にとっては切実。本土の人は他人事。本土の人との交流を深め、他人事ではないという気持ちを育てるのが、急がば回れではやいのでは。
茂 努力し続ける秘訣は?
羽 見つけるもの、発見するものがある状況。やっても手応えがないとどこかでやめてしまう。
茂 自分を変えたり否定も含むのか?
羽 今はそうせざるを得ない。年代によっても違う。10代は記憶力やひらめき。30~40代は培ってきたものを総合的に。抽象的に。
茂 持続力は?
羽 無理はしない。人から見てではなく自分で無理だと思ったら長続きしない。自然にできる範囲のことを継続的に。マラソンのランナーはラップをきざめるのがすごい。ああなりたい。
茂 羽生さんは実は激しい人?最後の一手を打つとき手が震えてた。
羽 最後の詰めは大事。本当に慎重に。ゴルフのパター1mでも30cmでも外れることはある。
茂 ある物理学者が恋人にあの太陽が青い理由を知っているのは二人だけだよとデート中いった。デート中何をいう?
羽 普通の世間話。将棋の話しを共有できる人はあまりいないので。
質問 人生の一手先をどう読めばいいのでしょうか?
羽 棋士は何十手先を読むが、その通りいくことはほとんどない。そこでまた考える。
茂 カオスですね。
質 コンピュータだけで将棋をやってそこまで強くなれるか?
羽 パソコンのデータは一分くらいで一試合わかるが、20分で忘れる。大事な棋譜は五感で覚える。明らかに深くなる。
茂 利き手は関係あるか?
羽 私はないが左利きの人にはあるよう。左右を反対にしてみると違って見えることはある。
質 羽生さんの小学校時代は?茂木先生に頭の良くなる秘訣を。
羽 目立たない子。月〜金は学校いって、帰って友だちと遊んで。土曜日に将棋道場。夏休みはデパートでの将棋大会。八王子市は自然がいっぱいあってのんびりしていた。塾はいっていない。公文式はいってたが。
茂 根拠のない自信を持て。それを裏打ちする努力をしろ。
おそらく何十年後にでも死後にでも、史上最強の棋士といわれるであろう人と同時代に生きていられるだけでも幸せ。直接お話をきけてさらに幸せ。
茂木先生のいきなはからいで、将棋以外のこともきけて、面白かったです。
特に山をはさんだ人と、川をはさんだ人との違いをいわれたときは息をのんだ。誰にも教わらずに状況を客観化して抽象化する。本質をつかみ、それをわかりやすく説明する。そのすごさを知りました。
将棋は駒の動かし方しか知らないのでわからなかったですが、普通の話しにもその頭脳の片鱗が見えてすごかったです。
2011年2月24日木曜日
フィヒテ
今日はカルチャーセンターの「ドイツ観念論入門」村岡晋一先生、第二回目です。
カントの『純粋理性批判』のあと、フランス革命が起こり、フィヒテは強い影響を受けます。
自由にもとづいた行動を擁護します。
イギリスのバークは自由と秩序は矛盾するとして批判します。
フィヒテは存在概念としての「自由」を主張します。
私とは一旦外に出てもう一度戻ってくることによって認識される。
外化された私は、別のものなので非我になる。
人間とは、常に自分を超えていこうとするもの。
シェリングは、無意識の世界を「自然」としフィヒテを批判する。
「自然」の頂点として人間を考える。
後にドイツ観念論とは離れていく。
フィヒテやシェリングは、カントやヘーゲルほど大きく扱われないので、今日は初めて知ることができてよかったです。
2011年2月23日水曜日
貨幣論
今日、カルチャーセンターの「ケインズ-経済学の名著に学ぶ-」松原隆一郎先生、第二回にいってきました。
今日は、ケインズの主著『雇用・利子および貨幣の一般理論』に先立つ二つの著書『貨幣改革論』『貨幣論』を見ていきました。
ケインズの関心は物価をいかに安定させるかです。
『貨幣改革論』では、マーシャル以来のケンブリッジの伝統の貨幣数量説に変えて、物価水準は政府によって管理可能。中央銀行は貨幣量と預金準備率によって物価を操作できるとしました。
次の『貨幣論』では、物価水準は公衆が預金と証券とのどちらを選択するかによって決まってくる、といいます。
そして、金本位制に反対をしたりしています。
難しい数式がでてくるので理解できない部分も多かったです。
しかし、物価の安定とういのは、とても大事なことだということはわかりました。
2011年2月22日火曜日
責任
小沢さんの党員資格停止というのは、小沢さんにとっては納得いかないでしょう。
起訴されること自体に大きな問題があったし、裁判でも恐らく無罪でしょう。
しかし、ドイツの哲学者カール・ヤスパースは戦争の責任には形而上学的罪というのがあるといいます。
実際に手を下していなくても、その立場にあったことについて無責任ではいられないというものです。
20世紀最大の哲学者といわれたマルティン・ハイデガーもナチスに加担したとして戦後一時期活動を停止していたと聞きます。
今は、国民に説明をして、裁判に専念してすぐに無罪を勝ち取ってまた戻ってきた方がいいのでは。
これ以上、民主党を分裂させないためにも。
ご不満はあるでしょうが。
2011年2月21日月曜日
地獄
土井隆義『友だち地獄-「空気を読む」世代のサバイバル』という本を読みました。
著者は現代の若者の人間関係の特徴を「やさしい関係」といいます。
それを全否定するのではなく、どんな時代でも若者は生きづらさを持っているといいます。
著者自身が現代の若者に共感する部分もあるといいます。
はじめに「イジメ」の問題をとりあげ、「リストカット」「引きこもり」「ケータイ」「ネット自殺」と論じていきます。
今までの若者論と現実の違いを浮き上がらせます。
中身はなるほどと思わせるものであるのですが、あまり理論がまとまってない部分もあります。
文章的に読みにくいところもありますが、こうやって若者文化を見つめている人がいてくれるだけでも嬉しいと思いました。
純粋さを求める部分、お互いに傷つけない部分、承認を求める部分などが若者にあって、それぞれが葛藤があって苦しい。
共感する面と、若い人を見てそうだなと思う面がありました。
2011年2月20日日曜日
羽生善治
梅田望夫『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?』を読みました。
僕は将棋は駒の動かし方ぐらいしかしらなくて、ゲームセンターの将棋ゲームで3分間に2回負けるぐらいの無知なのですが、95年の七冠挑戦あたりからすごいひとがいる、僕と同い年で24歳で全てのタイトルをとろうなんて、と興味をもって見ていました。
谷川王将千日手で勝って、何かホッとしたような残念なような気分になりました。
ところが翌年、全てのタイトルを防衛して再び七冠をねらったのですごすぎると思い、わからないなりにBSで中継を見ていました。
どんな表情をするのかと思っていたら、その日は風邪気味で熱もあるようなようすで、これだけの偉業を達成するのだからさすがの天才も普通ではないのだなと思いました。
最後に谷川さんの投了で終わった歴史的瞬間を見たのですが、熱で苦しそうだったと記憶しています。
僕が覚えているのは、ラジオで、セナか誰かF-1レーサーがコーナーを曲がるときに神を見た、という感覚が共感できるといっていた。そして、もう少しで向こう側にいってしまいそうになることがあるという。羽生さんぐらいなら向こう側にいってるのかと思ったら、向こうに行ったら戻ってこられないと思いましたと笑っていた。
ちょうどチェスでカスパロフがコンピュータに負けた時期に、将来コンピュータに負ける時が来ると思うかきかれ、順番に指していくゲームには必ず必勝法がある、しかしその有限の中でこれだけ人間ドラマがくりひろげられていることが将棋の魅力だといっていたこと。
教育テレビで、詩人の吉増剛造さんと対談していて、シジフォスの神話で岩を永久に山に持ち上げつづけないといけないとい罰を受けたシジフォスについて、やっていくうちにそれが快楽につながるのではないかといっていたことなどです。
この本はタイトルの疑問をわからないとしていますが、素人の僕が思うのは、将棋というのは全て数字に置き換えられる、いわばデジタルなゲームです。サッカーや柔道は全てを数字では表せない。ところが昔の棋士の方々は将棋を一つの物語のようにアナログ的にとらえているのではないかと思ったのです。たとえば、なんとなくこの辺が弱い感じがするとか。しかし羽生さんはそれを徹底してデジタルに考えていて、いくら弱そうに見えてもこの手があるから確実に安全だと判断してすぐ次の手を探す。この駒の意味はこれだ、とはっきり判断して将棋の物語にとらわれない。だから将棋を物語的に考える人には予想もできない手を打つが、決して霊感で打ってるのではなく、普通の人以上に論理的に打っている。それが普通の人、アナログな人には衝撃的な手になるのではないかなと思いました。
谷川さんの本などを見ると彼なんかは最後のアナログ世代だなという感じがします。その後のデジタル世代でも特にデジタルに徹しているのが羽生さんなのではないかと思いました。
この本の問いの僕の答えはこんな感じです。
2011年2月19日土曜日
記述
2011年2月18日金曜日
2011年2月17日木曜日
党
2011年2月16日水曜日
日銀
2011年2月15日火曜日
2011年2月14日月曜日
2011年2月13日日曜日
2011年2月12日土曜日
行為
2011年2月11日金曜日
2011年2月10日木曜日
2011年2月9日水曜日
2011年2月8日火曜日
クラウド
2011年2月7日月曜日
ストア派
今日カルチャーセンターで「フーコーと現代」金森修先生、に行ってきました。
はじめは近代の権力批判などをやっていたフーコーが、晩年になって古代ギリシア、ローマの思想に言及しはじめます。
自己への配慮ということをいいだし、ストア派のセネカやマルクスアウレリウスをとりあげ、立派な生き方をいうようになりました。
これを評価するかどうかは意見の分かれるところららしいのですが、先生はあまり面白くないと感じたそうです。
しかし、一人の人間としてエイズにかかって死ぬことを覚悟していたらしいときに、やはり人間はどう生きるべきなのかを考えるのは自然であり、彼ほどの人が考えたのであれば傾聴に値するのではないかと思いました。
2011年2月6日日曜日
2011年2月5日土曜日
細雪
昨日、谷崎潤一郎の「細雪」を読み終わりました。
何ヶ月もかかって。
芦屋の良家の四人姉妹のうちの三姉妹の物語です。
ストーリーやメッセージというより、谷崎の筆によって繊細に描かれている世界の魅力にとりつかれてしまいます。
三姉妹もそれぞれ性格が細かく書き分けられていて、現実感があります。
僕は末っ子のこいさん(末娘の関西弁)妙子が好きです。
現代的で自己主張が強くてちょっと不良なところが魅力的です。
それぞれ魅力的なのですが、更に神戸や京都などの関西の美しい舞台を背景に描かれた世界すべてがいい雰囲気を作っています。
その世界を描くために東京出身の谷崎はかなり細かく調べて書いているらしいです。
それだけの魅力を出すためには、それなりの努力が必要だということでしょう。
とにかく一つの文が長い谷崎の文体も、はじめはうっとうしかったのですが、慣れてくるとそれも魅力に感じました。
このような作品を日本文学に残してくれた谷崎に感謝したいといった感じです。
2011年2月4日金曜日
デリダ
2011年2月3日木曜日
ソーシャル・ネットワーク
デヴィッド・フィンチャー監督の映画『ソーシャル・ネットワーク』を見てきました。
ネットサービスを作る話しだときくと、映画にしても面白くもなさそうかと思いきやたいへん面白くできた作品でした。
孤独な天才プログラマーが新しいソーシャル・ネットワーク・サービスを作るのですが、昔なら孤独だけどいい人とかで終わりそうなところが、孤独で非常にエゴイスティックで自分のネットサービスを作ることしか考えていない。その為なら友人さえ裏切る。こう書くとすごい悪人でニヒル感じがするけれどそうでもなく、気の弱い内気な青年。
これを見ていくと、はじめはそこまでネットサービスにかけるのはおかしいんじゃないかという感じがしましたが、見ているうちに、そこまでかけるんだからそれにはすごい価値があるんだと思わされてしまいます。
昔にはない、ネット時代のキャラクターって感じです。
いい者わる者の範疇ではとらえられない。
また、ハーヴァードのアメリカのエスタブリッシュメントの世界もいい雰囲気で描かれていて、またカリフォルニアの自由なアメリカの若者の世界も感じがでていて、両方楽しめます。
脚本から演出まで凝りに凝った作品で、見る者を飽きさせませんでした。
何かに成功するには、ある種の過激さが必要なのかなと思わせる作品でもありました。
2011年2月2日水曜日
2011年2月1日火曜日
留年
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