アリストテレスの『形而上学』を読みました。
とにかく抽象的な議論が延々と続いて、その時は理解できてもだんだん忘れてしまいます。
もともと名前のない講義録だったので、『自然学』の「後」という意味でmetaphysicsと呼ばれる書物です。しかし、今の「形而上学」の学問のイメージと少し違う気もします。
アリストテレス研究者であるM.ハイデガーは存在そのものを問う「存在論」を構築しましたが、彼の存在論は「〜である」ではなく「〜がある」の意味での「ある」を研究しました。
しかし、アリストテレスの本著はむしろ「〜である」の研究のように見えます。
また、「形而上学」というと現実的な「形」を超えた抽象的な世界が、望ましいものとして描かれているのかと思いましたが、そうではありませんでした。
むしろそれは、師プラトンに顕著で、アリストテレスは「アテネの学堂」にあるように現実の世界を対象としていたようです。
彼がムキになって「矛盾律」(◯があり且つないということはありえない)を擁護するのも面白いと思いました。「矛盾律」はいわば常識的な考えなので「形而上学」というくらいだから、常識に反した答えが出てくるのかと思いきや、極めて常識的な理論を擁護し続けるのです。ある意味では非常に真摯な態度ともいえます。
天上にある「イデア」に思いを馳せるのではなく、あくまで地に足のついた議論を積み重ねていくのです。
そこがアリストテレスの偉大なところなのかもしれません。
しかし、現在の用語では使わない独特の表現があったり、現在の科学に反することをいったりしているので、全部理解するのは大変です。
訳者の解説も完全に彼を理解しているようにも見えないので、理解できなくて当然だと思います。普通の人なら理解できないことをそんなに気にやむ必要はないでしょう。
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