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2011年7月20日水曜日
ヴィトゲンシュタイン
今日は、カルチャーセンター「言葉とは何か?」中村昇先生、第二回です。
今回は、ヴィトゲンシュタインについて教わりました。
ヴィトゲンシュタインは前期、中期、後期と時期によって重きをおくところがちがっています。
初期には徹底した論理学主義者で、論理空間と現実界が言語によって一対一で対応していると考えました。
そこで、『論理哲学論考』という本を書くのですが、中期になるとまた変わってきます。
中期では、言葉の体系を重視します。しかし、それも放棄して後期をむかえます。
後期では、言葉の背後にあるものを認めず、現場の言語活動だけがわれわれがわかるものだとします。その理論は「言語ゲーム一元論」といわれます。
更に、私的言語は存在しないとします。もし何かを言語化したならばその瞬間にそれは「私的」ではなくなって「公共的」になるといいます。なるほど確かにそうだなと思いました。
徹底的に論理的に言語を分析しきった人が、「言語はゲームだ」というので重みがある。
徹底してない人が「言語はゲームだ」といっても、それはあなたが徹底してないからでしょといわれてしまう。
ヴィトゲンシュタインは、深くて興味をそそります。難しそうですが。
2011年7月19日火曜日
2011年7月18日月曜日
2011年7月17日日曜日
2011年7月14日木曜日
3.11
今日は、東京大学本郷キャンパスの福武ホールというところで、トークイベント「「3.11後の世界」を考える」大澤真幸さん、宮台真司さんにいってきました。
50年代までは原子力は輝かしい未来の象徴であった。
60年代になると、正義というものが疑わしくなる。
大澤。菅首相の脱原子力宣言、意外に扱いが小さかったのが意外。
宮台。日本のマスメディアは政治部が強いので政局としてしか見ない。
あと原子力の話が続くのですが、それは宮台さんの本をお読みいただくとして、面白いと思ったところを少しいっていこうと思います。
大澤。宮台さんは「共同体自立」というが、自立と依存は排他的な関係ではない。
西洋人は自立しているというが、根底では強い唯一神に依存している。
ミメーシスも思わず模倣してしまう相手がいる。
極端な依存こそ自立である。
宮台。グローバル化で活躍している中国人、ユダヤ人は強い血縁ネットワークを持っている。相互扶助があった。グローバル化イコール個人ではない。
大澤。「終わりなき日常」が終わったといわれているが。
宮台。終わりなき日常とは。一つは、全てが全体を部分に関係づけて脱臼する、再帰性は終わらないというポストモダン化。
様々な意匠、として全てがモード化してしまうこと。
96年に解放区が消えた。街がフラットになった。
エヴァンゲリオンブーム。ACブーム。リストカット。援交がカッコわるくなった。
少年犯罪。このときに「脱社会化」という概念を提出した。危険なものとして。しかし、数年後の『サイファ覚醒せよ』では、ある意味脱社会化を肯定した。
二人の人間の自殺が影響を与えた。
その後、脱社会的存在が再び社会にかかわれるかを考えた。
そこで、マッキンタイア、サンデルのコミュニタリアンの思想にであう。コミュニタリアンはもとはリバタリアン。近接性、コモンセンスを信じている。
情動の超えられないカベ。それは恣意的だが、必要。
大澤。『災害ユートピア』という本で、災害時に人は生き生きすると書いてあった。
宮台。システムが壊れるから。
大澤。裏返しの終末論。システムがあるうちに考えることが重要。
実に3時間にもわたる対談でした。
僕はお二人とも、カルチャーセンターでお話を聴いていたので、だいたい聴いたことのある話でしたが、初めての人には中身の濃いお話だったでしょう。
2011年7月13日水曜日
痩せる
2011年7月12日火曜日
2011年7月11日月曜日
コミュニケーション能力
2011年7月10日日曜日
2011年7月9日土曜日
譬え
2011年7月8日金曜日
2011年7月7日木曜日
未来
カルチャーセンター「3.11以降の「自由な社会」の条件」大澤真幸先生を聴きにいきました。
西洋ではリスボン大地震など天災によって思想が大きく影響される。
ライプニッツが否定され、ヴォルテール、ルソーが活躍する。
3.11以降、意外だったのは原発反対が思ったほど多くなかったこと。
ロールズの正義論で考えれば、無知のヴェールを被ったら皆平等に判断する。
しかしロールズには未来の他者という概念が含まれていない。
ヨーロッパで反原発が盛り上がったのはユダヤ・キリスト教的伝統のため。
終末論の歴史があるので、逆に未来の破局から現在を見ることができる。
日本にはユダヤ・キリスト教的伝統はないが、もっと抽象的なレベルで対応が可能なのではないか。
終末論から見ると、ここで別の道をとっていれば救われたとあとから思うところがある。
日本でもここで道を誤らなければ破局に至らないだろうという道を無意識にわかるのではないだろうか。
このように、現在の原発事故に対する日本人の対応について詳しく、極めて論理的に説明されて納得しました。
2011年7月6日水曜日
言葉
2011年7月5日火曜日
2011年7月4日月曜日
2011年7月3日日曜日
2011年7月2日土曜日
人間学
今日はカルチャーセンターで「哲学的人間学」宮台真司先生、堀内進之介先生を聴きにいきました。
ユクスキュルやシェーラーによると、人間は他の生物に比べ世界が開放されている。
ここではないどこかを想像できる。
それを肯定的にとらえる人と、否定的にとらえる人がいる。
何らかのかたちで埋め合わせは必要。
95年「エヴァンゲリオン(TV版)」では、世界の謎が解ければ自分が受け入れられる、となっているが(映画版は違うと思うが(鈴木))現在「魔法少女まどか☆マギカ」では世界のルールを変えてしまう。
それが誰の仕業なのかは誰も知らないことが重要。
そして、世界のルールが変わってもまた同じことがくり返される。それでいい。
哲学的人間学という幅広いテーマでしたので、あまりまとまった議論ではなかったという印象です。
今までの宮台先生の主張を確認できたのと、少し新しい知識を得ることができました。
2011年7月1日金曜日
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