今日は、カルチャーセンター「言葉とは何か?」中村昇先生、第二回です。
今回は、ヴィトゲンシュタインについて教わりました。
ヴィトゲンシュタインは前期、中期、後期と時期によって重きをおくところがちがっています。
初期には徹底した論理学主義者で、論理空間と現実界が言語によって一対一で対応していると考えました。
そこで、『論理哲学論考』という本を書くのですが、中期になるとまた変わってきます。
中期では、言葉の体系を重視します。しかし、それも放棄して後期をむかえます。
後期では、言葉の背後にあるものを認めず、現場の言語活動だけがわれわれがわかるものだとします。その理論は「言語ゲーム一元論」といわれます。
更に、私的言語は存在しないとします。もし何かを言語化したならばその瞬間にそれは「私的」ではなくなって「公共的」になるといいます。なるほど確かにそうだなと思いました。
徹底的に論理的に言語を分析しきった人が、「言語はゲームだ」というので重みがある。
徹底してない人が「言語はゲームだ」といっても、それはあなたが徹底してないからでしょといわれてしまう。
ヴィトゲンシュタインは、深くて興味をそそります。難しそうですが。
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