今日は、東京大学本郷キャンパスの福武ホールというところで、トークイベント「「3.11後の世界」を考える」大澤真幸さん、宮台真司さんにいってきました。
50年代までは原子力は輝かしい未来の象徴であった。
60年代になると、正義というものが疑わしくなる。
大澤。菅首相の脱原子力宣言、意外に扱いが小さかったのが意外。
宮台。日本のマスメディアは政治部が強いので政局としてしか見ない。
あと原子力の話が続くのですが、それは宮台さんの本をお読みいただくとして、面白いと思ったところを少しいっていこうと思います。
大澤。宮台さんは「共同体自立」というが、自立と依存は排他的な関係ではない。
西洋人は自立しているというが、根底では強い唯一神に依存している。
ミメーシスも思わず模倣してしまう相手がいる。
極端な依存こそ自立である。
宮台。グローバル化で活躍している中国人、ユダヤ人は強い血縁ネットワークを持っている。相互扶助があった。グローバル化イコール個人ではない。
大澤。「終わりなき日常」が終わったといわれているが。
宮台。終わりなき日常とは。一つは、全てが全体を部分に関係づけて脱臼する、再帰性は終わらないというポストモダン化。
様々な意匠、として全てがモード化してしまうこと。
96年に解放区が消えた。街がフラットになった。
エヴァンゲリオンブーム。ACブーム。リストカット。援交がカッコわるくなった。
少年犯罪。このときに「脱社会化」という概念を提出した。危険なものとして。しかし、数年後の『サイファ覚醒せよ』では、ある意味脱社会化を肯定した。
二人の人間の自殺が影響を与えた。
その後、脱社会的存在が再び社会にかかわれるかを考えた。
そこで、マッキンタイア、サンデルのコミュニタリアンの思想にであう。コミュニタリアンはもとはリバタリアン。近接性、コモンセンスを信じている。
情動の超えられないカベ。それは恣意的だが、必要。
大澤。『災害ユートピア』という本で、災害時に人は生き生きすると書いてあった。
宮台。システムが壊れるから。
大澤。裏返しの終末論。システムがあるうちに考えることが重要。
実に3時間にもわたる対談でした。
僕はお二人とも、カルチャーセンターでお話を聴いていたので、だいたい聴いたことのある話でしたが、初めての人には中身の濃いお話だったでしょう。
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