2012年12月31日月曜日

「ダークナイト ライジング」

クリストファー・ノーラン監督作品「ダークナイト ライジング」をU-NEXTという動画配信サービスでiPadで見ました。

バットマン新シリーズの3作品目の完結編です。

前作の敵役ジョーカーのインパクトが強いので、今回の適役のベインがかすんでしまったという評をよく目にしました。

しかし僕は、ジョーカーはジョーカーで、ベインはベインでそれぞれ面白いキャラクターになっていると思いました。

物語の緊迫感を出すために、危機がどんどんスケールアップしていきます。
前作では、病院を爆破するというものでしたが、今回は街そのものを爆破するとどんどんエスカレートしていきます。

悪役も迫力を出すために、残忍に描かれていますが、それを見た人が影響を受けてしまうということを少しは考慮した方がいいのではいう気もします。

この映画の公開日に、アメリカの映画館で「自分はジョーカーだ」といって銃の乱射事件がありました。

作品を見ると、平気で人を殺すシーンが沢山でてくるので、やはり悪い意味で影響を受けてしまう人がでたともいえるのではないでしょうか。

ハリウッド映画の刺激を求める合戦には、少し考えてもらいたい気もします。

作品自体は、だんだんと緊迫感が増していって引き込まれます。
結局バットマンが勝つと分りつつも、ハラハラしてしまいます。

ちょっとスケールがでかすぎるだろ、という気もしましたが、面白く見られた作品でした。

2012年12月30日日曜日

『吉祥寺 横丁の逆襲』

桑原才介『吉祥寺 横丁の逆襲 "街遊び"が10倍楽しくなる本』を読みました。

僕が小学校1年から住んでいる街、吉祥寺に関する本です。

横丁を中心に吉祥寺の街の歴史と店を紹介しています。

住んでいても知らないことも多く、吉祥寺をよりよく知るきっかけになりました。

最近、街が変わっていっているのは少し寂しいです。

2012年12月29日土曜日

2012年12月27日木曜日

『心の病 回復への道』

野中猛『心の病 回復への道』を読みました。

精神疾患、精神障害の治療の、システム的な面からの歴史やこれからの課題を描いた作品です。

心理学的アプローチで書かれたものではありません。

心の病の治療は、昔はひどかったのが徐々に当事者中心に変化してきたということが書かれています。

精神疾患の当事者にとっては希望の持てる内容になっています。

2012年12月26日水曜日

『ウェブで政治を動かす!』

津田大介著『ウェブで政治を動かす!』(kindle版)を読みました。

インターネットの利用で、どう政治が変わるかを実践的に論じた本です。
細かいことが書かれていて、この本のいう通りになれば政治もかなり変わるだろうと期待をもたせる本です。

しかし、著者もその限界を認識していて、インターネットで全てがうまくいくという楽観的な立場には立っていません。

中では、与野党の政治家のインタヴューなどを公平に載せていて、フェアーな態度だと思いました。

色々な意見をまとめると、限界もあるけれどウェブは使い方によってはそれなりの影響を間違いなく政治に与えることができる。そう、確信させられる本です。

ウェブと政治の関係についてよくまとまった本だと思いました。

2012年12月24日月曜日

2012年12月19日水曜日

安倍政権

僕は民主党サポーターで、今回も民主党に投票しまし。

しかし、安倍政権において安倍さんがいわれているように、金融緩和でデフレと円高を是正できればいいと思います。

尖閣問題も、表では強気でも、裏で自民党の持っている交渉力を発揮してうまく解決できればいいと思います。

民主党には頑張ってもらいたいですが、経済政策、外交政策でどのようなところが失敗したのか、謙虚に反省してもらいたいです。

結局、民主党には任せられないという世論がこの結果を招いたのだと思います。

口先でいくらいいことをいっても、実行力のない政治は信頼されません。

今回の教訓で、民主党には生まれ変わってもらいたいです。

2012年12月17日月曜日

民主党

今回の選挙で、民主党は1/3以下に議席を減らしました。


小選挙区制度では、勝つときは300議席ぐらいとって、負けるときは1/3ていどになることが続いています。
今回のように少数乱立の場合は2割台の支持率で勝ってしまう。

民主党の敗北は、民主党自体が官僚に負けた結果だと思います。

民主党自体が理想はよくても実現力がないという点と、政権交代に警戒感を抱いた官僚の抵抗、サボタージュ、説得、懐柔に屈してしまったということが原因だと思います。

民主党ごときには好きなようにさせないぞという官僚側の問題もあります。

民主党の性格が、現実に対して甘すぎるということもあると思います。政治の現実に対して厳しい視点が必要でしょう。

しかし、それでも自民党政権を変えたことは重要だと思います。

この失敗を教訓として活かして党内を再統一できなければ存亡の危機に陥るでしょう。

この大勝、大敗はまた逆のことが起こる可能性もあるということです。

僕は、やはりうまくいかなくても政権交代を試してみてよかったと思います。この失敗を教訓として活かしていって欲しいと思います。

2012年12月15日土曜日

「私」の倫理学

朝日カルチャーセンター「「私」の倫理学」
國分功一郎先生(哲学)、宮台真司先生(社会学)、堀内進之介先生(政治社会学)
の講座にいってきました。

國分先生の『暇と退屈の倫理学』から、ハイデガーの退屈の3類型から話は始まりました。

ハイデガーは、退屈を次の3つに分類しました。
1.駅で電車を待っていてやることがない退屈
2.パーティーで楽しい時間を過ごしたけれども退屈だという退屈
3.なんとなく退屈という声が聞こえてくる退屈

そして、國分先生は2.の退屈を我々が生きるべき退屈だと定義しました。

それに対して、宮台先生は共感できるといい、堀内先生は理解できないといいました。

宮台先生は、毎年年の瀬になるとうつになるそうです。それは、普段いろいろやって退屈をしのいでいるけれども、それがバレる感じだそうです。

いろいろなことをして暇をつぶす。でも、心の中には虚しさが醸成されていく。この感覚は現代人には、共感できる部分が多いのではないでしょうか。
僕も、これは重要な問題だと思います。

ところが、堀内先生はそれが理解できないといいます。自分がやっていることが本当にしたいこととは違うという感覚はない、なぜなら自分はやりたいことだけやっていてやりたくないことはやっていないからだといいます。

退屈を論じることも重要だと思いますが、それを感じない人もいるということも非常に面白いと思いました。

國分先生は、第2類型の退屈と付き合っていくには訓練が必要だといいます。ハンバーガーひとつとっても、それを十分吟味して味わえば面白くなってくるといっています。

堀内先生が違うのは、育ちの差かなと宮台先生はいっていました。
堀内先生の詳しいプロフィールは知らないのですが、お父さんが資産家で、ご本人はイギリスに住んでいりして、確か奥さんがアメリカ人。そして、堀内先生のTwitterを見るとワインの味について語っていたりします。
つまり、堀内先生はすでに暇の楽しみ方、味わい方を知っている階級に属しておられるのではないでしょうか。

推測ですが、小さい頃からいいものを味わうことに通じた生き方をしているので、國分先生が処方箋としてだした、徹底的に味わうということが訓練なしにできてしまっている、だから、その程度のことで退屈に苛まれないのではないでしょうか。

翻って我々庶民は、旧に豊かになって、お金持ちのように暇をうまく潰す方法を身につけていない。だから、どこかよそよそしくなってしまう。それを避けるなら徹底的な訓練が必要ということになるのではないでしょうか。

僕自身は、退屈という問題をかつて深く考えて、それを小説にしたこともあります。
退屈とは、みんなが有閑階級になった現代社会において重要な問題だと思います。
そこで、堀内先生のように退屈に苛まれない人がいるというのは一つの希望かもしれません。貴重な、手本になるのかもしれません。

しかし、僕は退屈という問題から、深く実存の問題へと掘り下げることにも意味があるのではないかと思います。

そういう意味では、ハイデガーを一方的に退けない立場です。

退屈について國分先生と宮台先生の対話を聴けたのと、それとは全く違った角度からの堀内先生のお話を聴けました。

どういう話になるかと思っていたけれども、意外な話が聴けたという感じです。

2012年12月13日木曜日

『暇と退屈の倫理学』

國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』を読みました。

初め奇妙なタイトルの本だと思いましたが、考えてみれば「退屈」とは、現代社会においては重要な問題だと思いました。

「退屈」とは何かを、哲学的、社会学的、人類学的に突き詰めて考えていきます。
しかし、決して難しくならずに、僕たち素人でも読める文章で書かれています。

ハイデッガーは、「退屈」を3種類に分けました。
第一は、やることがない退屈。
第二は、やることがあるのに退屈と感じてしまうこと。
第三は、なんとなく退屈だという声が聴こえてしまうこと。
そして第三の退屈を最も重要だとして、そこに人間の自由があり、その中で決断をすることが重要だと考えました。

しかし、國分さんはそれに異を唱え、人間だけが動物と違って環境にとらわれない自由があるという考え方に反対します。

そして、第三の退屈も結局は第一の退屈と繋がっていると考えます。そして、第二の退屈こそがわれわれ人間が付き合っていかなければならない退屈だとします。

20世紀最大の哲学者を向こうにまわして、自分の論を理路整然と繰り広げるのはすごいなと思いました。

著者の説明は説得力があって、なかなか反論できません。
ただ、ハイデッガーの退屈論にも、もう少し深みがあるのではないかという気もします。

しかし、この本は自分の長年の悩みを解決するために書いたといわれていますが、現代人にとっては。飢餓や戦争よりも「退屈」こそが重要な問題だというのは、意味深い問題提起だと思いました。

2012年12月10日月曜日

健康診断

健康診断にいってきました。体重が増えた他は健康でした。

2012年12月9日日曜日

『コミュニケーション不全症候群』

中島梓著『コミュニケーション不全症候群』を読みました。

1991年という、早い時期に「おタク」について論じた本です。
著者自身、自分もおタク的要素があるがゆえに、現代のコミュニケーション不全の状況に危惧を感じ、警鐘を鳴らすために書いたといっています。

「おタク」、男性同性愛を描いたマンガを愛好する少女、摂食障害、ダイエット症候群、などの現代の病は、その根底に「コミュニケーション不全症候群」という病があるといいます。

それは、過密な空間に生物が押込められると他者を他者として受け止められない、モノのようにしか見られないというところから発したといいます。

そして彼らは、いつまでも子どものままでいて、他人に承認されることを一方的にのぞむ存在であるといいます。

この本は「おタク」現象を極めて危険なものだという立場に立って書かれています。将来おタクたちが40代、50代になったときにどうなるのかと心配しています。

では、いまおタク第一世代が50代になったときどうなっているでしょうか。

一般的にいって、オタクはかつてほどの差別の対象にはなっていないように思われます。
宮崎駿が文化功労者に選ばれ、エヴァンゲリオンは現在でもヒットを飛ばしています。

しかし、その前にオウム真理教事件などがあり、オタク自身も変革を何度か迫られたという事情もあるでしょう。

オタクが一方的に危険だとはいえないけれども、この本の警告には傾聴に値するものがあったと思います。

最後に著者が処方箋というということで出したのが「時間」という観念を導入するということでした。「時間」が動いているということを意識したとき、コミュニケーションは作動するといいます。

僕はそれを読んで、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版: Q」を思い出しました。オタクである自分を引き受けつつ、どのようにそれを乗り越えるかをテーマにしている庵野秀明さんの最新のテーマは「時間は動いている」というものだと思ったからです。

コミュニケーション不全症候群の問題は、いくつかの改善を経つつ、今でもある意味、大きなテーマとして存在しているともいえるのではないでしょうか。

2012年12月8日土曜日

2012年11月27日火曜日

『人性論』

ヒューム『人性論』を読みました。

「印象」と「観念」が根本的なものだとして、人間を分析することによって独自の哲学を追究しています。

そんなに難しい単語はなかったのですが、話が複雑であまり理解できませんでした。

しかし、これがカント等に影響を与え、近代哲学のひとつの大本になっていると思うと重要です。

流麗な文体と、謙虚な姿勢には感銘を受けました。

2012年11月25日日曜日

2012年11月21日水曜日

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」

庵野秀明総監督「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」を観てきました。

以下、ストーリーに関わることが書いてあるので、未見の人ご注意ください。
要約は省略して、読者は内容を知っているものとして書きます。

TV版から「旧劇場版」へのエヴァの大きなテーマは、「如何にして大人になるか」ということだと思います。「大人」とは何か。それは他者とコミュニケーションをして生きていく存在。

子どもには、子どもの共同性があって、子どもはその中で生きている。

そして、近代が成熟してきて問題となっているのが、いつまでも大人になれない人。その最たるものが「おたく」ではないでしょうか。

TV版から「旧劇場版」への庵野監督は、「おたく」である自分がどうやって「大人」になるかでもがき、苦しんでいたと思います。それが多くの人の共感を得たのだと思います。

当時は、まだ「おたく」とそれ以外の人との区別が画然とあって、その差別の中から、その「おたく」の一番の中心から「おたく」をのりこえようという企てがおこったのです。
その背景は、グローバリゼーションの中で、人々の流動性がたかまって、かつてのように「おたく」の繭の中では生きていけなくなったというもがあるのだと思います。
それに、最も早く敏感に反応したのが庵野秀明という才能をもったクリエーターだったのではないでしょうか。

このような観点から、TV版、「旧劇場版」を観ると、この「エヴァ」という作品を作って人々に覚醒を促す作業自体が、庵野監督のイニシエーションだったと僕は思っていました。
「旧劇場版」を見終わったあと、庵野監督の将来を考えてみて、自殺をしないかしらと心配したものです。

しかし、その後TV等にも積極的にでて、さらに漫画家の安野モヨコさんと結婚なさって、ある意味で「大人」になれたのだなと思いました。
これだけ濃い「おたく」とオシャレな女性漫画家が結婚したというのを知って、驚きました。昔の「おたく」差別の頃だと考えられないと思いました。

「旧劇場版」でアスカの首を絞めて、象徴的な「母殺し」ができたのだなと思いました。

「新劇場版」は、そのような病気な状態で作ったものを、一旦健康になってからきれいに作り直してみようという試みだと思っています。

だから「旧劇場版」のような、狂気はないけれど洗練されたかっこいい作品になっていったと思います。
「旧劇場版」に比べ強度がないと思う人もいると思いますが、もともと目指しているものが違うのでしょうがないと思います。

「新世紀エヴァンゲリオン」は、TV版のラストででてきた「学園コメディー」的なものと、深刻なSFものとの対照的な世界を同時に描くことで、魅力をつくってきたと思います。
しかし、「新劇場版」では、時間の都合もあって「学園コメディー」的なものがなくなっているので、アスカもTV版のお茶目な面がなく、ただキツい子になってしまって魅力が弱くなっている気もします。

「新劇場版」の「序」はTV版の総集編的であまり新しい感じがしませんでした。
「破」は、新しい視点が色々入って面白かったです。レイがシンジを誘ったり、シンジがレイに手を差し伸べたり、旧版よりも彼らが積極的になっているのが目につきました。ああ、庵野さんが以前のように怯えて引きこもっているところから一歩前へ出たのだなという感じがしました。

そして「Q」ですが、やはり洗練された作品に落とし込むことではよしとしない、これだけでハッピーエンドにはしないぞという意欲がうかがわれます。

映像に関しては「新劇場版」をとおして皆美しく、かっこよくできていてさすがと思わせますが、「Q」に限っていえば、画面の動きが複雑すぎてなにがどうなっているのかがよくわからない。すごい戦いになっているのはわかるのですが、エヴァの顔もよくわからない。ちょっと不親切な感じもしました。

前回の最後に綾波レイに手を差し伸べて、感動したのですがそれがサードインパクトを起こしてしまい、本当に今回はサードインパクト後の世界ではじまる。そんなに甘いものじゃないぞという庵野さんの考えがうかがわれるようです。

そして、シンジ以外の人は歳をとっているのにシンジだけは14歳のままだというのは、先ほどいった、「大人」になることのテーマに成功した人と、失敗して未だに14歳にとどまっている人がいるということを示しているのでしょうか。

ネルフが廃墟と化して、そこで生活するシンジ。「時間は経ってしまったのだ」という強いメッセージを感じます。

カヲルの存在をどう解釈していいのか。一種の同性愛的な関係として描かれてもいるようですが、大人になるための「移行対象(ウィニコット)」なのでしょうか。

最後の戦いは複雑ですごいスピードで描かれているので、何がどうなったのかよくわかりませんでした。

アスカのセリフが「バカシンジ」から「ガキね」と変わったことが象徴的です。庵野氏はやはり、この間に悩める「子ども」の視点から、それをのりこえた「大人」の視点に変わっていったということを象徴しているように思われます。
「新劇場版」で「チルドレン」というこどばが使われなくなったこともそうです。

しかし、「大人」になったアスカはとても不機嫌そう。それにつれられたシンジはまだ「子ども」のようにぐずっている。
庵野氏は、単に「大人」が素晴らしくて「子ども」が未熟なダメな存在という単純な見方をしているだけではなさそうです。

「旧劇場版」が「大人」になるための試練の、無意識の恐ろしい深淵を覗くような映画だとすれば、「Q」は、大人になってしまったためのこころの「砂漠」を描いたような作品のように思われました。

それがよかれ悪しかれ、「時間は経ってしまった」のだと訴えているように思いました。

時間が経ち、周りは砂漠のような世界。今までから一歩先にいった問題意識。「大人」ゆえのこころの砂漠。

この新しいテーマにどういう答えをだされるのか。

ともあれ、「エヴァ」と同時代を過ごせたことはよかったと思います。

2012年11月20日火曜日

『政権交代とは何だったのか』

山口二郎著『政権交代とは何だったのか』を読みました。

民主党政権の失敗を分析した本です。

著者自身が、民主を支持していたことを明言されているので、民主党に有利なことを書いてもアンフェアではありません。

僕も民主党支持なので、共感するところが多かったです。

成功した例も、多くはないのですがあるのだから、それをもう少し強調してもよいのではないでしょうか。

一回の失敗に懲りてあきらめないで、これをいい経験として生かしていけばいいというのも同感でした。

2012年11月15日木曜日

『政権交代』

小林良彰著『政権交代 民主党政権とは何であったのか』を読みました。

民主党政権は、2009年に掲げたマニフェストをほとんど実現できずに終わってしまいました。

僕なりに理由を考えてみると、

1.実現不可能なマニフェストの内容
2.政治家の知識、経験、力量不足
3.先進国に共通な財政難による不人気政策

などでしょうか、

しかし、自民党時代でも6〜7割の支持率から3〜2割の支持率へ。一年ごとの首相の交代。は共通なので、党を超えた政治構造の問題なのかもしれません。

そう考えると、初めての本格的な政権交代を経て、何が変わって、何が変わらなかったのかが分っただけでも、学習になったのかもしれません。

今まで、ほとんど自民党一党独裁だったことを考えると、失敗も含みながら政権交代を繰り返していくうちに、少しでも政治にダイナミズムが生まれれば、それはそれでいい面もあると思います。

本には、有権者は実は、政策も実績も重視してないで所属政党で投票しているということが書かれていました。

政治家が約束を守らないのは、私たち有権者の責任でもあるのです。

著者は衆議院の比例代表制を提案していますが、僕は多少デメリットがあってももう少し小選挙区制を続けて、政権交代を何度か繰り返して、その中で政治家も有権者も学んでいくことが重要ではないかと思います。

寝ていました。

2012年11月13日火曜日

『ユング心理学入門』

河合隼雄著『<心理療法コレクションⅠ>ユング心理学入門』を読みました。

僕が生まれる前に書かれた本ですが、全く古さを感じません。

平易なことばと、豊富な実例をもとにユングの心理学の神髄を解説していきます。
その中ででてくることばに、感動を覚えます。

ユングの深淵で複雑な理論に対する、河合先生のこのわかりやすく、こころに響く解説があり、日本でユング心理学が人気を博したのではないでしょうか。

インテリにはユングよりもフロイトの方が人気があるかもしれませんが、僕のような庶民には河合版ユングが一番受け入れやすいです。

今まで、河合先生の著作はたくさん読んできたのですが、この代表作だけは読む機会をのがしてきました。

現在、ユング派の心理療法を受けているのですが、「分析とは、否定的なものを自我に統合するための、辛く厳しい作業である」というテーマは、まさに今の僕自身にあてはまるものです。厳しいけれど、辛いけれども、このような本があってよかったと思います。