今日は、宮台先生の「荒野塾」第1回でしたが、始めオンラインで受けようと思っていました。しかし、受け方がわからなかったので、暇だし早稲田だしいってみようかと思い現地にいって受けてきました。その後URLが送られてきましたが、いってよかったです。9:30〜13:00頃までと14:00〜18:00頃までと長時間でしたが、午前は全部質疑応答で、宮台さんが丁寧に答えてくださいました。僕も勇気を出して質問したら、丁寧に答えてもらえました。宮台さんの講義は「終わりなき日常〜」以前から、朝日カルチャーセンターで受けていたのですが、こんなにちゃんと質問するのは初めてでした。僕の質問は「80年代の新住民化というお話でしたが、合理化や個人化は世界史的な普遍的な流れであるのでは?その文明論的な説明をしていただければ.....」というものでした。宮台先生は答えが早くて、文明論的な意味は〜と始められて、この問題を始めに唱えたのは、アダム・スミスと同時代のルソーです。『諸国民の富』の10年前に書かれた『道徳感情論』によると、道徳感情、同感能力がなければ市場は地獄だ、と。ルソーも民主制は民主制以前的な前提が必要。ピティエ。古典派経済学の影響を受けたマルクスは、資本主義では資本が自己増殖する。『資本論』では、プロレタリアートは奴隷よりも過酷だと。産業革命がイギリス、ついでフランスで起こるが、自営業が減っていく。80年代に日本で起きたこと。資本主義のシステムに適応しないと淘汰される。それらの流れに逆らったのが、86年イタリアのブラで起こったスローフード運動。アメリカがブランディングのために作ったLOHASとは全く違う。スローフードとは、地域で作ったものを買い、自営業が回るようにする。お祭りや街並みを守る。産業革命→自営業が失われ→資本の自己増殖。抗い難い流れ。生活世界からシステム世界。M・ウェーバーは没人格化といった。合理化、手続主義、計算可能性は入れ替え可能性。雇われ人もビューオクラティック。ベッドタウンと会社の往復。生活世界を壊していく。これは「摂理」。ほっておくとそうなる。価値貫徹が必要。という感じのこといわれました。僕は、「「摂理」とおっしゃった、宮台さんにアンビバレントやジレンマがあるのでは?」とききました。すると、ラインホルト・ニーバーを引いて「神よ、私に可能なものと不可能なものを識別する知恵をお与えください」と。無駄なことに頑張ったら無駄振りしてしまう。できないこととできることを識別して、できることをやる。といわれました。なるほどと納得できました。その後、昼休みを挟んで18時近くまでやりました。長かったけど、勉強になりました。
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