2024年12月30日月曜日

インフルエンザA型

 年末にやっている内科ということで、武蔵境までいってきました。すごく混んでいて2時間半待ちました。検査の結果、インフルエンザA型で、コロナは陰性でした。隣の薬局が混んでいたので、吉祥寺に戻って調剤薬局をさがしたら、google mapに載っているのとは違ってほとんど営業時間外でした。やっと開いてる薬局を見つけたら、申し込んだ人だけといわれましたが、処方箋を見せてといわれ、見せると、インフルですね特別ですよと処方してくれました。たすかりました。

2024年12月29日日曜日

欠席「虹のコンキスタドール&きゅるりんってしてみてフリーライブ」 有明ガーデン3Fみんなのテラス きゅるりんってしてみて出演(環やね チバゆな欠席)

 今日のフリーライブは、やねちゃんに続いてチバゆなちゃんも体調不良でお休みでした。そこできゅるしてのライブは中止で、あむちゃんと嬉唄ちゃんのチェキ会だけ行われたそうです。ライブの終わりにちょっとだけトークにも参加したようです。僕自身、発熱があって39度まであって、いけませんでした。

2024年12月27日金曜日

「ザ・ドリフターズ展」 福岡エルガーラ大ホール 加藤茶お出迎え


 全国をまわっている「ザ・ドリフターズ展」。今回福岡で加藤茶さんがお出迎えということでした。幼稚園の時に、母にいわれても反発していたけれど、加トちゃんにいわれたら「お風呂入れよ!」「頭洗えよ!」が受け入れられたほど、好きだった、子供時代の憧れの人でした。「8時だョ!全員集合」は楽しみにしていたけれども、ヒゲダンスが流行った頃は、親から下品だと批判されて、裏番組の「欽ちゃんのドンとやってみよう」を見ていました。「全員集合」が終わってからも「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」を見ていました。僕は志村けんさんより加藤茶さんの方が好きでした。その加トちゃんに会えるチャンス。もうお年だし、元ミュージシャンではあるけれどライブがあるわけでもないし、こんなチャンスもうないかもしれないと思い、丁度名古屋にいっていたので、足を伸ばして博多までいってしまいました。12時から開場でその時、加トちゃんがお出迎えの予定でした。名古屋からの6:20の始発電車に乗っていきました。1時間半ほど前に着きました。開場のフロアにいってみるとスタッフの女性が整理券を配ってくれて、僕は9番でした。カフェで時間をつぶして30分前くらいにいくと結構人がいました。年輩の方から小さなお子さんまで。なんかドリフ展にきてる人は、いい人に見えてしまいます。真面目な顔しているけど、みんなあのコントで爆笑している人達だと思うと。時間になって会場に順番に入っていくと、加トちゃんは、頭は白髪で体は小さく派手なピンクのドリフスカジャンみたいなのを着ていました。マスクをして手袋をつけていました。僕が「幼稚園の時からのファンです」というと、「ああ、そう」とにこやかに接してくれました。力なく握手をしてくれました。それで終わりでしたが、TV取材がきていて、全員集合の台本を持っている年季の入った男のファンの方や、泣きそうになっている女のファンの方が取材されていました。展示を見ていると横を加トちゃんが通っていきました。それだけの出会いでしたが、後になっていってよかったと思えるのではないかと思っています。その後、福岡博多の名物、とんこつラーメンを食べ、モツ鍋を食べ、飛行機で帰りました。大変な1日でした。


2024年12月25日水曜日

フェレット、ちゃーちゃん。インスリノーマ


 僕は6歳になるイタチ科の動物、フェレットを2匹飼っています。両方オスです。茶色いセーブルと呼ばれる毛色のちゃーちゃんと、銀色のシルバーのぎんちゃんです。ちゃーちゃんはインスリノーマという血糖値が安定しない病気にかかってしまいました。6時間おきに餌をやらないと低血糖痙攣が起きてしまうことがあって、ヨダレをたしながら餌も食べられない状態になります。そういうときは無理矢理ブドウ糖をのませて、薬と餌をやります。6時間ごとというのが飼い主にとっても大変負担で、出かけるときは病院のホテルに預けたりします。今日も、明日から出かけるので、病院にちゃーちゃんとぎんちゃんを預けてきました。フェレットの寿命は5年から10年といわれているので、もう年老いています。フェレットは病気のデパートとともいわれ、病気をしやすい動物です。ちゃーちゃんは、かつてアリューシャン病と疑われたことがあります。アリューシャン病を調べたら死亡率100%と書いてあって、その時から覚悟は決めました。でも、運良くアリューシャン病ではなく今でも生き延びています。これからもできる限りのことはしてやりたいと思っています。

2024年12月24日火曜日

体験デザイン研究所風の谷・宮台真司[荒野塾・雑談篇スペシャル]

 今日は、先日の荒野塾で扱った精神科医R.D.レインのお話でした。内容は前回と重なる部分が多かったですが、今回印象に残った話は、レイン5歳の時、サンタクロースの真実を知り、神とは何なんだと、宇宙に放り出された感覚になり、それから人のいうことを簡単に信じる事ができなくなったというものです。何という感受性でしょうか。素朴にサンタクロースを信じるわけでもなく、斜に構えて「どうせ」と、疑うわけでもなく。真剣に感受したからこその衝撃。それが5歳の時というのも、ずっと覚えているというのもさすがと思いました。それが後の統合失調症への社会の偏見と闘う姿勢とも繋がるようにも感じました。

2024年12月22日日曜日

荒野塾 社会学講義補講 オンライン 宮台真司先生

 今日は、荒野塾の補講がオンラインでありました。コメントペーパーの質問に答えたり、その場のオンラインでの質問に先生が答えたりしました。宗教のことなどいろいろ話されました。印象に残ったことは、子供を怖がらせる作品を見せるべきかという話で、宮台先生がいった「怖がることはいけなくない」「トラウマはいけなくない」「抑圧なくして成長なし」「トラウマなくして成長なし」「不安、トラウマ、トラブル、争いに無縁で育ちました。魅力的な大人になると思いますか?親友や恋人にしたいと思いますか?人間の遺伝子はそういうふうにはできていない」というものです。

2024年12月20日金曜日

「ハイデガー存在論の深層究明」第三期第五回 朝日カルチャーセンター新宿校 アーカイブ 齋藤元紀先生

主要概念から読み解く中後期思想〈第3期〉技術と放下-1940年代の思想をめぐって第5回放下(Gelassenheit)の思考。ハイデガー中後期思想、第三期最終回です。「放下(ほうげ)」とは、ハイデガー独特の用語で「あるがままにしておく」「平静さ」「落ち着き」などの意味があります。その言葉がでてきた経緯などを詳しく説明されました。ハイデガーは物事の「作為」を嫌い「あるがまま」に置いておくこと、時間をかけることなどを好んだのかなと思いました。それが原存在に繋がるのか?分かりませんが、こういうことを大事にすることが必要だと考えたのかな、大事にしようかなと思いました。だいぶ、この難しい文章にも慣れてきたかもしれません。最初はちんぷんかんぷんだったのですが、少しずついいたいことがイメージできるようになってきました。

2024年12月17日火曜日

荒野塾 秋学期11、12 西荻窪ことカフェ 宮台真司先生

 今日の荒野塾は、イギリスの精神科医で詩人でもあった、R.D.レインの話でした。はじめに伝記的映画を途中まで見ました。阪田さんがいってたように、ロックスターのような感じや、振る舞いでした。途中で、宮台先生がきて、「ピザのとこ見た?」といって、統合失調症の患者の少女との対面のシーンを見ました。警戒している少女に会って、服を一枚脱いだら自分も真似して脱いで、自分は鍼のツボをいっぱい知っているんだといって、徐々に警戒を解いていって、少女に触れていって、最後にピザを食べようといってピザが届けられます。すると少女も緊張が解けていきます。感動的なシーンですが、その後院長先生がきて、君がやっているのは医療ではないといわれ、患者の安心のためにならないといわれます。するとレインはいいかえします。あなたが求めているのは、患者の安心ではなくて自分の安心だろう。レインはその天才的治療法によって一つの精神病院を開放させるほどの業績を残します。しかし、周りの嫉妬と既得権益保持の欲求の為に精神医学界をほされてしまいます。レインは統合失調症は、関係の病だと考えました。特に、家族関係に注目しました。レインはお金持ちの子だったけれども、その家族のコミュニケーションを嫌悪していて、またその家族が適応しようとしていた社会も嫌悪していました。レインの存在は、当時の学園闘争や公民権運動と呼応して、反精神医学という潮流を作ります。当時公開された「さらば青春の光」という映画の主人公の小児科医のモデルがレインだと、当時の宮台さんはきいていたそうです。このように、一方では反体制のアイコンになったレインですが、本人はしばらくは隠居していて、時々詩集を出していました。宮台さんは大学に上がるまでに、レインの書いたものを沢山読んでいたそうです。吉本隆明や埴谷雄高を読んでいたが、一番影響を受けたのはレインではないかといいます。僕自身の話をすると、僕は中高まであまり本を読まない人でした。初めて読んだ難しい本がレインの『引き裂かれた自己』でした。苦しくて、読まざるを得ないという状態でした。最後の頼みの綱のような感じで読み、とても感動しました。はじめてかかった医者に、『引き裂かれた自己』という本を読んだんですが、と恐る恐るいいました。すると「私はその立場には立たない。あれは、時代的な影響があって。フロイトまでは認めるけど」といわれました。僕の感想は、意外とフェアないいかただなというものです。もっと、あんなものは、と笑われるかと思ったからです。その後「君は理性が優勢すぎるのではないか」といわれ「理性が優勢なのになんで理性に語りかけるんですか?」ときいたら「われわれが無意識に語りかける方法は薬です」といわれました。その先生は、憎んではいないけれども、それからいくのをやめました。もらった薬も結局は置いておいて、いざという時にそなえて、結局飲みませんでした。そんな、非常に思い入れのあるレインの話を今日は深くまできけて、その再現された姿も映画で見られて、えもいわれぬ気持ちです。印象に残ったことは、コミュニケーションがnaturalかartificialかを嗅ぎ分ける力が必要だが、それが幸せかというと、そうはいえない。naturalかartificialかを意識せざるを得ない不幸な幼少期、悲劇的体験が必要、という話です。

仕事

 仕事にいってきました。

2024年12月12日木曜日

2024年12月10日火曜日

荒野塾 秋学期9、10 西荻窪ことカフェ 宮台真司先生

今日も18時から21時45分まで西荻窪のことカフェで、宮台先生の荒野塾でした。まず、宮台さんが遅れるということで、それまで自己紹介をしました。宮台さんがこられて丁度、僧侶の方が自己紹介していたので、宗教の話になりました。宗教には型があって、ご利益系と意味追求系に分かれます。後者はさらに、修養系と黙示録系に分かれます。前者は、癒やし系で後者は世直し系になります。また、時代で見ると、旧宗教、新宗教、新新宗教となっていきます。丁度、経済が使用価値から記号価値に変わった頃、新新宗教はでてきました。それまでの貧病争が動機ではなく、いい学校、いい就職をした人たちが、全く輝かないという理由で入っていくことを同世代として宮台先生が見てきたといいます。それから会場からの質問の中で、心とは何かという話になっていきました。心とはもともとなかったといいます。今から3000年より少し前、心が生まれた。それまでは、一人で森の中に入ったときに聞こえてくる声があった。エクリチュール、書記言語が生まれて、再帰的反応の結果、意識が生まれたといいます。その後、言語の話になって、詩的言語と散文言語がある。散文言語は記述と動機付けに分けたとき、記述に相当します。詩的言語は記述と動機付けが一体となっています。子供や昔の大人は、詩的言語をしゃべっています。会場から、詩的言語は動機付けを与えるが、散文言語は与えないのか、という質問がでました。与えないこともない。例えば吉本隆明の『共同幻想論』は、吉本が詩人だということもあり、論理的に書かれているのに、詩のようでもある。昭和では文芸をやっている人が批評も書いた。映画監督でも批評も書いた。そして、映画の話になって、キム・ギドク監督、亡くなったけれども、痛みを通じて法生活の外にでることをしたといいます。「痛みや苦しみ、死の恐怖を体験したことのない人間が内在ならぬ超越を生きることができるとは、あんまり思わない」「内在の外、超越に羽ばたくことは、内在を生きることの不可欠な条件」。そして、先日界隈塾にゲストでこられた吉田恵輔監督の話なりました。吉田監督作品には、暴力、片思いなどの玉突き連鎖が共通して見られるといいます。また、映画の表現が強力な批評になっていると。フチに引きずりだして、「お前は見たいものしか見ていない。見せてやろう」と。芸術とは、ドイツ・ロマン派以来、それを知ったものが今までの様には生きられなくさせるものといいます。連鎖の問題でハイデガーの話になりました。ハイデガーは前期、人間中心主義っぽかった。フッサールの助手で現象学を志しました。現象学は言葉の向こう側に純粋経験があると考えるからです。それをハイデガーは道具性としました。コップがあると、それには水を入れて飲むという潜在行為を想定しています。後期ハイデガーは駆り立ての連鎖があるとしました。木こりはかつてのような小さな木こりとは違う。製材所から駆り立てられ、製材所は出版社から駆り立てられ、出版社は読者から駆り立てられます。かつての駆り立て連鎖と違い、現代では全体が見えない。見えてもイニシャルステップがない。ハイデガーの脱人間主義化は、ケーレ、転回とも呼ばれます。吉本隆明は、この総駆り立て体制を、関係の絶対性と呼びました。どこかに大ボスがいるわけではない。誰かが悪いとはいえない。吉田監督の作品は「誰が悪い」から連れ出してくれる映画だといいます。必ずどの作品も気づきを与えてくれる。イエスがパリサイ派の雁字搦めになっているのに対して、「そんなことじゃ救われないよ」といったように。今回は、難しい話も結構スムーズに入ってきました。

2024年12月8日日曜日

界隈塾vol.6 ゲスト、映画監督 吉田恵輔さん、宮台真司先生 オンライン

 界隈塾の6回目をオンラインで見ました。ゲストは吉田恵輔監督でした。吉田さんはかなりエグい作品を作っておられるのに、謙虚で、自分は頭が悪いといいます。見ていると、ものの判断基準が、面白いかキモいかということのように感じました。サイコパスやキモいダサおじや連敗のボクサーなど、社会的に評価の低い者たちを描きますが、監督によると、そこに誰か見ててあげたり、手を差し伸べたりしたらいいのにということもいいます。そこに愛を感じました。誰かの目を気にするのではなく、やりたいことやっているだけという感じもします。そこに、正直さや誠意を感じました。

2024年12月7日土曜日

欠席「”カワイイ”世界征服♡−きゅるりんって依存して−」 渋谷WOMBLIVE AVAMxきゅるりんってしてみて出演(環やね欠席)/「ハイデガー」第三期第三回

 今日は、チケットが取れなかった「”カワイイ”世界征服♡− きゅるりんって依存して−」渋谷WOMBLIVE AVAMxきゅるりんってしてみて、環やね欠席、の当日券を狙っていましたが、発売されずいけませんでした。

「ハイデガー存在論の深層究明」第三期第四回 朝日カルチャーセンター新宿校 オンライン 齋藤元紀先生(12/3)、主要概念から読み解く中後期思想〈第3期〉技術と放下-1940年代の思想をめぐって第4回、四方域(Geviert)としての世界の生起、をアーカイブで視聴しました。四方域(しほういき)とは、ハイデガーが世界を四つの概念にまとめたもので、「大地」「天空」「死すべき者」「神々」というものです。ユングが、西洋では「3」という数字を大事にして、東洋では「4」という数字を大事にするというようなことをいっていたと思うのですが、ハイデガーはギリシアという東洋に憧れを抱いていたから「4」に拘ったのかなとも思いました。印象に残った言葉は、「哲学とは深淵な渦(うず)である」「世界は、言語のうちにある。言語は静けさのうちにある」です。

2024年12月3日火曜日

荒野塾 秋学期7、8 西荻窪ことカフェ 宮台真司先生

 今日の荒野塾。我々は、モノを名指すことで、潜在的行為群に閉ざされてしまいます。人類学者のデ・カストロは、文化相対主義を否定して文化絶対主義をうったえました。彼の『食人の形而上学』は、書かれなかった本に対するコメンタリーとしてポエムのように書かれています。分かる人にしか分からない。また、本の読み方を質問され、「著者になりきる」ことと宮台さんはいいます。他のコンテンツも同じですが、体験がない人は、同じ体験をするのが難しいのかとよくきかれるそうです。しかし、解釈学の「地平の融合」という考え方は、違った体験でも想像できるという知恵を与えてくれます。「行為」と「体験」の話になって、「行為」は選ぶもの、「体験」は訪れるものといいます。それから、社会学の歴史の話になります。システム理論は、元々一般システム理論が戦争に勝つために、分野の壁を串刺しにする思想が必要ということで生まれました。それを社会学に持ち込んだのがT.パーソンズです。パーソンズは物理学的に考え、合意モデルを作りました。その弟子N.ルーマンは、パーソンズを批判して、元々合意はないと、生物学的に信頼モデルを作りました。宮台さんが来日したルーマンに「それって、普遍ですか?」ときいたところ、「偶然です」と答えたということです。それから共生進化の話になって、原核細胞生物から真核細胞生物になって、部品が共生するようになり、多細胞生物になって一気に大きくなりました。5億年前の頃です。そして、あと5億年で全ての多細胞生物は死滅するといいます。意外と短いと思わない?この話を子どもに小さい頃から話していたら自分の死の問題をいわなくなったそうです。情報量の多い回でした。

2024年12月2日月曜日