2011年4月30日土曜日
2011年4月29日金曜日
物語
最近、新しい本を買う前に、古くからたまっていて読んでいない本を読んでいます。
大塚英志の『定本 物語消費論』を読みました。
80年代に書かれた、新しい消費に関する小論集です。
80年代に、商品ではなく、その背後にある物語を消費するという形ができあがった。
その代表がビックリマンチョコレートである。
さらに、都市伝説に関する論などを含んだ本です。
著者があとがきでも触れているように、80年代風な表現で書かている部分があって、今見るとちょっと恥ずかしいですが、基本的にはまじめな論考だと思います。
当時、社会風俗がどのように成り立っていたのかを教えてくれます。
あとがきで、この古い本を文庫化しようと思ったのは、今の人達が自分が何によって表現を規定されているかに鈍感だからだと書かれてありました。
そういう意味では、われわれのメディア社会がどのように成り立っているのかを知るためのよい本だと思います。
2011年4月28日木曜日
2011年4月27日水曜日
ラカン
斎藤環氏の『文脈病 ラカン ベイトソン マトゥラーナ』を読みました。
主にラカンを参考にした、マンガや映画の分析と、純粋に精神分析の論文などが載っています。
ラカンというのは、僕はいくら入門書を見てもハッキリとはわからない。入門書を書いている人自体がわかっていないのではと疑いたくなる場面もありました。
しかし、斎藤さんは、ラカンを十分に理解されて書かれていると思いました。
しかも、ラカンを神棚に祭り上げるのではなく、批判もされています。
ラカンというのは論理よりもレトリックが難しく、「〜は不可能である」とか、断定的にいうので、それを信じると頼りになるのだが、単なる衒学的にもみえることもある。でも、その言葉がなるほどと思わせる場面もある。
とにかく、素人には難しい学者です。
マンガの分析の部分はややわかりますが、難しい理論で、細かいところはほとんど理解できませんでした。
精神分析に実践的な知を加えてやっていきたいという姿勢は好感が持てました。
2011年4月26日火曜日
2011年4月25日月曜日
2011年4月24日日曜日
2011年4月23日土曜日
2011年4月22日金曜日
2011年4月21日木曜日
2011年4月20日水曜日
ファウスト
2011年4月19日火曜日
資本主義
カルチャーセンター「対談 資本主義の行方」神奈川大学教授、的場昭弘先生、同志社大学、浜矩子先生です。
はじめに的場先生からフランス革命から第三共和制までの歴史の紹介がありました。
革命と独裁の繰り返しの歴史です。
浜先生は、国家の役割をできるだけ小さくして、レスキュー隊に徹すればいいといいます。グローバル化の間違えは、均一化、巨大化、一極集中が正しいと思ったところだといいます。
そして、これからの社会はグローバル市民主義を目指すべきだといいます。
それに対して的場先生は、資本主義はボーダーをはずしてしまうので、どこかで規制が必要だといいます。市民社会だけでは無理で、国家というものは必要だといいます。
浜先生は、適者生存で強者も弱者もいる社会が目指されるべきだといいます。
的場先生は、目標は同じで、それは社会主義のこと。しかし、資本の運動は簡単にはコントロールできない。
資本主義も、社会主義も予定調和で、人間のやることはどこかでうまくいくと考える点で同じ穴のムジナ。中世なら、自然の法則とあきらめてしまう。
まだ、この問題は解決していないといいます。
浜先生はとても理想的な考えを持っておられるという気がしました。現実になればいいのだけれども、そう簡単には、世の中は思いどおりにはならないのでは、という気もしました。
2011年4月18日月曜日
戦闘美少女
この前、斎藤環さんがニコ生に出ておられたので、以前買って読み終わっていなかった『戦闘美少女の精神分析』を読みました。
日本に特有の、アニメに出てくる「戦闘美少女」、その出自を求める本です。
最終的には難しいラカンの精神分析用語によって、反転したヒステリーがファリック・ガール、ファルスを持つ少女だとされますが、難しいので僕には正しいかどうかの判断がつきません。
そのまえに興味を引いたのは、ヘンリー・ダーガーという画家の物語です。
1892年にアメリカで生まれたダーガーは、自分の個室で60年にもわたって自分だけのためにひとつの物語と挿絵を描き続けます。
それは、ペニスをつけた少女たちが、子供奴隷をまもるために大人たちと戦争をするというものです。
中には子供が無惨に殺される場面などが描かれています。
彼の死の直前に偶然発見されて世に出ました。
斎藤氏は、彼は精神病ではなくひきこもりであったと診断します。その結果、子供のころには多くの人が持っていて、経年とともになくなっていく「直観像資質」というものが温存されたのではないかといいます。
直観像資質とは、明確な視覚イメージを持ち、それを自由に加工できる能力だそうです。
つまり、彼の無意識のイメージを直に見ている感じです。
僕は、ここに大人になることと子供でいることとの葛藤があったのではないかという気がします。
『ヨハネの黙示録』などもこのような「直観像資質」によって書かれたのかなとも思いました。
思春期の心性と視覚メディアがであったことでできた空間。それは、ダーガーと現在のオタクとに共通するとして、最後にハッキリと自分はオタク的な生の形式を全肯定するといわれます。
なにか、僕自身はオタクではないのですがありがたい感じがしました。
2011年4月17日日曜日
2011年4月16日土曜日
連合赤軍
2011年4月15日金曜日
人身御供
2011年4月14日木曜日
2011年4月13日水曜日
2011年4月12日火曜日
宮台真司
2011年4月11日月曜日
限界
2011年4月10日日曜日
地方選
2011年4月9日土曜日
2011年4月8日金曜日
デリダ
2011年4月7日木曜日
サブカルチャー神話
宮台真司、石原英樹、大塚明子の『増補 サブカルチャー神話解体 少女・音楽・マンガ・性の変容と現在』を読みました。
単行本版は、買ったのですが難しすぎて読み終わっていませんでした。
恥ずかしながら、今回初めて10年以上たって読み終わりました。
少女マンガ、音楽、青少年マンガ、性に関する社会学的分析の本です。
僕は、自分の接しているメディアを徹底的に分析する、そんな本を一生かかっても書けたらいいなとか思ったこともありましたが、それが30代前半の人がこれだけ完成度の高いものを作ってしまってすごいと思いました。
最初は、大量のサブカルチャーの用語と難しい社会学の理論とが出てきて読むのに苦労しましたが、その後宮台さんの発言をきき続けてきて、だいたいこういうことがいいたいのだということがわかってきたので、今回はかなりすんなり読めました。
この本で重要なのは<関係の偶発性>に対する対処として<関係性モデル>「これってあたし」というものが「乙女ちっく」とよばれる少女マンガからうまれ、それが他の分野にひろがりつつ変容をとげていく過程です。
それぞれに鋭い、反論できないほど周到な分析がなされ、読むこと自体が冒険のようでした。
終戦からバブル崩壊まで歴史を追体験したようでした。
僕がひとつ付け加えたいのは、経済との関係です。システム理論では経済決定論的な考え方はとらないのかもしれませんが、僕はどうしても関係があると思っているのです。
アメリカの貿易赤字が深刻化して、日本に内需拡大の圧力をかけてきて日本もそれに応えようとした。ハードの面で公共事業を大規模に行いバブル経済を生み、もう一方ではソフトの面で、日本人の勤勉の美徳から、消費のかっこよさへ、かなり意識的に転換が図られたのではないでしょうか。
フジテレビ的なものセゾン的なものは、そうした日本人の性向を変えるために機能したのではないかというのが僕の見方なのですが、その点についてもきいてみたいと思いました。
2011年4月6日水曜日
2011年4月5日火曜日
2011年4月4日月曜日
2011年4月3日日曜日
2011年4月2日土曜日
休息
2011年4月1日金曜日
計画停電
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