2025年2月16日日曜日

界隈塾vol.8 ゲスト、建築家 岡啓輔さん、宮台真司先生 オンライン

 界隈塾、今日のゲストは建築家の岡啓輔さんでした。奇妙な建物、「蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)」を田町に建てた方です。それこそ、現代の「異界」だといいます。ゲーデルの不完全性定理を聞いて、答えはないんだと悟り、嬉しかったというのが印象的でした。

寝ていました。 

2025年2月9日日曜日

「ハイデガー存在論の深層究明」第四期第三回 朝日カルチャーセンター新宿校 アーカイブ(2/4) 齋藤元紀先生

主要概念から読み解く中後期思想〈第4期〉時間と存在-1950年代以後最晩年までの思想をめぐって第3回「根拠」への問い‐「根拠律」読解。を聴きました。根拠について詳しく分析し、ライプニッツの根拠律を持ち上げたあとで、シレジウスの詩「バラは理由なく咲く」とか、ヘラクレイトスの「時は遊ぶ小児。王権は子供のもの」といったことを出してきて、遊ぶから遊ぶ。存在は根拠。存在は脱根拠.と全てをひっくり返すのは感心しました。近代哲学から現代思想への変化の場面に立ち会ったようです。

2025年1月26日日曜日

界隈塾vol.7 ゲスト、ノンフィクションライター 大泉実成さん、宮台真司先生 オンライン

 今回の界隈塾は、ノンフィクションライターの大泉実成さんです。夢を操るというセノイ族の取材されたり、漫画家水木しげるさんと親しくされたりしていました。夢の話になって、セノイ族の夢の考え方では、夢に出てきたものと対決する。自分の一部です。性的なものも受け入れる。プレゼントを受け入れる。宝は友人と分け合う。統合する。などが考えのようですが、僕は何年かユング派のカウンセリングで夢分析を受けてきました。ユングの名は対談でも何度もでてきましたが、ユングの考え方と基本的なところでは共通すると感じました。ユングの場合はその後、元型というものがでてくるのですが。水木しげるさんとのいろいろなエピソードを語ってくださいました。『ゲゲゲの鬼太郎』の元になる『墓場の鬼太郎』が発表されたのが高度経済成長のころ、そのころ日本人は狐に化かされることがなくなったといいます。その時代のリンクにも意味を感じます。現代の異界について考えさせられる回でした。

2025年1月24日金曜日

「ハイデガー存在論の深層究明」第四期第二回 朝日カルチャーセンター新宿校 アーカイブ(1/21) 齋藤元紀先生

主要概念から読み解く中後期思想〈第4期〉時間と存在-1950年代以後最晩年までの思想をめぐって第2回「思考」への問い‐「思考とは何を言うのか」読解。ハイデガーの50年代の講義の読解です。この講義は、すごい人気で隣の教室でも音声を流したそうです。しかし、普段「思考とは何か」とか考えてない僕からすると、イメージしにくかったです。説明もニーチェとパルメニデスを分析していますが、何がこの疑問を呈しているのかは、結論が出てない感じで終わっています。何かテーマが漠然としすぎて、分かりにくかったです。

2025年1月14日火曜日

動物病院挨拶/荒野塾 秋学期15、16 西荻窪ことカフェ 宮台真司先生

 今日は、朝からムーバスで吉祥寺の街にいって、東急でチョコレートを買いました。動物病院にいって、看護師さんに、この前の会計で内金が計算に入ってなかったとの連絡があったので、1万円払ってもらいました。その上でこの前ワイアレスイヤホンをなくしたのであるかきいて、ないといわれました。そして、昨日火葬してきました。水分がだいぶ出たようで溜まっていたようです。どこに?お腹に。という会話をして、お花ありがとうございました。これ、ちゃーがお世話になりました。とチョコレートを渡したら、恐縮して受け取り、またぎんちゃんもあるので、といわれました。

荒野塾は今日が最終回でした。寒い中18時前に西荻にいきました。今日は、キム・ギドクの映画の話から、「存在」「実在」「実存」という話になりました。「存在」とは、それについて話せるもの全てだから、夢も妄想も存在する。しかし、実在はしない。宮台先生は、実在について重要視しているようでした。「痛み」は文化相対主義では相対化できない。デ・カストロのいうように文化絶対主義が正しい。近代の一般性ではなく、人類学的普遍性が大事。ローティがプラグマティスト宣言をした時にいった、「感情教育」「残酷さの回避」は、文芸などからの体験でも得られる。表現の問題は相手に何の体験を与えるかが重要。それから、休憩を挟んで援助交際の話になりました。援交第一世代は、全能感に溢れていた。しかし、その全能感の持続可能性を考えなかった宮台は馬鹿じゃないのといわれた。第一世代の相手の男がショボすぎた。次の世代は哀れみや母性さえ感じた。完全にマウントとられているのが男。大都市のストリートと地方都市では全く違った。ストリートは新住民化で追いやられた子たちが最後のアジールをストリートに求めたもの。地方には、昔のコミュニケーションが残っていた。当時は世代を問わず対幻想的瞬間恋愛の祝祭ができたが、91年にほぼ全滅した。全能感というのは連帯と関連する。日常がつまらない。せめて今だけ。という感覚があった。今は適応するしかない。外がなくなった。過剰な奴は痛い奴といわれる。今の時代まともな奴は不登校か過食拒食になるしかない。さらに、新左翼が右翼的だという話や、暴力団の話など興味深い、でも、今までも何度も繰り返し訴えてこられた話が続き、終わりました。今日は清々しい感じで終わり、寒い中家まで帰りました。

2025年1月13日月曜日

フェレット、ちゃーちゃん火葬。 西荻窪ヤマトペット霊園/荒野塾 特別講義 キム・ギドク監督「嘆きのピエタ」 西荻窪ことカフェ 宮台真司先生/新年会

 


今日は、午前9時から、先日亡くなったフェレットのちゃーちゃんの火葬にいきました。タクシーで9:00ちょっと前に着きました。きれいに晴れた日でした。こじんまりしたビルの火葬場で、中には仏様が1階にあって、3階にも仏様があって、派手な納骨が並んでいました。1階で箱に入れて、3階で待っていて、4階で火葬する仕組みでした。はじめ、おじさんが一人で対応していて、帰りに長髪の若い男性が手伝っていました。ちゃーちゃんは、最後に箱に入れるときも、つぶらな瞳を少し開けていて、かわいい寝姿でした。靴を脱いでスリッパで、4階にいって火葬場に箱を置いて、テープでとめた時にこれで最後かと思いました。3階で待っていて、ぬいぐるみも売っていて、オリジナルのぬいぐるみも作るようでした。飲み物自由にどうぞと書いてあって、コーヒーを飲みました。シンディ・ローパーの「True Colors」、Mr.Childrenの「Tommorow never knows」を聴き、しんみりしていました。The Beatlsの「Let It Be」を聴いている途中に呼ばれて4階にいきました。火葬場で骨が台にのっかっていました。暑かったです。骨の下の方に水分がたれたあとがあり、お腹に水分がだいぶたまっていたことが分かりました。骨を拾い、骨壺に入れ暑いのでダウンジャケットを脱ぎました。最後は係の人が拾い集め、台にのせて、骨壺に入れました。骨壺を袋に入れてもらいました。袋は茶色に近いのでピンクにしてもらいました。シールを張って、仏教の初七日、四十九日、百日などの説明の紙をもらい説明を受けました。三途の川をまだ渡ってなくて、良いと良いところを渡って、閻魔様に良いと認められると極楽にいけるといわれました。1階にいって、若い男性に料金を払って、タクシーを呼んでもらいました。スマホを見て待っていました。持ってきたキャリーケースに入れて持って帰りました。午後に荒野塾の最中に電話がかかってきて、てらぞの動物病院からお花が届くということが分かり感動しました。

11時前に帰り、12時からの荒野塾特別講義に間に合いました。たまたま両方西荻で、一度お骨を置いてくるので、一度帰ってまた西荻にいきました。キム・ギドク監督の「嘆きのピエタ」を見ました。韓国の旋盤工などの人たちから借金の取り立てをして、払えなければ足を折るなどして障害者にする男の物語です。最初から残酷なシーンが相次ぎ、見るのも辛いものがありました。この前韓国にいったのですが、ソウルのきれいなところばかり見てきましたが、こんな辛く汚い部分もあるのだろうなと思わされました。宮台先生はストーリーにこだわりすぎないようにといわれたので、ストーリーを追うよりも、雰囲気を味わう感じで見ました。ストーリーは複雑で良く理解できなかった部分もありましたが、発展する街並みとその下で働く労働者の辛い生活がリアルに感じられました。終わって、皆が感想を発表したりしましたが、僕はストーリーが理解できていなかったので、何も発言しませんでした。

終わってから、月曜日にカフェで料理を作っている母娘が料理を作ってくれて、缶ビールなどを買ってきて、カフェを営んでる生徒さんがコーヒーとスイーツを出してくれて、新年会がありました。はじめ隣の男の人が話しかけてくれて少し喋りましたが、しばらく黙っていると、年配の男の人が喋りましょうといってくれました。その後、イギリスに音楽留学した男の人やさっきの男の人なども混ざってしゃべりました。宮台先生は、途中でスピーチをして、途中で帰られました。最後9時までいられるのですが、9時を過ぎてしまったので一人で帰りました。すごい色々あった一日でした。

2025年1月12日日曜日

「ハイデガー存在論の深層究明」第四期第一回 朝日カルチャーセンター新宿校 アーカイブ(1/7) 齋藤元紀先生

主要概念から読み解く中後期思想〈第4期〉時間と存在-1950年代以後最晩年までの思想をめぐって第1回存在論の極北-ハイデガー最晩年の思想圏。を聴きました。また、文章が難しくなって、概念も複雑になって分かりにくかったのですが、耳を傾ける思想というのは、老年に達した境地かなとも思いました。

2025年1月11日土曜日

フェレット、ちゃーちゃん永眠


 6年間飼っていた2匹のフェレットのうち、一匹が亡くなりました。心が苦しい中、何か癒やしを求めて飼ったフェレット。昔犬のゴールデン・レトリーバーを飼っていて亡くなったのですが、猫を飼おうかと思ったけれども、アレルギーがあるのでフェレットにしました。一所懸命世話をして、僕の心もだいぶ落ち着いてきました。ちゃーちゃんは、最近インスリノーマという血糖値が安定しない病気にかかっていて、6時間おきにエサをあげなければなりませんでした。6時間おきにあげてももうろうとしているときもあって、お漏らしもするし、世話が大変でした。昨晩は0時頃にエサをあげて、今朝6時過ぎにエサをあげようとしましたが、もうろうとして食べませんでした。ブドウ糖を飲ませると、少しエサに口をつけるようになりました。それでも、食べないので、このままでは死んでしまうと、エサをやる工夫をして、さらにブドウ糖を飲ませました。すると、体は動いたのですが、けいれんがおきて、救急の病院に電話しました。予約の方が多くて診られるのはだいぶ後になるといわれました。1時間もしないで、かかりつけの病院が開くので、そちらに電話しました。明日からホテルとして預ける予定だったので、前倒しして今日から預けられますかときいて連れていきました。夕方です。ちゃーちゃんはけいれんで震えています。タクシーでいって預けると、「これは、ホテルではなく入院です」といわれ契約しました。寒い中歩いて帰ってきました。しばらくホッとできると思って、溜まっていた動画を見て寝てしまいました。すると、病院から電話。嫌な予感はしました。「もう、危ない状態ですが来れますか?」ときかれ「いきます」と。寒い中18時すぎに15分くらい歩いて病院につきました。18:23頃着きました。しばらく待って、男の院長先生のいる診察室にいくと、安らかに眠っているような、ちゃーちゃん。注射3本打っても効かず、心臓マッサージとかは必要ないということで、女性の看護師さんが18:13でしたと。僕が「苦しんでいましたか?」ときくと「いや、おだやかでした」。では、体を綺麗にしますのでといわれました。しばらく待って、僕は鼻をすすりながら、先生は、おしりには詰め物をしました。口には何も入れてません、保冷剤かなんかで冷やせして、というので、ありませんがというと、コンビニでロックアイスかなんか買ってきてお腹と背中に置けばといわれました。となりのセブンイレブンでロックアイス買ってきて、看護師さんがいらないタオルがあるのでとタオルにアイスを包んでくれました。先生が葬儀屋のパンフレットもくれて説明してくれました。先生をはじめ、看護師さんたちも神妙な顔つきで送り出してくれました。タクシーをアプリで呼んで、帰りました。帰ってから、SNSで知人に報告して、葬儀屋さんに電話して火葬の日を取り決めました。もう一匹のぎんちゃんに遺体を見せると寄っていきました。今ぎんちゃんはベターとヒーターの前で寝ています。

2025年1月8日水曜日

アニマルシッター

 フェレットのお世話のために、アニマルシッターを頼み、今日打ち合わせにこられました。3ヶ月も予約がいっぱいで頼むのも大変です。

荒野塾 秋学期13、14 西荻窪ことカフェ 宮台真司先生

 今日は、フェレットのちゃーちゃんがもうご飯を積極的に食べなくなりました。少しずつあげるとやっと食べました。ちゃーちゃんを病院に預けて、そのまま西荻のカフェで時間つぶして、宮台先生の荒野塾にいきました。『制服少女たちの選択 after30years』の原稿が送られてきましたがスマホでは読めずにいました。会場に着いて、宮台先生がきて喋り始めました。援助交際と宗教は関係ないと思われがちだが、関係がある。「前提を欠いた偶発性を手懐けるのが宗教」「なぜ私だけが?」「なぜ私達だけが?」どういう風に処理するかは論理的に5つしかないといいます。人格5分類。◯高度な情報処理(ミーハー自信家)◯期待水準を低く設定(頭の良いニヒリスト)◯高い期待を維持しながら、他責化、他罰化(バンカラ風さわやか人間)◯撤退する。引きこもる(ネクラ的ラガード)◯周りを見て、情報処理能力の高い人のモノマネをする(友人よりかかり人間)計量調査とモデル化を繰り返し得られた結果が以上のものです。ちなみに僕はネクラ的ラガードかな?パパ活は2016年からマッチングアプリの普及に伴い業者の手を経ずに行われるようになります。初期のテレクラと同じヤバい事が起きているといいます。かつての援交のように中高生が情報を共有していないのが問題だといいます。なぜ、パパ活をするのか、キーワードは「つまんない」からだといいます。このような類型化は後に電博が真似をして、当時「これを政治が利用したらヤバイよね」と話していたそうです。その後、イギリスのケンブリッジ・アナリティカが全く同じ方法を使ってマーケティングを行い、ブレグジット、トランプの当選と続いたといいます。もともと日本には階級文化がない。イギリスには労働者には労働者の文化がある。しかし、やがて各国でも日本と同じことが起こります。ジャック・ヤングが『ブレミア・ソサエティ』で書いた、年収2億の人も200万の人も同じユニクロやGAPの服を着てスタバでスマホをいじっている。その弊害は、連帯ができなくなることだといいます。連帯の代わりに鍔迫り合いが起こると。不幸は階級の問題でも社会の問題でもなく、君の問題。生き方の問題。不全感の個人化が起こります。個人はアウェアネストレーニングやコーチング、自己啓発本などに頼り、自己帰属化が起こります。宗教には「浮遊系」と「ハルマゲドン系」があり、他人よりかかり人間は浮遊系に吸引され、ネクラ的ラガードは、対人関係に不安があるので、ハルマゲドン系にハマるか、自己改造セミナーで対人関係の苦手意識を克服しようとします。質問の時間になって、僕は「不全感の個人化が生じ、アウェアネストレーニングやコーチング、自己啓発本にハマることのデメリットは何ですか?他にオルタナティブがあれば教えて下さい」と質問しました。先生の答えは「社会に疑問を抱かなくなってしまう」「週末のサウナ」「一般性ではなく、人類史上の視点が重要」「吉本の対幻想。バタイユの全体性」「君のためなら死ねる、早乙女愛」はじめ何のことか分かりませんでしたが『愛と誠』という作品のことのようです。他のエイプは獲物のをみんなでシェアするが、人間は何十キロも歩いて仲間に届けるそうです。「本来は君のために生きているという感情」が大事だと。「最終目標が自分のためになっている点でコーチング、自己啓発本は終わっている」そういう生き方はごく最近の話。ということです。その他、印象に残った言葉は「アドラー。人は人間関係の中で揉まれて成長する」「世界はなぜあるのか?」が究極の未規定性。「日本を救う前に、愛してる人を救えよ。誰かを愛せよ」「文芸は単体で意味をなす事はない。この人は自分より分かっているなという人に...そのプロセスを経て深い読みができる人には多くのことを教えてくれる」「宮沢賢治 散華。バタイユ この人のためなら死んでもいい」「私の人生、安心、安全、便利、快適でしたという程度の人に何が思考できるんだ」「人生は9割の苦難と1割のご褒美かなんかで出来上がっている」「苦難の中の、灰の中のダイヤモンド。苦難と表裏一体の輝き。本体は不幸せ」「キム・ギドク。牧師になろうとして兵役。救いの事考えている。こんなに幸せでいいのかで世界に開かれることあるのか?絶対ない」「ローティ。残酷の回避。文化左翼のいっている不快は残酷ということとは程遠い」「本当の痛みだけを知った人だけが正しいプライオリティを獲得できる」「痛みゆえに絶望する人と、痛みゆえに開かれる人、どこが違うか、キム・ギドクの主題の一つ」「アドラーの最終目標。課題の分離と目標困難を自分のものにして欲しい。最終目標?母親が設定したのではないの?ただの思いこみなんじゃないの?共同感覚、人類史的裏付けがあるの?本当の残酷は相対化できない。幸せだと思う感覚に閉ざされてはいけない。あなたはそれをいいものだと思っている。あなたは誰?黒沢清。ただの操り人形ですか?」帰りに留守番電話に病院からちゃーちゃんがまた低血糖を起こして、頑なに口を開けないのでブドウ糖を注射して今は元気という報告。悪くなっている。


2025年1月7日火曜日

2025年1月5日日曜日

フェレット、ちゃーちゃん、かかりつけ医

 今日からかかりつけ医が診察を開始したので、ちゃーちゃんを連れていきました。お腹のシコリは2つあって、検査をするのもリスクがあると。手術もリスクがある。6歳はかなり高齢。今フェレットは5歳ぐらいが寿命だといわれました。とにかく食事管理をするしかないと。せめて苦しみを少なくしてあげたいといいました。帰りもお漏らしをして、お世話するのも大変です。

フェレット、ちゃーちゃん。低血糖

 4時間おきにエサをあげているつもりでしたが、ちょっと遅くなってまたちゃーちゃんの低血糖症状がでました。何も食べず。固まってしまって、夜中でしたが救急病院にいきました。ブドウ糖を注射してもらって、食事もでしたできるようになりました。毎日大変です。

2025年1月3日金曜日

約3時間おきに寝る

 フェレットのエサを与えるために、3時間半寝て起きてエサやってを繰り返しています。眠いです。

2025年1月2日木曜日

フェレット、ちゃーちゃん。低血糖、シコリ

 


今朝、6時に起きてフェレットのちゃーちゃんにごはんをあげようとしたら、ぐったりして食べなかったです。抱っこしたら安心したのか、ウンチをして、服が汚れてしまいました。ブドウ糖を与えたり色々しましたが、ぐったりしたままです。いきつけの獣医さんは休みなので、救急対応の獣医に電話して、半泣きで「もう、生きているのか分からないんです!!」といい、タクシーで病院に向かいました。タクシーを待っている間の朝日がきれいでした。正月の朝ということで道はすいていました。事情を説明して、ちゃーちゃんを預けると、いまエキゾチックアニマル担当の人がいないので後で連絡しますといわれ、歩いて駅にいって電車とムーバスで帰りました。ムーバスも人がほとんどいませんでした。お昼すぎに、催促の電話をかけてみると、年末年始でどこもやっていないので混んでいて、お呼びするのが夜になるかもしれませんといわれました。しょうがない。やっていてくれるだけでもありがたい。19時過ぎに電話があって、20時過ぎに家を出て、電車とバスで寒い中、病院に着きました。先生は穏やかな女性の方で、電話でも説明があった通り、色々検査をして、血糖値が下がっていて4時間に一回は食事をさせてくださいと。あと、お腹に大きなシコリがあって、癌の可能性があると。手術で摘出するとなると負担も大きいし、取り出せない可能性もある。抗癌剤の治療も考えられるといわれました。6時間おきでも負担が大きかったのが、いよいよ病も重くなってきました。その他いろいろ説明していただきました。ちょうど5日に、かかりつけ医が診察開始するのですが、その日まで僕は休みで予定はないので、お世話をできるので、5日以降お医者さんと相談しようということになりました。今日1日ちゃーちゃんにかかりっきりでした。今はすやすや寝ています。手には糖を注入する管が刺さっていて、抜いてまた刺すと炎症になるので青いテープでぐるぐる巻きにしています。見ていると痛々しいです。