今日は、
つづく
今回の界隈塾はりんご売りの片山玲一郎さんでした。片山さんが売るとりんごが売れるといいます。片山さんの言葉で印象に残ったのは、「正直になる」「あなたに売っている」「花咲きたり蝶来たり」「どう見られるかではなく、どうありたいか」等です。自分に正直でやりたいことをやっているので、知らない人も心を開いてくれるようです。若い頃、悪性リンパ腫で死を宣告されたのも生き方が変わったきっかけのようです。宮台さんも「死を意識したら、やりたいことをやるだろう」といいます。まさかりんご行商の人がここまで深い思想を持っていて、学ぶべき事が多いとは思ってもいませんでした。やりたいことをやるということに背中を押された気がしました。今回は、いつもと違って明るい感じの回でした。
ドゥルーズの生誕100年を記念した対談でした。ドゥルーズの超越論的経験論がカントとヒュームを合わせたものだとか、スコトゥスの存在の一義性の話がありました。印象に残ったのはスピノザの考えで、神から見たら善悪は存在しないが、人間から見たら存在する。それを馬鹿にするわけでもなく、無視するわけでもなく両方見据えている、というのがいいというお話で、共感しました。ドゥルーズはイタコのようにその人になりきって本を書くという話も面白かったです。
iPhone 17 Proが届き、カウンセリングにいき、Apple 渋谷にいって、保護フィルムを着けてもらい、ケースを買いました。家でデータ移行などをしていました。
代官山で、宮台さん言語学者の伊藤雄馬さん妖怪絵本作家の加藤志異さん肉態表現家の戸松美貴博さんのトークと踊りのセッションにいってきました。愛について語って、宮台さんは理由があってするのは恋愛じゃないといいました。カテゴリーにとらわれないことが大事だと。流れに任せる。伊藤雄馬さんが流れに乗っているのが自分としては心地よいといっていたのが印象的でした。カテゴリーとセッションがあったら、カテゴリーには一応合わせておいて、セッションというか没入、無我、イマーシブを思い出す事が大事だというような事をいっていた気がしました。少しつらい現実から離れられた気がしました。途中加藤さんが皆の夢を読むコーナーがあって、僕は「好きな人とつきあえたらいいなあ」と書き、加藤さんが全員のを読みました。
ヴィトゲンシュタインは前期と後期では変わったのか?『論理哲学論考』は捨てられたのか?という疑問に答える講義でした。「「語りえないもの」については沈黙しなければならない」といいつつ、中後期には、語っているじゃないか、というつっこみに対し、「語る」ではなく「示す」という考えだったとします。そして、真か偽に分かれるものは「語りえる」そうでないものは「語りえない」という考えは一貫していたといいます。ふと思ったのは、これだけ、全く違うスタイルで文章を書けるということは、単なる趣味の問題ではなく、根底に確固たる理論があるからではないか?単なる趣味でスタイルを変えても、だんだん似てきてしまうのではないかと思いました。
脱構築が、弁証法から発展したことを初めて知りました。しかし脱構築とは何かというのは難しい。分かったような、分からなかったような…
今日は界隈塾でした。オンラインがないので初めて巣鴨の会場に伺いました。終わって懇親会でビールとカレーをいただきました。荒野塾に出席されていた二人の僧侶の方をゲストに仏教のお話をされました。釋潮叡さんは日蓮宗七面山宝光寺山主で、松田亮寛さんは天台宗明長寺住職で精神科医を目指されてた方です。声明しょうみょう、という、お経を唱えることを実演されました。和蝋燭で炎が揺れる中で、声明を聴いて、幻想的な雰囲気になりました。お話で面白かったのは、釋さんのお話で、死後の世界があるかどうかのお釈迦様の答えが「あると思ったほうが悟りに近い人にはあるといい、あるといったら毒になる人にはないという」ということでした。宮台さんは廣松渉を引いて、実体としては存在しないが、関係としてはあることを、関係主義と呼びました。松田さんは最後に「自己とは関係性の中にしかない。だからお陰様という。大乗仏教の利他の部分」といわれたと思います。宮台さんは、理論物理学の話をされて、アインシュタインの実在論「神はサイコロを振らない」と実証論の話をされました。シュレディンガーの猫の話で1/3箱の中、1/3箱の外というのは、ありえないという事に対しペンローズは観察した瞬間に宇宙が分岐するという多自然解釈という実在論を新たに立てホーキングを呆れさせたといいます。仏教の有の思想と無の思想の対立に似ているといいます。また、釈尊の認識は近代科学においてはフロイトに似ているといいます。自我は「機能」であり、セルフ「自己像」を守るのがエゴであり、エゴのために生存確率が上がったといいます。見田宗介は、さらに自我が暴走した結果世界を壊したとします。更に見田は、ヘレニズム的時間、ニーチェの永劫回帰、とヘブライズムの時間、天地創造から最後の審判、に分けて、神が死んだあと始めと終わりがなくなり直線的になりニヒリズムに陥ったとします。いろいろ深い話が聴けて、面白かったです。懇親会でも知らない方とおしゃべりしました。貴重な時間でした。
太宰治の娘である、作家の太田治子先生のお話でした。母、太田静子と太宰治のお話をたっぷりと聞けました。当事者から聞けるなんて、生々しいです。印象に残ったのは、まず入ってこられたときに、太宰治に面影が似ているなと思ったことです。それから太宰の奥さんと電話で話した時に、奥さんが笑っていたといったら、お母さんの静子さんが、そりゃ自分の好きだった人の血が入った人だものというようなことをいわれたとか。ほっこりしました。最後に朗読をされて、太宰ほど真っ直ぐな人は、古今滅多にいないというようなことをいわれたと思いますが、それが太宰が現在でも多くの人に強く愛されている要因かなと思いました。終わってからサイン会があり、僕もサインをもらいました。一人ひとりに話しかけてくださって、とても優しい方だと思いました。
今回は、「デリダ入門」第1回です。デリダの生い立ちなどを学びました。印象的だったのはデリダは、1.アラブから、2.フランス本土から、3.ユダヤ共同体からの三重の疎外の中で育ったのですが、それをデリダ特有の問題とせず普遍的な哲学へと高めたというところです。個人の感傷に浸りがちなことだと思うのですが、そうしないところがさすがデリダだなと思いました。こういうところが、過去にアイデンティティ・クライシスに見舞われた人の心にも、得もいわれぬ感情を与える哲学になっているのかな、それが魅力の源泉の一つかなとも思いました。
動物病院で、フェレットのぎんちゃんの血液検査と診察をしました。お腹の横にしこりがあり脾臓結節だといわれました。最悪破裂して死に至る可能性があるとのことですが年齢的に手術はリスクがあるといわれました。様子を見ることにしました。今フェレットの寿命が短くなってきているとのこと。6歳でも長生きな方だそうです。
「界隈塾」をリモートで見ました。恋愛の歴史的流れについて、小説などを振り返りながら考察していきました。印象に残ったのは、宮台さんの「劣化した人たちは犠牲者」「マッチングアプリで何が好きなの?そんな男はクソ。知らない世界へ連れていくのが男」サエキさんの「愛とか恋は異世界」というものでした。今の若者の責任ではないものの、若い人が忘れたか、そもそも知らない恋愛の世界。そんな恋愛を学ぶことができました。
今日は、10:30〜12:00までNHK文化センター青山教室で、元フォーク・クルセダーズで作詞家、精神科医のきたやまおさむさんの講座を受けました。9時半に整理券が配られるということ9:20頃いったらもう並んでいました。年輩の方が多かったですが若い人もいました。10:05分に集合して10:10に入場しました。NHK文化センターは、リモートでは受けたことがありますが、教室にいくのは初めてでした。北山先生は79歳という年齢らしいのですが、とてもスマートで軽やかに現れて講義を始めました。今日の講義で印象に残ったのは、「みんな間が怖くて、通販やスマホで埋めてしまう。だから「むなしさ」を味わえない」というのと「人生は旅に喩えることができる。目的地には何もない。その途中が私らしさなのだ」といったようなことだったと思います。本や音楽で親しんできた方に直接お会いできて、嬉しかったです。精神分析というと難しい理論が並べられるのかと思いきや、皆に分かる言葉で軽やかに語られたことに、こっちも心が少し軽くなったように感じました。
今日は、10時からApple store渋谷にいって、iPhone SEから16Proに機種変してきました。カメラが一つだったのが三つになって5倍までいけるようになりました。ライブの撮影に有利になりました。データ移行している間に、今度イベントがあるヴィレッジ・ヴァンガードにいってきました。そして吉祥寺のヨドバシカメラにいってバッテリーを買おうかと思いましたが、狙っているのがなくて、よく調べたらApple限定でした。iPhone新しいので慣れるまで少しいじっています。
午後3:10からオンラインで界隈塾を受けました。今日のゲストは『ここにいる、生きている。』の監督、長谷川友美さんでした。環境問題の映画でしたが、宮台先生は、環境問題はもう手遅れだといいます。絶望から出発しようといいます。どうしてこうなるのか近代、資本主義から説明されました。印象に残ったのは、人類学者のマリノフスキーと画家ゴーギャンの話でした。二人ともヨーロッパ社会はクソだと思って、未開社会にいって恋をしますが、結局現地の人にはなりきれなくて嘆いているのが日記に残っているそうです。近代や西洋がダメでも、未開社会にいくこともできない、どうすればいいのか。まさに絶望から出発しようということなのでしょう。
今日は、18:30から西荻のことカフェで、宮台先生と大澤真幸先生の対談がありました。ソール・A・クリプキの『ウィトゲンシュタインのパラドックス』、スペンサー=ブラウンの『形式の法則』、吉本隆明の『共同幻想論』、真木悠介の『現代社会の存立構造』を取り上げ、内容の紹介、いかにこれらの本に衝撃を受けたかなどのお話をされました。それぞれの話は面白く興味はつきませんでしたが、最後に会場の方の質問で、「読書と生き方の関係をどう考えていくか?」という様なものがあり、興味深く聴きました。宮台先生によりますと、知識を自己防衛に使うのは良くない。未規定性に開かれるのが良いというような答えだったと思います。僕は最近は読書をあまりせず、YouTubeばかり見ていますが、本を読むのもこのような体験をもたらしてくれるものだと改めて思い知らさせてくれました。
今日は、目黒駅から歩いて10分ぐらいのイベントスペースでイベントを観覧してきました。長年見ているネット番組、VIDEO NEWS のマル激トークオンデマンドの公開収録でした。こじんまりしていて落ち着いて聞けました。映画を4本紹介して解説をしていただきました。内容は、5度目の金曜日なのでYouTubeで皆さん見られます。収録後に30分ぐらい質疑応答がありました。面白かったです。
今日は、チェキ撮影会の予約ができなかったので、雨の中家にいました。
今日は、「Kyururin Wondrland」 KT Zepp Yokohamaにチケットが取れず、いけませんでした。
主要概念から読み解く中後期思想〈第4期〉時間と存在-1950年代以後最晩年までの思想をめぐって第5回存在の問いが遺したものとその可能性-同語反復をも超える思考。を聴きました。ハイデガーが現代の情報技術に対して警戒感を持っていたのが分かります。今考えると先見の明があったということでしょう。情報は全てを平準化してしまうという危機感が伺えました。今回で1年間やってきた講義の最終回でしたが、ハイデガーはそう簡単には分からないということが分かりました。大勢聞いていて2~3人にでも影響を与えられたらよいみたいなことをいっていたようですが、分からなくても恥ずかしいことではないということも分かりました。そもそも、簡単に分からせようとして書いてないとも思いました。でも、そういったことが分かっただけでも講義をとった意味はあるかなとも思いました。
主要概念から読み解く中後期思想〈第4期〉時間と存在-1950年代以後最晩年までの思想をめぐって第4回「時間と存在」への問い‐「時間と存在」読解。を聴きました。『存在の時間』の続編ではなく、「出来事」という軸で考えたものです。「時間」と「存在」の関係性を重視しているのは分かるのですが、分かりにくい言い回しでなかなか理解できたかは不安です。しかし、晩年になっても新しい視点で思考する姿勢は偉いなと思いました。
界隈塾、今日のゲストは建築家の岡啓輔さんでした。奇妙な建物、「蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)」を田町に建てた方です。それこそ、現代の「異界」だといいます。ゲーデルの不完全性定理を聞いて、答えはないんだと悟り、嬉しかったというのが印象的でした。
主要概念から読み解く中後期思想〈第4期〉時間と存在-1950年代以後最晩年までの思想をめぐって第3回「根拠」への問い‐「根拠律」読解。を聴きました。根拠について詳しく分析し、ライプニッツの根拠律を持ち上げたあとで、シレジウスの詩「バラは理由なく咲く」とか、ヘラクレイトスの「時は遊ぶ小児。王権は子供のもの」といったことを出してきて、遊ぶから遊ぶ。存在は根拠。存在は脱根拠.と全てをひっくり返すのは感心しました。近代哲学から現代思想への変化の場面に立ち会ったようです。
今回の界隈塾は、ノンフィクションライターの大泉実成さんです。夢を操るというセノイ族の取材されたり、漫画家水木しげるさんと親しくされたりしていました。夢の話になって、セノイ族の夢の考え方では、夢に出てきたものと対決する。自分の一部です。性的なものも受け入れる。プレゼントを受け入れる。宝は友人と分け合う。統合する。などが考えのようですが、僕は何年かユング派のカウンセリングで夢分析を受けてきました。ユングの名は対談でも何度もでてきましたが、ユングの考え方と基本的なところでは共通すると感じました。ユングの場合はその後、元型というものがでてくるのですが。水木しげるさんとのいろいろなエピソードを語ってくださいました。『ゲゲゲの鬼太郎』の元になる『墓場の鬼太郎』が発表されたのが高度経済成長のころ、そのころ日本人は狐に化かされることがなくなったといいます。その時代のリンクにも意味を感じます。現代の異界について考えさせられる回でした。
主要概念から読み解く中後期思想〈第4期〉時間と存在-1950年代以後最晩年までの思想をめぐって第2回「思考」への問い‐「思考とは何を言うのか」読解。ハイデガーの50年代の講義の読解です。この講義は、すごい人気で隣の教室でも音声を流したそうです。しかし、普段「思考とは何か」とか考えてない僕からすると、イメージしにくかったです。説明もニーチェとパルメニデスを分析していますが、何がこの疑問を呈しているのかは、結論が出てない感じで終わっています。何かテーマが漠然としすぎて、分かりにくかったです。
今日は、朝からムーバスで吉祥寺の街にいって、東急でチョコレートを買いました。動物病院にいって、看護師さんに、この前の会計で内金が計算に入ってなかったとの連絡があったので、1万円払ってもらいました。その上でこの前ワイアレスイヤホンをなくしたのであるかきいて、ないといわれました。そして、昨日火葬してきました。水分がだいぶ出たようで溜まっていたようです。どこに?お腹に。という会話をして、お花ありがとうございました。これ、ちゃーがお世話になりました。とチョコレートを渡したら、恐縮して受け取り、またぎんちゃんもあるので、といわれました。
荒野塾は今日が最終回でした。寒い中18時前に西荻にいきました。今日は、キム・ギドクの映画の話から、「存在」「実在」「実存」という話になりました。「存在」とは、それについて話せるもの全てだから、夢も妄想も存在する。しかし、実在はしない。宮台先生は、実在について重要視しているようでした。「痛み」は文化相対主義では相対化できない。デ・カストロのいうように文化絶対主義が正しい。近代の一般性ではなく、人類学的普遍性が大事。ローティがプラグマティスト宣言をした時にいった、「感情教育」「残酷さの回避」は、文芸などからの体験でも得られる。表現の問題は相手に何の体験を与えるかが重要。それから、休憩を挟んで援助交際の話になりました。援交第一世代は、全能感に溢れていた。しかし、その全能感の持続可能性を考えなかった宮台は馬鹿じゃないのといわれた。第一世代の相手の男がショボすぎた。次の世代は哀れみや母性さえ感じた。完全にマウントとられているのが男。大都市のストリートと地方都市では全く違った。ストリートは新住民化で追いやられた子たちが最後のアジールをストリートに求めたもの。地方には、昔のコミュニケーションが残っていた。当時は世代を問わず対幻想的瞬間恋愛の祝祭ができたが、91年にほぼ全滅した。全能感というのは連帯と関連する。日常がつまらない。せめて今だけ。という感覚があった。今は適応するしかない。外がなくなった。過剰な奴は痛い奴といわれる。今の時代まともな奴は不登校か過食拒食になるしかない。さらに、新左翼が右翼的だという話や、暴力団の話など興味深い、でも、今までも何度も繰り返し訴えてこられた話が続き、終わりました。今日は清々しい感じで終わり、寒い中家まで帰りました。
11時前に帰り、12時からの荒野塾特別講義に間に合いました。たまたま両方西荻で、一度お骨を置いてくるので、一度帰ってまた西荻にいきました。キム・ギドク監督の「嘆きのピエタ」を見ました。韓国の旋盤工などの人たちから借金の取り立てをして、払えなければ足を折るなどして障害者にする男の物語です。最初から残酷なシーンが相次ぎ、見るのも辛いものがありました。この前韓国にいったのですが、ソウルのきれいなところばかり見てきましたが、こんな辛く汚い部分もあるのだろうなと思わされました。宮台先生はストーリーにこだわりすぎないようにといわれたので、ストーリーを追うよりも、雰囲気を味わう感じで見ました。ストーリーは複雑で良く理解できなかった部分もありましたが、発展する街並みとその下で働く労働者の辛い生活がリアルに感じられました。終わって、皆が感想を発表したりしましたが、僕はストーリーが理解できていなかったので、何も発言しませんでした。
終わってから、月曜日にカフェで料理を作っている母娘が料理を作ってくれて、缶ビールなどを買ってきて、カフェを営んでる生徒さんがコーヒーとスイーツを出してくれて、新年会がありました。はじめ隣の男の人が話しかけてくれて少し喋りましたが、しばらく黙っていると、年配の男の人が喋りましょうといってくれました。その後、イギリスに音楽留学した男の人やさっきの男の人なども混ざってしゃべりました。宮台先生は、途中でスピーチをして、途中で帰られました。最後9時までいられるのですが、9時を過ぎてしまったので一人で帰りました。すごい色々あった一日でした。
主要概念から読み解く中後期思想〈第4期〉時間と存在-1950年代以後最晩年までの思想をめぐって第1回存在論の極北-ハイデガー最晩年の思想圏。を聴きました。また、文章が難しくなって、概念も複雑になって分かりにくかったのですが、耳を傾ける思想というのは、老年に達した境地かなとも思いました。
今日は、フェレットのちゃーちゃんがもうご飯を積極的に食べなくなりました。少しずつあげるとやっと食べました。ちゃーちゃんを病院に預けて、そのまま西荻のカフェで時間つぶして、宮台先生の荒野塾にいきました。『制服少女たちの選択 after30years』の原稿が送られてきましたがスマホでは読めずにいました。会場に着いて、宮台先生がきて喋り始めました。援助交際と宗教は関係ないと思われがちだが、関係がある。「前提を欠いた偶発性を手懐けるのが宗教」「なぜ私だけが?」「なぜ私達だけが?」どういう風に処理するかは論理的に5つしかないといいます。人格5分類。◯高度な情報処理(ミーハー自信家)◯期待水準を低く設定(頭の良いニヒリスト)◯高い期待を維持しながら、他責化、他罰化(バンカラ風さわやか人間)◯撤退する。引きこもる(ネクラ的ラガード)◯周りを見て、情報処理能力の高い人のモノマネをする(友人よりかかり人間)計量調査とモデル化を繰り返し得られた結果が以上のものです。ちなみに僕はネクラ的ラガードかな?パパ活は2016年からマッチングアプリの普及に伴い業者の手を経ずに行われるようになります。初期のテレクラと同じヤバい事が起きているといいます。かつての援交のように中高生が情報を共有していないのが問題だといいます。なぜ、パパ活をするのか、キーワードは「つまんない」からだといいます。このような類型化は後に電博が真似をして、当時「これを政治が利用したらヤバイよね」と話していたそうです。その後、イギリスのケンブリッジ・アナリティカが全く同じ方法を使ってマーケティングを行い、ブレグジット、トランプの当選と続いたといいます。もともと日本には階級文化がない。イギリスには労働者には労働者の文化がある。しかし、やがて各国でも日本と同じことが起こります。ジャック・ヤングが『ブレミア・ソサエティ』で書いた、年収2億の人も200万の人も同じユニクロやGAPの服を着てスタバでスマホをいじっている。その弊害は、連帯ができなくなることだといいます。連帯の代わりに鍔迫り合いが起こると。不幸は階級の問題でも社会の問題でもなく、君の問題。生き方の問題。不全感の個人化が起こります。個人はアウェアネストレーニングやコーチング、自己啓発本などに頼り、自己帰属化が起こります。宗教には「浮遊系」と「ハルマゲドン系」があり、他人よりかかり人間は浮遊系に吸引され、ネクラ的ラガードは、対人関係に不安があるので、ハルマゲドン系にハマるか、自己改造セミナーで対人関係の苦手意識を克服しようとします。質問の時間になって、僕は「不全感の個人化が生じ、アウェアネストレーニングやコーチング、自己啓発本にハマることのデメリットは何ですか?他にオルタナティブがあれば教えて下さい」と質問しました。先生の答えは「社会に疑問を抱かなくなってしまう」「週末のサウナ」「一般性ではなく、人類史上の視点が重要」「吉本の対幻想。バタイユの全体性」「君のためなら死ねる、早乙女愛」はじめ何のことか分かりませんでしたが『愛と誠』という作品のことのようです。他のエイプは獲物のをみんなでシェアするが、人間は何十キロも歩いて仲間に届けるそうです。「本来は君のために生きているという感情」が大事だと。「最終目標が自分のためになっている点でコーチング、自己啓発本は終わっている」そういう生き方はごく最近の話。ということです。その他、印象に残った言葉は「アドラー。人は人間関係の中で揉まれて成長する」「世界はなぜあるのか?」が究極の未規定性。「日本を救う前に、愛してる人を救えよ。誰かを愛せよ」「文芸は単体で意味をなす事はない。この人は自分より分かっているなという人に...そのプロセスを経て深い読みができる人には多くのことを教えてくれる」「宮沢賢治 散華。バタイユ この人のためなら死んでもいい」「私の人生、安心、安全、便利、快適でしたという程度の人に何が思考できるんだ」「人生は9割の苦難と1割のご褒美かなんかで出来上がっている」「苦難の中の、灰の中のダイヤモンド。苦難と表裏一体の輝き。本体は不幸せ」「キム・ギドク。牧師になろうとして兵役。救いの事考えている。こんなに幸せでいいのかで世界に開かれることあるのか?絶対ない」「ローティ。残酷の回避。文化左翼のいっている不快は残酷ということとは程遠い」「本当の痛みだけを知った人だけが正しいプライオリティを獲得できる」「痛みゆえに絶望する人と、痛みゆえに開かれる人、どこが違うか、キム・ギドクの主題の一つ」「アドラーの最終目標。課題の分離と目標困難を自分のものにして欲しい。最終目標?母親が設定したのではないの?ただの思いこみなんじゃないの?共同感覚、人類史的裏付けがあるの?本当の残酷は相対化できない。幸せだと思う感覚に閉ざされてはいけない。あなたはそれをいいものだと思っている。あなたは誰?黒沢清。ただの操り人形ですか?」帰りに留守番電話に病院からちゃーちゃんがまた低血糖を起こして、頑なに口を開けないのでブドウ糖を注射して今は元気という報告。悪くなっている。
今日からかかりつけ医が診察を開始したので、ちゃーちゃんを連れていきました。お腹のシコリは2つあって、検査をするのもリスクがあると。手術もリスクがある。6歳はかなり高齢。今フェレットは5歳ぐらいが寿命だといわれました。とにかく食事管理をするしかないと。せめて苦しみを少なくしてあげたいといいました。帰りもお漏らしをして、お世話するのも大変です。
4時間おきにエサをあげているつもりでしたが、ちょっと遅くなってまたちゃーちゃんの低血糖症状がでました。何も食べず。固まってしまって、夜中でしたが救急病院にいきました。ブドウ糖を注射してもらって、食事もでしたできるようになりました。毎日大変です。