1995年に放送されたロボットアニメです。そして、現在「新劇場版」の3作目が公開中です。
放送当初から、センセーショナルな話題を放った作品です。
僕が初めて「エヴァ」に触れたのは、深夜に何気なくチャンネルを変えていたら、中学生の子どもたちが建物の中を這いつくばって歩いているところを、敵の怪獣(使徒)が暴れているとこに出くわすというシーンでした。
普段はあまりアニメーションは見ないのだけれども、このシーンを見ただけで面白そう、学園ものとSFアクションものとが重なって、さらにそのギャップにそれぞれのリアリティーや面白さが増幅されていると思いました。(第拾壱話 静止した闇の中で The Day Tokyo-3 Stood Still)
最初は自分だけが見つけた、マニアックな楽しみと思っていました。
しかし、段々と他のメディアでも取り上げられ社会現象にまでなっていきます。
朝日新聞だった思いますが、社会学者の宮台真司さんが「子どもたちは、ここまで根源的な問題に直面している」という趣旨の解説をされていたと思います。
また、「エヴァ」に関する書籍も多く発表されていて、その多くは謎解き本でしたが、その中に「エヴァンゲリオン快楽原則」という本があり、その中ではアカデミックな人が「エヴァ」について語っていました。
その本の中に、まだ大学院生だった思いますが、若い批評家が「なぜ庵野秀明は80年代アニメを終わらせたか」というような論考をしていて、それまで謎本とか表面的な問題として扱っていて不満だった僕は、これこそ僕のいいたかったことだと我が意を得たりと思いました。僕は、庵野監督は作品によって、オタク的空間自体を破壊した。そのことが重要だと思っていたからです。その批評家が東浩紀さんです。
僕と「エヴァ」との関係の話に戻ると、深夜枠で最初に見たのを見続けたのか、他の回の再放送なのか忘れましたが、とにかく深夜の再放送を途中から見始めて、最終2話を見て「なるほどね。気持ちは分る」という感想を持ちつつも、自分の悩みはこれだけでは解決できないと思いました。
それから、春に公開された劇場版(春エヴァ)は見損なったので、順番は入れ替わるが夏の完結編(夏エヴァ)を見ようと思っていました。何回か深夜で再放送していたのでそれをVHSテープに録画したものを最初から見ていきました。そして、自分が見ていた回になったところで劇場の上映時間が迫ってきたので、しかたなくそこでやめて車で銀座の
松竹ビルの建物の映画館へ向かいました。
どんよりとした夕方、親のフォルクスワーゲンで期待を抱きつつ向かい、立体駐車場にいれました。
劇場版では「春エヴァ」の続きをやっていたので、このあと見直す必要がなくなりました。よかったと思いました。
そして、本編。
中身がすごすぎて、ショックが大きく、帰りの車の中で、運転しながらビデオカメラに感想をずーっと語り続けて、各地をさまよい夜が開けるまで徘徊していました。
その後、TV版を見直す気にもなれず、そこで一つエヴァは終わりました。
それがエヴァでの衝撃体験でした。
新劇場版ができるというのをきいて、「宇宙戦艦ヤマト」のように何度も設定変えて、生き延びさせるのはどうかと、庵野さん自身がいわれていたので、ちょっと心配もしましたが、僕は庵野秀明をかなり信じているのでこれはこれでみっともないことのないようになるのではと思いました。
とにかく、旧劇場版の衝撃がすごすぎて、TV版をあれから一度も見直していなかったのです。
今回、インターネット動画サービスのニコニコ生放送が新劇場版上映記念として、お正月に2日に分けて、TV版26話を一挙放送というので、一日5時間以上と厳しいのですが、せっかくのチャンスとしてみてみようと思いました。
ニコ生では、視聴者のコメントを見ることもできるので、一人で見ている寂しさを紛らわすこともできるので。
中身ですが、意外と記憶が曖昧なものもあり驚いたところもありました。
アスカの登場。ワンピースで仁王立ちする姿に、一発で心を奪われてしまいました。僕だけかと思っていたら、アスカにこころ奪われた人は多いようです。
絵柄ですが、今見ると人の顎と鼻が尖っているのがちょっと気に入らなかったです。新劇場版では、顔ももっと普通に直してあったので、よけい目立ちました。
アスカの顔も、今見るとそれほどの超美人というわけでもない、それなのにこれだけ惹かれるのはその内面から溢れ出す力強さでしょう。一方で、よわいかわいい部分もあるのが魅力だと思います。
昨夜は徹夜で見たにもかかわらず、朝眠れず、お昼過ぎまで興奮して寝られませんでした。
今回を機に、もう一度「エヴァンゲリオン」全体を見直していこうと思っています。
今回書ききれなかったことは、これ以降で書いていこうと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿