2013年1月9日水曜日

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版: 破」

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版: 破 EVANGELION:2.22 YOU CAN (NOT) ADVANCE.」をDVDで見ました。

エヴァを見るのは、結構精神的に疲れるので気が重たかったのですが、見てみると見やすい作品でした。

2009年6月の劇場上映は見られなくて、2012年8月5日にDVDで見ました。そのときブログにも書きました。
けれど、結構忘れていたところも多かったです。

TV版を今月に見たので、それと比べると「序」はかなり焼き直し的な感じがしましたが、「破」は一から別のものを作った印象でしたが、大まかにはTV版のストーリーを踏襲して、細かい設定を変えてあるのが分ります。

何度も繰り返していっているように、エヴァは日常大の学園コメディと世界大の人類の存亡を賭けた戦いのコントラストが魅力なのですが、「序」のときは前者があまりなくて、ちょっと暗い感じがしたと書きました。(2013年1月6日)
それに対して「破」は、マリのとぼけたキャラクターから始まって、アスカや同級生たちの水族館見学など、明るい感じの映画になっているように感じました。
絵柄も、アスカはTV版よりずっと美少女になっています。お茶目なところは少なく、いつも不機嫌そうではありましたが「あんたバカぁ」のセリフも何回か出てきたり、セクシーな衣装が多く出てきたり、まさにアスカファンへの「サービス」精神が感じられました。
僕は、個人的にはアスカとシンジの関係の方に興味があるのですが。

全体に明るい雰囲気の作品で、無表情のレイまでもが「(シンジといると)ポカポカする」などといって、みんなを食事に誘います。

僕はアスカファンなので、レイの魅力というのは今ひとつ分らないのですが、シンジの母親のクローンらしいので母性の象徴なのかなと思っていました。レイのファンの人は無表情なところに安心感をいだいているのかなとか思たりしましたが、今回レイの内面が表れてきてこれをどう思っているのでしょうか。どう解釈していいか迷ってしまいます。

シンジも人にお弁当を作ってきてあげたり積極的です。
いえることは、庵野監督自身TVシリーズ、旧劇場版のような病的な内向性から抜け出して、積極的になられたのではないかということです。2012年11月21日のブログにも書きましたが、旧劇場版を作ること自体が庵野氏のイニシエーションになったのではないでしょうか。

明るい雰囲気から使徒が登場すると一気に緊迫感が走ります。使徒にいつもすごくやられてしまうが、最後に起死回生で勝つというパターンですが、その度にいつも手痛い打撃を受けます。

それで、この「破」もお気楽なコメディと深刻な物語との共存というエヴァの魅力が発揮されるわけですが、アスカが乗ったエヴァが使徒に侵され、レイが使徒に喰われる。最後はサードインパクトが起こって世界が終わる。これほど深刻にも関わらず、以前のような「病的」な感じはあまりしません。

良くも悪くも、あくまで過去の病的なエヴァに比べてですが、「健全」な作品になっているという印象を持ちました。

iPadアプリの「破」のパンフレットで、鶴巻監督は「庵野総監督は帰納法ではなく演繹法で考える人」といっていました。

ある目的から考えるのではなく、例えばシンジがエヴァに乗らないといったら本当に乗らないとして描く。そして次の状況でまた判断をしていく。その場その場で二者択一で選んでいき続ける。だから、初めから決まったところにはいかないが、そこへたどり着くのは必然だと。

僕がTV版最終二話を肯定する理由を2013年1月3日のブログで視聴者を導く心意気を買ったというふうに書きましたけれど、正確に言うとその流れが非常に「自然」だったからです。

庵野さんは、極めて自分に正直な人だなと思ったから、たとえ物語を放棄してもそうなるのが必然だと思ったら、そっちの道に進む。そういう正直さを感じたから肯定できました。

今回の「破」も、「病的」なものは影をひそめましたが、やはりこうなるのが必然だという道を進んでできた物語だと思うのです。その点で僕は肯定する。
ただ、どうしても映画版だと時間が限られてしまうので、シンジとアスカが関係が強くなる過程をもう少し見たいと思ってしまいますが、これは贅沢というものでしょう。

アスカがやられるときに「今日の日はさようなら」が流れるシーン。以前見て知っていたので今回はすごく感動したというのではないのですが、この歌を選んだ庵野氏の気持ちに感動します。キャンプファイアーで青春の一ページを共にした友だちとの繊細な友情、そういう関係がシンジたちの間にあることを示しているようだからです。

最後に綾波レイに手を伸ばし、「翼をください」が流れます。僕は実はこの曲は子供のころから好きではなかったのです。「若者たち」の方が好きで、この曲は一種の現実逃避に感じられたからです。

でも、ここでこの曲というのもある種の必然性を感じます。レイの自我が目覚めたとか、シンジの積極性のあらわれだとか、色々な解釈が可能でしょうが、やはりこれだけ残酷な目にあった子どもたちが翼が欲しいという切ない思いを持っていると考えるとしんみりきます。

新劇場版は、TVシリーズ、旧劇場版に比べて総じて「病的」でない「健全」なものだと思います。いい意味でも悪い意味でも。その中で「破」は、色々なサービス精神にあふれていて、明るい見やすいし面白い作品になっていると思います。

TV版、旧劇場版のどんよりと暗い深みはないのですが。庵野氏は、娯楽作品を作りたいとい気持ちも強い方なので、これはこれでいいのではないでしょうか。僕は、TVシリーズ、旧劇場版、新劇場版を全て含めてエヴァの世界だと思いたいです。


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