山川賢一著『エ/ヱヴァ考 The animation from hell』を読みました。
去年末の発売ということで、「新劇場版:Q」のことが書いてあるかと思って買いました。
しかし、まだ書いてありませんでした。
著者は、「エヴァ」の論考は、一方で「謎解き」に、もう一方にテーマ性や作家性を追求したり作中に現代社会の反映を見いだしたりする「批評」に分かれるといいます。そして、自分はこの両方を分断せずにやりたいといいます。
なるほど、と思いました。そして、細かい分析をおこなっていくのですが、どうしてもそれでそもそも「エヴァ」とは何なの?という問いには答えきれていないように思いました。
例えば、「父とその恋人が争う」というテーマが分析されますが、過去の「ナディア」や「トップをねらえ!」等が参照され、共通のテーマが現れるといいますがそこで終わってしまう。ところで、そのテーマは何を意味しているのか、という疑問には答えていないように見えてしまう。「So what?(だから何なの?)」とききたくなってしまいます。
共通点や、変換点を指摘するのですが、その意味はあまり語られない。僕は読んでいて不満に感じてしまいました。
「旧エヴァ」を見るときは水に潜るときのように緊張感があるが「新劇場版」は気楽に見られるなどということは共感できるのですが。
ただ、物語を追っていって、どの場所と関連があるなどということだけでは不満足でした。
これは僕の勝手な考えですが、「エヴァ」に限らず芸術作品というのは、ある意味作り手と受けてのコミュニケーションだと思うのです。作品はそれを媒介するコミュニケーションメディアだと考えます。
だから僕は作り手が何を考えて作ったかを考えます。作品自体のでき不できは、作者のメッセージの強さや、正直さ、メディアの技術の高さなどから結果として得られるものだと思っています。そういう意味では、庵野監督は極めて正直に作ろうとしている、そこを評価したいと思っています。だから、ストーリーが途中で破綻したことなども二次的なことだとも思っています。どのような目的で、メッセージを発信しているかが重要だと思うのです。
「旧エヴァ」は監督が「壊れた自分をフィルムに焼き付ける」ことを目的にした作品だと思います。それは極めて、正直で生々しく、危険でさえある突出した作品です。
それに対して、「新劇場版」は「良質なエンターテインメント」として作られたのだと思います。
だから、僕は「新劇場版」を「旧エヴァ」と比較しないで見ようと、全く違う目的で作られたものとして見ようと思いました。
僕は、謎解きやストーリーの破綻にはあまり関心がないのは、以上のような理由です。
その意味で僕は、完全に「批評派」です。
メッセージの意味を理解しないで、ストーリーだけを追って分析しても、特に「エヴァ」の場合は意味が薄いと思います。
もともと、ストーリーを重視して作られた作品ではないと思うからです。
もちろん、いろんな楽しみ方があっていいと思います。ストーリー分析もあってはいけないとは思いません。
しかし、その前提としてどのようなメッセージが込められているかを知らないと、あまり深い理解には達しないのではないでしょうか。
2013年1月25日金曜日
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