2010年6月30日水曜日

財政


鳩山政権で僕が不満だったことは、国民の負担になることを言わなかったことです。
菅政権では、国民にとっては厳しい財政の健全化を掲げていることはとてもいいことだと思います。
福祉については語るのに、負担については語らないのは問題だと思っていました。
政党を超えて議論をするというのは、一面では他党にも責任を帰するという思惑も感じられますが、しかし他党も税制の改革に積極的であるならば国民的議論に参加することはいいことなのではないでしょうか。
この20年来の「景気と財政のジレンマ」をなんとか解決することが、今求められていることだと思います。

2010年6月29日火曜日

今日


今日は午前中カウンセリングに行って、午後からものすごく疲れて寝ていました。

2010年6月28日月曜日

現代美術


今日は八王子キャンパスで海老塚耕一先生の「現代美術特論」に行ってきました。

現代とはどういう時代か?
何かを考えたり、指針をさがすとき、よりどころとなるものは?
確かなものは何か?

これは小さな「哲学」の始まり。

今、芸術表現をする根拠はあるのか?

根拠そのものを欠いている「現代」を生きること
哲学しなくても誰も困らない、それが現代のリアリティー。

「これこそが絶対だ」というのは嘘だといっていい。
自分でいっしょに生きる哲学が必要。

では、全ては時代の産物であって相対的か?
それも疑問。
流行のものは現れ消えていくを繰り返している。

何を正統的というかは、科学、歴史、社会学的データでは扱いきれない。

70年代の『美術手帳』は論争ばかりしていた。

ボードレールが美術批評を始めたが、彼はこういっている。
「批評は好き嫌いなんだよ」
それは正しい。

「現代」とは何か。
ポストモダーン=近代以降

M.フーコー『言葉と物』
 ギリシア時代は「人間の自然」
 17世紀以前は「神」が判断の根拠。
 近代。カント『人間学』、「人間の能力」が判断根拠。
 現代。「人間」の消滅。「人間学的まどろみ」

「芸術の終焉」ヘーゲル。

過去に縛られるのは反動的である。

もはや、「問い」は解けない。
そのことが私たちに突きつけられている場面。
その中で創造していくしかない。

2010年6月27日日曜日

今日


今日もアニマルセラピーに行って、犬も僕も疲れました。

2010年6月26日土曜日

インストール


綿矢りさ原作の映画「インストール」をDVDで見ました。

演出は、やりすぎでしかもカッコよくない。意気込みすぎでしょうか。もうちょっとリアルな演出の方がよかったのではないかと思いましたが、これは監督の判断ですからしょうがないです。

不登校の女子高生と小学生の男の子が、ネットでエロサイトのサクラをやるという話です。

原作は作者が17歳のときに書いた作品です。書かれたのは2000年代ですが、文化としては90年代の空気が残っています。

90年代の女子高生にとっては、「性」にどうのりだすかということが大きなテーマでした。

主人公は17歳で処女であることに劣等感を抱きますが、当時はまだそのような同調圧力が女の子のあいだではあったのです。

男から見れば、むしろ処女の方がいいと思う人の方が多いのではないでしょうか。

そこに作者の、そして同時代のちょっと進んだ娘の自意識が感じられます。

エロにのりだすのがネットの書き込みだったり、小学生の男の子に胸をさわらせたりするのはすこし、気の弱さを感じてしまいました。

良かった点を2つあげると、一つはエロの世界をかいま見ることによって「世の中ってこんなものか」というひとつの諦観にいたり、逆に生きる意欲がわいてくるというところです。
もう一つは、いくらネットで裏の世界を知っても実際には人と触れあいたいという正直な気持ちを述べたところです。ここには、てらいや劣等感をごまかすこともなく率直な気持ちが書かれていてよかったと思います。

この小説を読む女の子にいいたいことは、周りの女の子のあいだでは処女というのはまだ子供という劣等感のもとかもしれないけれども、男から見れば処女の方がいいんだから無理して処女をすてなきゃと思わなくてもいい、ということです。

2010年6月25日金曜日

宮沢賢治


iPadで初めて本を読もうと思いました。そこで、記念になる思い入れのある作品にしようと思いました。

そして、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読みました。

僕が高校生の頃、主人公を猫にしたアニメが作られて、友達と見に行きました。

その世界が「死」を描いているので、あまりにも恐ろしくて怖い映画だと思いました。

途中で見ていた子供が泣いて出ていったりして、とても「童話」とはいえないのではないかと思ってました。

その頃から「死」の観念が頭から離れなくて、怖い気持ちにさいなまれました。

けれどもいずれはもう一度ここに戻ってくるのではないかという、確信に近い感情を持ちました。

iPadで見た感想ですが、きれいで動作感もよいのですが、活字をジッと見る「小説」なら、さらに高画質の画面があればと思いました。

また、字が大きいせいか読んでいるものが短く感じられ、これで終わり?って感じでした。

内容は、今は結構客観的に見られましたが、読んでいるうちにトリップしたのか、眠気におそわれ、いねむりをしてしまいました。
幻想的なシーンにも、深い意味があるのだと感じました。

この作品に限らず、賢治には奇をてらったところはなく、自らが感じたことをきれいではあるが率直に描いているのだろうと思いました。

2010年6月24日木曜日

読書


今日は一日予定がなかったので、家で本を読んでいました。

夜からは、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をiPadで読み始めました。

暗い気持ちだったのが、読んでるうちにだんだん眠くなってきました。

2010年6月23日水曜日

今日


今日は雨の中、動画編集を習いに、Macとハードディクを持っていった。

大変だった。

帰りは晴れてた。

帰ってから少しやってみたら、少しはできた。

よかった。

2010年6月22日火曜日

ヘヴン


今日のカウセリングでは、小説『ヘヴン』について話し合いました。

僕が以前、最後が単純すぎるといったので、どういう結末を望んでいるのかとたずねられました。

僕は、もし自分がこの小説を映画化するならこうするといいました。

まず、ヘヴンという絵を見に行ったらそこにはミケランジェロの「最後の審判」の模造がある。
「最後に天国にいくのか地獄にいくのかを裁かれるのよ」「本物はローマのヴァチカンにあるんだって」「ヴァチカンって何?」「どっかの教会の名前じゃないの」

そして、最後にもっと暴力的な苛め(いじめ)にあい、主人公は死にかけ、昏睡状態におちいる。

苛めっ子は、学生生活をカッコよく、エンジョイしている。苛め自体は、自分には何の意味もないと主張する。苛めた事実は見つかっていないので皆でお見舞いにいかされる。そこで、その病院の心電図と呼吸の音を聞く。そして、その音を聞くと、日常生活で苛めた場面がフラッシュバックする。

コジマ(苛められっ子の女の子)は1999年に約束の場所にあらわれて、主人公を待っている。
そこでBob Dylanの「Knockin' on Heaven's Door(天国への扉)」が流れて終わる。

という内容。

カウンセラーの先生は、コジマと百瀬(苛めっこの一人)とは対称的ですねといいました。
コジマは、「欲望」を拒否して「意味」に生きる。それに対して百瀬は、「意味」を拒否して「欲望」に生きる。といわれ、主人公はその中間で自分が何なのかを悩んでいる、といわれました。

そして「コジマは鈴木さんと似ていると思いました」といわれました。

2010年6月21日月曜日


うちの犬はもう12歳で、歩くのもヨボヨボ。
最近はゲーゲー吐いて、下痢して、食べるものも食べなかったのですが、今日はお粥を食べました。
すこし元気になりました。

2010年6月20日日曜日

iCon


『スティーブ・ジョブズ 偶像復活』という本を読みました。
95年の本なので、iPhoneやiPadのことは書いてありませんが、iPodで成功したところまで書かれています。

ずいぶん若いころからわがままで、傲慢だったと知り、なかなか他の人には真似ができないなと思いました。

ピクサーでアニメーションを作っていたことは知りませんでしたが「トイストーリー」「ファインディング・ニモ」がすごいヒットをしたということで、やはり才能ある人がつくると、別の分野でもいいものを作るのだと思いました。

この本当時でもカリスマだったわけですが、iPhoneやiPadをその後出すので、歳をとってもクリエイティビティは衰えないのだと思いました。

しかし、客観的に見ればそうとうひどいこともしてきたので、全てを褒めていいものかは簡単には答えられないという気にもなりました。

2010年6月19日土曜日

資本論


今日は、朝日カルチャーセンターでの「マルクス『資本論』1日講座」に行ってきました。

「商品」には、「使用価値」と「交換価値」があるとマルクスは考えます。

そして、交換とは非合理なものだといいます。

「貨幣」もひとつの「商品」ですが「貨幣」の特殊なところはそれ自体が価値であるということです。
「労働力」も「商品」ですが「労働時間」という「量」で計られます。

「交換」の非合理性とは何か。
「金(きん)」はなぜ価値があるのか。
ただ、さびない、加工しやすいだけなら他の金属もあります。
「金」が価値をもつのは、そこに「聖なる」「たましい」が埋め込まれているからと考えます。
それは、希少性の高い「金」を得るのに血と涙にあふれる「労働」が加わっているからです。

紙幣への信頼は、その発行元である国家の信頼に由来します。
しかし、昨今では国家の信頼も失墜してきています。
今、「金」が史上最高値をつけているそうです。

「金」にはそれだけの「価値」が備わっているからです。

そして、「労働」は「鎖」であり「受苦」であるとマルクスは考えますが、しかし同時にその「受苦」によって社会的連帯が生まれるとも考えていました。

単純に「労働」の「鎖」を解き放てば全てうまくいくと考えるほど、マルクスは単純ではありません。

2010年6月18日金曜日

量子


東浩紀(あずまひろき)の『クォンタム・ファミリーズ』を読みました。
買ってから3日で読み終えました。

内容は、売れない作家に奇妙なことが起こり、この世界と、それに平行する多数の世界が存在するという話です。

平行世界は時間もずれていれ、未来からメールが来るのです。そして、複雑にいくつもの平行世界に移って話は展開していきます。

著者は30代の文芸批評家、哲学者です。

批評家が小説を書くのもめずらしいと思いますが、決して素人のまねごとではなく、この作品で三島由紀夫賞を受賞しています。

僕が最初に、東浩紀の名を知ったのは『エヴァンゲリオン 快楽原則』という、アニメ「エヴァンゲリオン」を分析した本です。

それまでの「エヴァ本」では、ストーリーの秘密や、影響された作品などが書かれているものがほとんどで、僕は不満を感じていました。僕は「エヴァ」はオタクの中から、オタクを対象化した視点で描かれていることが社会的に重要だと考えていました。しかし、そういう視点からの批評はほとんどありませんでした。
ところが、その本で東氏は「庵野秀明はなぜ80年代アニメを終わらせたか」というような内容の文を書いていました。これぞ、僕がいいたかったことだと思いました。

彼は「哲学」と「オタク」とを両方を語れる、宮台真司と並ぶ希有な存在になっていきます。

哲学書である『存在論的、郵便的... ジャック・デリダについて』を買って読みましたが、3回くらい読んでも1/3ぐらいしか理解できませんでした。僕の文学の先生である青野聰さんは「デリダはわかるけど、東浩紀はわからない」といっていました。この本はサントリー学芸賞を受賞したのですが、審査員は本当に中身を全部理解したのでしょうか。

しかし、僕なりの浅薄な理解によると、「脱構築」には、「否定神学的脱構築」と「郵便的脱構築」があって、否定神学は「~ではない」というかたちで「神」を定義するのだが、郵便的とは常に「誤配」の可能性がある。そして、否定神学より郵便的の方が実践的であるがゆえに、著者は後者に重きをおく。というふうに受け取りました。

文学の授業でOBの人が「東浩紀はもう芸人ですね」といっていましたが、それは彼の哲学とは矛盾しないのではないでしょうか。彼は、常に誤配に開かれていても、実践することに価値があるというふうに考えているように思います。

『存在論的~』の最後に、「ここまでの議論で結局自分は筆をおかなければならない」とうようなところがあったような気がしますが、自分が「郵便的」を支持する以上自分も「郵便的」に生きるという宣言のように思えて感動した覚えがあります。

そうして見ると『クォンタム・ファミリーズ』の最後は、あまりにも複雑に絡まりあった多数の平行世界の中で、何とか元に戻ろうとする人たちに対して主人公は、たとえ複雑に入れ替わっている虚構の世界でも、それを全部ひっくるめて肯定しよう。その中で生きていこうと決意をするのは、『存在論的~』と通ずる、著者の価値観だと感じました。

著者は、科学哲学出身なので、平行世界の存在の理由を、論理的、哲学的に説明するところを読むと、納得させられてしまって本当に平行世界があるように感じられて、現実の感覚が変わってくるようでした。

哲学と科学と文学をしっかり勉強してきて、さらに才能があったから書けた作品であって、ある意味これらの条件を全て満たす人がいたことが奇跡的幸運ともいえるかもしれません。

ちなみに、普通の生活世界とSF的世界が隣り合わせになったような作品を「セカイ系」と呼ぶそうです。もちろん、そのルーツは「エヴァ」ですが、それ以前にセカイ系といえるかどうかはわかりませんが、平行世界を描いたものは、意外に思われるかもしれませんが、藤子不二雄の作品世界に起源をもつのではないかと思います。普通の街の日常の中に突然、未来からネコ型ロボットがやってきたり、オバケや忍者がやってくる。
日本人で子供のころ藤子アニメを見ないで育った人の方が少ないでしょう。子供のころに見ていた藤子作品が無意識のうちに影響を与えている、と考えるのも無理な話ではないと思います。
藤子・F氏は、SF短編で平行世界、藤子の言葉でいえばパラレルワールドについて書いています。
「ドラえもん」を筆頭に「オバケのQ太郎」「パーマン」「忍者ハットリ君」「怪物くん」、どれも今のSFの元になる想像力を持っているといえないでしょうか。

2010年6月17日木曜日

今日


今日は何の予定もなかったので、一日寝てました。精神的つかれがありました。

2010年6月16日水曜日

読書


今日は昼間本を読んで、夜出かけます。

Twitterの調子がおかしいです。他にもTwitterがうまくいかない人はいませんか?

2010年6月15日火曜日

国家




僕は、カルチャーセンターなどで、哲学の講義を聴いたりしていますが、いわゆる入門書レベルで本当の哲学書というのはほとんど読んだことがありませんでした。

「精神現象学」「純粋理性批判」「存在と時間」という哲学史に残る重要な本を講義のために買ったのですが正直一行も理解できませんでした。

しかし、少しは哲学の勉強をしてきたのに哲学書を読んだことがないので哲学の話ができないというのはもったいないと思い、できるところから哲学書を読んでみようと思いました。

哲学と言えば最初はギリシア。ギリシアと言えばソクラテス、プラトン。その代表作は「国家」だと思い「国家」を読みました。

あまり、難しい専門用語が出てこないので、込み入ってはいますが、僕のような素人でも読めます。

昔の話だから今の人とは全然違う発想なのかと思いましたが、読めば現代人でも納得できる筋道や感情が描かれています。

理想国家論では、妻や子供を共同で所有するといっていて、過激なのですが、人々が受け入れ難いということも承知の上で語られているので、全く感覚が違うわけではありません。

しかし、国家を語るのにこれだけ厳密に一つひとつ理論的に証明して見せて、イデアといわれる実相の話や、死後の世界の話まででてきて、すごい徹底的な議論をするものだなと思いました。

日本人ではここまで理論的につきつめることはしないのではないでしょうか。西洋の哲学の特徴がすでによく出ていると思いました。

内容的には、哲学者が政治を司るべきだというのは、ソクラテスも認めているとおり、不可能ではないが困難だと思いました。また、妻子の共有など、現在の価値観では認め難いものもあります。

しかし、政治形態で民主制から僭主性へと向かうという分析などは、フランス革命を予言しているようでもありさすがだと思いました。

イデア論や詩人追放論など、現在では否定されているものも多いのですが、でもこれだけ真剣に考え理論的に説明しきるところはやはり評価されるべきではないでしょうか。

最後に人間の死後の世界が出てきますが、そこまで考えて政治を語るのもすごいと思いました。
内容は、キリスト教とも仏教とも共通する感じがするので、興味深かったです。

2010年6月14日月曜日

梅雨


雨が降って、梅雨ですかね?

嫌なことも毎日いろいろあるのですが、
頑張ってます。

うちの梅の実も大きくなって、梅酒を造るつもりです。

2010年6月13日日曜日

アテンション


暇なときに気楽に見られるものをと思い、上戸彩主演の「アテンションプリーズ」というドラマのDVDを借りました。

気楽に見られる娯楽作品だと思って借りたのですが、これがなかなか面白い。
九州でロックバンドをやっていた女の子が、キャビンアテンダント(旧スチュワーデス)になる物語で、過去に70年代にドラマ化されたものリメイクです。

この設定自体も面白いですし、多くの葛藤が感動的で、泣きそうになったところもいくつかありました。

それから、主演の上戸彩さんも魅力的ですね。

彼女の魅力というのも、不思議だと思っていました。
今時の女の子のような冷淡なところもなくて、いい意味でこどもの純粋さをもっている感じがします。

美人ではありますが、そんなにモデルように端正な顔立ちでもない。それでも、見ていると魅力的に見えてしまう。やはり、中身が魅力的な人は外面的に見ても魅力的に見えてしまうのだと思います。

この魅力はどこからきたのだろうかと思いました。
彼女は兄が二人いて、長兄とは16歳はなれているようです。

僕も上に姉が二人いまして、一番上とは14歳はなれています。
僕は年のはなれた兄弟の存在は性格に影響を与えると思っています。僕は14歳以上はなれているのは最近ではめったにいないと思っていましたが、彼女は16。上には上がいました。

年のはなれている、特に異性の兄弟がいるとどうなるか。
一つは、同年代に対して優越感を持つということです。幼稚園の頃、女子大生と対等に話しているのですから、まわりの子たちは幼稚に見えてしまいます。
また、もともと異性の兄弟のいる子は異性と接触するのに抵抗が少ないと、文学の青野先生がいっていました。
特に歳がはなれていると、一方的にかわいがられる可能性が高いですから、異性の他者に対して心を開きやすい。他者を信じやすく、いわばかわいがられ上手。わざとではなく、自然に自分のこどもっぽいところを隠さずに出せるではないでしょうか。

これらのことが、彼女を国民的なスターにした要因ではないかと考えています。
視聴者が、嫌みを感じずにすなおにかわいいと思えるのではないでしょうか。

2010年6月12日土曜日

芸術学特殊研究


今日は「芸術学特殊研究」で調べたものを発表しました。

先生には、発表はよかったといわれホッとしています。

2010年6月11日金曜日

産業構造


菅首相の考えは、財政と景気を両立させることだと思いますが、この二つを両立させるのは大変難しいと思います。

しかし、やらなければならないことでもあります。

従来のように、景気対策に公共事業をやるのは、費用対効果がうすい。
小泉内閣のように小さな政府にすれば、弱者切りすてにもつながる。

そこで第三の道ということでしょうが、
元祖『第三の道』ギデンズの日本での紹介者でもあり、首相とも懇意の首都大の宮台教授によりますと、効率化や動機付け、民による新たな公ということも重要なのですが、現在の産業構造そのものを変えないといけない、ということです。
今の産業構造のままだと新興国に必ず抜かれる。従って、製造業中心の現在の産業構造を先進国化しなければならないということだそうです。
そのためには、痛みもともなう。そのこともちゃんと国民に説明するべきだということです。
僕も基本的には、政治家は負担の部分も国民に説明するべきだと思います。

産業構造そのものを変えるということはとてつもなく大きな仕事ですから、一内閣でできるものではないかもしれませんが、そういう現状をしっかりと認識した上で改革をしていってもらいたいです。
そして、改革が実現すれば新たな雇用も創出される、景気が上向けば財政も健全化へ向かう、となるかもしれません。
まあそううまくいくとは限りませんが、とにかく改革は避けて通れないということです。

僕は鳩山政権を支持していましたけれども、批判もしてきました。それは、国民に痛みをともなう部分を言わなかったということです。

菅首相は、財政の重要さも訴えられ、税制改革の重要性も理解されている。それはいいのですが、今までの産業構造のまま改革をしてもダメで、産業構造自体を変えなければならない。そういう大きな問題があることを是非認識していただきたいです。

2010年6月10日木曜日

体重


最近、食べて体を動かさないので太ってきました。

そこで、ダイエットをしようと、すこし前に本を買いました。

満遍のない食事と、ちょっとした運動でも体を若く保つことはできるようで、今すこしづつやっています。

2010年6月9日水曜日



広い劇場。客席広い。

北海道の道で僕、歌手の女の子と話している。歩道橋の上とかで。北海道の人ってあったかいって気がするけど。デートを何回すれば許してくれるの?ときくと4回か3回と答える。彼女も僕のことを嫌いじゃなさそう。もし僕がデートを誘ったらというと、あーいいかも、という。僕は彼女の肩に手をまわして手をのせている。そして、じゃあデートして下さい、というと、いいよっていわれ甘い気持ちになる。

今度は移動して九州にやってきた、昼間の都会の中で放送。素朴なレポーターがギャグをいう。大学の友達が僕に気を使ってくれる。彼女どこ?というと、きっと戻ってきますよと。歩道橋わたって駅までいける。通りのビルの上の階にセーラー服を着た女の子。TVにでたいんだ。

何とか歌手の子に会おうとする。地下から3人であがってきたとき、友人は他の人にバレないように自分がはじめに何かをやりますよという。

TV局の人がきたら友人についていってたすかる。彼女とも会えるだろうし、というところで目覚め。

2010年6月8日火曜日

菅内閣


僕は、鳩山首相に4年間続けてほしかったです。それは、選挙で国民が選んだ首相だからです。しかし、残念ながら首相が変わった以上、新内閣には良い政策を実行してもらいたいと思います。

まず、専門家が一致するのは行政改革。
1、中央集権から地方主権へ。
2、官僚統治から市民自治へ。
だろうと思います。

次に、経済政策。
1、景気対策。
2、財政の健全化。

1と2は対立する場合が多いのですが、それをどう解決するか。選択と集中、動機付け、などいろいろ考えなくてはなりません。歴代の内閣がこの20年間できなかった難問です。

最後には、経済構造改革。
新興国と同じ分野で競争すると負ける。したがって、経済のあり方自体を変えなきゃならない。

最後に僕は武蔵野市に住んでいるのですが、20歳で初めて選挙に投票して以来20年間、現在まで衆議院選挙では同じ人に投票してきました。

2010年6月7日月曜日


地方都市。多角形のたてもの。二階に社民やそれに近い人たち集まっている。畳で今、福島党首が仕事で、みんなだべって待っている。外には列車が走っていて、「皆さんもここから逃げたいと思ったことはありませんか」という言葉がうかぶ。国鉄に乗って田舎に隠れる。でも仕事はどうするんだろうかと考える。人の少ないバスに福島党首のポスターがはってある。そのバスが、行ってもどってきた時、本人がそのバスに乗って行こうとして、仕事からもどってきたところで、そろそろ始めるかといろいろな社民的な人たち。一人の女性が福島に嫉妬して「彼女はいつも目立って最後にやってきた」と。まあまあ。

2010年6月6日日曜日

web


今日は、web制作の学校でwebの世界で生きていくためのセミナーみたいなものがありました。
やはり、どんな仕事も真剣にやらなきゃ上へは行けないのだと思いました。

2010年6月5日土曜日

今日



今日は朝から病院に行って、帰ってから大学にまちがえて2時からなのに1時に行ってしまいました。
来週、僕のプレゼンなので、Macにつなげるコネクタを買って帰りました。それから本を読んで、DVDを見て、amazonで本を注文したら、届くのが来週末以降だというのでキャンセルして、色々やって忙しい1日でした。

2010年6月4日金曜日

iPad



僕の大学院での研究テーマはコンピュータのインターフェースデザインです。
そして、今新しいコンピュータのiPadが発売されたので、勉強のためにも買うことにしました。
Apple Store では予約もできなかったのですが、量販店に予約にいったら、今あるといわれ買いました。
主に電子書籍を読むためのマシーンとして考えています。
i文庫HDというソフトには、夏目漱石や太宰治などの著作権の切れた名作がたくさん入っています。
画面をなぞればページがめくれます。Appleが満を持して発売した機械なので、いいものだと期待しています。

2010年6月3日木曜日

アニマルセラピー


今日は、近くの老人施設に両親と犬をつれてアニマルセラピーに行ってきました。

アニマルセラピーとは、お年寄りや子供や障害者が動物と触れることで癒されるということを、お手伝いすることです。

うちの犬はもう12歳なので、あまりストレスをかけないようにとリーダーの人いわれて、円のまん中で、お座りなどをしていました。

一月に2回ぐらい行っていますので、だいぶ慣れてきました。

2010年6月2日水曜日

首相


鳩山首相には、4年間首相をつづけてほしかったです。
今のように毎年のように首相が変わるのは、政策の一貫性や官僚支配の打破ができなくなると思うからです。

しかし、普天間の問題では首相がみずから、期待をもたせ裏切ったかたちになったので、責任は首相にあるでしょう。

官僚の反発も裏にはあったのかもしれませんが。

とりあえず鳩山首相お疲れさまでした。

次の総理大臣が、国民の期待を裏切らない人であることを切に願うのみです。

しかし、思うのは今までの首相を見ていても、総理大臣になる事には強い意欲があるのに、なってしまえば後は苦しいので、総理大臣経験者という肩書きがつけばやめたいと思うものなのかなということです。

2010年6月1日火曜日

普天間


僕は安保に積極的賛成ではないのですが、ある以上は米軍に基地を提供するのはしかたないと思っています。

安全保障の専門家ではないので正しいかどうかわかりませんが、基地がどうしても沖縄県に必要なら、県内移設もやむを得ないのではないでしょうか。

首相はできるかぎり沖縄の負担を軽くしようと努力したわけですが、「県外」「国外」は無理でも、自民党時代よりは前進したともいえるかもしれません。

しかし、自分で「県外」「5月までに決着」と理想をかかげ結局できないでおわびをするというのは、首相のよくやる失敗で、そのことで沖縄県民に期待をもたせ、できないで批判をあびる。
これは、首相の責任だと思います。

賢者は経験から学ぶものです。

今回の経験から学ぶべきことは「できるかどうかも判らないのに、軽々しく理想を語るな」ということだと思います。