今日は八王子キャンパスで海老塚耕一先生の「現代美術特論」に行ってきました。
現代とはどういう時代か?
何かを考えたり、指針をさがすとき、よりどころとなるものは?
確かなものは何か?
これは小さな「哲学」の始まり。
今、芸術表現をする根拠はあるのか?
根拠そのものを欠いている「現代」を生きること
哲学しなくても誰も困らない、それが現代のリアリティー。
「これこそが絶対だ」というのは嘘だといっていい。
自分でいっしょに生きる哲学が必要。
では、全ては時代の産物であって相対的か?
それも疑問。
流行のものは現れ消えていくを繰り返している。
何を正統的というかは、科学、歴史、社会学的データでは扱いきれない。
70年代の『美術手帳』は論争ばかりしていた。
ボードレールが美術批評を始めたが、彼はこういっている。
「批評は好き嫌いなんだよ」
それは正しい。
「現代」とは何か。
ポストモダーン=近代以降
M.フーコー『言葉と物』
ギリシア時代は「人間の自然」
17世紀以前は「神」が判断の根拠。
近代。カント『人間学』、「人間の能力」が判断根拠。
現代。「人間」の消滅。「人間学的まどろみ」
「芸術の終焉」ヘーゲル。
過去に縛られるのは反動的である。
もはや、「問い」は解けない。
そのことが私たちに突きつけられている場面。
その中で創造していくしかない。
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