今日のカウセリングでは、小説『ヘヴン』について話し合いました。
僕が以前、最後が単純すぎるといったので、どういう結末を望んでいるのかとたずねられました。
僕は、もし自分がこの小説を映画化するならこうするといいました。
まず、ヘヴンという絵を見に行ったらそこにはミケランジェロの「最後の審判」の模造がある。
「最後に天国にいくのか地獄にいくのかを裁かれるのよ」「本物はローマのヴァチカンにあるんだって」「ヴァチカンって何?」「どっかの教会の名前じゃないの」
そして、最後にもっと暴力的な苛め(いじめ)にあい、主人公は死にかけ、昏睡状態におちいる。
苛めっ子は、学生生活をカッコよく、エンジョイしている。苛め自体は、自分には何の意味もないと主張する。苛めた事実は見つかっていないので皆でお見舞いにいかされる。そこで、その病院の心電図と呼吸の音を聞く。そして、その音を聞くと、日常生活で苛めた場面がフラッシュバックする。
コジマ(苛められっ子の女の子)は1999年に約束の場所にあらわれて、主人公を待っている。
そこでBob Dylanの「Knockin' on Heaven's Door(天国への扉)」が流れて終わる。
という内容。
カウンセラーの先生は、コジマと百瀬(苛めっこの一人)とは対称的ですねといいました。
コジマは、「欲望」を拒否して「意味」に生きる。それに対して百瀬は、「意味」を拒否して「欲望」に生きる。といわれ、主人公はその中間で自分が何なのかを悩んでいる、といわれました。
そして「コジマは鈴木さんと似ていると思いました」といわれました。
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