2010年11月15日月曜日

神学


今日は、新宿紀伊国屋ホールでの新宿セミナー「佐藤優とキリスト教」というイベントに行ってきました。対談相手は批評家の柄谷行人さんです。

紀伊国屋ホールでのイベントは以前、東浩紀さん、北田暁大さん等のイベントを見にいって以来です。東さんはこのホールで柄谷さんの対談を見たのが思想に興味をもつ一つのきっかけだといわれていた記憶があります。そのとき社会学者の宮台真司さんがきているのを目撃しました。今回も佐藤さんが話している間に柄谷さんが来たのを目撃しました。

前半は作家の佐藤優さんのおはなしで、後半対談でした。

佐藤さんの話は最初は現在の話で、尖閣のビデオを見せた人を逮捕しない、それを世論が応援をするというのは危険だということです。

現在は1932年の5.15事件に似ている。
政治がなっていないと決起した人たちが首相を射殺した。動機は純粋で無欲であった。朝日新聞をはじめ世論が擁護したので、禁固8年、実際には4年ぐらいで出てきた。

のちの2.26事件の方がもっと悪質で官僚が官僚を使ったクーデター。昭和天皇の逆鱗に触れなければ成功していた。

今の海保を拍手する世論とそれに怯える検察、警察という図式はあぶない。

自信官僚だったので官僚の考えが皮膚感覚でわかる。
官僚は国民のことを無知蒙昧な有象無象だと思っている。
官僚になるには国家試験を通らなければならないから、自分は頭がいいと思っているが、この試験は「真理が何か?」という考えの人は合格しない。各分野の教科書を3冊暗記すれば理解してなくても合格する。愛情や思いやりを計ることはしない。
外務省で養育係をしていたときFaxをおくらなかった若手にきくと7割が「送りました」といって後で送る。自分はなぜ正直に言わないのかをしかる。

早稲田、慶応で手伝ったとき実験をしてみた。山川の詳説世界史Bの太字の年号をきくと正解率は慶応100点中4.2点、早稲田5点だった。
偏差値の高い学校へ行く理由が、親の期待に応えてとか、高校ででかい顔をできるかとかで、本当は勉強は嫌い。さらに役に立たない。だから、頭に残っていない。
官僚も10年もすれば頭に残っていない。

危機というのは一つひとつの事情をおかしいと思わないこと。

カール・バルトと危機。

啓蒙の思想は、理性を信じること。その結果、第一次大戦。第二次大戦。

ドイツのリベラルな知識人や神学者が戦争を肯定する宣言をきいて、バルトはショックを受ける。全く新しいところから始めないといけないと思い、聖書をドイツ語、ギリシア語で読み、パウロの『ローマ人への手紙』にコメントを書く。

ハルナックは自由主義神学を主張。

自然科学の発達でキリスト教の権威が危なくなる。
カトリック、ロシア正教は自然科学から絶縁した、プレモダン。
プロテスタントは反動運動。イエスに帰れ。天才神学者シュライエルマッハーは、宗教の本質は直感と感情とした。神様は心の中にある。これで近代とキリスト教は矛盾しない。

カール・バルトはそれに反して、人間の言う神はキリスト教の神とは違う。私たちが神については語れない。神が私たちに何を語ったかを問う。牧師は神について語らなければならない。不可能の可能性。
日本では西田幾多郎、滝沢克己に影響をあたえる。

若い神学者がバルトのところにくる。フリードリヒ・ゴーガルテン。不可能の可能性。時間と空間の中でものごとはおこる。近代人は疎外されている。歴史には始めと終わりがある。
バルトははじめ、彼に惚れ込んで『時の間』という雑誌を出す。

のちにドイツ的キリスト者運動にかかわりナチスを擁護する。決断主義を主張。ドイツ人や神の概念は生成するもの。あのお方(ヒトラー)についていかねば。

バルトは危険を感じ、ドイツ民族の中にイエスの精神が内在しているなどとは福音書とは何の関係もないと主張。

カール・バルトが公開書簡を送った人に、天才神学者フロマートカがいる。ナチを逃れてアメリカ、プリンストン大学神学部で教えた。

プロテスタントの大会があったとき、アメリカのダレスが反共演説をした。フロマートカはそれを批判して、共産主義と正面から向き合わなければならないと主張した。福音とは無神論者にもある。

チェコに帰る。共産主義に魂を売った赤いプロテスタントと呼ばれた。
人間とは何か。チェコのマルクス主義者と対話を重ねる。人間の顔をした社会主義というものに影響をあたえ、プラハの春がおとずれる。が、ソ連軍によってつぶされる。翌日抗議文を送る。

彼が死ぬ2日まえに弟子をよんで、「僕は今まで一度も命令をしたことはなかった。しかし、最後に命令をする。亡命をするな。同じことを発してもプラハで発するのとチューリッヒで発するのでは意味が違う。神様の摂理があるから隣人、非キリスト教徒とも仲よくしなさい」といった。


対談、柄谷行人さんと。

佐。トランスクリティーク、世界共和国へ、世界史の構造。超越的なものに対する位置づけは変わってなくても明確になってきたのでは?
交換様式の第四象限の「D」のX。

柄。そのとおり。動機のひとつは9.11。
国家とは他の国家に対してある。今までは内側からしか考えてこなかった。
国家と資本に対抗するにはネグリのような世界的連帯は分断されてしまう。
アルカイダはまさにマルチチュードなのに無視している。
イスラム過激派に感銘して禁煙している。イスラム教徒でもなければテロを支持するのでもないが。
今、対抗するには宗教だと思った。マルクス主義者は違うというかもしれないが、イスラムの中に対抗がある。

最初の社会主義は普遍宗教だった。資本、ネーション、国家に本気で対抗できるのは宗教しかない。

佐。自分は反革命。柄谷さんはブント出身。自分は社民。国家社会主義に近い。革命をとめなきゃいけないと国家側が敏感だった。

柄。ブントとは1960年代の共産主義同盟。安保が終わった次の年に解散。アナーキストだった。自分の課題はマルクスとアナーキズムをいかに結合するかだった。
マルクスの娘はプルードン派と結婚している。仲は良かった。2001年まではマルクスは本当はアナーキストだからよかったといったが、今はアナーキストだからダメだといっている。
国家を死滅させるのはそう簡単にはできない。

佐。ソ連、東欧の影響はあるか。

柄。1990年代に思った。ポストモダニズムは冷戦時代のもの。米ソの二項対立を脱構築すると言っていればよかった。ソ連が解体しないと思っていたから。
それまでは宗教を批判していればよかった。積極的なことをいう人を嘲笑する風潮があった。
『トランス〜』は立場の移動を含む。積極的なことが気になってきた。ブロッホ『希望の原理』。カウツキー『キリスト教の起源』宗教のことをいいだしたのは、その時代の社会主義が理念をなくしてしまったから。社会主義がもともと持っていた「D」。

佐。ソ連を壊す日本側だった。モスクワ大学の科学的無神論学科、実は半分は信者。現代ブルジョワ批判学科はポストモダンだった。エストニアでは、デリダ、ラカン、フーコーを教えていた。モスクワではハバーマス、ホルクハイマーを教えていた。ルカーチは危険視された。

柄。『トランス〜』は先進国のことしか考えてなかったが、ボリビアとアイルランドで読まれた。「A=互酬性」部族間の対立をトランスクリティーク的に相互の批判から新たなものをつくりだすとされた。意外だがありがたい。

佐。ボリビアは沖縄移民の共同体が残っていて、琉球語が残っている唯一の国。

柄。交換様式は『世界史〜』で全面的に書いた。カントもマルクスも必要ではない。キリスト教も社会主義もない。
数学的、構造的に「D」であればいい。

佐。固有名はどうなるのか。

柄。代入すればいい。

佐。固有名は人をゆさぶる。

柄。気をつけてやればいい。

佐。数学的なものはリアルか。

柄。普遍論争になってしまう。
モノがあることとモノの関係があることとは違う。
普遍宗教というとユダヤ教の起源にいく。その後ブッダも孔子もあらわれる。ギリシアが哲学になるのはおかしい。哲学と宗教別にあるのではない。初期自然哲学は倫理学や政治学が入っていた。ギリシアのデモクラシーはペリクレス。アテネの貧民を救うためにデロス同盟で他の国をくいものにしてきた。ペロポネス戦争で滅ぶ。
初期はイオニアの諸都市。イソノミア。アーレント「ノールール。同等支配」。支配じゃない評議会。移動ができるからできた。ペルシア戦争で滅んで、観念だけアテネでソフィストとして残った。プラトンはイオニアには自然哲学しかなかったというが倫理学、政治学があった。調べたけれど誰もイオニアを語っていない。イオニアは脱魔術化。新たな神がいないと哲学ができない。ここに「D」がある。

佐。廣松渉さんとの違いは。

柄。廣松さんは二重世界論ではないのか。関係から物象化。
『世界共和国へ』で互酬性を始めにもってきたのが間違え。こわれた後に互酬性。例として家族を出したのもよくない。家族は純粋贈与。
互酬原理、共同体間にある。共同体内は純粋贈与。

佐。鈴木宗男代議士にモースの『贈与論』見せたらよろこんでいた。

柄。贈与ではなく再分配じゃないの。そこに権力ができる。

佐。宇野経済学との関係は。

柄。宇野に対する批判と肯定は同じ。彼はアナーキスト。大杉栄に通っていた。本気だったと思う。労働力商品のことをいう。労働力商品があるところを社会主義とはいえないという。

佐。労働力商品はトートロジー。

柄。宇野は学者としての限界があったのか労働力商品を揚棄するには協同組合しかない。アナーキスト、講座派マルクス主義者は協同組合。
廣松さんはわからない。

佐。スターリン主義は見えない世界があると考える。主体思想への憧れがあるのでは。

柄。京都学派に憧れがあるのでは。交友はあったけど、影響は受けていない。貨幣が出てくるところでおわる。資本になるのかは書いてない。自分は関心があった。『資本論』の信用。

佐。第三巻。

柄。三巻から読まなければならない。
宇野は国家を省いている。
ウォーラスティンの世界システム、国家と資本を双頭としてみていた。

佐。ウォーラスティンは社会主義をサブシステムとしてみている。

柄。ウォーラスティン国家の反復説。尖閣の問題、現在は日清戦争の直前ぐらい。日清戦争の原因、韓国の内部対立。結果、台湾が成立。中国は清朝のような巨大な帝国になっている。
司馬遼太郎や龍馬伝は今の都合のいいところしかみていない。

佐。勘違いする人は柄谷神学と思うかも。

柄。20年前に明治と昭和の反復を説いた。真に受けた人がオウム。
今は戦争おこらないという人がいるが、第一次大戦もどうして戦争になったのかわからない。
予期して阻止すべき。

佐。自分は品格のある帝国主義、戦争をしない帝国主義をとなえている。
柄谷さんが無心論者で唯物主義者だから対談を申し込んだ。徹底したヒューマニストには神学者として向き合わなければならない。そこに神様との線がでてくるのでは。

柄。そうです。自分で言っちゃいけないよね。

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