2010年11月16日火曜日

吉本隆明


今日は朝日カルチャーセンター新宿校で「吉本隆明『共同幻想論』を読みなおす」という講座の第二回にいってきました。講師は文芸評論家の高澤秀次先生です。

始めに『古事記』について細かい説明をされましたが、色々な神様がでてきて複雑すぎて僕の頭では覚えきれませんでした。
とにかく、全盛期の吉本隆明さんは、西郷信綱さんをこてんぱに批判したので、高澤先生の上の世代は西郷さんをまともに読まなかった。それに反発を覚え高澤先生は、吉本が批判した人を読んでいったそうです。

西郷さんは大嘗祭は稲作の儀式と考えていたが、吉本さんは性的な行為=対幻想を共同幻想と同致させるものと考えた。

沖縄に残っている習俗から「母制論」を展開した。

そして柳田國男。
1968年。反近代的な志向と情念があった。
東大紛争、日大紛争、明治百周年、ソ連のチェコ侵攻、パリ5月革命、三島由紀夫「楯の会」。
戦前の「近代の超克」の回帰とも考えられた。
『遠野物語』は、昔話でも民話集でもなかった。今の話、実話であった。
近代日本文学、自然主義文学、柳田の民俗学と田山花袋の私小説に分かれていく。

吉本さんは、この本で他の文献にあたってもよかったのにあえて『古事記』と『遠野物語』に絞って深化させた。これが吉本さんの真骨頂。

極右だった三島由紀夫が極左と思われた吉本の『共同幻想論』を読んで教えられたと書いている。

柳田は神隠しに遇い易い気質があった。入眠幻覚があった。

吉本は、巫女とシャーマンの違いを指摘した。巫女は共同幻想をじぶんの対幻想の対象にできる。シャーマンは自己幻想を共同幻想と同化させる。

柳田は「埋め墓」と「詣で墓」の両墓制の存在を指摘した。
吉本「農耕民を主とする村落共同体の共同幻想にとって「他界」の観念は、空間的にと時間的にと二重化される他なかった」「共同幻想の「彼岸」に描かれる共同幻想が、すべて消滅せねばならぬという課題は、共同幻想自体が消滅しなければならぬという課題といっしょに、現在でもなお、人間の存在にとってラジカルな本質的課題である」

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