2011年5月31日火曜日

東浩紀


今日カルチャーセンターで「<対談>インターネット時代の民主主義」。

茂木健一郎先生と東浩紀先生の対談でした。

茂木先生が東先生に質問をするかたちで進んでいきました。

東。ツイッター、震災前と後ではガラリと変わった。皆、原発ネタに反応する。

原発後にどういう行動をとるかは賭けみたいになっている。
情報がない以上、合理的かどうかを云々することに意味はない。

茂木。なぜ、ネガティブな発言にも反応するのか。

東。ブロックして、ポジティブな人だけを残そうと思っている。

茂木。自分はしつこいのは全部無視している。

東。批評や思想はあるていどのマーケットが必要。マーケットなんか要らないといっているのは大学でやっている人。1~2万の安定した読者がいればいい。

原発についていっていることは単純なこと。原発が危険というより、政府が反省をしないので信頼を失っている。そのことが問題。

日本人はバカだから、それくらいしかできない。自分はペシミスティック。
自分のことだけを考えて生きていきたい。

茂木。人間にはロゴスがあるでしょう。

東。ないでしょう。この国には。
この国にインテリは、ことばや理論で人を説得できると思っている。それが幼稚。

茂木。池上彰さんは分りやすく伝えている。

東。どうなんだろう。

茂木。サンデルブームは。

東。話せばわかるというコミュニタリアンだから受けているのでしょう。

小説は、言語表現を美しくしたいから書いている。お金があれば南の島で暮らしたい。

茂木。作家性の強い人の特徴は、反社会的、ナルシスト。

東。文壇はもうダメでしょう。無関係でいきたい。全然違う人達。文芸誌に書いている人達。すごい文系で頭悪そう。

茂木。村上春樹は。

東。重要な作家だが、自分の欲望はかりたてない。

茂木。好きな作家は。

東。SF作家。ハインライン。アシモフ。クラーク。ディック。
純文学とかはイヤ。現実はノンフィクションで読んでいる。

今回の震災で、自分は文系で理系ではないと思い知った。
客観的真理と社会的真理は違う。数字ではなく論理でしかいけなかった。
客観的真理があるという人とは違う。

茂木。自分は理系と文系のあいだ。技術はどうなのか。

東。工学は理系と文系を結ぶもの。

哲学の元祖がソクラテスだというのが問題。単に飲み会にいっている男。金持ちと軍人と政治家としか話さない。ツッコミはできるが、自分ではいわない。そのストーカーがプラトン。
それをまとめたのがアリストテレス。
彼はサイエンスの起源。

脳にいい社会というのはあるか。

茂木。人によって違う。

東。ある種の幅はある。

茂木。ある。

東。今、民主主義は無理なんじゃないか。情報量が多すぎる。判断停止しないと、主体的決定はできない。

茂木。アナーキズム。

東。いや、政府の機能は残る。暴力を抑制する装置として。
国家が最終的になくならないというのと、今の政府が腐っているというのは全く別の話。

茂木。外国にいっても、皆自分たちの国が腐っているといっている。

東。日本のツイッターずーっと原発の話をしている。その中でいわざるを得ない。単に空気悪いなと思う。

茂木。自分はひとり空気清浄機になろうと思っている。

東。被災地にいってみると、一体感というよりも、ちょっとした運によって変わってしまっていて、かえってバラバラになっているという感じがする。


東さんのツイートを見ていて、何でこんなに一々反応するのだろうか。無視すればいいのにとずっと思ってきましたが、今回まとまった話をきいてその理由がはっきりわかりました。

また、何に東さんが苛立っているのかもよくわかりました。

震災後の東さんの立場がよくわかって、すっきりしました。


2011年5月30日月曜日

2011年5月28日土曜日


今日もずーっと寝てました。どうすればいいのでしょうか。

2011年5月27日金曜日

指導


今日は久々大学に行って先生に指導を受けてきました。

大学に提出する、計画書を書いて直してもらって出しました。

その後、学部のゼミの人達の中に入って、議論に参加し、サンドウィッチをもらいました。

2011年5月26日木曜日


今日も昼間寝てました。

睡魔にかてません。どうしたらいいのでしょう。

2011年5月25日水曜日

2011年5月24日火曜日

アーキテクチャ


濱野智史『アーキテクチャの生態系 –情報環境はいかに設計されてきたか–』を読みました。

アーキテクチャとは「設計」の意味ですが、ここではネット空間の設計を指します。

インターネットのサービスの歴史を知りたくてこの本を読んだのですが、この本ではアーキテクチャという観点からネットの歴史が書かれていました。

ネットサービスの特徴は、その設計で決まるという主張ですが、しかしあまりアーキテクチャを追求した分析だけではないようにも思いました。

僕としては、必ずしもアーキテクチャにかかわらずネットの歴史を知りたかったので、ちょうどよかったのですが、社会学的分析はもっと突っ込みどころがあったのではないかという気もしました。

大まかな歴史は知ることが出来ましたが、今ひとつ深いところまでは分析されていないようにも思いました。

2011年5月23日月曜日

2011年5月22日日曜日

2011年5月21日土曜日

扇風機


今日は、朝早く病院に行って、帰ってから少し片付けをしました。

暑いけど省エネで、エアコン入れるのは控えて、扇風機を入れました。

2011年5月20日金曜日

ソーシャルメディア


濱野智史、佐々木博著『日本的ソーシャルメディアの未来』を読みました。

大学院の課題でソーシャルメディアを調べるためです。

始めに社会学の「共同体」と「社会」を分けて、ネットはどちらかという議論をします。
結果、ネットは「共同体」的な部分と「社会」的な部分と両方あるといいます。

そして、真木悠介さんの『時間の比較社会学』を参照して、原始共同体の時間、近代社会の時間、情報社会の時間を分析したところは面白かったです。

後半はよくある日本社会批判で終わるので、それは間違いはないのだけれども新しくもないという感じを受けました。

しかし初心者向けなので、それはそれでいいのかなとも思いました。

2011年5月19日木曜日

2011年5月17日火曜日

せつない


ネットで学部時代の同級生を調べていたら、懐かしい。切ない。甘酸っぱい想いが浮かんできました。

2011年5月16日月曜日

Word


マイクロソフトのWordのMac版を使いましたが今ひとつわかりづらいのと、申し訳ないが、デザイン的にApple製品に比べて劣ると思いました。

しかし、互換性のためにWordを使わざるを得ないのです。

2011年5月14日土曜日

人災


今日はカルチャーセンターの「緊急ゼミ-震災から人災へ、われわれは今どこにこるのか-」宮台真司、堀内進之介先生です。

まず宮台先生から。
昔は、その土地に住んでいれば何年かに一度災害がおとずれるものだと思っていた。
しかし現代は、災害が起こったら何でそこに住んだのか、その行為が問われる。全てに対して人災としての責任追及ができるようになった。
さらに技術の進歩で、われわれが選択したときに何を意味するのかが分からなくなってきている。
日本ではこのような議論が成り立たない。日米開戦のときに、日本のシンクタンクが日本の勝つ確率を計算したところゼロ%だった。しかし、空気に逆らえなかった。
原発の危険を諭しても、最後には自分には家族があるからといわれてしまう。

堀内先生。
無責任体制を批判できるのは、リスクが計算できる時ではないのか。もはや計算不可能。

宮台先生。
全体的にいっては、誰も計算できない。しかし、それ以前のコスト、計算できるところまで責任をとらない。

堀内先生。
当時の状況を考えれば、原発導入はしかたないのでは。

宮台先生。
確かに、核兵器を造る可能性を残すために必要だというのは理解できる。しかし実際には反米になることはできないのだから意味はない。

堀内先生。
実現可能生がなくても望むものを政治的ロマン主義という。これは、政治的合理主義の反動。

宮台先生。
堀内さんのように歴史に遡ることは重要。日本では絶対安全か絶対危険かに分かれるのが問題。

堀内先生。
マルクーゼは科学技術は中立性を認めない。やるかやらないか。

宮台先生。
半分正しい。
マンハイムは浮動するインテリゲンチャといって、知識人はある種の自明生から自由であるべきだという。

堀内先生。
浮遊するインテリゲンチャは、やがて財産がなくなると悪しきジャーナリズムになりうる。または大衆迎合にならざるを得ない。
原子力も事故になったのでこんなにさわいでいるが、事故がなければほとんど誰もさわがなかったのでは。

宮台先生。
そんなことをいってもしょうがない、というのは原理的には正しい。しかし、もっと頭の悪い人が復興を語っているのが問題。

堀内先生。
バカがコミュニケーションするからいけないのか。システム理論ではコミュニケーションの質は発話者によっては決定できない。コミュニケーション自体が決める、と考える。
優れた人だけで決まるなら、一票の格差を認めなければならない。

宮台先生。
何が重要であるかが自明でなくなるので一人一票になっている。
日本では知識人は機能してない。しかし、括弧つきの合理性や妥当性を議論はできる。
人々のユーティリティやアメニティをあげるだけではダメ。尊厳、ディグニティが必要。
AV監督の山下さんは、普通のサラリーマンの息子だったけれど、人生をつまらないと感じてAV監督になった。
部落解放同盟の人に相互扶助の美徳を忘れないようにいったときに、これは美徳でもなんでもない助け合わなければ生きていけないだけのことといわれた。実際平準化してからは相互扶助もなくなった。

堀内先生。
共同体には何らかの欠落が必要。であるから相互扶助もおこる。
一方、あらゆるものに満たされて個人はバラバラ。
どちらかを選べといわれれば自分は後者を選ぶ。

宮台先生。
それはホメオスタシス・オブ・セルフといって自己保存の考え方。

堀内先生。
欠落を埋め合わせてきたのは上の世代では。

宮台先生。
ショッピングモールしかないかもしれないが、どういうショッピングモールをつくるかを考えろよ。

以上。

この講座を聴いて、堀内先生は原理的なこといっていて、宮台先生は原理的なことはその通りなんだけれどもその上で何をするのかを訴えているように思いました。

ですから、宮台先生の議論は多重構造になっていて、基本的な原理は「しかたない」。しかし、その虚構とわかった上でゲームとしてどのように振る舞うかを考えている。

ところが、その「わかった上で」の議論が、熱をおびてそれがベタに見えてしまうところが周りの人に誤解を与えることになるのではないでしょうか。しかし、それすらも内発性の発露だから望ましいと理論化できるのかもしれませんが。
そうすると今度はそれを他人に強要することが出来るのかという問題が出てくるようにも思います。その点を堀内先生は問題にしているようだと思いました。

大学


金曜日は大学に行って、先生に指導してもらいました。

中国からの留学生と一緒に。

2011年5月12日木曜日

記号論


池上嘉彦『記号論への招待』を読みました。

記号とは、+、-の記号と思いがちですが、記号論ではそれは符号といって、記号とはもっと広い範囲のものを指します。

例えば、落ち葉が落ちるのを見て秋を感じた場合、落ち葉は記号と考えます。

記号を解くにはコードとコンテクストが必要で、日本ではコンテクストの比重が大きいといいます。

今まで漠然と記号とよんでいたものが何かわかって、いい勉強になりました。

2011年5月11日水曜日

2011年5月10日火曜日

Windows


今日は、FUSION3というソフトで、自分のMacをWindowsと同時に使えるようにしました。

時間がかかりましたが、最後はうまくいったようです。

2011年5月9日月曜日

Windows


今日は、僕のMacでWindowsを使えるようにしました。

HDDが少ないのであまりWinは使いませんが。

ネットなどでもWindows専用のサービスが結構あって、使えなかったのですが、これで大丈夫です。

2011年5月8日日曜日


今日も、本読んでるうちに眠くなって寝てしまいました。

2011年5月7日土曜日

停止


原発停止は人によって評価が分かれるところでしょうが、僕はよいことだと思います。

実際に地震が来たら大変だけれどもそれだけではなく、これからの時代は原発に頼らないで生きていくという、エネルギー政策の方向転換の象徴的な意味があるからです。

今は菅政権が批判にさらされているので、菅首相にいわれても様子見のようですが、賛否両方ある中でも、信念にもとづいて正しい判断をしたならばその決断は評価されると思います。

逆に、抵抗に負けて中途半端に終わったら国民の信頼をなくすでしょう。

ぜひ、新しいクリーンエネルギーの指針とともに、国民に希望が持てるメッセージを送ってください。

2011年5月6日金曜日

東京カテドラル


今日は、31年前16歳で亡くなった姉の命日でした。

納骨されている、東京カテドラルという教会に父母といってきました。

2011年5月5日木曜日

2011年5月4日水曜日

消滅




大塚英志さんの『物語消滅論 キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」』を読みました。

はじめに、物語というものがいかに工学的に作れるかを証明しようとします。

そして、そのことに徹底的に自覚した上で、現在の説話的な政治のメッセージを批判する眼を持てといいます。

文学が機能していないから、安易な説話的なメッセージに引っかかる。
それが、イラク戦争であり、佐世保の小学生殺害事件だといいます。

その意味で、今まで著者は論壇には批判的だったのが、現在は近代文学を支持するとしています。

大塚さんの一貫した近代擁護は理解できます。これは、単なる日和見などではないと思います。

しかし、物語を一旦徹底的に工学化した後、文学を擁護するというのは面白いと思いました。
現代の文学者はこのような視点は欠けているのかなと思いました。

2011年5月3日火曜日

2011年5月2日月曜日

原発


こんなことを書くと怒られてしまうかもしれませんが、原発の対応は誰であっても難しいのではないでしょうか。
今までにないことが起こって、危険でコントロールできない状況で、どうしても試行錯誤になってしまうのではないでしょうか。
それを政府がいうとまた批判されてしまうでしょうが。