2015年9月5日土曜日

「戦後70年をどう考えるか」

今日は朝日カルチャーセンター新宿校の「戦後70年をどう考えるか」宮台真司先生、堀内進之介先生、にいってきました。

まず、中曽根元首相が新聞等に寄稿した文章に対して宮台先生からの解説がありました。

中国に対して侵略と認め、アジアの国々に対しては悪いことをしたことを条件付きで認めています。

東京裁判が自分たちで自分たちを裁けなかったことを批判しているが、それは宮台先生によれば、A級戦犯に責任を負わせ、天皇と国民、マスコミを免罪するための米国の手打ちである。だから今さら「押しつけ」だというのはご都合主義であるとのことです。

アメリカは朝鮮戦争のときに旧勢力を公職に復帰させました。安倍首相のように「反東京裁判的態度」と「対米ケツ舐め路線」は表裏一体だといいます。

また、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」が一体であるという中曽根氏の指摘は、戦略上のもので、歴史的に見れば重要なのは米国に対する認識だといいます。

第一次世界大戦前の国際連盟は「集団的安全保障」という考えでした。しかし、それが失敗して第二次世界大戦になりました。戦後、国際連合が「集団的安全保障体制」を築こうとしたのに反対したのがアメリカでした。アジアにおいて、北朝鮮と中国を仮想敵国にして、対日、対韓、対台湾に対し同盟を結び、影響力を維持しようとしました。ですから、今大切なのは米国に対してどういう態度で接するかということだといいます。

堀内先生は、自分の研究は「総動員体制」から始まったから、この辺のことはよく勉強したが、この様な内容にはあまり興味がないといいます。自分は思想上の問題は「実存主義」によっている。よかれあしかれ。だから、これらの話は分っているだけに「出口のなさ」ばかり感じてしまうといいます。
そして、「永続敗戦論」の白井聡さんには嫌悪感さえ感じるといいます。対米追従から主権を回復するのは「日本国」であって、結局「国体」ではないかといいます。

宮台先生も、自分は本当は社会のことに関心はない、自分が関心があるのは映画批評だけだといいます。

人類が「言葉」を獲得したのは14万年前ではなく4万年前に過ぎないことが分ってきました。それまでは、人類は世界を「言葉」ではなく「音楽」として体験してきました。

比較認知科学によると人間の出発点は足が木につかまれなくなって、赤ちゃんがつかまれなくなって、赤ちゃんを置くようになったことから始まります。赤ちゃんは親が離れるので、泣くようになる。他の人も聴くようになる。そこから共同保育が始まるといいます。人間の根源には「共感」の能力があるといえます。

堀内先生は、国会前デモにいってとても気持ちがよかったといいます。しかし、だからこそこれは怖いと思ったそうです。共感能力がファナティズム(熱狂)になる危険性を指摘します。

宮台先生は、「反知性主義」を感情の劣化ととらえるか、理性の劣化ととらえるかが難しいことを指摘します。根本には感情があるが、それを正しく使用する理性も必要だと考えているようです。

堀内先生は、宮台先生と白井聡さんとを比較して、宮台先生は「問題が解決されないときに手打ちをする」と考え、白井さんは「手打ちをしたことによって問題が生まれた」といいう違いがあるといいます。

宮台先生は、それはハバーマスが「ポスト世俗化時代」として論じたことと通じるとします。ハバーマスは手打ちと分っていても、世俗的な前提の上に宗教を置くべきだと主張しました。それに対してカナダのチャールズ・テイラーは「それは世俗を過大評価しすぎだ」と批判します。そして、最低ラインの地平は共有して違う道で超越に向かおうと考えたようです。ロールズの転向にも通じるといいます。

堀内先生は、反知性主義に対して「感情の劣化」というのも「理性の劣化」というのもどちらも感情や理性に期待し過ぎているといいます。ルカーチやアドルノの「批判理論」では、期待を低くします。「限定的否定」といいます。ナッジアーキテクチャーとかナッジパターナリズムというような制度設計によって人々をコントロールするという方法もあるといいます。

宮台先生は、それはポスト世俗化時代に有効かと問います。過去20年、若い人の性愛からの退却が進んできています。2015年は1990年頃にもどったといいます。これはフロイト派の理論でいうと不安の埋め合わせだとします。ラカン派の理論でいうと概念言語の外側にあるものに不安を感じるので「言葉」だけの世界にとどまっているということになります。

堀内先生は、「批判理論」はフロイトからも影響を受けていて、二つの派に分かれるといいます。
一つは不安の根本原因を考える派。それは、「物象化」によってものごとから疎遠になってしまうことだといいます。初期は資本主義と結びつけて論じられましたが、今は文化によって説明されます。フロイトの言葉に「人間は文化なしでは生きていけないが、文化の中では幸せになれない」というものがあります。もう一つは、対処療法派で、大きな政治では穴埋めできないのでサブカルチャーによる手当をするというものです。ブロッホやマルクーゼなどがこの立場です。

宮台先生によると、ラディカルな立場の人は、人は物象化からは逃れられないと考えます。マルクーゼとG.H.バラードからは同じメッセージを受け取るといいます。「メチャクチャでいいじゃん」。正しい秩序があると考えるから焦るといいます。

堀内先生は、マルクーゼの「誰も開放を望んでいない社会からの開放はいかに」という問いを立てます。いつもは批判するブロッホの「だからこそ前へ進もうよ」「希望の原理」という言葉で閉めます。