2009年10月30日金曜日

荷物

10/29 夢 何かの帰り。小中の頃の友達、新島君と他の友達と逃げるように急ぐ。そんな真剣じゃない私は、荷物が多く、4つのバッグを持っている。「これだけあるんだから」「それじゃあ重いだろう」私は、一番でかいバッグに他の3つのバッグを入れる。
車で行って、小金井公園のような大きな公園に車止めて行く。
荷物見せるところ、みんなでそっと逃げ出す。カギは爪を入れてまわすとすぐ開いた。「やった、自由だ」と思っても、ここは組織にも来たんじゃないか?
緑でも結構固い草ぼうぼうだし、大学かなんかあるのかな?
「ここから東京へ帰るのも大変だ」と思う。

みかん

10/24 夢 朝。豪華なホテルの一階に鳩山首相がパジャマ姿で出てくる。「外国行ってもこれだけは止められないんだよ」と、まわりに透明の砂糖でできた膜にくるまれたみかんを記者団に見せる。私は母に目配せをして、なんだろうと思い、そっと指を出し、甘い部分をとってなめてみる。思ったより甘くない。

2009年10月26日月曜日

読書

私が小説を読めない理由

私は、小説を読むのが苦手である。
一方で小説を書きたいという、欲求もある。矛盾しているようだが、事実なのでしょうがない。
そこで、大学院でたまたま小説を書く授業があったので、好奇心もありその授業をとった。そして、下手でもいいから毎週書いていき、いままで縁遠かった文学の世界を知るチャンスにしようと思った。
しかし、今までほとんど小説を読んでなかったものなので、たくさん小説を読むように先生に勧められた。しかし、私には小説を読むのが苦痛なのでなかなか進まない。夏休みに短編集一冊読むのがやっとだった。母に言うと、何故読めないかを先生に相談してみたらといわれ相談したところ、何故かけないかを文章にして書いてみたらいいと言われたので、これから書いていこうと思う。

まず第一に、私は子供頃から書物全般、読むのが苦手だった。
世の中には、読書の好きな子と嫌いな子がいる。
好きな子は、頭の中で言葉をイメージに置きかえる力が強いのだと思う。そういう子は、やはり成績もいい。しかし、空想の世界でばかりくらし、現実の経験をあまり持たないという欠点もある。
私は小学生時代、まわりと遊んでばかりいた。その方が楽しかったので、本を読むとその楽しい現実から離れていってしまうような不安を感じて、あまり読みたいとも思わなかった。それから読もうと思っても難しくて読めなかった。当然成績もあまり良くなかった。

マンガは、好きなマンガは何十回と繰り返し読んだ。嫌いなマンガはほとんど読まなかった。私の世代だと「少年ジャンプ」を読んでいて、アニメ「起動戦士ガンダム」を見てプラモデルを作るのが一般的だった。
それに対して私は、世代的には少し上になるのだが姉が持っていたので「少年チャンピオン」の数々の名作「がきデカ」「マカロニほうれん荘」「ブラック・ジャック」などは今でも台詞を言えるぐらい何度も読んだ。アニメは「ドラえもん」が大好きだったが、「ドラえもん」のどこがいいのかを大人に分からせることができず、くやしかった。大人は単なる子供向けのマンガだと思うだろうが、その中に書かれている哲学を何とか伝えたかったができなかった。言っても、こどもが喜んでなんか言ってるとしか思われないだろうし、しょうがないので「ドラえもん」のビデオなどをとっておいて、他のマンガは忘れ去られるが「ドラえもん」は残る、ということを分かっていたことを証明しようとし思ったりした。
「少年ジャンプ」も「起動戦士ガンダム」もほとんど見なかった。

私の少年時代からの夢は、小学生のころは「マンガ家」
中高生の頃は「映画監督」
大学生の頃は「TVドラマのディレクター兼脚本家」
である。
よく考えて見ると、これらは全て物語をもっているが、それを「視覚的」に表現したものだ。
従って、私は視覚的に表現されたものは受け入れるが、文字だけだと受け入れにくい性格なのかもしれない。
また、好きなものは読むが、嫌いなものは読まないという性格もあるようだ。

では、今までで好きな小説家作家はあったのか?
あった。それは星新一のショートショートである。中学生の頃、友人に勧められて読んだのだが、はじめは別にどうとも思わなかった。しかし、読み終わってから「これなんだ僕の言いたかったことは。でも、ほとんどの人には伝わらないだろうな」と思った。ちょうど「ドラえもん」を読んだ時の感情に似ている。

それ以外で、自ら読んだものは数えるぐらいで、一時期推理小説に興味があったことがあって、アガサ・クリスティー、コナン・ドイル、エドガー・アラン・ポーなどを読んだことはある。
宿題や課題で読んだもの、教科書で読んだものも当然ある。「芥川龍之介」「夏目漱石」「太宰治」「森鴎外」「中島敦」「志賀直哉」
この中で最も感動したのが「中島敦」の「山月記」である。内容は、自分の才能を半ば信じしかし実は才能のない事が明らかになること恐れる、詩人が虎になってしまうものである。漢文の教養の豊かな中島は、漢文調で書くがそれがたいへん美しい。今でも字は書けなくても、冒頭は諳んじられるほど私に強い衝撃を残した。文庫版をわざわざ買った。自分の人生の方向を変えさせられた作品といってもいいだろう。
このことから考えると、難しい漢文調の文章でも中身が良ければ読む気になるので、たんに難しいから読めないとは言いがたいかもしれない。

ちなみに、小説以外の本は、子供のころは読めなかったが大人になってからはある程度読めるようになってきた。
これは,主に情報を手に入れるためである。だから読書で知識が増えて嬉しい。そうなるとますます小説なんて読んで何の役に立つの?と思ってしまう。
教養のために読もうと思うこともあるけど、中身に興味はあまりわかない。

教養として読もうとして、有名な小説を買ってきたが読み終わらなかったものもいくつかある。
ゲーテ「若きウェルテルの悩み」 モンゴメリ「赤毛のアン」 漱石「坊ちゃん」

読み終わったものも少しはある。
ドストエフスキー「罪と罰」 漱石「三四郎」

私が小説以外の本でよく読むのは、「哲学」「社会学」「心理学」などだが、何故かというと自分の悩みや苦しみを理解して解決してくれるんじゃないかと期待してしまうからだ。しかし、世の中はそう甘くはなく、それらを読んでもすぐに苦しみから解放されるわけではなかった。
もちろん専門家向けのものは難しくて読めないので一般人向けの入門書の類いだが。
小説以外でも難しい専門書はやはり読めない。
カント「純粋理性批判」、ヘーゲル「精神現象学」、キェルケゴール「死に至る病」、ハイデガー「存在と時間」などカルチャーセンターのテキストとして買ったが、読んでも一行も理解できなかった。

そうすると、前言を翻すようだが、あまりに難しと読めないというものもある。
しかし,これらの哲学書はおそらく誰が読んでも難しいだろう。それに対して、私は普通の人が普通に読む小説も読めないのだから、理由は難しいからだけではなさそうである。

小説の何が嫌いかというと、大きく二つある。
一つは、昔の小説などを読むと、明治時代や昭和初期の風俗が描かれているが、それを見たことがないのでどう想像していいかわからなくなるのだ。例えば、私は今は洋風の家に住んでいるが、和風建築の梁だとか鴨居などと書かれてもよくわからない。外国の作品ならなおさらである。勝手に想像していて全然別のものだったとしたら恥ずかしいし、そこで悩んでしまう。
また人物関係も名前だけ出ていて、複雑な関係だと誰が誰だか分からなくなってしまうことがある。映画なら顔が見えるので覚えやすいが、顔が見えないので覚えるのが困難なのである。
このように、書いてあることを正確にイメージするのに困難を感じてしまうのが、小説を読むことが苦痛である理由の一つである。

もう一つは、作者のエゴが見えるときに嫌悪を感じるということだ。例えば、作者に都合のいいストーリー展開など。「三四郎」の冒頭に同じ汽車に乗り合わせた女性に宿屋までついてくるように頼まれて同じ部屋に寝たが、三四郎は手を出さなかったシーンがあるが、私はこんなに男にとって都合よく、女の人が男を誘うことがあるのか疑問に感じた。しかし、このシーンを書いた漱石に共感する部分もある。それは、男というものはきれいな女の人を見ると、あり得ないとわかっていても誘われないかな、と甘い妄想を抱きがちだということである。だから、私ならこう書く。
三四郎は汽車できれいな女性と同席する。頭の中ではどんどん妄想がひろがっていく。でも、それをさとられまいと苦悩する。妄想の中で女が自分を受け入れたと同時に我にかえったらもうその女性はいなかった。と。
しかし、三四郎は最後にはふられる。そこは、漱石の自分に対する厳しさを示していてさすがだと思った。
それから、都合のいいストーリーのもう一つは、街でばったり大切な人と会ったりすること。東京ぐらいの大都会でそんなしょっちゅう知り合いに会うか、と疑問に思ってしまう。ストーリーの展開上しかたないとは思うが、あまりに安易にあり得ないことを書くと興ざめしてしまう。
また、作者がわざと格好つけて、難しい表現を多用したりするのも好きになれない。わざと旧仮名づかいを使ったり。いろいろなレトリックを必要もないのに使ったりするのは読みにくいし、作者の格好つけを感じていやな感じがする。

では、どういう小説なら読めるのか。


まず、芸術そのものの作り方に対しての私の考え方を書く。

1 作者はある事象を知覚する。
2 作者はその知覚に感動する。
3 作者は知覚した事象をどのように表現するか、選択し決める。
4 作者は事象を表現する。

これをわかりやすく例えると
1目で見て
2心で感じて
3頭で考えて
4手で書く

ということになる。

よく「いい文章の書き方」というような本があるが、出来上がった文章の裏にはこれだけの過程がある。それを、「いい文章の書き方」本は4だけでいいものができるかの様に書かれているものがある。しかし、文章以前に1、2、3が重要なのだ。
それを「志賀直哉は、簡潔な文でいい」とか、「語るように書け」とかいうが1~3を無視してどんな文豪を真似しても真にいい文章は書けるはずがない。
1~3こそが一流とそれ以下を分ける重要な点なのにそのことがあまり語られないで、文章のことばかりああだこうだいうのはおかしい。
洞察力、感受性、分析能力、これらが文章以前に、小説には必要なのだ。
だから、私は自分で文章を書くときはどんなに下手でも、参考にはしても人の文章の真似は決してしない。真似すればきれいに書けるかもしれないが、それは自分の言葉ではなくなってしまうからである。そうしたら、私が文章が下手だということさえわからなくなってしまう。

マンガが一番わかりやすい例だと思うが、日本のマンガに出てくる絵は皆似ている。外国のマンガでは見られないような独自の進化をとげた絵だ。なぜそうなるかというと、そういう絵を描いている人は、マンガを読んでマンガを描いているのである。
そうではなく、「現実」を見てマンガを描いている人が少ないというのが私の残念に思うところである。マンガを見てマンガを描けば一応「マンガらしい」マンガは描けるが、自分の作った絵ではなく、いわゆるマンガ絵になってしまう。人によっては「いかにもマンガらしいマンガ」を描くことを目指してる人さえいる。これでは、いつまでたっても、日本のマンガはマンガ絵から抜け出せない。小説も映画も音楽もあらゆる芸術が1~3を自分でせずに「~らしさ」に流されてしまう人が多い。
現実を見て小説を書くのではなく、小説を読んで小説を書く。映画を見て映画を作る。絵を見て絵を描く、など。
自分で見て、自分で感じて、自分で考えて、自分で書く。
私はこのようしようと努力してきた。先生からは相手にされずに、「君はもう書かなくていいよ」とまでいわれるほど下手だが、それでも人の真似だけはしない、いままでなかったようなものを書こうということは貫いてきたつもりである。先生に否定されたのは私の才能がなかったからだが、それがわかっただけでもいいじゃないかと思う。人まねをしていたら、自分の才能がない事すらわからなかったからだ。

2009年10月25日日曜日

削除

私のお気に入りにしている、YouTubeのBob Dylanの曲8つのうち二つが
「この動画は、著作権上の制限により、お住まいの地域ではご利用いただけません」と出て、
5つが「この動画は、web Sheriffさんによる著作権侵害の申し立てにより削除されました」とでた。
私が、好きなアーチストにに限り、私のお気に入りにした動画の8つのうち7つが見られなくなった。しかも別の理由で。著作権侵害というけれど、音楽を使った動画はいくらでもあるし、もしそれに文句を言うならアーチストかレコード会社になるはずで、それならこのweb Sheriffさんといういかにもペンネームっぽい人は誰なんだ?YouTubeという大きな会社が削除を決めたのだから、何らかの著作権を持っているとYouTube が判断したことになる。どんな著作権か?音楽ならレコード会社だろうが他の曲は禁止されていない。映像だとしても、Bob Dylan の映像の権利をこの人がたくさん持っていることがあるのか?ちょっと考えにくい。ちょっと前に、「この地位域では見られません」と出て、こんどは別の理由で見られなくなり、私のお気に入りの音楽が集中的に見られなくなった。極めて不自然。YouTubeさんの名誉を汚すつもりはないが、これもいやがらせの一つで、TouTubeに圧力がかかって、削除したりあるいは、投稿者に圧力をかけて削除させたというふうに考えた方が自然に思えてしまう。皆さんはこれを聞いてどっちだと思いますか?


今まであった動画がかなりなくなっていて、見たことない動画が出てくる。明らかにおかしい。普通の人たちが楽しみのために使っているサイトにまで圧力をかけ変えて、偉くなった気でいるとしたらゆるしがたい。

2009年10月23日金曜日

理想主義

世の中の人を「理想主義者」と「現実主義者」に分けたら、私は「理想主義者」だ。
鳩山総理も「理想主義者」に見える。
政権も一ヶ月になり、だんだんとその性格が明らかになってきた気がする。
私の感じるのは、もともと民主党員は理想主義者が多いということ。だから、マニフェストでも、理想的な言葉がならぶ。
いま政治指導で脱官僚政治を実現するために努力されている最中だと思うが、さまざまな問題も段々浮かび上がってきた。

大きく分けて二つの次元の問題がある。一つは「脱官僚」が「できるか」という問題。もうひとつが「脱官僚」が、本当に「いいことか」という問題。

2つ目の「いいことか」ということは、はじめの「できるか」という問題と繋がる。
民主党の選挙時の論理はこうだ。自民党は政策を官僚任せにしている。官僚は自分の利益のために税金を無駄遣いしている。そこで、本当に政治家が行政を行えば、無駄遣いを無くすことで財政が潤う。

私はそれを聞いたときに思った。「確かに官僚による無駄はあるだろうし、無駄を省くことはいいことだが、それだけで本当に財政を健全化できるほどの金が出てくるのか」
この疑問は、選挙中に口を酸っぱくして、blogで強調した。しかし、民主党の答えは無駄を省けばマニフェストに書かれている政策を実現する金は出てくるというものだった。
本当かな?と疑問に思いつつも、そういうなら見せてもらうしかないと思ったが。残念ながら私の心配の方が当たってしまったようで、大幅な国債を発行せざるを得なくなった。

それから、最近思ったのは、官僚が政策を作れば官僚に都合のいいものを作る弊害があるが、同じように政治家がつくれば政治家に都合のいいように作る弊害が出てくることもあり得るので、政治家が作ればいいとは単純にはいえないといのではないか、ということだ。
私利私欲のためではないにしろ、支持する団体や支持層に媚びて予算が膨らみすぎることは十分あり得る
「政治家は国民が選んだから正当だ」という意見もあるかもしれないが、それなら今までの自民党政権も国民が選んだものだ。

政策決定の仕組みを変えることはかなり大胆にやっているようでそれは、支持者として嬉しい。だから、全部ダメというわけでもないのだが、やはり色々問題も出てきて、なんとなくその構造が見え始めた。

鳩山首相は「理想主義者」だと書いたが、私もそうだ。だから、首相が理想的なことを言うと私は嬉しい。しかし、問題はそれが本当にできるのかということだ。
私は繰り返すが「理想主義者」である。「理想主義者」というのはややもすると、きれいごとばかりとなえて現実を見ない偽善者だと批判されがちだ。だから、私はいつも「実現できるのか?」という疑問を出されたらどう答えようかとびくびくしながら、頭の中で何とか理論武装しようとしている。

首相を見ていると、「理想」を語るのはいいのだが、あまりに簡単に語りすぎているのではないかと不安になることがある。「つい」いいことを言ってしまう癖があるように感じる時がある。「理想」をもつことは決して悪い事だとは思わないし、実現したこともあるから評価すべき点もたくさんあるのだが、私が心配しているのは「つい」の部分だ。

「東アジア共同体」や「CO2の25%削減」「普天間基地の移設」、どれも極めて難しい問題だ。それを、どこまで分析し実現性を吟味したのか。また「つい」言ってしまった気がしないでもない。これらのことが実現できれば、多くの国民は喜ぶだろうが。一方では、日米関係に悪影響を与える、経済に悪影響を与える、というリスクがあることは高校生でも分かることだ、それをやるにはそうとうの準備と覚悟が必要だ。
しかし、首相を見ているとアメリカに行っては「日米関係を重視します」といって、アジアでは「アジアを重視します」といって、沖縄には「県外移設」という。しかし、実現はものすごく難しい問題ばかりだ。「つい」いってしまったら、自分が野党ならばいいけれど、自分が与党だと、できなければ責任を追及される。だから「つい」言ってしまう癖はなおした方がいいと思う。「理想」を持つなと言っているんではないので誤解なきよう。「理想」を語るには、その実現可能性を十分吟味してから言った方がいいのではないかといっているのだ。
「理想」には必ずコストやリスクが伴う。伴わない理想は、もうすでに誰かがやっているだろう。だからコストやリスクと厳しく吟味してから言う癖をつけて欲しいと思ってしまう。

国際政治学者の姜尚中さんは著書の中で、金大中元大統領は何かを実行するときに、必ず3回考えてから行動に移すようにしていたということを紹介している。

私の願いは、首相にも同じように3回とはいわずとも、せめて1回は考えてから口に出してほしいということだ。
理想があればまず、それが大失敗して周りから袋だたきにあった状態を想像して、そのとき自分はどう振る舞うかを想像してみて、そこでどのように弁明するかを想像してみたらどうだろうか。徹底的に批判にさらされたところを自分の頭の中でシュミレーションしてみる。それで、負けそうなら口に出さなければいいし、それで勝てれば、実際に議論になった時も十分理論武装できてるから負けにくい。
そう考えると、決して無駄ではないと思うが、いかかでしょうか。

渋谷

10/22 夢 渋谷駅。ホームに立つと、反対から電車が来る。「これでいつも騙されるんだ」と思って、階段を上ってとなりのホームへ行く。別の色の電車。一つタンクのような貨物のせた3両の電車。すぐ地下に行く電車。私はちゃんとした山手線がくるのを待つが、色々違うのが来る。私は騙されまいと真剣に見定める。

2009年10月22日木曜日

郵政

郵政3事業の統合と、斎藤氏の社長就任が決まりそうだが、世間の批判は厳しいだろう。サービスの統合が必ずしも悪いとは思わない。しかし、大蔵事務次官という官僚のトップ経験者を起用するのは疑問に感じる人がいても当然だと思う。
もともと国民新党は郵政民営化に反対の人たちが集まってできたもので、一般的に見れば、自民党の古い体質をもった人たちの集まりだという印象を持たれてもしかたない面がある。
官僚政治との決別を掲げる民主党が国民新党と組んだのは、参議院で過半数に達していないからであろう。理念自体はかなり違うと思う。
現在、国民新党の議席は3。民主党の100分の一である。したがって、国民新党の影響力は民主党の1%に相当するというのが選挙による国民の判断である。
その中で国民に疑問を抱かせる政策をとればどうなるか。
現在の民主党員からも厄介者扱いされ、次の参議院選で民主党が単独過半数をとれば、連立解消もありうるだろう。野党に転じた国民新党をあえて支持する勢力は少ないと思う。マスコミも国民新党を批判的に扱うようになる可能性が高い。それから、経済構造が変化するので、従来のように政治家に頭を下げて予算をつけてもらわないと事業ができないという状態も変化すると思う。
その中で、議員数3の国民新党に投票する人がどれだけいるか。私は、かなり厳しいと思う。もともと3人しかいないのだから、議席をすべて失って、政界から消えてなくなる可能性だって十分にあり得る。
もし、亀井大臣が利益誘導ではない、官僚支配ではないということを納得できる形で、示さなければ、先ほどの最悪のシナリオは杞憂ではなくなる。亀井大臣にはそうとうの努力と説得を期待するしかない。
あと、残された希望は、斎藤次期社長が本当に効率的で国民に受け入れられる会社にできるかどうかということだ。私は、斎藤氏のことは詳しくは知らないが、歴代の大蔵次官の中でも際立って優秀な人だということをきいたことがあった。
私は、真のエリートは何が国民の利益になるかを的確に判断する判断力と、それを批判を受けても実行する実行力。そして、失敗すればそれを正しく受け入れる責任力を持っているものだと考えている。
斎藤氏が単なる「秀才」ではなく「真のエリート」であることを望む。

2009年10月21日水曜日

小泉首相

私の小泉元首相にたいする考えは以下の通りである。
彼の言動を見ていると、一つの目標に向かって邁進しているように見える。その目標は、私は「財政の健全化」だと思う。その手段が、民にできるものは民にまかせる、小さな政府だったと考えている。その象徴が郵政民営化だと思っている。そして、財政を悪化させている最大の原因が利益誘導型の自民党の古い体質の議員たちだと考えて、郵政選挙は彼らを排除することが目的だったと思う。靖国参拝は右翼へのエクスキューズであり、彼に信仰心があるとは私は思えない。昭和天皇が靖国参拝を危惧されていたメモが発見されても、彼は完全に無視した。天皇に対する忠誠心も高くはないと思う。
郵政事業自体は黒字だが、財政投融資という国会の審議を経ない莫大な金が政治家の思惑で、経済性を無視して不合理に使われていた。それを止めさせたいというのは本心だったと思う。
私は、大きな政府支持者なので彼の政策には真っ向から反対だ。私の立場は、政府は弱者救済のために援助をする、そのかわり消費税増税を容認するという立場だ。それが正しいか間違っているかということはいえない。これは価値判断であり、個人の自由である。
立場は違うが、小泉元首相を公平に見て評価する点がいくつかある。
一つは、政策の一貫性。
一つは、自分の立場を明確に表明したこと。
一つは、そのために反対覚悟で実践したこと。

国鉄民営化のとき、大きな政府支持の私は反対だった。採算が取れなくても国民に必要なものには税金を使うべきだと思ったからである。
しかし、いまのJRを見ると確かに効率的になりサービスも上がったことは認めざるをえない。その教訓から、ある程度の市場原理の導入は必ずしも弱者を困らせることにはならないと考えるようになり、市場原理をすべて排除はしないという立場に変わった。

郵政民営化はどうか。基本的には国営化でも民営化でも、これだけ宅配便が充実した現在、サービスにそれほど大きな違いはないと思っている。国営化や三事業の統合でサービスが向上するなら、それを支持する。
しかし、財投の無駄はなんとしても省き効率化しなければならない。それが国有化でできれば一番いいのだが、できるか。
亀井大臣がこだわるのはサービスの向上もあるが、小泉元首相への個人的恨みもあるのではないかと思うこともある。
もし、郵便局長の利益のためであれば言語道断である。しがらみがない政権交代だからこそ無駄を省けるという公約に明らかに反する。
ですから、亀井大臣には是非サービスの向上と同時に、財投の効率化を仮に郵便局長に厳しい政策であってもやり遂げてもらいたい。
それができなければ、国民新党への批判は増大するだろうし、民主党政権自体の国民からの信頼も失うことになると思う。

最後に言いたいのは小泉元首相の政治手法である。確かに国民に説明はしたが、普通の国民は郵政が民営化したら何が良くなるかはよくわからなかった。ある世論調査では、郵政民営化は国民の関心事の3位であり、中身を理解している人は少なかった。さらに、中身を細かくきくと、自民党案より民主党案の支持の方が上回っていた。
彼は、国民はどうせ分からないし国会議員は自分の利益ばかり考えているから、自分がやってしまって既成事実を作ってしまおうと思ったのだろう。そもそも、参議院で否決された法案を衆議院を解散して改める事自体、民主制の理にかなっていない。しかし、彼の思惑通り、参議院の自民党の反対者は怖れをなして、意見を変えた。
実は、人から恨みを買う原因はこのように自分以外の人間を全く信用しない、元首相の政治手法にもあると私は批判したい。一見、強引にでも決定すれば将来は報われると思ったのだろうが、他人を虫けらのようにしか見ない彼の手法は、長期的に見れば怨念を残すことになる。
織田信長も結局は天下を取れなかった。
しかし、家康は100年先を見て、地方自治を大幅に認めると同時に徳川への忠誠を続けるシステムを構築し、自ら生存中に将軍職をゆずり、跡継ぎ争いを避けた。私は信長ではなく家康こそが真のマキャベリストだと思う。
江戸幕府は、身分制度など悪い面もあったが、260年の平和を築いた。
日本では、信長や秀吉の方が人気があるが、壊すだけでは国民は幸せにならない。スクラップアンドビルドのビルドが必要である。政治家は100年先を考えた視点をもって社会の仕組みの構築の方もしてほしいというのが私の願いだ。

先生

小説を私はあまり読まない。しかし、新しい分野に挑戦してみようと思って、文学特殊研究という授業をとった。そして、下手でもいいから毎週必ず小説を書いて先生の御意見を伺おうと決意した。前回は私の小説についてボロクソにいわれた。
http://shunichisuzuki.blogspot.com/2009/10/blog-post_09.html
それでも、これも修行のうちと思い、今回も書いて出したら。
「もう、君はこういうの書かなくていいよ」と言われ、読んでも下さらなかった。
毎回書こうと決心したのに、読んでさえくれない。
どんなに傷ついても、書くだけは書こうと、1回を除き毎回書いていったが、読んでくれないというのなら、書く意味もなくなってしまう。こっちはちゃんと授業料も払っているのに。
私のうちから学校まで2時間以上もかかるが、行ってみて休みだと困るので事前に電話して、今日授業ありますかときいたら、ありますと言われていったら、先生は来なかったこともあった。それでも、文句もいわず毎回通ってた、毎回通っているのは私一人だけ。だから、授業態度が悪いからとはいえない。
たしかに前回「自分がどうして文学が読めないかを書いてみたら」といわれた。でも、他にも「美人というのはどういうものか書いてみたら」とかいろいろいわれたので、それは命令ではなく提案だと思い、自分の判断で小説を書いた。
そうしたら、「この前なぜ自分が小説を書けない書いてごらんて言ったはずだろ」といわれた。たしかに、それが命令だとしたら私が先生の命令に背いたことになる。
また、私の作品自体もとにかく毎回出すというノルマを最優先にして、かなり気持ち込めずに書いたものである。だから、先生は不愉快に感じたのかもしれない。
小説をほとんど読まないくせに文学の授業とるのも失礼かもしれない。
しかし、ボロクソに批判されるのも覚悟ですこしでも、意見をききたかったのに、いくらレベルが低いとはいえ、読むぐらいはしてくれてもいいのではないかと思った。
何か、私が小説が読めないことを相談した後、私に冷たい感じもする。小説が読めないということで文学を否定したと感じられたのかもしれない。
次回は、先生のいわれた通り何故小説が読めないかを書いていこうと思うが、たった3ページの小説を読んでさえくれないというのは悲しかった。
文学はそれだけ厳しいものだということを教えるお考えだったのかもしれない。

2009年10月19日月曜日

ひとつ

キリスト教入門講座10/4
◯神さまは全てのものが一つになることを願っている。
◯いろいろな宗教があるのは何故?いろいろな川も一つの谷川に通じる。
◯カトリックが強い時代があった。しかし1963年、教会は「キリスト教だけが本当の宗教」という考えを変えた。
◯カトリック、プロテスタント、ギリシャ正教、根っこは一緒。
ローマ帝国の時代、ローマ帝国が拡大して東を支配した。遠くてローマの命令が届かない。
東=大司教
西=教皇
1000年くらい、お互いに破門にしていた。
◯1500〜1600年、カトリックは西で発展した。
人々は王様のいうことはあまり聞かず、司教様の言うこと聞いた。
王は教会と結託して人々を言うことをきかせようとした。
王の保護で教会は大きくなった。
わがままになった。「免罪符」を発行した。
それを批判した司祭が95カ上の質問をした。
教会は彼を破門した。→プロテスタント
カトリックも反省しローマに司教を集め「ヴァチカン第二公会議」を開く。
私たちはおなじイエス・キリストの弟子である。
どの宗教も完成したものはない。
目指すものはキリスト。
ふりかえって見直しながら歩んでいく途中である。
◯カトリックは修行をやっていないのでは?
大事なときには、断食をしている。
「何々断ち」(何かを我慢してやらないこと)をしている。
普通の人が目指すのは「対話」である。
◯イエス「この小さなものに一杯の水を与えたものは、私に与えたことだ」
根っこは同じイエス・キリスト
今、3つの宗教は対話をしている。
アッシジにいろんな宗教者をまねいた。
◯家庭も一つになる事が大事
パパに買ってもらって嬉しい子は「パパに」買ってもらったから嬉しい。「よかったね」と言ってくれる人がいるから嬉しい。
家庭の中で「もの」だけがいきかうなら、バラバラ。
◯人は正しくなるために教会に来ているのではない。心底受け入れてくれる場を求めて来るのではないか。
「正しくならなければ」と力んで来るのではなく「こここそ我が家だ。神様ありがとう」と言えるのが本来の教会のあり方。
今ホームレスの人は、ホームレスではなくハウスレスになってる。
せめて教会はハウスではなくホームでありたい。
マルコ10「神が結びあわせて下さったもの」男女だけではない。
利己心、名誉欲が壊す。
◯がまんしなければならないときもある。
自分の中の状態をやわらかくしておく必要がある。
自分の中でゆったりした時間を持つ。
自分をかわいがること
ときどきなまけることも大事
自分の中がぽかぽかしてくる
10/11
◯初めて教会に来ると締め付けられる気がすると言う人がいる。
「愛」「愛」という。
できないことを押し付ける。
聖書に書いてあるのは「命令」ではなくて「呼びかけ」。
頭の隅に置いておいて下さい。必ずいつか動かします。
本当の自分の反応を大事にして下さい。
コリント人への手紙13「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばす、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」
これが嫌だと言う人がいる。
子供でもねたむ。ねたみは人間の心の根っこに住んでいる。
寛容になれと言っても、子供を殺されたら寛容にはなれない。
人間は自分でコントロールできない。
神様の力に動かされて「私、おもわずゆるしちゃった。神様ありがとう」ということがある。
信仰
信者になったからといってすぐに許せるものではない。
聖書の言葉あたまのどこかにのこってる。
「ゆるしたい」という気持ちになってくる。
神様はいつもその人に働きかける。
「愛せない」「ゆるせない」を正直に見て下さい。本心を知って下さい。
◯知恵=神様が下さる、福音の光で照らされた知恵。学校で教わる知恵ではない。
いろんなものの「本物」が見えてくる。
シスターは共同生活をしている。本質的に嫌いな人はいないが、時にイヤだと思うことがある。
本当を見られないとき、その人は何かを持っている。キャリア、経験、家系
「自分が正しいんだ」というものを持っている。これが正しく見ることをじゃましてる。
◯「愛」隣の人に分け与えてあげる。
「執着」何に執着しているか分からない。生活の中で気づく。
「執着」は人間を操る。政治家が「執着」もったらこわい。
イエスは皆が一つになることを望んだ。
十字架は、タテが神と人、横が人と人。
御自分の死をもって、人々を一つに集めるのが彼の唯一の目的。
◯最後にある御婦人が、「日曜学校にいってるうちの子が、おなじ日曜学校にいっている異性の子をかばったら、皆から好きなんだろ、結婚しろといじめられた」といわれた。シスターは「お母さんが一番大事だから、一生懸命祈って下さい。私はお母さんのことをお祈りします」といわれた。私は思わず「いじめっていうのはこの年齢ではどこにでもありますから。助けるときもあまり宗教を出さずに、言い方に気をつけるようにお母様がいわれたらいいんじゃないでしょうか」といった。シスターは「そうなの、公立では。私はずっとカトリックの学校行ってたから知らなかったけど」といわれた。
10/18 休み

あの娘

好きだ。好きだ。好きだ。
衝動的な感情だ。
いきなり僕を襲ってきた。
きれいな二重の目。
鼻筋のまっすぐとおった小さな鼻。
笑うと、白いきれいな歯がならんでいるのが見える。
きれいな皿のような、潤った唇。
表情が緩むと笑い皺ができる。
少しクールに、はにかみながら周りの女の子とおしゃべりしてる。

頭もいい。
友達と話をしていても、当意即妙、その場にふさわしい言葉をさりげなく吐く。
ガリ勉ってわけじゃないが、テストの成績も、いつも上位に列ぶ。
でも、人を見下したような、生意気な態度は一切見せず、いつも一歩下がって自分を出すのを控えている。

意外にシャイなのだが、それを人にさとられまいと、一生懸命ともだちの会話に加わる。本当は少しレベルが低いと思っていても、そんなしぐさは一切見せない。

男の子としゃべる時は、すごく緊張していてすぐに会話に詰まってしまう。そんな、追い詰められた表情もたまらなく、かわいい。

背が低いのがコンプレックスだと言っていたが、水泳の授業で見る限り、ムネもそれなりあって、太りすぎず痩せすぎず、ぼくにとってはちょうどいいボディラインだ。

彼女の手に触れたい。
抱きしめたい。

彼女が僕に惚れて、なんか困ったことがあったとき、やさしく抱きしめてあげる。
こんなことができたら・・・。

ぼくの気持ちは、
I like you.
から
I love you.
に、そして
I want you.
に変わってきた。

休み時間。彼女が友達とおしゃべりしている。
ななめ後ろから見ると、制服のブラウスの下のブラジャーがハッキリ見える。
ぼくのあたまの中の脳内物質がいっきに分泌される。
この幸福感はドラッグどころではない。


数ヶ月前までは、他の娘が好きだった。
そっちはもっと外交的で明るくてボーイッシュで男の話題にも平気で入ってこられる娘だった。

その時は、彼女の方は、ああ結構美人だな、という程度だった。

それが何の理由か、彼女の虜になってしまった。
なぜだろう?
自分でも思いだせない。
ある日突然、彼女の仕草が、僕の胸を突き刺した。

彼女の一言一言を聞き漏らさず、頭にいれようと思った。
その言葉を、自分なりに解釈する。
ぼくのこと、すこしは気になるのかな、とか。
そしてまた、妄想はひろがる。

彼女は傷ついていて、それを癒してあげられるのはぼくだけ。
彼女がずっと下を向いて、涙が一たれ落ちたら、ぼくはそっと近づいて彼女の肩を抱く。
ぼくの胸に顔をうずめる彼女。
一度離れ、二人は顔を向かい合わせ、お互いの目を見つめあう。
もう言葉なんかいらない。
彼女は目を閉じ、ぼくは唇をそっと、彼女の唇に重ねる。
そして、お互いに情熱的に激しく抱きしめあう。

と、僕の夢を覚ますように母親がさけんだ。
「ごはんできたわよ」
くそ!せかっかく、ここまで妄想ができたのに!


学校では、彼女としゃべることはほとんどない。
彼女はシャイで女の子としかしゃべらない。
ぼくも気が弱く、女の子としゃべると緊張してしまう。
彼女にも好きだということをさとられないように振る舞っている。
こんな二人だから、結ばれることはありえない。
そうするとまた、ぼくの空想は動き始める。
want you
に変わってから、ぼくの妄想もセクシャルなものになっていった。

彼女とキスをして、抱きしめて二人でベッドに倒れ込む。
彼女はきれいな二重で、じっとぼくを見つめながら、身動きもせず、ぼくのなすがままに身を任せる。
ぼくは、彼女のブラウスのボタンを一つ一つ開けていく。
彼女も、じっとぼくを見続けているが、だんだん涙ぐんでくる。
と、ここでまたチャイムか。
授業が始まるので、今日の妄想もここまでか。

水泳の時間は拷問だ。
彼女の水着姿が見られる。
至福の境地だが、同時に下半身がいうことをきかない。
この姿をだれかに見られたら、自殺したいぐらいだ。
だから、彼女を見ることは絶対にできない。
でもl、妄想だけでも人間の身体は反応する。
何としても、この肉体の変化を抑えなければならない。
最も性欲から遠い、嫌いな先生の顔や声をむりやり思いだしなんとか、暴れん坊をおさめようとするが、中々思った通りにはいかない。
なんとなく手で隠しながら壁の方に身体を向けながら、更衣室までいったが、気づいている奴もいるかもしれない。
泣きたくなるけど、しょうがない。

つぎの時間はそうとう落ち込んだ気持ちで授業を受けた。

2月。
嫌な季節がやってきた。
なんで、好きなことを告白するのがチョコレートなのか?
外国では、いろんなものをプレゼントするらしい。
男女を問うこともないらしい。

もらってる奴を、羨ましいとかは思わないけど、もらえない多数者はどう振る舞えばいいわけ?
おめでとうというのか?くやしがるべきか?
くやしいと思うことが、くやしい。

去年はモテる奴はイニシャル入りのオーダーメードのものをもらっていた。
ぼくのめずらしいイニシャル「Y.Y.」を作る娘はいるのか?
考えたくもない。
もう恋愛なんていいよ。
妄想の世界で暮らそう。




今日、ひとみちゃんとあさみちゃんとあべさんたちと、好きな人をお互いに告白しあう遊びをした。
みんな、チョー緊張しながらも、なんか嬉しそうだったけど。やっぱ言うのにはすっごい勇気がいる。
先ず、どんなタイプが好きという話になって、わたしは「やさしいひと」って言ったら、みんなも「それは大事だよねー」といってくれた。
でも、やさしい男はたくさんいるよね。どんな優しさってきかれた。
ちょっと考えて、「例えば、なんか洋服とかを汚してしまったら、何にも言わずさりげなくハンカチをかしてくれるとか」っていったら、「それいいー!」みんな大はしゃぎになった。
そうやって、みんな一通りすきなタイプをいったら、次にはチョコレート贈る?ってはなしになった。本命か義理かわからないように贈るって娘と、贈るって娘がいたけど、わたしは贈らないっていった。
だって、その人の事好きな人結構いるから、私が贈ってその娘たちと変な関係になるのもいやだし。その人そういうの軽く考えてる感じがして、ちゃんとホワイトデーとかお返ししてくれなさそうだし。
わたしは、心の中でその人のことを思っているだけで満足なのっていったら、みんなに「うそつきー」と責められた。
でも、本当にわたしは自分が好きなだけでいいと思っている。ときどき、しゃべりかけらるだけで満足なの。
最後に、名前をいうかどうかもめた。わたしは絶対いえないって言ったけど、そういうとみんな「ずるいー」という。結局、それぞれ紙にイニシャルだけを書いて、混ぜてから見せあうことになった。少し勇気がいるけどこれなら、誰が書いたか分からないからいいかと思った。
わたしは小さな紙切れにハッキリと「Y.Y.」と書いた。

2009年10月18日日曜日

もし仮に、予算が赤字になって何とか、補填しなければならなくなったときにどうすべきか。
私はそれでも、消費税は上げるべきではないと考える。
そして、次の参議院選挙のときにしっかりと増税も視野に入れる事を明記して、勝てばあげるようにするのがベストだと思う。なぜか。
つまり、お金がないという「現実」の問題と、公約を守るという「理想」の問題がぶつかったとき、どちらに重き価値を置くかと言えば、私は「外国に侵略されるとか、大天災が起こるとか、予測不可能な国の根幹にかかわる問題をのぞいては、基本的には政策上多少の損があっても公約を守るという価値を優先する」という立場をとる。
一つは、多少損をしても「公約を守る」ことによって現在の民主制は担保されている。それを前提にして国民が主権者になりうる。そして(民主制を嫌いな人がいても)現在の日本は民主制を採用している以上、民主制が正しく機能する事が、表面上の多少の損得よりも根源的問題だからだ。そして、今のところ、好き嫌いは別にして民主制より優れた政治体制はないと考えるからである。
民主制とは最も良い政策を実現する事を目的としていない。もし、最も良い政策を実現することを目的をするなら貴族制や寡頭制の方がいいかもしれない。
しかし、決定が少数に限られるともしトップがダメだとひどい政治にもなりうる。民主制は間違いを織り込み済みの制度だ。もし、間違えば別の政党が政権を握る。
戦後初の選挙による政権交代がおこったのだから、これは絵空事ではない。
したがって、われわれは短期的な損得だけではなく、大きく物事を見る必要がある。現在の社会では民主制以外の制度をしている国は、厳しい状況にあるところが多い。民主制を否定する事は現実的に難しい。であれば、民主制が正しく機能するように努力する事が、長期的にはわれわれの利益につながる。そのためには、政党は公約を守らなければならない。その上で失策があれば政権交代をすればいい。
現在、政権交代に伴う負の部分が出てきても、それはわれわれが民主制を育てるための訓練、授業料だと思う。この教訓を生かして、次からはマニフェストはもっと実現可能なものになっていくだろう。民主制とは試行錯誤を許容する制度である。
したがって、私は短期的な損得よりも、民主制が正しく運用されるように鍛えていく事がより重要だと考える。だから、民主党はできる限り、マニフェストを守り(多少の不利益があっても)、間違えがあると思えば次の選挙で正して、その上で我々国民がより良いと思う政党に投票する。これが、長期的に見て民主制を育てる事になると思う。

刷新

先ず第一原則をいうが、今民主党の予算に批判が集まっているが、仮に私の望まない予算になっても私は民主党を支持する事に変わりない。鳩山政権が4年の任期を全うする事を望む。それは、民主党の理念が私の価値観と合致するからだ。理念を変えない限り支持する。
だから、民主党批判が強まったときに、批判的な事を書くのは、民主党を攻撃するためではなく、何とかサポートしたいからであって、できるだけ表現に気をつけて書く。
サービスをあげて、税金は上げない、不景気、この状態では予算が赤字になる事は自明だ。
そこで、民主党の立場は、予算をゼロベースで見直し無駄を省く事で予算を捻出する。
家計を潤す事で、消費を増やすというものであった。
ところが予算の無駄を省く事がなかなか思うように進んでいないようだ。
閣僚に悪い奴と手を組んで無駄な予算をつけさせようというような人はいないと思う。むしろ、いい人が多いのではないか。つまり予算をカットするという事は、サービスをカットする事なので、いい人であればあるほど国民のサービスを減らせないという構造なのではないか。予算をカットする事は、巨視的な視点に立てば、必要な事である。カットしなければならない。しかし、現実に目の前に苦しんで何とか国に援助して下さいと泣いての頼まれたら断る方が冷たい人に見られてしまう。いい人だからこそ断れない。国民の暮らしが第一と言っているのだからなおさらことわれない。では、どうするべきか。人はあるときには、巨視的立場から利益になる事のために、短期的には冷たく厳しくならなければならない時があるのだと思う。だから、民主党の今の問題は「悪い奴をやっつけろ」ではなく「将来のために我慢してくれ」と自分の「やさしさ」との戦いになる。そのために、自分の矜持を失うかもしれないし、相手から激しく非難され、憎まれるかもしれない。それでも、ここで国債を発行すれば、もっと大きなつけを払わなければならない。
私も現在経済的に苦しくて、何とか頑張ろうとは思っているが中々うまく行かない事もある。でも、母はいくら苦しくてもサラ金にだけは手を出すなと言った。サラ金は信用がない代わりに高い利子でお金を貸す。元々信頼のない人間なので高い利子を返す可能性は低いわけで、悪循環が続く危険性が高い。
だから、使うのを減らすのと貰うのを増やす事を地道にやっていくしかない。
今の民主党に残された道は二つあると思う。
そのキーワードが「刷新」と「戦略」である。
「刷新」は出て行くのを大幅にカットする事だが、これは前述したとおり、悪い奴をやっつけるのではなく、困っていて藁にもすがる人を振り払う勇気だ。実は人間にはこの方が辛い。でもやらなければならない。
かつて親鸞聖人が地方に行ったときに、かんばつで飢え苦しんでいる村があった。そこに比叡山で修行をされた偉いお坊さんが来るというので、村人は歓喜した。そして親鸞に是非雨乞いのお経を読んで下さいと頼んだ。しかし、親鸞聖人はそれを拒み続け結局読まなかった。
浄土真宗は現在日本最大の仏教宗派である。その開祖である親鸞聖人ほどの方が何故こんな簡単な事を断ったのか。これだけ村人が苦しんで死んでいっているのに。聖人のお気持ちはどんなものだったのだろうか。
仏典、特に初期の仏典を読むとお釈迦様の言葉がのっているが、お釈迦様は繰り返し、繰り返し強調しているのは「執着を捨てろ」ということだ。執着を持つものは地獄で永遠に苦しむが
、執着を捨てたものはニルバーナ(涅槃)の境地に至って、永遠の安らぎを得る。これが、元来の仏教の根本思想と言っていいだろう。
しかし、親鸞聖人は比叡山で何年修行しても決して執着を捨てることが出来なかった。それに苦しみ抜いた。自分は絶対に救われない。自分は死ねば必ず地獄に行って永遠に苦しむ。それが聖人の自己認識だった。結局比叡山を下りて「非僧非俗」の道を歩むことになる。
他の普通のお坊さんは、そこまで真剣には悩まなかった。多くのお坊さんが、秘かに山を下りて女を買っていたらしい。しかし、親鸞聖人はお釈迦様の言葉を真剣に聞いたからこそ、どう考えても自分は救われないと苦しまれた。そして、法然上人の元に辿り着き「念仏を唱えればどんな悪人でも、阿弥陀仏が必ず浄土に運んで下さる」という道一本にすがっていく事を決意する。親鸞聖人はいわれた「法然上人がいわれることが正しいかどうかは私には分からない。ただ、どうしても執着を捨てられない自分には阿弥陀仏にすがる他に道はないのだ」と。
だから、親鸞聖人は自分は決して悟りに達していないものだと厳しくご自分を見ておられた。当時の比叡山は今の東大どころではない、学問、知識はもちろん精神的、霊的世界の超エリート養成機関だった。だから、村人は単純にそんな偉いお坊さんが来たらきっと読経してくれるだろうと期待したが、親鸞聖人は「自分は悟りに達していない、そんな自分がお経を何遍読んでも何のご利益もない。それなのにお経を読んだら村人をだますことになってしまう」と思われたのだと思う。普通のお坊さんなら、お経を読むぐらいなら簡単にやってやったと思う。しかし、親鸞聖人はそこまでご自分を厳しく見ておられたので、どんなに恨まれても、石をぶつけられても、泣いてすがりつかれても決してお経を読まなかった。
親鸞聖人は阿弥陀仏の限りない御慈悲を、多くの人々に伝えるために島流しになっても布教を続け、生存中はほとんど名も知られず死んでいった方である。人に冷たいどころか、弱い人を何とか救おうと一生を捧げた方である。それだけ、真剣に考えた人だからこそ一見すれば「なんて冷たい人なんだろう」という誹りをどんなに受けてもお経を読まなかった。

私が言いたいのは、一見冷たく見えても、恨まれても、それが巨視的な視点に立って正しいことなら涙をのんで断らなければならないこともある、ということだ。

「戦略」について、思うことは、ターゲットを絞ることだ。たとえば1000億円の景気対策をするのなら、20億円づついろいろに使うのではなく、よくよく費用対効果を分析して、ここときめてそこに500億円ぐらいを一気につぎ込む事だ。みんなの意見をきいて、みんなに満遍なくでは効果はない。それは、表向きは国民へのメッセージだが、本当は投資家へのメッセージなのだ。ここにお金をかける。政策的にも優遇すると政府が約束すれば投資家はそこに投資できる。しかし、満遍なく使ったらどこに投資していいか分からない。だから、ここに重点を置いてこの分野は将来伸びると投資家に暗にメッセージを送る事が大事だ。投資家というのは将来の企業を育てるためにお金を出して、将来その企業が成長すればそのリターンを貰う事で成り立つ。したがって、投資家が日経を読むのも、政治欄だろうが芸能欄だろうが、どこが伸びるかを目を光らせて見ている。そこで必要なのは「方向」と「確実性」だ。どこにという事が分からなければならないのは当然。それと、どこまで本気か、単なるリップサービスか。これは、政治家の揚げ足を取るためではなく、確実性によって何れだけ投資する価値があるかどうかを判断するためである。その、「どこへ」「どれくらい」お金や政策を向けるのがもっとも景気浮揚効果があるかを考え抜き、実行する事が「戦略」である。

最後に一言言いたいのは、「マスコミ」である。権力のチェック機関として批判する事は正しいとしても、一方でサービスをカットしたら「国民の苦しみを知らないのか」と批判し、お金を出すと「財政を考えないのか」と批判し、国債をだせば「無責任」と批判し。税金を上げれば「国民に痛みを押し付ける」と批判し、税収が落ち込めば「ひどい財政」と批判する。など、どっちをしても批判するマスコミがあるが、あなたたちこそ無責任だといいたい。お金が天から降ってくるわでではないのでどこかでは誰かが負担しなければならないのはあたりまえだ。それが、正当になされているか、合理的かを批判するのが本来のマスコミのする事だと思う。右に行っても批判しじゃあ左に行ったらまた批判し、じゃあどうすればいいのかと聞けば、決断力がないと批判し、決断すれば独断的と批判する。こういう、批判のための批判をするマスコミが実際おおい。あなたたちこそ自己批判してもらいたい。あなたたちの態度によって国益を大きく損ねることがあるのだ。批判をするなとは言わないが、するならどういう価値基準によって判断してしているかを示してもらいたい。それは、あなた方が政治家にいつも言ってきた事ではないのか。中には優秀なマスコミもあるが、あまりにも無責任なマスコミは、私は彼らこそ批判したい。
石橋湛山元首相が東洋経済社長だったときに言ったことば「自分が総理大臣になったときに本当に実行できることだけを書け」という言葉をお送りしたい。

2009年10月17日土曜日

burden

以前にもblogに書いた、ケネディ大統領の就任演説に次のような事が言われていた。
「私たちは「自由」が成就するためであれば、どんな犠牲も厭わず、どんな重荷にも耐え、どんな苦しみにも立ち向かい、どんな友人をもたすけ、どんな敵をも迎え撃ちます」というのがあったが、訳していくとケネディの中に出てくる重荷という言葉(burden)が何回か出てきた気がした。この「burden」という言葉は私は結構グッとくるものがある。
自分がまさに「burden」を背負っているように感じることがあるからだ。
徳川家康だったと思うが「人生とは思い荷物を背負って長い道を行くようなものだと」という言葉もある。
現在予算編成をしている方々は、重荷を背負っている感じじゃないだろうか。
予算を減らす事は、サービスを減らす事になる。そうすれば、国民を苦しめることになる。国民が主役ですとか皆さんの政治ですと言ったからには国民に負担をかければ、「騙したのか!」とか「私たちの本当の苦しさを知らないの!」と怒られるかもしれない。しかし、減らさないと結局、借金をするしかない。そうすれば将来の負担をさらに増やすことになる。どっちを選んでも、国民に負担をかけざるを得ない。批判されなければならない。野党時代は絵空事でもよかったし、難しい問題から目を背ける事もできた。しかし、与党になったらそれはできない。
現在政治主導でやっていこうという姿勢は私は高く評価する。しかし、官僚ならお金の使い方が悪くて、政治家ならいいとも単純に言えない。もちろん、利益誘導型の古い政治家は論外でも、本当に困っている人をたすけたいと思ってお金を出そうと思っても、お金がない。お金を出す方が悪い政治判断になる。こうなると、あっちをたてれば、こっちがたたず、こっちをたてればあっちがたたない。引き裂かれるような思いでしょう。まさに「burden」。
実は、私も似たような状況にある。
以前、親から将来のために貯めていたお金があるがお前はやりたいことがありそうなので今渡すのでそれで自分で考えて使うように言われまとまったお金をもらった。そこで私は考えてこのお金を自分に投資しようと思いいろいろ習い事したり、欲しい本やCDなど自分のためになると思ったものにあまり予算のことも考えず、どんどん使っていった。最後にビデオをならっていて、本格的に撮るなら2台はカメラ必要だ。それから三脚も必要だと言われ、将来のいい経験になると思ってカメラ2台と三脚買ったら合計で30万以上。
そうしたら、この前買い物してカードを使おうと思って出したら「使えません」といわれた。
自分では、いくらでも使えるような気がしていたのだが、現実には使えばいつかはなくなる。でも、心のどこかでは親が出してくれるだろうと思って甘えていたのだが、親の方も蓄えもなくなってきて、気持ちとしてはお前に出してあげたいが実際にはないのだから、わかってくれと言われた。それでも、母はクラス会に行くのもやめてなんとか出すと言ってくれて、そこまでいわれると、こっちも贅沢は言えない。でも、今行ってる学校で本当に受け入れられ居場所ができて音楽関係の知り合いもできて、ビデオ撮ってくれと頼まれたり人間関係もひろがった、それで心の充実にもなってるし、精神衛生上は非常にいいので、やめたくない。さらに、私は自分でデザインするときに、自分で写真が撮れたらいいなと思ってずっと本格的に写真を勉強したいと思っていて、親になんとかお金を出してもらおうとお願いしようと思っていたが、それもできない、でもどうしても習いたい。
そこで、いままで引きこもりでニートだったので働くのが怖くて働いた経験が、ほんのちょっとしかなかったが、人間追い込まれると結構いろんなことが出来てしまえるもので、情報誌買って、ちゃんと無地のブルーのネクタイ締めて、今日面接に行ったら、週2日からと書いてあったのでといったら、「一年以上働く気がありますか?」というので、こちらはデザインの方で仕事が見つかればできればそちらにいきたかったので、言葉をつまらせると「この時間帯じゃちょっと無理ですね」といわれた。若い女の子で優しく接してくれたのだが、ことわられた。いざ、アルバイト誌をさがすと、昼間働けないとなかなか雇ってくれるところがない。いままで、親に知らず知らずに甘えていて、お金なんかいくらでもあるように思っていたが、いざなくなってみるとそのきびしさが身にしみる。
飲み物買うのも150円のお茶ではなく、110円の水を買うようにした。
しかし、本屋に入ったらつい本を買ってしまった。まだ読み途中の本いっぱいあるのに。
人間はそんなものなのか。

2009年10月15日木曜日

経済

現在の経済について私の思っていることを書こうと思う。
私の家は私の従弟まで、男で私以外は全員、慶応義塾に行ってた家系である。父方も祖父から叔父従弟で男で慶応行ってないのは私だけ、母方は曾祖父が祖父方も祖母方も福沢諭吉の直弟子で、祖父も叔父も男の従弟も皆、慶応に行っていた。途中でやめて日本大学に行った人が一人いるが途中までは慶応に行ってた。その中で両祖父母の長男と長女の長男が私である。うちははじめ女の子が生まれ7年後に生まれたのも女の子さらに7経ってついに待望の跡継ぎの男の子が生まれたのが私である。うちは、一つの大きな土地に父方の親戚が5世帯家を構える特殊な家で、逗子に行った叔父の家族を除く全員が同じ住所に住んでいるという、非常に濃い共同体の中で育った。
父方の祖父は、栃木から出てきて慶応に入り長男(私の父)に慶応の血筋を引く嫁をとらせ、何もかも慶応でうまくいったと思っただろう。私は上述のように両親が年を取ってから生まれたので、(逗子の従弟を除いて)跡取りにもかかわらず最年少だった。祖父は大変かわいがってくれて当然、慶応へ行くものと誰もが思っていたところ、こいつが突然変異的バカで慶応に入ることがどうしてもできなかった。祖父もさぞ落胆しただろうが、死ぬまでイヤミ一つ言われなかった、立派な人だった。小学校(幼稚舎)で落ちて、中学も高校も私の偏差値はだいたい55ぐらい、60代に入ったらすごいというレベルだった。慶応に入るには70はないといけないので受かる可能性はないので受けることもしなかった。大学は2浪目に湘南藤沢キャンパスができて偏差値だけじゃなく個性を問われるのでもしかしてと思って受けたが落ちた。
一時はかなりなやんだが、あるとき「自分は頭が悪いから落ちたんであって、それ以上でもそれ以下でもないんじゃないか」と思ったら、楽になった。環境のせいもあるが自分がひとかどの人間じゃないといけないと思うから苦しむ、でも私の行った公立の学校では、高校にも行けない子もいる。そんなに自分を卑下するのは、そういう子にも失礼かもしれない。
こういうと負け惜しみに聞こえるかもしれないけど、私は公立の小学校に行ってよかったと本気で思ってる。毎日、夕方の鐘が鳴っても野球やってたり、近くの川でザリガニとったり、私は小学校時代を自分で「珠玉の時代」と名付けている。もし、慶応に入っていたら、近所に友達はいないからこういう経験をしないで育っただろう。おじいちゃまには申し訳ないが、この時代が私の価値観を形成したといっても過言ではない。ともだちは、近所の魚屋やお風呂屋さん、有名な企業の社長の息子もいて、いろんな人がいた。家では慶応、女は聖心というお坊ちゃま、お嬢様教育を受けた人ばかり。両方の世界を知って育ったということは、私の思想形成には決定的な影響を与えた。同時に心理的には極めて不安定な状態であり今もそうである。
あるとき友達が「オレの夢は『市場(商店の集まった建物)』をデカくして、駐車場を作って」と聞いたとき「あ〜こういう価値観もあるんだ」としみじみ思った。
まあ、こういう家なので、(ちなみに聖心は母のいた頃は一学年一クラス。小学校から大学まで(母は高卒だが)同じ人と過ごす)(慶応の幼稚舎は6年間クラス替えがない)「共通一次」が何かを知らなかった。前述の日大に行った従弟以外で大学受験をした人がいとこ(私を含め父方母方合わせて13人)が誰もいなかった。
私は、大学を受けるとき「社会」がどうなっているのかが知りたい、と思って「政治学科」か(バブル当時でもあったので経済学者が社会を語っていた時代)「経済学科」に行きたいと思った。ずばり「社会学」という学問もあるが、なんかちょっとアカデミズムからするとうさんくさい感じがして敬遠してた。後に振り返ると、半分は外れてるが半分は当たっていたと思う。何故、こんな話を延々とするかというと、慶応は経済学部がフラッグシップで母は私を経済学部に入れたがった。(他の学校のことは全く知らないから)一般には東大でも法学部が偉いという序列があるが、実学を重んじる慶応では経済学部が偉かった。そこで、少しもめた思い出があるのだが、結局、慶応には入れず成蹊大学の法学部政治学科と経済学部経済学科を受けて経済学部にたまたま入った。それより偏差値10ぐらい下の和光大学とかも落ちたので、全くの幸運(私にとって)。願書に親の年収を書く欄があって、いやらしいなとおもったが、もしかしてそれを見て合格にしたのではと疑ったぐらい。
私にはあってる学校かと思ったが結局、不適応をおこし行けなくなってしまう。1990年っていうと90年代って思うかもしれないけど、文化的にはまだ80年代を引きずってて、一番ハデな広告研究会に入り、自分では嫌悪してたギョーカイ人になろうと無理をしていた。TV局に入ってドラマを作りたいと思っていた。80年代に急成長した局の、人を小馬鹿にした笑いが嫌いで別の局に入ってその局を潰すのが夢だった。TV局に入ってもギョーカイ人にだけはなりたくないと思っていたが、どこかで憧れていたアンビバレントな感情だったのかもしれない。
それはともかく。私は「経済」という言葉に一つのコンプレックスがある。経済学部に入れたのに1年ちょっとでやめてしまった。少しだけ勉強はしたので、マルクス経済学と近代経済学があって、近代経済学の中にマクロ経済学とミクロ経済学があって、ミクロ経済学は市場で価格がいかに決定されるかを分析する。というぐらいは覚えたが、細かい専門用語とかはわかるのとわからないのがある。だから、難しい経済用語を並べてしゃべる人を見ると引け目を感じてしまう。「あ〜わかんないや〜」。あるいは、聞きかじった経済用語をあたかも知ってるかのように使ったりしてかっこつけたりしてしまう。
父はずっと日経を読んでて。退職してからは、昼間はイチロー、松井かNIKKEI C NBC を見てる。しかし、よくよく見てると株が上がるかどうかなんてあまりにもいろんなファクターがあるので予想できないだろうと思うようになった。それをよく、株は(もしくは経済全体は)こうなる!と断言する人がいるが、私の考え方では来年の株価を予想するのは来年のイチローの打率を予想するようなものだから、絶対こうなるという人がいたらそいつだけは信じるな、といいたい。せいぜい、おおよそこうなるとか、こうなる可能性が高いとしかいえないと思う。株の番組で細かな経済用語を使って解説している人は、弁舌鮮やかな競馬の予想屋のようにうさんくさく感じられてきた。ある程度は説明も理があるがそれ以上細かいこといったって、急に戦争でも起こってがらっと変わるかもしれないし、ある程度しかいえないんだからそこまで細かいこといってもしょうがないじゃないか。なんか、知ったかぶってるスノビズムでしゃべってるように聞こえることもある。
しかし、経済が重要なことは間違いない。景気を良くすること自体は、左右を問わず賛成するだろう。やり方や考え方は違うが。
そこで私が今の経済について考えていることを言おうと思う。前置きが長くなったが。
経済学部1年いっただけで、証券スノッブほどの知識もない無知が偉そうにいうなと思われる方もいるかもしれないが。正しいかどうかは、専門家の判断を仰ぐとして、素人ながらあまり他の人がいわないことで、思うことがあるので言わせてもらう。言うのは自由だから。
先ず第一に日本は大借金を抱えているということを前提に話を進めなければならない。私が成蹊大学に入ったら、おもしろい授業があってクェートという小さな国を研究するものだった。先生は元朝日の記者で「クェート石油に浮かぶ国」とかいう本を書いていた。そしたら、直後湾岸戦争が始まった。クェートというのは石油がたくさん出るので国が国民にお金を配っているらしい。世の中にはそういう国もあるのだとびっくりした。だから、フセインも欲しがったのだろう。
しかし、日本にはそのような天然資源はない。サービスを受けるためには誰かが負担をしなければならない。
http://web.me.com/shunichisuzuki/suzukishunichi/Blog/エントリー/2009/8/16_鳩山由紀夫_1.html
私は選挙前に、前にこそそれを強調した。つまり「高負担高福祉」「中負担中福祉」「低負担低福祉」しかありえない。「低負担高福祉」を言う政党は信じないというのが私のポリシーだからだ。わたしは、民主党サポーターだから民主党を鳩山政権を応援したい、しかし、いやだからこそいいたい、負担の部分をはっきりと言うべきだと。言いたくはないが小泉首相は痛みを伴うとハッキリ言った。私は彼は好きではないが、公平に見ればそれは評価すべきだと考える。
私は、今の民主党の勢いから言えば多少厳しいことを言っても、選挙に勝てるんじゃないかと思うのだ。甘いことを言うと、一方では支持されても、他方では「無責任なこといてるな」と思われ支持を失う。厳しいことを言えば、一方では支持を失うが、他方では「こいつは真剣に考えてるし、正直だ」と支持する人も出てくる。だから、アメを出せば必ずしも支持率が上がるわけではないと思う。郵政選挙の時も、対立候補を何人も出すという大変な損な選択をしながらも、その一途さに皆流されて自民党は圧勝した。だから、あまり小賢しいことで票を取ろうとするより正直にいってそれで信頼される方が政治家としては上等だと思う。
選挙前に甘いこといって当選したら、現実は厳しいのでと前言を翻すほど醜いことはない。だからこそ選挙前に厳しいことをちゃんと言ってほしかった。案の定、国債を出さざるを得ないわけで、そんなことも本当にわからなかったという人がいたら、バカかウソつきだと思う。
選挙前に一言でもいっておけば、イヤな言葉だがアリバイがあるので公約違反にはならない。もうすこし、積極的に言えば「賢明」で「正直」だということができる。繰り返すが、多少国民に厳しいことを言っても私はそれで選挙に負けるとは限らないと思う。わたしは、中身がしっかりしていれば将来景気が良くなるんなら多少の苦しみも我慢できると思う。
今度、ちょうど参議院選挙があるので是非、負担の部分もいってもらいたい。
しかし、私のようなどこの馬の骨とも知らない奴のblogごときで偉そうな事を言うと逆に反発されてしまうかな。
ここまでは、小学生でもわかる足し算の問題だが。お金がないものを、天然資源のない日本なんだから、お金が出てくるはずもない。次はどうやって、お金を生み出すかという事だが。
まず、どうすれば株が上がるかを考えてみよう。株を買う人が増えればいいのだが。どうすれば増えるか。株を買う人は何を考えているか。彼らは「どこに投資をすれば儲かるか」という事を考えているわけだ。そうすると、多くの人が株を買ってくれれば株は上がる。株が上がれば企業は設備投資もでき雇用も生まれる。では、彼らに株を買わせるためにはどうしたらいいか。答えは「われわれは、この分野に力を入れますよ。従ってこの分野は将来伸びますよ」というメッセージを市場に送る事である。つまり総花的に、あれもちょっとやります、これも気をつけますじゃダメで、他の事を削ってでもこれをやります。というはっきりした方向を示す事が重要だと言っていいだろう。お金が余ってるならともかく、お金がないんだから、八方美人はダメだと思う。それだと、投資家がどこに投資していいのかわからないし、どうせ少しはお金だすけど将来性はわからない、となると怖くて株を買えない。だから、現在するべき事は「これだ」というものを絞ること。しかもそれは、何でもいいのではなく歴史的視点から見て将来必ず伸びるという理由のある投資でなければならない。みんなが投資しても10年後やっぱり必要ありませんでした、では株は下がってしまう。そうすると「これだ」と言った政治家への信頼も下がってしまう。オバマ大統領のグリーンニューディールもこのことを十分ふまえて行き先を明確に示したものでしょう。実際太陽光エネルギー自体はまだ実用性は低いと思うがリベラルな人にも受け入れやすいようにそこはクリーンなイメージで環境問題にお金をかけると市場にメッセージを送ったのでしょう。ですから、投資家は株を買うことが出来るのだと思う。実際太陽光エネルギーはそんなには儲からない分野だと思うが「こっちだ」とハッキリ指を指したので投資できる。太陽光はそんなには儲からなくても、将来必要にはなってくるから無駄ではない。しかし、民主党を愛するがために敢てきびしい事をいわせてもらうと、どうしても総花的で「これ」ってものがない気がする。だから、投資家も迷ってしまって株をなかなか買えない。「投資家」というのは社会学でいう理念型で、現実の具体的な誰かではない。彼らは、極端なことを言えば、商売相手が北朝鮮だっていいのだ、とにかくそっちに政府は本気で力を入れてるなとわかれば、何を買えばいいかがわかるから。
つくづく偉そうで申し訳ないが、別に偉ぶるためとか民主党が憎いとかいうわけで言っている訳ではない事をご理解いただきたい。あまり、こういう指摘がないような気がしたのでどうしても言っておきたいのでいったのでご理解いただきたい。
では、どこに絞るべきという問題だがもちろん私よりずっと頭のいいブレーンの方々に考えてもらいたいのだが、私の狭い見識の中で考えていることはある。ただ、これは謙遜じゃなくて本当に実行する場合には、専門家の意見をきいてからでないと危険なので、あくまでも思いついた事だが、今更と思われるかもしれないがそれは、IT特に「通信」である。詳しい事を書く余裕がないのでこちらを参照いただきたいが
http://shunichisuzuki.blogspot.com/2009/10/gui.html
単純に言うと、これからのコンピュータはネットがなければ始まらないということだ。そのために必要不可欠なのが、通信網の充実なのだ。今でも日本はたいへん通信分野でも進んでいるのだがこれからもさらに必要な分野である事は間違いないから重要なのだ。
例えば、首相が「私の任期の4年間のあいだに日本国内の人口99%の地域で100Mbpsの無線ネットワークを整備して誰もがどこでも高速ネットに安価にアクセスできるようにする」と宣言されれば次の日にIT特にネット、クラウド関係の株は恐らく上がるでしょう。これは有効な例だと思う。さらにインターネットを使いやすくする手段として医師や弁護士にインターネットに共通のフォーマットで登録する事を義務づける。そうすると、国民は全員インターネットを見れば近くの医師や弁護士を見つけることが出来る。など副次的なサービスも頭をしぼってみればお金はほとんどかからずに便利なサービスを提供できることは沢山あるはず。
以上が、私がいいたかった事です。別の場所でも言っているので重複になっていたらすみません。ちょうど総理も副総理も理工系なので野党とディベートしても負けないんじゃないでしょうか。

人権相談

昨日、警察に行くと言ったのでそのことが気になる方もいるかもしれないので、報告だけ簡単に記す。
先ず、警察は証拠がないと動きたがらないというのがわかったので、先ず市役所に電話して「毎日飛行機がうるさくて困っているんですが、どの窓口にいけばいいでしょうか」と聞いたら、たぶん法務省がやっているんだと思うが「法務局」というのがあるのでそこへ行って下さい、といわれた。予約を取って行くと、年配の女性の方と、後から男性の人とが話を聞いてくれたのだが、結局誰がやってるかわからないとこちらとしてもなんともしようがないです、とくりかえす。それは確かにそうだろうけど、空き巣に入られたら犯人を自力で見つけてからじゃないと動かないのか?それなら警察はいらないじゃないか!犯人のわからないいやがらせだってたくさんあるだろうに。確かに、そこはセクハラや近所のモメごとに介入して、悪い方を止めさせるような役所らしい。じゃあどこに行けばいいのですかというと「刑事事件なら警察ですね」といわれる。私は事情をちゃんと話して市役所の人がここを教えてくれたからきたのに。まあ、確かに人権相談の人に飛行機の調査まではお願いできないのは理屈ではわかるけど、こっちもちょっといやがらせひどくて、感情的になってしまったところもあるが、イラついてついつい大きな声を出してしまった。以前警察に行ったら携帯のボイスメモに携帯を買った以前のデータが入ってたり、自分は録音してない講義の音が入ってたりしたの見せても、「私たちには機械のことはわかりませんので、メーカーに聞いてからきて下さい」といわれた。買った以前のデータや録音してない講義が入っているのが「自然に起こるものなのか」わからないのか?ちゃんと学校出てるの?これをわからないので証拠にはならないと言われたら、何のために警察はあるんでしょうか?我々が銃や刀を持たないのは、市民の安全を警察が守るからではないのか?とにかくめんどくさそうなものはやりたくないという雰囲気がありありなのだ。まあ人にもよるかもしれないので、まじめに市民のために命をかけて働いてるお巡りさんには申し訳ないが、一部にはそういう感じの警察官もいることは事実。法務局の人も、うちでは対応できないのは、しょうがないと認めるが、どこに行けばいいんですかといっても、「申し訳ありませんが、申しかねます」の一点張り。それは、認めるけど「人権相談」といいながら、毎日飛行機の轟音で、不当な不快な思いをさせられている人がいるのを、それはひどいとか思わないのかな。自分たちの専門分野でなければ、毎日飛行機が飛びまくってても私は知りませんという気持ちののかな。そんなことはあることはゆるせないとかいう気持ちはないのかな。自分たちではできないけど「できるだけ協力して、警察とも連携を持って」とかいうきがないのかな?この「人権相談」の人には。人の悪口は言いたくないけど、ちょっとイヤミもいいたくなってしまう。なにか責任逃れの方が先に出ているような態度に見えてしまって。まあ、私の市は無料で「法律相談」とかしてくれてありがたいこともたくさんあるんだけど、「人権相談」といっていながら人権より自分の責任にならないように振る舞っているような印象をうけてしまうと、しょうがないと自分にいい聞かせつつも、どこかで腹を立ててしまう自分がいる。本当に情けないはなしで、いかに人間ができてないかってことだけど。自分の不快感を、役人のちょっとした対応のせいにしてイヤミいうのも情けないはなしだが。
まあ、とにかくまた飛行機飛んできたらビデオ撮るチャンスも増えるわけだし、ビデオで撮られないように飛行機飛んでこなければ、それで不快感は減るわけだし、また法律相談して警察行っての繰り返しがしばらく続きそうだ。
しかし、全体的なことを言えばかなり私の計画通りに進んでいる。ここで計画を全て言うことはもちろんできないが、私が考えてきたことは、以下
1とにかく今年退院したかった。理由は衆議院選挙があるから。先ず根本から変えるために政権交代をおこす。そのために、私のできることは最も有効な方法で協力する。ただ、blog書いただけなんだけど。私のために政権が変わったとは言わないが、できるだけ有効な表現を計算して書いた。結果は、幸運にもご存知のとおおり。
2犯人グループは、他人をコントロールしてるらしいので、どこにいってもコントロールされてるらしい人がいるので、いっそもっと東京のど真ん中に行ってやろうと思った。そこでも、コントロールされてる人がいれば、そういう経験した人が増えて、いつか彼らの安全が保障されれば証人になってくれる可能性が高まる。だから、できるだけ多くの人にその経験をしてもらおうと思って新宿、渋谷に多く行くようにしている。これは予想以上にうまくいった。コントロールされてる人がかわいそうじゃないかという人がいるかもしれないが、せいぜいハデな服着させられるとか、キンキラの時計させられるとか程度だからそんなに苦痛はないだろう。さらにリベラルな人にも及べば将来、主犯が逮捕された後、安全が保障されれば私に有利な証言をしてくれる可能性はさらに高まる。これは、私が行きたいところに行けばいいだけなので安上がりだし、今のところ順調に数を増やしている。とにかく最初に私が恐れたのがこのいやがらせが闇に葬り去られることだったので、大規模にならばなるほどその可能性は低くなる。恐らく、この事件を知る(ただ一人の学生が書いたblogの中の出来事に過ぎないのに)社会的に高い立場にある人もいるのではないか。そこで証言を求められても困ると慌てないで欲しい。あくまで主犯と実行犯が逮捕されて、安全が確証できてからの話である。早くても、私が卒業する再来年ぐらいは見ている。さらにかかっても、最後の事件が起こってから時効まで7年はあるので、そんなすぐの話ではない。その頃には世の中も変わっているだろう。それまで、変な服着せられたりはするかもしれないが、それぐらいならそれほどの苦痛もないでしょう。文句は犯人に言っていただきたい。
どんなハデな服きても、でっかい建物建てても、キンキラの時計していても、心の底では私の味方の人もいるのではないかと最近は思うようになってきた。そういう方は、別に私の前でハデな服着たり、キンキラの時計付けることを一切心苦しく思わないでほしい。
私が考えているのは繰り返すが、無理矢理やらされた人の責任は一切問わない。
問うのは、主犯と実行犯だけ。
地位の上の人から証言を取って行くような順番で行く。そうでないと下のものは正直に証言できないから。だから、社会的立場の高い人は、何年後かはわからないがどう証言するかはよく考えておいてほしい。私は、できるだけ普通の人は心の負担がかからないように配慮しようと思っている。
一方で、飛行機のビデオとったり警察に相談したり、下からの地道な証拠固めは確実に進めて行く。これは、警察に何度も足を運ぶことになると思うので警察の方は仕事なので当然のことだが覚悟しておいていただきたい。

2009年10月13日火曜日

執拗

毎日なんだけど、今日は特に「いやがらせ」がエスカレートしている。関係者への圧力も高まる可能性がある。恐い人はどうぞ私のこと無視して奴らに従って下さい。
今回は、飛行機とヘリコプターのビデオを撮ることに成功しましたので明日、警察に持っていきます。もちろんそこにも圧力がかかってちゃんと対応してもらえない可能性高いので、さらに上の機関に申し出るつもりです。
皆さんにご心労をお掛けしますが誰が悪いかをよくよく考えて下さい。

2009年10月12日月曜日

YouTube

YouTubeの動画を、以前のblogにたくさん載せていたら、あるときその一つが「埋め込みがリクエストにより無効になっています」となった。ジョン・レノンの「平和を我らに」だから作った人が私のページに乗せるのをいやがったとも思えない。ちょうどそのタイミングで今までみられていたものがblog上では見られなくなった。
今日は別の動画が「この動画は、著作権上の制限により、お住まいの地域ではご利用になれません。」という表示でYouTube上でも見られなくなった。
著作権上の制限って何だ?
アメリカ人向けだけにしてくれと投稿者が頼んだのか?今まで出しておいて?インターネットに載せておいて地域では見られないというのもおかしな話だ。世界中に発表できるのがインターネットじゃないの?

http://web.me.com/shunichisuzuki/suzukishunichi/Blog/アーカイブ.html

実は、以前も英語の勉強しようと思ってイギリスのiTunes Store からPodcastでBBCの番組聴こうとしたら「これは国内向けです」と出て、なぜ国内に限定する必要があるのかBBCにきいてみようとまで思った、おかしなことがあった。しばらくしたら、何事もなかったかのように聴けるようになった。
皆さんの中にも「地域限定」で見られなかったことや「地域限定」にして下さい、と頼んだ人いますか?
あまりにも不自然で、普通に起こったとは考えにくい、またいやがらせグループが裏からやせた可能性高いと考える。YouTubeさんには、もし違ったら名誉を傷つけたことをお詫びするが、もし本当に圧力かかったなら今は怖くて言えないならしょうがないが、いつか言える日がくれば正直に言ってもらいたい。

変換ミス

ときどき、記事を見直していると、変換ミスや誤字脱字があるが。以前にも書いたが、そんなに多くミスがあれば、記事を載せるまでに気づくはずである。
パソコンが誰かにいじられたような形跡がよくあるので、これらも、一環だと考えている。
変換機能自体、あまりにも不自然な漢字がはじめに示されたりすることがある。
例えば「watasi」といれると「渡し」とでたりする。
ですから、変換ミスなどは誰かがいじったものかも知れないと、証人のつもりで見ていただきたい。

2009年10月10日土曜日

GUI

一週間くらい前、iPhoneを買った。
昔はいつもカメラとケータイとiPod nanoを持っていて、ポケットがいっぱいだった。今の技術ならこれらが一つになれるだろうに。なって欲しいと思ってた。iPhoneがアメリカで発売されたとニュースをちらっと見たとき、やっぱりでたか、しかも思った以上に魅力的だと思った。
実を言えば、今まで使っていた携帯にもカメラ機能も音楽再生機能もついていた。しかし、その写真をコンピュータに入れるのがどうやっていいかわからなかったし、音楽を聴くには専用のコネクタをつけなければならなかった。
他の音響機器メーカーの人は、こう思うのではないか?
「うちの製品は、iPodより小型だし、スピーカーもマイクもついている。シャッフル機能もついている。値段も安い。デザインもずいぶん気を使った。それなのに、なぜみんなiPodを買うのか?」
そこが、デザインを勉強したものとしては、大変重要な点だと思う所である。
結論から言うと、「デザイン」とは単なる「形」ではない、というこだ。
私も、昔はデザインとは小奇麗なものを作ればいいと思っていた。
絵画教室で絵の先生に「『絵』を描くにはテーマを決めて自分を表現しなきゃいけないけど、デザインはテーマはクライアントから与えられているから、誰でも出来るんですよ」と言ったことがある。
「デザイン」を「二流のデザイン」に変えればこれは正しい。世の中、みなさんの周りにも本も雑誌も機械も服もあるでしょう、それらはみんな誰かがデザインしたものだ。しかし、デザインの専門学校では私はどうしてもうまい、かっこいいデザインが出来なかった。「いいデザイン」って何なんだ?何を基準にしたらいいのか?悩んだ。それを学べる所はあるのか考えた。
美術が学べる学校紹介の本を買ってきて読んでいくうちに、いろいろ専門学校はあるけど、私のような本質的な悩みに答えてくれる最高の場所はやはり大学だな、と思った。しかし、美大に入るのは大変で二浪、三浪あたりまえの世界ともきいたことあったので、入れるか不安だった。たまたま、多摩美に社会人にもう一度クリエイティブなことを学ばせる場として、社会人特別枠のある夜間の学科があったのでここならもしかしてと思った。
それでも、とにかく予備校に行ってちゃんと学ばなきゃ、と思った。専門学校がお茶の水にあったので、朝から夕方の5時まで専門学校に行って、それからすぐにお茶の水にある通称「御茶美(おちゃび)」という予備校の夜間コース通う。御茶美はかつては名門予備校で有名なデザイナーとかも排出してきたらしい。
しかし、夜間ということは現役生対象、しかも美大を受けるのは女の子が多いので、当時30歳のおじさんが、現役女子高生とならんで勉強して、すごく浮いていた。
友達はうらやましいと言っていたが。
まあデザインの話になるとつきないので、iPhoneの話にもどるが、とにかくそこで、私はあまり魅力的な作品が出来なくて劣等感におちいる。
子供のころは勉強もそんなにできないし、スポーツは大の苦手の「のび太」くんだった私の唯一の自慢がマンガや似顔絵で、小学校から高校まで、文集の表紙をいつも描いていたが、さすがに美大を受ける人は当然絵がうまいわけで私の数少ないプライドも傷つけられた。
とにかく、そこで学んだことはデザインとはただ単に小奇麗なものを作るもでは「ない」ということだ。

大学での卒業制作(美大では卒業論文の代わりに作品を作る)は、コンピュータのインターフェースのデザインだった。なぜこのテーマにしたかというと、いつも父や母からパソコンのやり方がわからないからちょっと見てくれと言われ、うんざりしていた。そこで、考えた。マウスを使ってアイコンを動かすインターフェースをGUI (graphical user interface)というが、GUIが出てきた時は、画期的といわれたが、実はまだ不十分なデザインではないのか?Windowsを使うには分厚いマニュアルを読むか、何万円もかけてパソコン教室に通わなければならない。これが、本当に万人に開かれたインターフェースと言えるのか?逆に言えばまだ工夫の余地はたくさんある。さらに言えば、本当にマニュアルなしで誰でも使えるインターフェースを作ったら画期的なものになるのではないか?さらにさらにいえば、それが、本当に実現したらすごく儲かるのではないか?等と考えて、デザインを考えていった。
ところが中間審査ではある先生に「全部ダメだね。そんなものは企業が何百人も使って開発してるんだから」と100%否定されてしまう。次の授業のとき、指導教員の一人(うちの大学は指導教員を複数とれる)太田幸夫先生に、何の前提も言わずとりあえず「この前の中間審査はどうでしたか?」ときくと「全部よかった。言葉もちゃんとしてたし、理屈もはっきりしていて全部よかった。でも、他の人のアンケートとかがなけりゃ、それは初めて見た人には分かりませんよ」と言われ、気分が明るくなった。
ちなみに、太田先生はサインデザインの世界的権威で、皆さんになじみ深いのは、非常口の人の絵、デザインの世界ではピクトグラムと言いうが、あのデザインをまとめた人。もともとは公募で素人の人のアイディアなのだが、さすがに素人の案をそのままでは使えないので、ピクトグラムの第一人者である太田先生がまとめた。もともと、字だけの表示だと火事のときに字の読めない子供や外国人が非常口が分からなくなるので、誰でも分かるようなデザインにしなければならない。人の命に関わるものだから、視認性の実験などを繰り返し、現在の形になった。そして、そのピクトグラムはISO(国際標準化機構)で正式に国際規格になった。フランスやイタリアはまだ変わってなかったが、イギリスではオックスフォード大学でも、ロンドン芸術大学でもこのピクトグラムが使われていた。使われてない所もあったが、先生曰く「そのうち変わっていくでしょう」と。
また先生は単にピクトグラムを描くだけでなく視覚(視覚に必ずしも限らないのだが)とコミュニケーションの関係を考えてこられ。実際に単純な絵の組み合わせで作る「視覚言語システム」「LoCoS(ロコス)(Lovers Communication System)」を作られた。海外でも発表し高い評価を受け、新聞にも大きくあつかわれ、世界中を講演してまわって反響がすごくて、大変だったといわれた。

卒業制作の最終審査は、出来のいいものではなかった。
一年かけて作るはずのものが、前日にFlashのマニュアルを見ながら作った、やっつけしごとだった。
しかし、デザインについて学んできてようやく、いいデザインと悪いデザインの区別がつくまでにはなってきた。

太田先生が個人的に開いている参加自由形のゼミに参加したりして、そこにはハーバードの大学院でた人とか、絵画療法をしているひととかもきていて、デザインの奥深さをしった。中身にいくと話がそれてしまうので、いずれできればよいでしょう。

私は次に、ネット上で文字言語を使わず視覚のみでコミュニケーションがとれるシステムが作れないかと興味が広がり大学院へ行くことになる。学部の美大特有のたのしそうな雰囲気が好きだったので、少人数の大学院はすこしさびしいが、大学院は夜間も昼間もひとつの組織なので、八王子のキャンパスにも行ける。夜間部の上野毛のまったりした雰囲気も好きだったが、八王子の巨大でモダンなキャンパスも行けてよかった。
いろいろ考えていくうちに、ネットのツールを新しくつくるよりも卒業制作のパソコンのインターフェースをしっかり作り直す方がいいと思い、そういうことにした。
そこで、パソコンのインターフェースだが。始めは初心者向けに作り、その後一般のパソコンのインターフェースに変わるというアイディアはできていた。
想定のOSはWindowsではなくMacOS。
なぜ、WindowsでなくMacなのか?答えは、私がMacやAppleが好きだから。
もう一つ、誰もが逆らえないような力を持った者を見るとそれを負かしてやりたいという思ってしまう私の性格のせいだろう。
世界中の人の90%以上の人がWinを使っているなら、それに合わせるのではなく、それにとってかわるもっといいものを作ってやろうという、幼稚な野心があるので。

私がはじめて、パソコンを知ったのは小学校中学年頃だと思う。まだ、共通の基本ソフトはなく、画面もブラウン管に緑のドットで文字が示されるもので、記録媒体はカセットテープだったと思う。当時はマイコンともいった。
今はやりらしいからと、父と秋葉原に行って見てきたが、まだ操作が難しく、キーボードで命令文を書かなきゃいけない。しかもできることも限られていて、値段も高いし、結局は買わずに帰ってきた。

時代はかなり進んで二浪して入った大学に不適応をおこしてしまい、行けなくなってしばらくニートだった。その時期精神が不安定で何とか外に出るのが、パチンコ。誰ともしゃべらなくていいしうまく行けばお金が儲かる。最盛期は、1ヶ月30日、1日開店の10時から閉店の11時までってこともあった。雑誌を買ってきて研究して大当たり確率が分かれば1000円分の玉で何回回転するかを数えれば、勝ち負けのボーダーラインが出るので、プラスならやり続け、マイナスならやらない。この原則さえまもっていれば理論上は負けないはず。友達はこの台はいままで何回回ったからそろそろでるとかいう。パチンコは玉がスタートチャッカーに入った時点で抽選するので、過去に何回回ったかは次に何の影響も与えない。そういうと彼は私に「カントみたいだね」といった。彼のように何回回ったからとか言う人を「パチンコ必勝ガイド」のような雑誌は「オカルト野郎」という。
私は、全部メモして最高で1ヶ月で10万以上勝ったこともあった。1日の最高も10万500円だったかな?
でも、めんどくさくなると惰性でやったり回らないのに新しい台を試したりして、だんだん勝てなくなってきて、最終的にはプラスマイナスゼロって感じだっかな?
とにかく、そこでパチンコの収支を計算するのに最近なにかと耳にするパソコンとかを使ってみようかと思い「特選街」とか買って調べた。そのころは Windows3.1 が出たばかりで話題になっていた。そのころのパソコン界は、3つの選択肢があって、1NECのPC98シリーズが大きなシェアを占めていた。ただし国内でだけの話で世界的には 2DOS/V(ドスブイ)機、これは世界的シェアを占めていた。3Macintosh(マッキントッシュ=Mac(マック))
というもので、こちらは独自の規格で性能は優れているが、高かった。1と2は基本ソフトは同じMS-DOSだが、互換性はない。ちなみにMS-DOSのMSとはMicrosoftのことでWindows以前からマイクロソフトは世界標準だった。
当時も、次世代から共通のWindowsになるので、どの企画かを選ばなくてすむとあった。私は悩んだが、NECは日本人向けによくできて入るが、次世代では同じWindows使えるようになるなら意味ないし、Macを店先で見ると魅力的だけど、高いしWindowsが世界標準になるなら、なくなるかもしれないし。しかしあるとき店頭でMac見たときメニューバーの中に目玉の絵が描いてそれが動いている。よく見るとマウスの動きに反応している。つまりポインタの矢印が、今どこにいるかを示している。私はコンピュータという高度な機械にこんな遊び心があるのかと驚いて、ぜひ、Macが欲しいと思ったが、ノート型にするかデスクトップにするのか悩んでるうちに、うやむやになって、その時は買わなかった。ちなみにノート型パソコンは始めはトラックボールというのがついていて、マウスの代わりにするのもMacが初めてだし、その進化したトラックパッドを初めて使ったのもMacだと思う。
そして私の通ったデザイン学校はずばり「MACデザインアカデミー」。
課題の中でチラシ作るとき、私は好きな物としてMacを選び、当時はブラウン管を使っていた頃のiMacの広告を作ったりした。私の入った大学は、日本で初めてデザイン教育にMacを導入した大学として多摩美術大学造形表現学部デザイン学科はappleのサイトにも紹介されている。コンピュータールームには200台くらいのMacがあり、2年毎ぐらいで全て最新モデルに変えている。
大学の課題でも、私はMacのチラシを作った。
うちの大学でWindowsパソコン持っていると珍しがられる。
いろいろ、パソコンの歴史を調べてみるとMacの登場の意味と、ほかのいろいろな人々の努力が分かって面白い。
NHKスペシャル「新・電子立国」は当事者のインタビューも含めて細かく発展の歴史が描かれていて素晴らしかったので、書籍にはなったが絶版のようで、ぜひDVD化して欲しい。見たい人はたくさんいると思うが。
そして、大学の卒業作品も、初心者向けパソコンのインターフェース、タイトルは「Mac Begin」!
そして、大学院の試験の内容は「一番影響を受けたデザインと自分の研究との関係」というもので、私は一番影響を受けたのは?というところで上述のMacの話をして自分の意見を書いた。大学院は少人数だし人材育成が目的なので学部よりは入りやすい。もちろん学部の内容を会得したとの前提の上でだが。
このようにMacが好きになってきたわけだが、Macの魅力とは何か?
例えば、ビル・ゲイツは覇権主義者でパソコンは基本ソフトを手に入れればみなそのソフトを使わざるを得ないので覇権を握れると考え、事実Windowsは世界標準の基本ソフトになり、彼は世界一の億万長者になった。
しかし、デザインを勉強してきた私の目から見ると、これだけ、多くの人とお金をかけたにもかかわらず、Windowsはどうしても。どこかダサイ。何と言うかMacにあるスピリットとかウィットとかを感じない。もっといえば、愛を感じられない。どうやれば売れるかしかかんじられない。それが、これだけWinが普及しても、クリエイティブな人は皆Macを使う。感性の鋭い人たちがMacを好む。
スティーブ・ジョブスがどういう人か、伝記「iCon」を読み途中だが、wikiでざっと見てもらえれば分かるだろう。
いいデザインとは、簡単に言えばそこにphilosophy(フィロソフィー=人生哲学、思想、信条)があるかどうかということなのだ。フィロソフィーのないデザインはいくらきれいに見えても、どんな有名なデザイナーを使っても、いいデザインにはならない。iPodにあって、他者の亜流品にないのはフィロソフィーといっていいだろう。
Macintoshが生まれた1984年、appleはスーパーボウルというアメリカンフットボールのアメリカ選手権、アメリカで最も視聴率の高いイベント。従ってアメリカで最も広告費の高いCMで、伝説のCMをうつ。ご存知の方も多いと思うが。「1984年」とはイギリスのSF作家ジョージ・オーウェルが書いた有名なSF小説のタイトル。
内容は、強大な独裁者ビッグ・ブラザーによって支配されている世界。人々はテレスクリーンと呼ばれるTV兼カメラによって完全に常に洗脳され監視されている。ある主人公の男が逆らおうとするが、拷問にあい彼もまた洗脳されてしまうという、SFファンなら誰でも知っている話だが。CMの中で独裁国家が映し出され、そこに女の人かなんかが出てきてその未来像の映っているスクリーンをブチ破る。たしかこんなものだと思うが、詳しい方におききになればちゃんとした内容を教えてくれると思うので、簡単にだけ触れたが。とにかく我々「Apple」が目指しているのはオーウェルのような社会ではない、という宣言なのだ。
まあ、以上のようにAppleの歴史を見れば見るほど魅了されていってMacファンになったのだが。
といっておきながら実は、iPhoneは、最初は値段きいたら高かったので、買うのを諦めた。
それが、なんで気が変わったのか?
ある本のお陰と、あるニュースを聞いてである。
上述のように、私はコンピュータはWindowsとMacの対立図式で考えていて、自分はMac派と思っていたが、そう単純でもないことに、ある本によって気づかされた。
その本は梅田望夫「web進化論」(ちくま新書)。
以前から本屋で「web2.0」というタイトルの本が多くあって、どういうものか一つ入門書を読んでみようと思ってた。「web進化論」はよく売れていてしかもサイクルのはやい新書の中でずっと売れ続けているので、よい本なんじゃないかなと思い買って読んだ。
その本の中で、全く革新的だと強調されているのは、AppleでもなくマイクロソフトでもYahoo!でもなく、googleであった。
私は、昔から不思議でならないことがあって、それは、検索サイトのことだった。使う分には便利でありがいけど、まず一つ目の疑問は、「キーワードを入れただけで世界中のあらゆるサイトから何百万件のページを一瞬にして探し出すのはどうやっているのだろう?世界中のあらゆるサイトを入れた超巨大なコンピュータがあるのだろうか?自分のパソコンの中の書類を探すだけで何分もかかるのに、世界中全てのサイトから一瞬で何百万件。どうやっているのだろう?しかも私一人ではなく世界中の何千万、何億の人が検索サイトを訪れるのに、全て答えるなんてどうしてできるのだろう?」というものである。もう一つは「相当大きなコンピュータを使っているはずでコストもかかるのに無料で検索できる。どうやって収入を得ているんだろう?」というものだ。
一つ目の疑問には、ロボットにずっと世界中のサイトを調べさせているときいて半分は納得できた。また、Yahoo!などはやはり大量のコンピュータを使っているらしいときき少しは納得できたが、それにしてもすごいと思う。
二つ目の疑問は、Yahoo!のトップページは当然多くの人が見るのだから広告費がすごく高いときいた。つまりテレビの民放と同じで広告収入で儲けているときいて納得できたが、googleのトップページには広告が全くない。それがとても不思議だった。そのgoogleが考えていることがすごいことだとこの本では何度も強調されている。
どこがすごいのか?
実は私は実践してないし、この本にもどう実践すればいいのかは書いてないので、あまりはっきり理解できてない部分もあるのだが、なんとなくこうかなということを言うと、今までのコンピュータというのはネットのこちら側で計算したり、開発したりするけど。巨額を投じてソフトを開発するよりも、オープンにして不特定多数の人にソフト開発をやらせる方が効率的で、しかもよいものができるのではないかという考え(オープンソース)。専門的なことは分からないので卑近な例で言うと、自由に誰もが書き込めるネット上の百科事典 wikipedia があるが、アカデミックなことから深夜放送のネタのコーナーまで、ありとあらゆることが記載されていて、しかも文章を書く時はだいたいパソコンなので辞書を調べるより簡単に使ってしまうのだが、一般人が書いたというので今ひとつ信頼ができなかった。しかし、これだけのあらゆる項目を専門家にチェックさせ続けるのは、大変なコストがかかる。だから、あくまでも仮に調べるときに使うようにしていたが、実際使ってみるとそうとう正確に客観的にかかれている。そこで、ネットの向こう側の不特定多数を信じるかどうか、googleと今までの企業との違いだと言う。もう一つはコンピュータは一度プログラムを作れば自動的に作業をするので、細かい利益、例えばあるページの中の広告をクリックしたら10円とかいう、わずかな利益を大量に自動的に集めたら一見しょぼいように見えても塵も積もれば山となるで、人がほとんど努力せずに大量のお金が入ってくるという考えがもとにあるようだ。つまり、ネットの向こうでみなが気づかぬうちに機械が自動的にお金を回収していく。
これでも、わたしはgoogleがどうやってそれをやっているのか完全には理解できていないのだが。googleは衛星写真を使って地球上のあらゆる場所を見ることが出来るサービスをはじめた。母と一緒に自分のうちの衛星写真を見たときには驚いた。さらにさらに衛星写真なら一応理屈はとおるが、地上写真まで出てきたときには恐怖さえ感じた。うちは複雑な道を通ってこなければ車で来られない場所なのに、しかもポインタを動かすと、写真がパノラマになっていて回転して周りが見渡せる。
何か自動車の上にカメラをつけて撮っていると誰かいってたが本当かどうかわからない。しかし、見ていたのが夜なのに写真は昼間なので隠しカメラではないようだ。しかしいつかは「1984年」じゃないが、24時間どこでも監視される時代がくるかもしれない。
YouTubeという動画サイトも買収した。お陰で聴きたい音楽はだいたいきける。しかも無料で。そこが、また不気味な所で、世界中の本のデジタル化をしているのもたしかgoogleだったと思う。
私の頭の悪いせいで、googleが何をしようとしているのか正確にはわからないのだけど、なにかとてつもないことを考えている印象を与える本であった。
そしてあるときgoogleがOSを開発すると発表した。マイクロソフトもすこしあせった感じだった。何億人もの人が使っているWindowsに勝てるものはないと我が世の春を謳歌していたマイクロソフトもgoogleは今までの敵とは違うと感じたはずだ。買収すりゃいいってものでもない。考えてみればパソコンで使うのはwebブラウザとワープロがほとんど。それぐらいなら簡単に作れるし互換性を高くすれば必ずしもMSのソフトを使わなくてもいい。MSが互換性を低くすれば、独占禁止法に引っかかる可能性もある。不動に思えた、MS帝国も意外にもろいのかもしれない。そこには歴史的な大きな変化があるようだ。

そもそもコンピュータとは何か?
答えは「計算機」
コンピュータを最も単純に表せば、
入力→計算→出力
となる。
もう少し付け足すと、
情報の入力→命令→計算→結果の保存→出力
となる、
計算機自体はかなり昔からあった。
例えば2の位置に5を合わせると7が示されるような手動式の計算機は存在した。
現在の我々が使っているコンピュータの大きな特徴は、数だけでなく、あらゆるもの画像、音、文字、動画、など基本的にデジタルデータ化すれば何でもあつかうことが出来るという所にある。
この考え方の元を作ったのはwikiによれば17世紀ドイツの思想家、モナド論や微分積分法の発見で有名なライプニッツである。彼は形式言語に関心を示し2進法を発明した。それによってあらゆるものが計算可能になった。
その2進法を計算するのが現在のコンピュータである。
理論上はこれで全てのものがコンピュータで計算できる。しかし、当時は複雑な計算ができる機械を作ることが技術的にできなかった。
20世紀になって技術が進歩し、現実にコンピュータが作られるようになった。しかし当初は、コンピュータは巨大で高価で複雑で、特別に必要な計算に使う科学技術の専門家のもであった。
現在皆さんはコンピュータというとパーソナルコンピュータをイメージするだろうが、パーソナルコンピュータという概念を最初に示したのはアメリカのアラン・ケイ(1940〜科学者、教育者、ジャズ演奏者、京都大学客員教授)である。その条件は、計算機のICチップの小型化、安価化、そして普通の人が使えるインターフェースである。当時としては個人がコンピュータを所有するという考えは革新的だった。「ダイナブック構想」といわれる、彼のアイディアはスティーブジョブスにも大きな影響を与え、Macintoshの誕生にも大きく貢献した。
そして、現在の個人がコンピュータを持つ時代が実際に到来した。
そこで、私はパーソナルコンピューターのインターフェースをさらに使いやすいものにしようと思ていたが、googleがOSを作るときいてもう一度考え直してみようと思った。
実は現在、パソコンの誕生にも匹敵する大きな変化が起こっているのではないか?
先ほどもいったように、私はgoogleがしようとしてることは正確には理解していない。
しかし、私の浅薄な知識で考えをまとめるとこういうことなのかもしれないと、思うことがある。
むかし、大型コンピュータを使っていた時代からパーソナルコンピュータへの移行にはICチップの小型化、安価化、GUIの発明があった。複雑な計算も小さいコンピューターで安くできる。個人が計算する機械をそれぞれ持っている。これをダウンサイジングという。
そしてその時代、パソコンの時代の主役はマイクロソフト、Apple、Adobe、など。
そして今起きている変化はネットワークの充実、また携帯電話の普及などによってコンピュータのあり方が変わってきているのではないか。つまりネットワークさえ完全に整備されていれば、コンピュータの仕事のうち「入力」と「出力」さえできればネットにつながった高性能なコンピュータが計算と情報の保存をしてくれる。ネット環境さえ整えば、高度な計算機能、情報保存能力はなくてもどこでもコンピュータに計算させて必要な情報を手に入れることが出来る。いわば今までがパーソナルコンピュータの時代だとすれば、これからはモバイルコンピュータの時代になっていくのではないか。そこで一つだけ気になっていたことがあった。それは、モバイルコンピューターというのは過去にも何度も作られてきたがほとんど成功しなかった。PDA(Personal Digital Assistant)とか日本では「電子手帳」と呼ばれたりした。比較的成功したのはシャープの「ザウルス」だろう。私は姉妹機種の「Wiz」を持っていたが、何が不便かというと、文字入力である。ペンで手書きで書いた文字がデジタル化されるのだが、かなり難しい漢字も認識するのだが、認識するまでに1秒ぐらいかかってしまうのである。そうすると、数文字ならともかく長文を書くのは苦痛で結局紙に書いた方がはやいと思った。
多くの研究者がよりよい入力法を考えたのだろうが、あまりうまくいった試しはなかったように思う。
しかしその問題は意外な所から解決の糸口が現れた。
携帯電話である。
元々電話であるから電話番号を入力するためにテンキーがついている。そこに、インターネット接続機能、電子メール機能が付加価値として加えられた。そこでは文字を入力する必要が出てくる。そこで日本語はちょうど「あかさたなはまやらわ」の10行あるのでそれぞれのキーにそれぞれの行を当てはめたまた変換予測機能などサポートする機能をつけてみると、以外に苦労なく文字入力ができる。するとネットワークへの接続も整いつつあり入力もさほど苦労なくできるようになった。そして、カメラ、オーディオプレーヤー、ワンセグTV、など他のデジタルデバイスとの融合が計られるようになってきた。その一つの象徴が、iPhoneではないのかと思った。(ちなみにiPhoneにはワンセグ機能はない)Appleらしい大胆なボタンは1個あとは全てタッチパネルというものがどの程度インターフェースとしてすぐれているか?使いやすいか?Appleのことだからいろいろ遊び心があり、使った時の気持ちよさまで考慮に入れているのではないかと期待しつつ、高いけど大学院の研究テーマがコンピュータのインターフェースなので、インターフェースを体験するために買った。
今の所はかなり気持ちよく操作できてる。キーボードも当然小さいけど押すとその文字が拡大された吹き出しが現れる。公平に見てもさすがAppleだなと、思わせる。
ちなみに、今100円ぐらいで売られているモバイルコンピュータもクラウドコンピューティングという概念もネットの充実とインターフェイスの発達による。パーソナルコンピュータからモバイルコンピュータへの移行の中に位置づけられるのではないだろうか



コンピュータのインンターフェースデザイン

大学院1年 鈴木俊一

今まで考えていたのは、現在Mac,Windowsで使われているGUIをより分かりやすくしようというものだった。
しかし、現在コンピュータのあり方が大きく変わってきた。そこでもう一度、原点から考え、その上で現在求められているコンピュータのインターフェースとは何かを考えてき、形にしていこうと思う。
先ずきっかけは、googleがOSを作るというニュースを聞いたことである。OSといえばMacとWindowsが争い、Macはクリエイター向けに特化し、他分野では完全にWindowsがグローバルスタンダードになった。だから、マイクロソフトの牙城は簡単には壊せないと思っていた。それをAppleではなく、ネット検索会社のgoogleがOSを作るというのは、今までのパーソナルコンピュータの概念を変えるぐらいのパラダイムシフトがおきているのかもしれないと思った。ある本でgoogleという企業は他のシリコンバレーの企業とは違う、と書かれてあっただけに、私はよく考え直すときにきているのかもしれないと思った。
そもそも、初期のコンピュータは部屋一杯の大型で複雑な専門家向けの特殊な計算機だった。それに対し、ICチップの小型化、安価化が進み、GUIによって普通の人でも扱えることが出来るようになれば個人がコンピュータを持つ時代が来るという「ダイナブック構想」を発表したのは、アメリカのアラン・ケイだった。当時は画期的なアイディアだったが、現在は彼の予想通りになり、おそらく、現在の大学生で家にパソコンのない人はほとんどいないのではないだろうか。つまり、現在我々は「パーソナルコンピュータの時代」に暮らしている。
しかし、もう一つ重要な要素がコンピュータにはある。それがネットで繋がるということである。アラン・ケイはそこはあまり考えていなかったのではないか。
インターネットは、元々は軍事目的に開発された。一カ所に情報を集めておくと敵の攻撃にあってそこが壊滅すると情報が全て失われてしまう。そこで、情報を分散化してネットワークでつなぎ、いつでも他のコンピュータにアクセスできるようにしようというのが、当初の目的だった。
幸いにして、アメリカが攻撃される戦争は(9.11を除き)起こらなかったので、インターネットは学者が他人の論文をいつでも閲覧できるという研究者向けのものになっていった。
1995年マイクロソフトがWindows95を発売し、事実上の世界標準のOSが生まれた。そのOSにインターネット閲覧ソフトInternet Exploreが付属していたことにより、一部のマニアのものだったネットが普通の人が使えるものとなって爆発的に発展していった。そして、通信速度の高いネットの整備が進み、アメリカではゴア副大統領(当時)が情報スーパーハイウェイ構想を打ち上げ、これからは情報の高速化、大容量化が重要になることを示した。そして、インターネット(そのネットワークがクモの巣のように四方八方に繋がることからweb(クモの巣)とも呼ばれる)は、商業的にも大きく活用され、検索会社やネット通販会社が大きく成長した。例えば、Yahoo!, google, Amazon,日本では楽天、等。
ちなみにインターネットの情報のかたまりを「(web)サイト」といい、その表紙のページを「ホームページ」というが、初心者の中には「ホームページ」とは「サイト」のことだと思っている人も多い。
そして、ネットワークの充実により(それは携帯電話の普及とインターネットとの接続によるところも多い)、またコンピューター自体の計算処理速度、記憶ならびに記録容量の日進月歩の発展により、ネットを使って不自由なく扱える情報が、テキストから静止画、動画と進み、現在ではハイビジョン動画がかなりきれいに見られる程度の段階になった。
googleの話に戻ると、同社は、衛星写真、地図、を全て集め、誰でもすぐに見られるサービスをすでに行っているが、現在、現存する書籍のデジタル化を進行中で、反対もあり不確かではあるが将来ネット上で図書館のように過去の殆どの書籍を閲覧できるように目論んでいる。
ネットのもう一つの重要な点は、無線ネットワークにすることによって、携帯電話やPHSなどのデバイスによってどこからでもアクセスできるという点にある。
もともと、文字でも、画像でも一度デジタル化してしまえば理論上全てコンピュータ上で処理できる。携帯電話、デジタルカメラ、デジタルオーディオプレイヤー、これらは一つのコンピュータで処理することが出来る。そして、それらの機能を一つにしたデバイスがAppleが2007年に発売したiPhoneである。こらは、前述の機能に加え、新たにiPhone用のソフトウェアを買うことによって、理論上限りなく機能を増やせる(記憶容量内という制限はあるが)、またgoogleもAndroidというプラットフォームを公開し、携帯電話上で使えるアプリケーションソフトを誰でも作れるようにした。このような動きによって、我々はネットワークを使ったコンピュータを考えるときに、これらの無線による携帯型デバイスも考慮に入れる必要がでてきた。
一方、有線ネットワークでも「クラウド」もしくは「クラウド・コンピューティング」という考えが昨今、話題になっている。これは、ネットが充実していれば一人一人が高性能のパソコンを持たなくても、コンピュータの「計算」と「情報の保存」はネットに繋がったより高性能のコンピュータが行い、使い手は「情報の入力」と「出力」が出来ればいい、このような考え方だろう。
これらの変化を鑑みると、コンピュータの概念を、元来のパソコン、そしてその一つの機能としてのインターネット閲覧、という考え方を根底から変える必要があるのではないかと考えるようになった。
googleが開発したOSとは従来と考え方が全く違い、アプリケーション機能(ワープロや表計算)をwebブラウザ上で行うらしい。すると、使い手のコンピュータの負担は極めて軽くなる。そもそも、動画編集や3D画像など特別に多くの計算が必要なクリエーター以外の人の多くは、パソコンでは、ワープロで文章を書くとかネットを見るとか、それほど高い処理能力を必要としない使い方をしているのではないだろうか。20世紀の終わり以降の、CPU、メモリ、HDD、通信速度等の飛躍的発展により、それらの処理は現在のコンピュータでは、極簡単に行う事ができる。ネット上のプログラムでも十分出来るだろう。
そうなると、これからのコンピュータを考えると、以下のようになるのではないか。
先ず、巨大なネットワーク網に無数のコンピュータが、地球規模で繋がっている。それらは、相互にアクセスが瞬時に可能である。見たいときに見たい情報に、テキストであれ、静止画であれ、動画であれ、アプリケーションソフトであれ自由にアクセスできる。一部にはお金を払ってアクセスする。そのことで成り立つビジネスもあるが、むしろ無料でサービスを提供して、そこから得られる情報、例えば個人の趣味や購買傾向、それらを広告などに利用して収益をえるというビジネスが新しいビジネスとして注目すべきではないか。
そして、巨大なネットワーク網の中のあるサーバコンピュータ等に自分のサイト等の情報を載せて、携帯デバイスでネット上の情報にアクセスし外出時でもネットワークの情報をいつでも手に入れられ、家に帰れば現在パーソナルコンピュータと呼ばれるコンピュータ上で、それらの情報を管理する。
このように、変わっていくのではないかというのが私の考えである。
すると、私のテーマであるコンピュータのインターフェーデザインというのは、「従来のパソコンのインターフェースを分かりやすくする」といった単純な考えでは出来ないのではないか。
そこで、現時点で考えていることをまとめる。
まず、コンピュータは今後ネットなしには考えられない。自分の「個人用コンピュータ(パソコン)」が、あると考えるのではなく、まず、巨大なネットワーク網があり無数のコンピュータがそれに繋がっていて、原則自由にどこにでもアクセスできる。私たちが「パソコン」と呼んでいるものは、将来その巨大コンピュータネットワークへの窓口の一つになると考える。そうすると、そのインターフェースデザインは先ずどのようにしてそのネットワークに接続し、どのような情報にアクセスするかということを主眼においてデザインすることが望ましい。さらには、自分の携帯デバイスとのシンクロも考慮に入れるべきだろう。
MacはOSXからDockという機能によってアプリケーションとデータのアイコンを分けたがWindowsではアプリケーションソフトとデータを同列にアイコンとして扱っている。もともと、アプリケーションとデータは次元の違う情報だ。まず、そこを分けることをしようと思う。さらにMacではFinderによってフォルダの階層構造を全て見ることが出来る。Winでもそのようなことは可能である。すると、まずMacHDを開く必要もないはずである。私もOSX以降MacHDのアイコンはほとんど使っていない。データの管理はツリー上のインターフェースを使いやすくすれば、どこからでもあらゆるデータにアクセスできるはずである。アプリケーションソフトは、ある機能を使い情報処理をするためのプログラムである。私たちが自分で書いたり集めたりした「データ(情報)」とは、異質なものである。現在では、この両者を、アイコンという形で同列に扱っている。これは、使用者の理解を妨げる要素の一つではないだろうか。アプリケーションを「作ったデータ」と全く別次元の概念として扱う。これは現在考えていることの一つである。
以前の考えでは、従来の「パソコン」のGUIを元にしていたので、「マウス」や「デスクトップ」などを、コンピュータの必要要素と考えていたが、今後のコンピュータでは必ずしもそれらは必要要素にはならないかもしれない。入力も携帯デバイスの場合は、テンキーや十字キーで足りることもあるし、iPhoneではほとんどの操作をタッチパネルで行う。また「パソコン」も機械の小型化でノート型の機能がデスクトップと遜色がなくなり、ノート型を使う人が多くなってきているように思う。すると、ポインティングデバイスとして、マウスではなくトラックパッドを使う人も増えてきたはずである。したがって、マウスにこだわる必要もないし、逆にマウスを使わない人にとっては混乱を招くだけになってしまう。そこで、ポインタつまりポインティングとはそもそも何かを考え、その概念を言葉ではなく図画によって分からせる工夫も考えていきたい。
それから、データをフォルダに入れることによって階層上に、全てのデータを扱うことが出来るということは便利なので変わらないかもしれないが、データをどのように扱うのが一番分かりやすいか、その場合自分のコンピュータの中のデータだけでなくネットワーク上のデータも含めて、考えていきたい。
その場合作業スペースの大きさはそんなに変わる必要がないので、従来のウィンドウで表示するのがいいのかも考察しようと思う。
そもそも、一つの計算しか出来なかったコンピュータが複数の計算を同時に出来るようになった(マルチタスク)ときには、複数の処理を使い分けるためにウィンドウというのは大いに役立ったが、マルチタスクはあたりまえでしかも、その仕事の数が飛躍的に増えた場合、ウィンドウがいくつも重なっている今のインターフェースは逆に煩雑で分かりにくい場合もある。また、ウィンドウの大きさを変える必要のあるタスクがどれだけあるかと考えると、GUIの基本である「複数の、大きさを自由に変えられるウィンドウ」自体このままでいいのか考察の必要があると思う。
したがって、現在私が考えているのは、「従来のパーソナルコンピュータ」から「ネットワーク全体への窓口としてのコンピュータ」という考えにシフトすること。
ゆえに従来のGUIの基本だった、「ウィンドウ」「ポインタ」「アイコン」「マウス」などのあり方についても、その本来の機能と今後のコンピュータのあり方とを合わせて、一から考え直すことである。

2009年9月12日土曜日

「修士作品」における現時点での考察内容     2009/6/12 鈴木俊一

作品テーマ
「事前の学習なしに使えるコンピュータのインターフェイスデザイン」

はじめに、

20世紀の後半から、現在21世紀の始めまで人類の情報環境は著しく変化した。とくに、この10~20年の間に起こった変化は、多くの側面で色々な意味を含んでいる。
産業革命以降、電話、ラジオ、テレビジョン、レコード、写真、映画、など多くの情報メディアが発明され、人類の生活習慣を大きく変えた。その約1世紀後の、我々の直面している、メディアの変化は、人類のコミュニケーションの歴史上、新しいフェーズに入ったことを示しているものと思われる。
前のフェーズと新しいフェーズの違いを要約すれば「アナログ情報からデジタル情報への変化」といっていいだろう。
アナログ情報には物理的な制限が伴う。たとえば、映画を見るには映画館に行かなければならず、レコードを聴くにはレコードとレコードプレーヤーを買わなければならない。しかし、デジタル情報は、その技術の、著しい進歩の早さに伴って、物理的制約を大きく減らしてきている。現在では、好きな音楽を聴きたいときには、ネットワーク上の音楽データを取得すれば家にいながら聞くことができる。映像や文字情報もしかりである。
デジタル情報のもう一つの特徴は、複数の別の情報を同時に一つのメディア装置で扱えることで、複合的な情報を享受できることである。
デジタル情報は、文字、画像、音声、映像、など様々な情報を2進法のコードに置き換える。そのため、そのデジタル化されたデータを解読できる装置は、いろいろな種類の情報を同時に扱うことができる。携帯電話は、電話としても使えるし、カメラにもなり、ネットワークに接続して、ネットワーク上の情報を見たり、eメールなどで自ら情報を発信することもできる。
このように、複数のデジタル情報を扱うものの代表がコンピュータであろう。とくに、科学技術の専門家以外の人々にとって、最も身近かなコンピュータはパーソナルコンピュータであろう。
パーソナル・コンピュータの基礎概念自体は、1960年代から、主にアメリカでアラン・ケイらによって提唱されていたが、普通の人が使うようになったのは、1995年のWindows95の発売によってだろう。それ以前にもMacintoshやWindows3.1はあったのだが、当時の世界標準の基本ソフトはMS-DOSだった。MS-DOSは命令をキーボードから文字として打ち込む必要があったが、MacintoshやWindowsはGUI(Graphical User Interface)と呼ばれる、コンピュータの操作を絵で表示し視覚的、感覚的に操作できる、当時としては画期的なインターフェースを採用して、世界中の人々がパーソナルコンピュータを使うことを容易にした。
そして今では、会社員も学生もほとんどパーソナルコンピュータなしでは仕事が出来ないというほど、パーソナルコンピュータは普及した。その後も数年ごとに基本ソフトおよびそのインターフェースは、改良されてはいるが、基本的操作自体はあまり変わっていない。
現在。デジタル情報の話になると主にインターネットについて、特にビジネスの観点から語られることが多い。
しかし、私はそれ以前にパーソナルコンピュータのインターフェースに、まだ解決されていない問題があるのではないかと考える。GUIになったからといって、問題が全て解決されたということに非常に疑問に感じている。その理由は、パーソナルコンピュータを買ってすぐに使えることがまずないということである。いくらGUIが進歩してもパーソナルコンピュータを初めて使う人は、教室にお金を払って習いにいくか、分厚い解説書を読むか(それ自体理解できない人も多い)、何度もメーカーのサポートサービスに電話をかけたりしなければならず。まだ、初心者には非常に理解しにくいといっていいだろう。
また、耳慣れない専門用語を聞いたり、いろいろな記号が並んでいるキーボードや、何種類ものコネクタが装備されているコンピュータを見ただけで、「難しそう」と敬遠する人も多くいる。この状態は、まだインターフェースに問題点があるということを示している。逆に言えば、まだインターフェースデザインには開発する余地が多く残されているともいえる。
そこで私は、この「学習が必要な不便さ」、「難しいからやらないという諦め」を克服するインターフェースを作ることは、重要なことだと思い、「事前の学習なしで使えるようなインターフェース」を作ろうと考えた。
もし、これが実現すれば、私個人の実績になるということにとどまらず、社会的にも大きな意味があるだろう。



Ⅰ.このインターフェースの基本的概念
  
 1「進化するインターフェース」

  01)基本構造   初心者が望むインターフェースと上級者が望むインターフェース         は違う。従って「初心者向け」「中級者向け」「上級者向け」と違ったインターフェースをデザインする。使用者は自分の習熟度に応じて、それぞれにあったインターフェースを使う。基本は「初心者向け」「中級者向け」「上級者向け」と進んでいって。その中で使用しながら学習してもらい、最後には既存のOSのインターフェースを使えるようになってもらう。
このように複数のインターフェースを使い分けることは、技術的には全く難しいことではない。
また必要に応じて「初心者向け」「中級者向け」だけを使い続けてもらってもよい。
  02)各段階のインターフェースの相違点
   ①「機能とその説明」 初心者は、基本を覚えるのが先なので、複雑な機能は必要ない。また、複雑な機能を全て説明すると難しくてかえって理解できない。その結果、コンピュータは難しいという先入観を強化してしまう。従って初心者向けのものは機能を絞ってシンプルなものにする。
中級者は、「初心者向け」で覚えた機能に少し機能を足し、基本的機能と付加機能との使い分けを把握し。それによってコンピュータの基本的な概念構造を体験的に理解してもらう。
上級者は基本操作や機能は知っているので、「上級者向け」には、より高度な機能を求められる。上級者には多くの細かい設定などの機能が求められるので複雑で抽象的なインターフェースになる。

   ②「表示するイメージ」 「初心者向け」には、できるだけ、具象的な表現を使う。そしてそのイメージと機能の関連を使ってるうちに自然に頭の中でつながるようにする。また基本的な物や画の呼称とその機能の関連をイメージを媒介にして覚えやすくする。e.g.マウスをネズミのようなイメージで示すことによって、このポインティングデバイスと「マウス」という呼称をイメージによって関連づけさせる。
機能と関係ないイメージは出来るだけ使わない。e.g.アプリケーションソフトの名称の頭文字をデザイン化したものなど。また、まだ機能を理解できていないので、専門用語を示すと、複雑で分かりにくくなってしまうので、テキストは出来る限り使わない。
「中級者向け」の場合はイメージと機能がつながるということがわかっているので、むしろ、あまり具象的なイメージはではうるさい。また、次のステップでさらに抽象的なインターフェースに入っていくので、「初心者向け」よりはイメージを抽象化、単純化していく。また、機能を理解しているし、いずれは専門用語も使えるようになるのが理想なので、基本的な用語をテキストとして、機能を使用したさいに表示する。また、必要に応じて機能の説明も解りやすい文章で読むことも可能にする。それによって、用語の記憶と機能の理解を促進する。
「上級者向け」は、基本概念や用語は理解しているという前提なので、複雑な機能も抽象的、単純なイメージを自分で利用しやすいようにカスタマイズできるようにする。また、簡単な説明はほとんど必要がなく邪魔なので示さない。そのかわり複雑な機能については多少難しくても、細かい説明が読めるような機能を持たせる。
  3)全画面に共通すること
   ①全ての画面に共通して動かない、エレメントを置くことによって、これらの画面が共通したコンピュータのインターフェースであることを示すことで、全体を見渡す視線を使用者に持たせる。(e.g.Macintoshのアップルマーク)、そのことによって自分のそのコンピュータにおける立ち位置を把握しながら進むことが出来る。さらに、そのことによってコンピュータ一般の理解も深まる。
   ②間違って入力しても、すぐに簡単にもとの戻せる機能を常に置いておく。コンピュータの初心者は特に間違ったキーを押したり、クリックすることで大きな失敗をするのではないかと怖れるあまり、キーを押したりクリックすることを躊躇することがある。必ず元に戻れることが確実に解れば、躊躇せずにいろいろなキーを押して試行錯誤して使い方を習得するのが早くなる。
   ③デコレーション(飾り)は、極力使わない。飾りと機能を示す記号を混同することを避けるため、機能と無関係のデコレーションは避ける。特に、「初心者向け」「中級者向け」には重要である。機能を示す記号をいかに相手にすんなり理解させるかという点でデザイン性の高さを目指す。無論デザインの「美」も重要なファクターだと考えるが、それは機能を追求して生まれる「機能美」や解りやすく覚えてもらうためのアイディアにあるユーモア(e.g.いらなくなった書類を破棄する場所にゴミ箱の絵を示すなど)、機能と全く矛盾しない、むしろ正比例する形で現れるものだと考える。

追記
コンピュータのインターフェースのデザインについて考えてきたが、実際に修士作品として扱うのは、その一部のスクリーン上のインターフェースのみになる。これは時間的な理由であるが、画面以外のインターフェースについても改善の余地があると考えるので、そのことに触れておく。
1.「ハードウェアのインターフェースの問題点」 一つはキーボード。あまりにも素人には理解できないキーが並びすぎている。また、日本に限れば、多くの人がローマ字入力をしているのに仮名入力用の仮名を必ずつける必要があるのか。仮名入力の人がオプションで仮名入りキーボードを選べるようにすばいいのではないか。文字の配列も昔のタイプライターから続いているが、コンピュータの入力にこの配列が最も向いているのか研究はどれだけなされたのか疑問である。
USBの登場によって、コネクタの複雑度は大幅に下がったが、それでもまだ数種類のコネクタがあり、またUSBのたこ足状態が複雑度を逆にあげている面もあり、まだ理想的とまではいえない。
メディアについても、まずCDが登場してしばらくは音楽メディアを独占していたが、書き込み可能なCD-R、読み込み書き込みが可能なCD-RW、さらには、データ容量が大きいDVDが登場して、また情報記録メディアとしてDVD-R、DVD-RW、DVD-RAM,、そして今ブルーレイがでてきて、12cmのディスクメディアだけでもこれだけある。また今度は音楽を聴くためには、音楽を圧縮して持ち歩くようになると、圧縮方式だけでも数えきれないほどある。メディアだけでも全てを理解し利用するために大変な時間と労力が求められる。この問題もメーカーは考えてもらいたい。
やはりパーソナルコンピュータは難しいと敬遠されても仕方ないのではないか、とさえ思えてしまう。
それによって、ネットワークに接続できる人と出来ない人との格差が広がれば、それは、単に商売の問題ではなく、社会の問題にもなってくる。コンピュータの制作者は、今は、それぐらいの心構えをもって仕事をしてほしい。

2.「ネットワーク上の情報の検索について」現在多くの人がネットワーク上の情報を調べるときキーワード検索をしているのではないか。09年現在、主な検索サービスをしているのはYahoo!とgoogleだが、Yahoo!は、分類型の検索もできるが、googleはほぼキーワード検索のみである。始めてキーワード検索をしたときには世界中のあらゆる情報が一瞬のうちに何百万件と出てくる技術のすごさに驚いて感動した覚えがある。しかし、冷静に考えてみると、キーワード検索ってそんなに便利だろうか?私事だが、私は犬を飼っていて将来、老人ホームや病院に行って、お年寄りや病気の方々に癒しを与えるセラピー犬にしようと思って獣医さんに相談したところ、「アニマルセラピー」でキーワード検索したら、数百万件ものページがヒットして、結局この中から調べるのは今は無理だと諦めたことがあった。
たとえば自分のうちの近くの歯医者さんがどこにあるのか調べるのにキーワード検索だと、地元の地名、歯医者、歯科、など思いつく物を入れてキーワード検索してもみつからず、すぐ近くの鈴木デンタルクリニックには全くヒットしないということも起こりうる。さらに、その歯医者さんがホームページを出してないかもしれない。
このようにキーワード検索は、一見すごい便利なシステムだと思っても、実際はうまくヒットするかどうかは賭けのようなものになってしまう不安定なシステムなのだ。
従って、物事を分類していく検索方式、それをここでは仮に系統樹型検索と呼ぼう、その系統樹型検索の方がキーワード検索より、ずっと確実で、目的に到達しやすいと考える。キーワード検索は求めているもの、例えばデザインに関する本を探していて、いくらキーワードに「デザイン」と入れても書名にデザインという言葉がなければヒットしない。また、キーワードにだけ反応するので冗談で使った言葉も、学問的に研究するために使った言葉も同列に扱われてしまい、キーワード検索に引っかかったものの中からさらに自力で、自分に必要な情報を選別しなければいけない、という点で相当不便な検索方法といえるだろう、それに比べて系統樹型検索は、次々に選別していけば、その情報が存在している限りいつかたどり着く。より簡単でより確実な物だと考えられる。
もちろん系統樹型検索には人間の主観による分類が必要であり、コストもかかるし分類者の価値観が反映されて公平でないこともあるかもしれないが、百万ページの中から自分の欲しい情報を選ぶ手間にくらべれば、十分克服できる問題だと思う。「リンネの植物学」以来、人類には分類学の膨大な業績があるのだから、系統樹を作ることはそんなに難しい話ではないだろう。書店や図書館では既にやっていることである。またコンピュータの能力によって複数の系統樹を作り必要に応じて乗り換えることが出来るシステムも構築可能だ。
さらに、本筋からずれるが、私が考えているのは役所はもちろん「医者」「弁護士」「電話配線」「鉄道会社」「NPO法人」など、公共性の高いサービスを行う者は、フォーマットを決めてWebサイトを作るのを条例などで義務づけたらどうかと思う。サイトを作ることはそれほど大きな出費でもないだろうし、もしそのような自治体があったら、住民はコンピュータを使ってみたくなるし、使えば実際便利だと思う。フォーマットを決めるというのが重要で、もし10人の医者がばらばらにWebサイトを作ったら、10通りの使い方を覚えなければならないが、フォーマットがあれば1通りの使い方さえ覚えれば、後は同じフォーマットのページは、何十ページでも読める。インターネットは難しいという、不安を取り除くのには大きな役割を果たすと思われる。


以上が、現在私が考えていることです。次に何をすればよいのでしょうか、コンピュータやインターフェースのことをもっと調べるべきか?アイディアを具体化させる仕事をするべきか、もう一度アイディアから考え直すべきか?アドバイスをいただけたら幸いです。




2009年10月9日金曜日

文学特殊研究

6日の「文学特殊研究」の授業は、学生は私一人。OBの男の人がきていた。とにかく、へたでもできるだけ毎回出そうと思って、一晩で「恋」という小説を書いた。
確かに、今までより気持ちがのってなくて、自分でもあまり感動はしなかったが一応書きたいことは書けた。しかし、私が「小説が読めない」といってから、先生はかなり厳しく、この作品は全否定された。こっちも、あまり小説読まないで書いているので、色々いわれるだろうけど、それをこやしにしていこうと思ってきいていた。
曰く、(パラパラとページめくってほとんど読まず)「書きたいことの動機が見えにくい」「書かせているものがわからない」「読むのが辛くなってきた」「文章ではない」「何か大事なことがあるのを書くのが小説」「ケータイ小説って知ってる?基礎だけがあって後は何もない。ちょっとは読めることもあるけど」「なぜこの文章を書くのか。何を書きたいのかわからない」「きみは始めから変わってない」「本気で文章を書いてほしい」「ここにかかれた言葉ははみんなが使う言葉。TVやマンガで使われている記号のようなもの」「表現の言葉でもない。ノートの写しのよう」「言葉とはありふれているからこそ気を使う」「『美人』を言葉で書いて見てよ」OBの方も気を使いつつだが「みんなが使う言葉でも、自分だけが使う言葉ってあると思う」どちらが言ったか忘れたが「これは全て『情報』。『情報』にもなってない。使い古されたラベルを使ってる。文学は言葉で書かれているけど情報にはなり得ない」「君の本当の声を聞きたい」「『本当の声』とか『叙情』を排してる」「『文学』とは大事な営み」「文学は教えを述べる場ではない」「本当のことを努力して、本気で書かなければ」「しかし、これをずっと書いているのはある種の才能かも」「文章を扱う仕事で『文学』以上のものはない」「反響盤、自分の中にある」「文章にクリエイティブなバイブレーション与える」「人のもの読めないのは、畏怖。『こわい』ということを書く」「いましゃべってつまった。そのほうが文学」「文学とは小説だけではない。小説についての文学がある」「読めないのならなぜ読めないのかを書けばいい」といわれ「blogに書きました」といと「blogなんて文学とは何の関係もない。あんなもの」というので「僕はblogにかなり深いことも書いているんですけど、blogだからという理由で全てダメと決めつけるのは一方的じゃないですか」といったら「じゃあ、blogで書いたことを言ってごらん」「まず、小説のもってまわった言い方がイヤだ」「うん、なるほど、それはどの小説のどの部分?」「それは、言えるだけの知識がありませんけれども」「じゃあ、君がもってまわった言い方でないと思うのはだれ」「例えばゲーテのファウストとか」OBの人が「ファウストがもってまわった言い方じゃないっていうのはすごい感性だと思いますけどね」「それから」「なんで読めないのか自分でもわからないから、誰か教えてほしいと書きました」というと「わからないというのはいいよね」「『文学』という世界、昔はエーテル界といったが、があって、言葉を媒介にしたコミュニケーションの場」「わからなくても求心力あるものもある」「君は独特の歯車はあるんだよね」「僕なんて、とにかく気が狂ったように読んだ。すると、文学の細胞分裂がおこる」「読めないものにあたったのかも。読めるものだけを読むとか」「シナリオを習ったことがあって、そこでは形容詞は使わないんですねそれは大道具さんや小道具さんの仕事だから」「なるほど、じゃあ会話だけでできている小説もあるけど『蜘蛛女のキス』」「会話の勉強はシェークスピアだね」「ボルヘスとかは?」「小説以外ではどんな本読んでるの?」「心理学とか社会学とか哲学とか」「例えば誰?」「心理学は河合隼雄さんとか」「どうして」「悩んでいる時があって一番胸に響いたので」「それはいいことだ。あとは?」「社会学では宮台真司さん、哲学では東浩紀さん」OBの人が「東浩紀はもう芸人ですね」「おれも◯◯賞の時は審査員で全然わからないんだよ。だからわからないって言った。デリダはわかるんだけど東浩紀はわからないんだよね」OBの人が「河合隼雄が推薦してた井筒?」「井筒俊彦の「意識と本質」読みました」「どうだった?」「この人は『意識』とか『本質』という言葉を極めて厳密に使っているなと思いました」というとなぜかしばらくしーんとなった。私は「質問なんですけど、細かく書くには取材とかを・・・」「今はそんなことは考えないでいい。文章を書くということをする。」「技術よりも、掘り当てることが大事」「無理なものは読まなくていい」「うちから声を出す練習」「読めないことを探求し動機にする」「印象に残ったことをノートに書く」OBの人「人の文章を写すと、自分がいたように見えてくる」「小説とは、体内にある『物語』の要約」「昨日一日を、今までの人生を要約してみなさい」「『文学』とは根っこは何倍も大きい。外に出てるのはほんのちょっと。言葉にできない部分を共有している『共同体』」私が「僕は知識が広く浅いんですよ」というと「一カ所深くした方がいい」「たった一人に向けて書くつもりで書いてごらん」
私はそれでも谷崎潤一郎の「文章読本」読んで、少し読むのが苦痛でなくなってきて「かかとをなくした女」をよんで、こんな小説でもいいのかと驚いた。少しずつ読みやすそうなものから読んでいこうと思った。とりあえず「きのうの神さま」西川美和が読みやすそうなので買って読んだ。

2009年10月6日火曜日



今日は、クラスに転校生が来た

女の子

名前は、中川亜梨沙

すっごいかわいい。

目はパッチリとした二重だし、小顔で、背は低いけど、口もととかもキリッと引きしまって、すごい意志も強そう。

男子たちはきっと、興奮して帰ったんだろう

彼氏はいるのか?どんな男がタイプか?


すごい美人だし、なんか上品な感じもするけど、女の私から見てもあんまりイヤな感じはしない。ちょっと、はにかんでシャイなところもあって、女にも好感もたれるタイプって感じ。でも、なんか気軽に話せそうってかんじではない。

見た目と、シャイな性格、さらに頭も育ちもよさそうなので、なんとなく話しかけるのに緊張する。あるていどは親しくなれそう。でも、ホントにうちとけるのは、ちょっと難しそうなかんじもする。

嫌いじゃないんだけど。

うちらみたいな小さな街の公立高校の中では、何か、他とちがうオーラを出している。


うちの学校は、けっこう郊外にある新しい学校だけど偏差値はそんなに低くない。

まじめにやってる子はすごいまじめにやってて、毎年5~6人は東大に入る人もいる。

でも、はじめからあきらめてしまってる子とかは、どこにも入れず、浪人する率も結構高い。


スポーツは、あまり目立ってよいわけではないが、それでも青春の思い出にガンバってる子はガンバってる。


クラスの中は、なんかグループみたくなってるけど。それぞれ、仲が悪いわけではない。

まず、頭がよくて遊びも知ってる子のグループ。この子たちが一番あこがれられてる。実際カッコいいと、私も思う。それから、勉強だけやって地味な人たち。大体、うちらよりはいい大学に入るけど、悪いけどあまりカッコいいとはいえない。勉強ができても、あのグループには(悪意はないが)入りたくない。それから、私たち普通の女の子ってかんじの子のグループ。大人たちが「若い女の子」と思ってるイメージはだいたいうちらのグループの女の子だろう。流行といっても、テレビや雑誌レベルだけど、それらに敏感に反応する。ようするにミーハー。毎日の話題といえば、ジャニーズとお笑い。毎週ドラマのことで盛り上がれる。


他に「オタク」が数名。うちらとはお互いに干渉しあわないから、あまり関わりがない。


男子の方は、くわしくはわからないけど、女子と似てるところもあるかもしれない。

頭がよくて、カッコいいグループがあって、その中でも一人突出してカッコいいのがいる。女子は内心ほぼ全員あこがれている。キムタクとどっちがいい?ときかれたら迷うぐらいだ。

名前は、増田兼一

バスケ部のスタープレイヤーで、頭もいい

親が政治家なので、将来は政治家になるかもしれないといってた。

当然、お金持ちで大学に入ったら車を買ってもらえるらしい。

うちらのグループの中では秘かに「兼一ファンクラブ」を作っている。

兼一のタイプを予想して、誰が玉の輿にのれるかを競って盛り上がっている。


彼は、私たちの希望的観測では彼女はいないようだ。少なくともステディなのは。

「オタク」の方々もマンガを書くときカッコいい主人公は、兼一を頭にうかべて描くといってた。

うちらには、憧れの王子様だけど、カッコいい女の子たちは、もっと真剣だ。実際つきあえる可能性があるのだから。

彼女らは、あからさまに兼一をもてはやしたりしない。だけど、それとなく近づいていってなんとなく親しげに話しかける。

彼女たちの間でも、もちろん水面下での激しいバトルがあるのだ。

彼の事を「兼一」と呼び捨てにできるのは、クラスでは2人だけだ。もちろんもてるグループの1位と2位。


兼一は、バスケはスポーツ推薦が受けられるほどの腕前。

わたしたちは、試合の応援に行くときに、チアリーダーをのぞけば、全員兼一にクギヅケ。

タンクトップで短パンで、ボールを軽々バウンドさせてる姿だけで、そのままポスターになりそうなほど、ドキッとさせる。練習中何度もダンクシュートをきめても、彼はいつでもクールだ。その、自然さ、きどりのなさが乙女心をさらに燃えさせる。

わたしらは、試合の応援で、黄色い声援をあげてるだけで青春できてしまう。

兼一のあの気取らなさ。どこからきているんだろう。勉強も学年でトップ10以下になったことはない。ルックスについていえば、兼一は原宿、表参道はなるべく歩かないようにしてるそうだ。理由はモデルやタレントの勧誘が多すぎるからだ。

それだけ、持てるものを全てもってる兼一が幸せかというと、彼はいつもどこか影を背負っている。なにごとも、なんなくこなすのに、ほとんど笑わない。なにか、淋しそう、悲しそうに見えてしまう。そこがまた、母性本能を刺激して、なんとか守ってあげたくなってしまうのだが。

兼一とデートするとしたらどこへ行くかな?原宿、渋谷はガキっぽいし、やっぱり青山とかでおしゃれなカフェテラスで、私はロイヤルミルクティー、彼はブラックのコーヒーに砂糖を二つ入れて、「今日はおしかったね、試合」「ああ」「すごい応援してたんだよ。きこえた?」「頭にはいんないよ。そんな試合中」「そりゃそうだね、あそうだ、ここのチーズケーキすっごいおいしいんだよ。しってた」「いや」「たのむ?」「どっちでもいいよ」「ちゃんと答えてよ!もう」といっても兼一は上の空で、街並を眺めている。なーんて、こうやっていつもヴァーチャルデートを楽しんでいる。


ところで、亜梨沙ちゃんがきてから3日目。

うちの学校は、お弁当は誰と食べてもいいことになっている。

だいたい、前にいったグループごとにまとまって食べている。

亜梨沙ちゃんは誰も知ってる人がいないし、シャイなので、この3日間ひとりで食べていた。

私は声をかけようか少し迷った。亜梨沙ちゃんほどの美人がうちらミーハーなグループに入って、うまくつきあえるのかな?本人も満足するのかな?

そんなことを心配していたら、ちょうどカッコイイ系のグループの一人から声を掛られたようだった。私は、亜梨沙ちゃんのことを思えばよかったとは思ったが、すこし淋しい気がしたのも事実だ。


カッコいい子たちの話題は、最新のファッション、今話題の外国映画、小説、洋楽などだ。テレビ、お笑い、ジャニーズ、などの話題が出ることはない。

亜梨沙ちゃんはみんなが話していて盛り上がっていても、それを見ていて一緒になって笑うけど、自分からはほとんど話さない。誰かが気を使って、亜梨沙ちゃんはどう?ってふっても、「うん」とか「はい」とか「べつに特には・・・」とか曖昧な答えしか返してこない。でも、それで周りの人をイヤな気にさせるわけでもないので、なんとなくそういうキャラなんだとみんなも思いだしてきて、別段彼女の事を気にかけることもなくなってきた。


カッコいい子のリーダーは、冨永優子。親は不動産会社の社長で、都内にいくつかの大きな土地を持っているらしい。やはり、その人の持っているセンスの良さは親の社会的地位や収入と比例するらしい。パーマをかけた長い茶髪は、彼女のかもし出す優雅さによって決して派手には感じられない。彼女の社交的な性格はときに押しの強い印象を与えるが。総合的に見て、うちのクラスでは一番の「いい女」なのだろう。

No.2は吉岡ゆかり。親は輸入商。冨永のような外向性はなく、対照的に何事につけても控え目。しかし、それは彼女の冷徹な計算の上でのことである。常に冨永と対立するの避けてきたのでNo.2のポジションを維持し続けることができたのだ。冨永への忠誠を誓ったため、No.2の地位を冨永が保証しているからだ。

こうして見ると、つくづくこういう「政治力学」にかかわらない自分が幸せに感じた。


冨永は兼一を本気で狙っている。ゆかりは始めからレースから降りているので、冨永のライバルは事実上いない。あとは兼一が自分に振り向くかどうかということだけだ。

ある意味、もっともシビアに自分の価値を試される。それでも冨永は兼一を諦めることができなかった。はじめは、自分はどんな男をも虜にできるという自尊心からの挑戦だったが、どんな誘いにも兼一はのってこない。今はプライドを捨ててでも兼一に振り向いてもらいたい。プライドと熱愛の両者が混ざって、もう何が目的かわからないがとにかく兼一に振り向いてほしい。気持ちだけが膨らんでいくが、どんなに色気で迫っても、しとやかに迫っても兼一は彼女に振り向かない。

冨永はそのことについてかなりナーバスになっていた。周りの人も、その空気を感じ冨永の前では兼一の話は避けるようになっていった。


兼一はといえば、彼はこれだけモテるのに女には全く興味を示さない。黙々とコートでバスケの練習に汗を流しているのだが、それがまた女子たちの心を掴むのだ。

しかしなぜ女に興味を示さないのか?

一時期「ホモ説」も流れたが。その対象になる男が見つからず、その説は否定された。

とにかく、欲しければいつでも手に入るので、なんとか手に入れようという焦りがないのだろうというところは確からしい。

しかし、彼のあの女に対するクールな態度。そして、彼にいつもかかっているある種の影。これは、何なのか。これこそが、女子の胸を釘づけるのだが、それにしても単純に何故なのか知りたい。


ある日、下校時に雨が降っていた。冨永は運良く傘を持っていた。兼一は、冨永にとっては幸運にも傘を持っていなかった。

「兼一、わたし傘を持っているから、入っていく?」

「いいよ。俺は濡れていく」

「風邪引くって。せっかく誘ってるんだから、断らなくてもよくない?それとも何か私に傘を借りることが出来ない理由でもあるの?」

「じゃあ御言葉に甘えて」

といって、二人で一つの傘を共有して駅まで歩いた。冨永にとっては千載一遇のチャンス。なんとかここで、兼一にいい印象を与えなければならないと気を入れ直した。

「この前の試合よかったね。兼一もシュートきめて」

「ああ、どうも」

「あいかわらず、口数少ないな」

「ああ」

「ほらまた、せっかくいっしょに帰ってるんだからなんか話そうよ」

「別に話すことなんかないよ」

「そういわないで!暗いなー」

「暗いんだからしょうがないじゃないか」

「なんかないの?興味のあることとか」

「バスケと受験のこと以外考えることないな」

「受験はどうなの。どこかねらってるの」

「ある程度のとこは行きたいな。東大は難しいけど、早慶か一橋ぐらいはいきたい」

「すごい。私なんか無理だよ」

「他人は関係ないよ」

「自分のため?自分の将来のため?」

「まあそうだね、あもう駅見えたから行くよ。ありがと」

といって走っていった。

ひとり残された冨永は、落胆と心細さで、いつもの強気な彼女とは思えないようにいまにも泣き出しそうだった。私のどこが悪かったの。なれなれすぎた?だったらもっとおしとやかに接したら、私に振り向いた?そんなことはない。なんなのこの力の抜ける気持ち。無力感っていうのかな。私のことが嫌いなのかな?それもちがう。だって誰にだってああなんだもん。どうすればいいの?諦めるべきってこと?それはつらすぎる。でも、どうしろっていうの。どうしたって振り向かないんだもん。どうすることもできない。

と思ったとき雨だれが傘から落ちると同時に冨永の目から涙がひとすじ流れ落ちた。


次の日、お昼に机を並べてみんなでお弁当を食べてるとき、冨永は無口であった。他の子たちはおしゃべりに花を咲かせていた。

亜梨沙ちゃんは、段々この学校にも慣れてきて、兼一がみんなの憧れの的だということも、その他の人間関係もだいぶわかってきた。亜梨沙ちゃんは相変わらず口数は少ないがなんとなくみんなの話題についていっていた。私も亜梨沙ちゃんのことが段々わかってきたが、亜梨沙ちゃんはいわゆる「能ある鷹は爪を隠す」タイプで、実はズバ抜けて頭のいい子なのではないかと思うようになってきた。彼女は口数は少ないが、相手の聴いたことを相手よりも明晰に理解して、最も適切な一言を残す。私たちは、彼女に話すことで自分自身を知ることができる。本人は極めて謙虚なのだが、いつのまにか彼女の周りには彼女を慕うように人々が集まった。

これは、冨永らに多少の嫉妬を買ったが。彼女らも亜梨沙ちゃんを憎めなかった。それだけ、人から憎しみを買わないように振る舞ってきたのだ。そういう意味でも頭がいい。


運動会が終わって、道具やテントをしまう係に亜梨沙ちゃんは選ばれていた。先生方がすわるテントがあって、その柱を片付けなければならない。その係に幸か不幸か、兼一もいた。クラスは違っても顔はもちろん知っている。とくに兼一は学校中の女子が知っている。亜梨沙ちゃんは、兼一を見つけすこしうろたえた。今まで、人に嫌われないように気を使って生きてきたのに、ここで抜けがけ的に兼一と親しくするのは、学校中の女子を敵にまわすことを意味した。

亜梨沙ちゃんは、できるだけ平成を装って、親しくしすぎず、冷たくなりすぎず気を使って対応した。彼女にとっては綱渡りのような時間だった。

幸運にも兼一も無口なので、二人が言葉を交わすことはあまりなかった。

「この柱運ぼうよ」

「はい」

「俺がこっち持つから、亜梨沙ちゃんが向こうもって」

クラスが違って、しゃべったこともないのに亜梨沙ちゃんと下の名前で呼んでもらえて、亜梨沙ちゃんは少しうろたえた。と同時にすごく嬉しかった。

「はい」

といって柱を持って運ぶ。

「そこ、そこ。ほら天井気をつけて」

「はい」

こんな調子で、二人で柱を倉庫に全て運び込むのには45分ぐらいかかった。

無言ではあったが、共同作業しているうちに段々息も合ってくる。相手のクセや性格も少しづつわかっていった。兼一も亜梨沙ちゃんも学校一の美男美女。仕事が終わった後の達成感に、何かが加わっていた。それが、「恋愛感情」だということは頭のいい二人にはすぐにわかった。そして、共同作業中、お互いの言葉にならない身体的な共振を感じていた。

二人とも、これで終わりにはしたくなかった。でも、それ以上一緒にいる理由もなかった。亜梨沙ちゃんは周りからの嫉妬も怖れていた。

兼一から切り出した。

「つかれたから、ジュースでも飲まない?」

「はい」

倉庫から、自動販売機までは歩いて5分。

その間、二人は一緒の時間を大事にしたいと思った。

いつもは無口な亜梨沙ちゃんも今日ばかりは、この5分だけは積極的であった。

「兼一さんすごいですね。バスケだけじゃなくて走るのも速いんですね。私おどろいちゃった」

「そんなことないよ、組み合わせに恵まれただけだよ。一番速い北村が同じグループにいなかったから」

「でも、すごいですよ。運動も勉強もできて。うらやましいですよ」

「そんなものが、幸せに関係あるのかな」

「ありますよ!!兼一さんのお父さんは政治家でしょ。いい大学出たら、お父さんの跡を継いで政治家に成れるじゃないですか!」

「政治家になる事が幸せなのかな」

「兼一さんだったら国会議員になって、将来は総理大臣になれるかも!」

「総理大臣か、なりたい人がいればゆずってやるよ」

「政治家はお嫌いですか」

「俺が何のために、勉強にスポーツにガンバってると思う?」

「・・・」

「親父の地盤を継ぐためさ。政治家ってのはなろうと思ったってなれない。後援組織がクモの巣のように張り巡らされていて、その中で身動きが取れないのが政治家なんだ。小さい頃から見てきたからよくわかる。一度作った地盤はそう簡単に人に渡せない。だから親父は俺を立派な政治家にするためにエリート教育をずっとしてきたんだ。そして、政財界とのつながりの多い家から嫁をもらうことまでもうきめてあるんだ。俺の人生はもう半分以上決まったんだ。俺の意志なんか通す余地はないんだ。個人がするんじゃない。組織がそうなっているから、どんなに個人が異議を唱えても効き目がないことは昔からよくわかってた。だから俺にあるのは親父が作った栄光だけで、俺自身が作った夢も希望も始めからあり得なかったんだ。勉強もスポーツも結婚も、すべて俺が政治家として有利になるためだけにやっていくだけなんだ」

兼一は、たまっていた鬱憤を一気にぶつけるように、拳でコンクリートの壁を思い切りたたいた。あまりの音の大きさに亜梨沙ちゃんは、一瞬恐怖を感じ、つばを呑み込んだ。

「ごめん、ついぐちになっちゃって。君があまりに聞き上手だから、つい気を許してよけいなことまで言ってしまった。

「え、いえ。そんな・・・」

亜梨沙ちゃんは、そのときどうして兼一が女に興味を示さなかったのか、どうしていつも暗い顔をしていたのかが、一瞬にして理解できた。

こんなに近づいたので、みんなからはひどい嫉妬に合うだろうと思った。

でも、それでもこの5分間は亜梨沙ちゃんにとってはとても大事な時間だった。たとえ、どんなに嫉妬されても、この時間を持てたことはよかったと亜梨沙ちゃんは思った。


「この時間はたぶん、私は一生忘れないだろう

それは、青春の甘酸っぱさとともにいつも思いだされるだろう」

亜梨沙ちゃんはそう思った。


2009106日火曜日