2009年10月9日金曜日

文学特殊研究

6日の「文学特殊研究」の授業は、学生は私一人。OBの男の人がきていた。とにかく、へたでもできるだけ毎回出そうと思って、一晩で「恋」という小説を書いた。
確かに、今までより気持ちがのってなくて、自分でもあまり感動はしなかったが一応書きたいことは書けた。しかし、私が「小説が読めない」といってから、先生はかなり厳しく、この作品は全否定された。こっちも、あまり小説読まないで書いているので、色々いわれるだろうけど、それをこやしにしていこうと思ってきいていた。
曰く、(パラパラとページめくってほとんど読まず)「書きたいことの動機が見えにくい」「書かせているものがわからない」「読むのが辛くなってきた」「文章ではない」「何か大事なことがあるのを書くのが小説」「ケータイ小説って知ってる?基礎だけがあって後は何もない。ちょっとは読めることもあるけど」「なぜこの文章を書くのか。何を書きたいのかわからない」「きみは始めから変わってない」「本気で文章を書いてほしい」「ここにかかれた言葉ははみんなが使う言葉。TVやマンガで使われている記号のようなもの」「表現の言葉でもない。ノートの写しのよう」「言葉とはありふれているからこそ気を使う」「『美人』を言葉で書いて見てよ」OBの方も気を使いつつだが「みんなが使う言葉でも、自分だけが使う言葉ってあると思う」どちらが言ったか忘れたが「これは全て『情報』。『情報』にもなってない。使い古されたラベルを使ってる。文学は言葉で書かれているけど情報にはなり得ない」「君の本当の声を聞きたい」「『本当の声』とか『叙情』を排してる」「『文学』とは大事な営み」「文学は教えを述べる場ではない」「本当のことを努力して、本気で書かなければ」「しかし、これをずっと書いているのはある種の才能かも」「文章を扱う仕事で『文学』以上のものはない」「反響盤、自分の中にある」「文章にクリエイティブなバイブレーション与える」「人のもの読めないのは、畏怖。『こわい』ということを書く」「いましゃべってつまった。そのほうが文学」「文学とは小説だけではない。小説についての文学がある」「読めないのならなぜ読めないのかを書けばいい」といわれ「blogに書きました」といと「blogなんて文学とは何の関係もない。あんなもの」というので「僕はblogにかなり深いことも書いているんですけど、blogだからという理由で全てダメと決めつけるのは一方的じゃないですか」といったら「じゃあ、blogで書いたことを言ってごらん」「まず、小説のもってまわった言い方がイヤだ」「うん、なるほど、それはどの小説のどの部分?」「それは、言えるだけの知識がありませんけれども」「じゃあ、君がもってまわった言い方でないと思うのはだれ」「例えばゲーテのファウストとか」OBの人が「ファウストがもってまわった言い方じゃないっていうのはすごい感性だと思いますけどね」「それから」「なんで読めないのか自分でもわからないから、誰か教えてほしいと書きました」というと「わからないというのはいいよね」「『文学』という世界、昔はエーテル界といったが、があって、言葉を媒介にしたコミュニケーションの場」「わからなくても求心力あるものもある」「君は独特の歯車はあるんだよね」「僕なんて、とにかく気が狂ったように読んだ。すると、文学の細胞分裂がおこる」「読めないものにあたったのかも。読めるものだけを読むとか」「シナリオを習ったことがあって、そこでは形容詞は使わないんですねそれは大道具さんや小道具さんの仕事だから」「なるほど、じゃあ会話だけでできている小説もあるけど『蜘蛛女のキス』」「会話の勉強はシェークスピアだね」「ボルヘスとかは?」「小説以外ではどんな本読んでるの?」「心理学とか社会学とか哲学とか」「例えば誰?」「心理学は河合隼雄さんとか」「どうして」「悩んでいる時があって一番胸に響いたので」「それはいいことだ。あとは?」「社会学では宮台真司さん、哲学では東浩紀さん」OBの人が「東浩紀はもう芸人ですね」「おれも◯◯賞の時は審査員で全然わからないんだよ。だからわからないって言った。デリダはわかるんだけど東浩紀はわからないんだよね」OBの人が「河合隼雄が推薦してた井筒?」「井筒俊彦の「意識と本質」読みました」「どうだった?」「この人は『意識』とか『本質』という言葉を極めて厳密に使っているなと思いました」というとなぜかしばらくしーんとなった。私は「質問なんですけど、細かく書くには取材とかを・・・」「今はそんなことは考えないでいい。文章を書くということをする。」「技術よりも、掘り当てることが大事」「無理なものは読まなくていい」「うちから声を出す練習」「読めないことを探求し動機にする」「印象に残ったことをノートに書く」OBの人「人の文章を写すと、自分がいたように見えてくる」「小説とは、体内にある『物語』の要約」「昨日一日を、今までの人生を要約してみなさい」「『文学』とは根っこは何倍も大きい。外に出てるのはほんのちょっと。言葉にできない部分を共有している『共同体』」私が「僕は知識が広く浅いんですよ」というと「一カ所深くした方がいい」「たった一人に向けて書くつもりで書いてごらん」
私はそれでも谷崎潤一郎の「文章読本」読んで、少し読むのが苦痛でなくなってきて「かかとをなくした女」をよんで、こんな小説でもいいのかと驚いた。少しずつ読みやすそうなものから読んでいこうと思った。とりあえず「きのうの神さま」西川美和が読みやすそうなので買って読んだ。

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