2009年10月23日金曜日

理想主義

世の中の人を「理想主義者」と「現実主義者」に分けたら、私は「理想主義者」だ。
鳩山総理も「理想主義者」に見える。
政権も一ヶ月になり、だんだんとその性格が明らかになってきた気がする。
私の感じるのは、もともと民主党員は理想主義者が多いということ。だから、マニフェストでも、理想的な言葉がならぶ。
いま政治指導で脱官僚政治を実現するために努力されている最中だと思うが、さまざまな問題も段々浮かび上がってきた。

大きく分けて二つの次元の問題がある。一つは「脱官僚」が「できるか」という問題。もうひとつが「脱官僚」が、本当に「いいことか」という問題。

2つ目の「いいことか」ということは、はじめの「できるか」という問題と繋がる。
民主党の選挙時の論理はこうだ。自民党は政策を官僚任せにしている。官僚は自分の利益のために税金を無駄遣いしている。そこで、本当に政治家が行政を行えば、無駄遣いを無くすことで財政が潤う。

私はそれを聞いたときに思った。「確かに官僚による無駄はあるだろうし、無駄を省くことはいいことだが、それだけで本当に財政を健全化できるほどの金が出てくるのか」
この疑問は、選挙中に口を酸っぱくして、blogで強調した。しかし、民主党の答えは無駄を省けばマニフェストに書かれている政策を実現する金は出てくるというものだった。
本当かな?と疑問に思いつつも、そういうなら見せてもらうしかないと思ったが。残念ながら私の心配の方が当たってしまったようで、大幅な国債を発行せざるを得なくなった。

それから、最近思ったのは、官僚が政策を作れば官僚に都合のいいものを作る弊害があるが、同じように政治家がつくれば政治家に都合のいいように作る弊害が出てくることもあり得るので、政治家が作ればいいとは単純にはいえないといのではないか、ということだ。
私利私欲のためではないにしろ、支持する団体や支持層に媚びて予算が膨らみすぎることは十分あり得る
「政治家は国民が選んだから正当だ」という意見もあるかもしれないが、それなら今までの自民党政権も国民が選んだものだ。

政策決定の仕組みを変えることはかなり大胆にやっているようでそれは、支持者として嬉しい。だから、全部ダメというわけでもないのだが、やはり色々問題も出てきて、なんとなくその構造が見え始めた。

鳩山首相は「理想主義者」だと書いたが、私もそうだ。だから、首相が理想的なことを言うと私は嬉しい。しかし、問題はそれが本当にできるのかということだ。
私は繰り返すが「理想主義者」である。「理想主義者」というのはややもすると、きれいごとばかりとなえて現実を見ない偽善者だと批判されがちだ。だから、私はいつも「実現できるのか?」という疑問を出されたらどう答えようかとびくびくしながら、頭の中で何とか理論武装しようとしている。

首相を見ていると、「理想」を語るのはいいのだが、あまりに簡単に語りすぎているのではないかと不安になることがある。「つい」いいことを言ってしまう癖があるように感じる時がある。「理想」をもつことは決して悪い事だとは思わないし、実現したこともあるから評価すべき点もたくさんあるのだが、私が心配しているのは「つい」の部分だ。

「東アジア共同体」や「CO2の25%削減」「普天間基地の移設」、どれも極めて難しい問題だ。それを、どこまで分析し実現性を吟味したのか。また「つい」言ってしまった気がしないでもない。これらのことが実現できれば、多くの国民は喜ぶだろうが。一方では、日米関係に悪影響を与える、経済に悪影響を与える、というリスクがあることは高校生でも分かることだ、それをやるにはそうとうの準備と覚悟が必要だ。
しかし、首相を見ているとアメリカに行っては「日米関係を重視します」といって、アジアでは「アジアを重視します」といって、沖縄には「県外移設」という。しかし、実現はものすごく難しい問題ばかりだ。「つい」いってしまったら、自分が野党ならばいいけれど、自分が与党だと、できなければ責任を追及される。だから「つい」言ってしまう癖はなおした方がいいと思う。「理想」を持つなと言っているんではないので誤解なきよう。「理想」を語るには、その実現可能性を十分吟味してから言った方がいいのではないかといっているのだ。
「理想」には必ずコストやリスクが伴う。伴わない理想は、もうすでに誰かがやっているだろう。だからコストやリスクと厳しく吟味してから言う癖をつけて欲しいと思ってしまう。

国際政治学者の姜尚中さんは著書の中で、金大中元大統領は何かを実行するときに、必ず3回考えてから行動に移すようにしていたということを紹介している。

私の願いは、首相にも同じように3回とはいわずとも、せめて1回は考えてから口に出してほしいということだ。
理想があればまず、それが大失敗して周りから袋だたきにあった状態を想像して、そのとき自分はどう振る舞うかを想像してみて、そこでどのように弁明するかを想像してみたらどうだろうか。徹底的に批判にさらされたところを自分の頭の中でシュミレーションしてみる。それで、負けそうなら口に出さなければいいし、それで勝てれば、実際に議論になった時も十分理論武装できてるから負けにくい。
そう考えると、決して無駄ではないと思うが、いかかでしょうか。

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