2016年5月30日月曜日

演劇女子部「気絶するほど愛してる!」大阪 映像上映会

僕の好きなアイドルグループ、カントリー・ガールズ主演のミュージカル「演劇女子部「気絶するほど愛してる!」」の大阪公演が、一昨日、昨日と予定されていたのですが、主演の稲場愛香(いなば・まなか)ちゃんが幼い頃からの持病である喘息をこじらせ中止になってしまいました。

僕は、東京公演を一度見にいったのですが、あまりの感動にもう一度見たいと思い、千秋楽のチケットを手に入れていました。

公演は中止になったのですが、同じ会場であるABCホールで東京公演の映像の上映会を行うということなので、それだけでも見ておこうと昨日大阪までいって見てきました。

ちょうどその映像を撮ったのが僕が見た回だったので、全く同じものを見ることになりました。

昨日朝、新幹線で新大阪までいって、大阪、福島と電車を乗り継ぎ、歩いてABCホールまでいって、いったんもどってつけ麺屋さんで昼食を済ませて、予約していた近くのホテルに14:00にチェックインして、15:00の開演に間に合うようにまたでかけました。

大阪の人ごみは東京と一味違って、ちょっとした旅気分でした。

ホールは新しくて綺麗で少し大きめです。そこに半分くらいの人が座っていて、開演時に係の男の人がマイクもなく「本日は上演中止になって申しわけございませんでした。ただ今から映像を上映いたします」といって始まりました。

舞台の感想については、2016年3月30日と2016年4月29日のこのブログにも書いたのですが、新しい発見もありました。

物語は昭和の時代のロカビリー歌手とファンのこの話なのですが、前回の上演の時は感動して、終わってからも頭の中がロカビリーで一杯になっていて、帰ってからもYouTubeでロカビリーの曲を探して聴いたりして、しばらくその世界に浸っていました。
しかし、今回まではかなり時間があいてしまったので、その感覚を忘れてしまっていました。映像を見てみて、またはまっていくのですが前回よりは冷静に見られたかもしれません。
それにしても、もう一度冷静に見直しても稲場愛香ちゃんはすごい。
親友の東京のお嬢様役の森戸知沙希ちゃんは、顔もかわいいけど、その小柄でポニーテールにワンピースのシルエットが決まってる。仕草や動きもかわいい。
それにたいして、田舎娘の稲場愛香ちゃんは最初野暮ったい感じがよくでていたが、それが話が進んでいくごとにどんどん魅力的になって、かわいくなっていきます。
全般的に、配役がうまい。まさにこんな子いそうって感じの配役になっていて、脚本もその子らしくなっている。さらにいえば衣装もその子らしい魅力を引き出している。
全員女の子が男役も演じているのですが、男役も決まっている。
ストーリーについてもうまく練られているのですが、あえて欲をいえば、ラストで別れを選ぶシーンにいい意味での感動の別れのシーンを入れてほしいと思いました。
しかし、ストーリーもセリフも演出も細かいところまで計算されていて、いうことはあまりないのですが。
いってみてばよくあるステレオタイプのストーリーではあるのですが、僕はステレオタイプを上手に作ってみせるのが好きなので満足です。
しかし、ダンスシーン等を見ていてもカッコよく踊っていて、これも日頃の努力の賜物なのでしょうが、こんなふうにダンスホールでさりげなく踊れたらカッコいいだろうなと思いました。僕がダンス誘われてもどう踊っていいか分らなくて困ってしまいますもの。

8月にはDVDもでるようですが、一度見た舞台でDVDでも見られるのに大金はたいて大阪まで来てその同じ映像だけを見るって、ちょっと物足りない。

惜しむらくは、これを生で見られなかったことです。ここに彼女たちが目の前にいたら、どんなに興奮したでしょうか。

まだ明るい中、小雨まじりの大通りを歩いてホテルまで帰りました。
夕食はビュッフェスタイルでした。

翌、今日の朝食もビュッフェで、それを食べてから新幹線で帰りました。

2016年5月14日土曜日

「対談 神と理性のあとで」

今日は、18:30から朝日カルチャーセンター新宿校で「対談 神と理性のあとで」宮台真司先生、堀内進之介先生、にいってきました。

まず、主知主義と主意主義の違いについて説明がなされました。

そして、堀内先生が封建制と帝国の違いについて語られ、封建主義が資本主義を生んで、帝国は社会主義を生んだといわれました。

宮台先生は、誰が仲間なのか自明でない現在、どうやってスモールユニットが共生していくのか答えがないといいます。

絆の構築が難しくなっていることは、今の若者の性的退却からも分るといいます。

そして言語の話になって、フロイト=ラカンによれば、人間は元々過剰であり、言語による統制を逃れる余剰が必ず生まれるといいます。N.ルーマンの『宗教の機能』もラカンと共通すると確信したといいます。

堀内先生は、チュニジアでISISにいく若者の話を聞いて意外だったといいます。困窮した若者ではなく、牧歌的な世界で暮らしている将来の見通しのある若者が、将来が分ってしまうがゆえにISISに惹かれてしまうといいます。
宮台先生は、先日ISISの勧誘ビデオを見て、その中で先進国のエリートがそれゆえ現状に満足できないといい、最後に自爆のシーンで終わるというもので、よくできているといわれました。

街づくりでも「安心」「安全」「便利」「快適」は価値がないといいます。ラカンやバタイユのいうように言語からはみ出た部分を抑圧すると後で爆発する危険があるといいます。

堀内先生は、その過剰さは自覚的に作れるものかと問います。

宮台先生は、アドルノを例にだして、アドルノがフリー・ジャズを秩序からの開放と見せかけた単なるモードだと批判したことを指摘します。
ベンヤミンは、そこまで神経質にならなくていいといいました。

資本主義は、過剰なものもすぐに取り込んでしまう、永久運動だといいます。

今回は、言語とその外にあるものについての考察だった思います。
過剰なものは、人間にとって必要なものでもあるけれど、それを意図的に作りだすことは難しいという話でした。

簡単な答えはないということが印象的でした。