今日は、18:30から朝日カルチャーセンター新宿校で「対談 神と理性のあとで」宮台真司先生、堀内進之介先生、にいってきました。
まず、主知主義と主意主義の違いについて説明がなされました。
そして、堀内先生が封建制と帝国の違いについて語られ、封建主義が資本主義を生んで、帝国は社会主義を生んだといわれました。
宮台先生は、誰が仲間なのか自明でない現在、どうやってスモールユニットが共生していくのか答えがないといいます。
絆の構築が難しくなっていることは、今の若者の性的退却からも分るといいます。
そして言語の話になって、フロイト=ラカンによれば、人間は元々過剰であり、言語による統制を逃れる余剰が必ず生まれるといいます。N.ルーマンの『宗教の機能』もラカンと共通すると確信したといいます。
堀内先生は、チュニジアでISISにいく若者の話を聞いて意外だったといいます。困窮した若者ではなく、牧歌的な世界で暮らしている将来の見通しのある若者が、将来が分ってしまうがゆえにISISに惹かれてしまうといいます。
宮台先生は、先日ISISの勧誘ビデオを見て、その中で先進国のエリートがそれゆえ現状に満足できないといい、最後に自爆のシーンで終わるというもので、よくできているといわれました。
街づくりでも「安心」「安全」「便利」「快適」は価値がないといいます。ラカンやバタイユのいうように言語からはみ出た部分を抑圧すると後で爆発する危険があるといいます。
堀内先生は、その過剰さは自覚的に作れるものかと問います。
宮台先生は、アドルノを例にだして、アドルノがフリー・ジャズを秩序からの開放と見せかけた単なるモードだと批判したことを指摘します。
ベンヤミンは、そこまで神経質にならなくていいといいました。
資本主義は、過剰なものもすぐに取り込んでしまう、永久運動だといいます。
今回は、言語とその外にあるものについての考察だった思います。
過剰なものは、人間にとって必要なものでもあるけれど、それを意図的に作りだすことは難しいという話でした。
簡単な答えはないということが印象的でした。
2016年5月14日土曜日
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