2011年3月30日水曜日

2011年3月29日火曜日

機会


今回の震災を機会に、よりよい社会のありかたが模索されればいいと思います。

2011年3月28日月曜日

共生


放射能との共生も考えなければならなくなってきたのでしょうか。

2011年3月27日日曜日

ロボット


遠隔操作で作業できるロボットの開発を急いではどうでしょうか。今からでも。

今のままの原発なら、何年もかかるかもしれないので。

2011年3月26日土曜日

太陽光発電


太陽光発電を、支援して普及させる政策をとるというのはどうでしょうか。

経済的な需要を呼び起こす。
電力不足を補う。
環境対策にもなる。

の三点で利点があると思いますが、どうでしょうか。

2011年3月25日金曜日

早稲田大学


姪っ子が今日、早稲田大学を卒業しました。

卒業式はなかったのですが、袴をはいて、卒業証書をもらって帰ってきました。

2011年3月24日木曜日

放射線


放射線を少しあびても、将来癌になる確率が少し高くなるだけなら、タバコを吸うのと同じことなのでしょうか。

実際に2万人以上の人が亡くなられています。
それに比べれば、まだましかとも思います。

また、原子力のお陰で快適な生活をしていたのは東京に住む私なのですから、他人事のように批判はできません。

責任を追及することは必要ですが、冷静さを失わないことが現在求められていると思います。

2011年3月23日水曜日

一般理論


今日は朝日カルチャーセンター新宿校「ケインズ-経済学の名著に学ぶ-」松原隆一郎先生です。
3回目最終回。

今日はケインズの主著『雇用・利子および貨幣の一般理論』です。
ケインズがこれを書いたのは未曾有の不確実な時代。
『貨幣改革論』から『貨幣論』までは、「インフレ」が最大の悪だったが、その後「失業」が主なテーマになる。
ケインズは大蔵省顧問でありつつ、週末はケンブリッジにいって若手経済学者たちと議論を重ねた。
P.スラッファからの影響を受ける。
中央銀行が操作する特定の貨幣利子率に向けて商品利子率が収斂されていく。
それは完全雇用とは限らない。

云々。

経済学の知識のない僕はほとんど理解できませんでした。

利子率を操作可能な場合、将来に見通しがある場合、金融緩和によって有効需要が拡大する。

まあ、とにかく今までの新古典派の経済学の市場主義に対して新しい考えを示したことはわかりました。

2011年3月22日火曜日

ラジオ


今日カウンセラーさんに、ラジオばっかり聴いてるとこっちも被災しちゃうのであまり聴かないようにいわれました。

今日は聴かずに、本を読んでいました。

2011年3月21日月曜日

放射線


今日、生協から届いたのは放射線をあびたかきなでした。

生協から連絡がありましたが、人体に影響はないという政府の発表を信じて、少し食べました。

2011年3月20日日曜日

援助


生死の間際にあるところに、集中して援助してほしいです。

2011年3月19日土曜日

福島第一原発


原発で放水作業がうまくいきつつあるようです。

このままうまくいきますように。

2011年3月18日金曜日

原子炉


今日は病院に行って帰ってきました。

いつもより人が少ない感じでした。

コンビニでは食べ物はありました。

原子炉をうまく冷やせるのか、心配です。

2011年3月17日木曜日

放射線


放射線の中で働けるロボットがあればいいのにと思いました。

2011年3月16日水曜日

2011年3月15日火曜日

節電


今日は、午後から病院に行ってきました。

電車がまだ本数が少ないので、混んでいるのかと思ったら、すいていました。

節電で、薄暗い夕方の街でした。

2011年3月14日月曜日

避難生活


避難民の皆さんのために、避難生活のマニュアルを作って配ったらどうでしょうか。

2011年3月13日日曜日

ラジオ



今日は、何もできずに本を読む気もなく、ラジオを聴いていました。

節電もしなければいけないですね。

2011年3月12日土曜日

今日


今日は朝病院にいって、午後父の庭いじり手伝いました。

ふと気がつくと、日本が大変なことになってるんですね。

後はラジオとネット。

2011年3月11日金曜日

地震


地震で電車が止まりました。

近くに住む姉が来て、姪が井の頭線の東松原にいると。父も井の頭線の下北沢にいるということで、姉と車で迎えにいきました。

混んでいて、人が大勢歩いていました。井の頭通りをいくと、止められて別の道を行くようにいわれました。別の道いくと踏切が下りたまま開かない。
しょうがないのでバックして細い道を行って無事、姪も父も連れてかえることが出来ました。帰りもかなり混雑していましたが、歩いている人もいっぱいいて車で帰れるだけでも幸せと思いました。

たまたま、父と姪が二駅違いのところにいたので二人とも救出できました。

被害にあわれた方お見舞い申し上げます。

2011年3月10日木曜日

ライプニッツ


今日は朝日カルチャーセンター「哲学のエッセンス ライプニッツ」山内志朗先生です。

ライプニッツは
1.モナド
2.予定調和
3.最善説

が特徴です。
一方で極めて論理的でもありました。

モナドとは部分がない。個体。

複雑な概念を説明されましたが、まだよくわからない部分も多かったです。

2011年3月9日水曜日

ネットいじめ


荻上チキの『ネットいじめ』を読みました。

最近の学校では「キャラ」を演じなければならない。

また、「いじめ」ではなく「いじり」の方がつらいというものでした。

「いじり」については、大学でもあるのですが、本人もそう嫌がってもいないこともあると感じます。愛のあるいじりもあるのでは。
しかし、逆に愛情のしるしだとしていじられて本人が深く傷つくこともあるので、そう簡単にはいえないと思いました。

現代の若者の一端を知れてよかったけれど、少し怖い気もしました。

2011年3月8日火曜日

無縁社会


『無縁社会”無縁死”三万二千人の衝撃』NHK「無縁社会プロジェクト」取材班と、『助けてといえない いま30代に何が』NHKクローズアップ現代取材班を読みました。

どちらも人々の絆がなくなってきていると報告しています。

死にいたるまで誰にも相談できない。

ある意味で個人主義かがすすんでいるので、しょうがない面もあるとも思う。昔ながらのご近所付き合いがなくなっていって、自由になった面もあるのだから。

しかし、景気の問題もあるが30代で仕事がなく餓死するというのはやはり異常でしょう。
昔とは違う、新たな絆をどう作っていくかが課題だと思いました。

僕はまだ、親に扶養されていて幸運な方だと思いました。

2011年3月7日月曜日

憲法


小室直樹さんの『痛快!憲法学』を読みました。

講義形式で、マンガなどもあってとても読みやすい本でした。

まず民主主義がどのように発達してきたかを、丁寧に説明されていきます。

世界史で勉強したことの意味がようやくわかったようでした。
なるほど、民主主義っていうのはたいへんなんだと思いました。

しかし、現在の少年犯罪も全て憲法の責任にしてしまうのは、すこしいいすぎではないかと思いました。

2011年3月6日日曜日

小室直樹


今日、東京工業大学、世界文明センターで、先日亡くなった小室直樹博士の記念シンポジウム-社会科学の復興をめざして-をききにいきました。

宮台真司さん、橋爪大三郎さん、他です。

小室直樹さんは、皇国少年で戦争に負けた屈辱から、日本が二度と戦争に負けないために学問を修めようとしました。
京大、阪大、MIT、ハーバード、東大などで、数学、経済学、社会学、心理学、政治学などを習得しました。

社会学者としてはT.パーソンズの構造機能分析を使い、経済学ではP.サミュエルソンから一般均衡理論を習いました。

社会科学の統一理論をめざしましたが断念して、後期にはジャーナリスティックな活動をしました。

後期は田中角栄を官僚に太刀打ちできる政治家として擁護しました。
また、M.ヴェーバーの宗教社会学から影響を受け、日本人に近代的エートスがあるかどうかを問題にしました。

出演者の方々の声を聞くとすごい人だったようなことは伝わってきます。
僕は、一般向けに書かれた『痛快!憲法学』を読み途中なのですが、刑事事件で合法的な手続きを経ないと有罪にはできないということを知って驚いた記憶があります。

登壇者のような頭のいい方々にとっては、さらに知的な魅力を持った人だったのでしょう。

2011年3月5日土曜日

自然科学


朝日カルチャーセンター「自由と行為の哲学」野矢茂樹先生四回目、最終回です。

決定論と自由の問題。

決定論は自然科学的な認識にかかわる。自然科学は反復可能性を含む。
しかし、法則に反する変則事例が必ずでてくる。すると、この法則が維持されるように現実を解釈せよ、となる。

そうなると自然科学は厳密な世界解釈ではなく一つの世界観。
反復可能性があるといっても、厳密には同じことは二度と起こらない。

自然科学的決定論も自由もともに世界観の違いであり、どちらが正しいというものではない。
というのが先生の結論でした。

2011年3月4日金曜日

説明


この時期にいろいろ出てくるのも政治的ですが、小沢さんに説明責任を求めていたのだから、前原外相にもちゃんと説明責任を果たしてもらいたいです。

2011年3月3日木曜日

2011年3月1日火曜日

孤独


僕は、社会学者宮台真司さんのファンで、朝日カルチャーセンターで宮台さんの講座はほとんどとっているのですが、今回の講座で哲学者の中島義道さんと、堀内進之介さんとの鼎談ということで面白いと思いました。

哲学者の中島義道さんは、僕がカルチャーセンターでカントの講座をとりたいと思ったときに講師でした。

その頃は本屋で『うるさい日本の私』という本が出ていて、正直あまりいい印象ではなかったです。
いわゆる保守の論壇人で、最近の若者はけしからん式な議論だと勝手に想像していたので、ちょっと怖い人かなと思って、とろうかどうか悩んでいましたが、カントについては他にいなかったので勇気をもってとりました。

すると、先生の雰囲気は想像していたのと少し違って、生徒にはちゃんと礼儀正しく接するし、文句といっても最近の若者が・・・というのではなくて、自分は生きている現実感がないということをいわれて、誰かに殴ってもらったらといわれたが、それでも殴られたというだけで現実感はないといわれていました。
他人を批判するよりも、自分が生きていて苦しいという感じでした。
でもその時は、自分が現実感がないのを生徒に話すということは、生徒の存在自体は認めてるんだと、ちょっと意地悪く思いました。

その後も、自分の生きづらさを綴ったと思われる本を出版されて、読んでいませんがタイトルを見ているだけでもつらそうに感じました。

あるとき母に『私の嫌いな10の言葉』を買ってきてといわれ、見せたところ毒っけのある母はあの本を読んで今までつかえてたものがとれたようにすっきりしたといっていました。

僕自身が働くのがいやなときに『働くのがイヤな人のための本』を読んで、ご本人が本当につらいんだ、しかも自分の弱い面もさらけだして正直な人だなと思いました。

今回の鼎談をききにいく準備として『孤独な少年の部屋』『孤独について 生きるのが困難な人々へ』『きみはなぜいきているのか?』を読んでみました。

『少年〜』は小さい頃作った、異常に正確な地図や年表などを、エピソードともに紹介した本です。『孤独について』は、さらに細かい先生の生涯を描いたものです。
『きみは〜』は、同じように生きるのがつらい引きこもりの人へのメッセージというかたちで書かれた小説です。

これらを読んでいて思ったことは、単に昔は貧乏で苦しかったということではなく、両親ともに家柄もよく上流社会も知っている、その後戦後の貧しい底辺も知っている、だからどちらか定まらない不安定さと、両方の社会の汚い部分を見てしまったゆえの厭世感ができたのだなということです。

特にお嬢さま育ちの母親の重圧が苦しかったのだろうなと思いました。

また、学校で人見知りで休み時間が苦しいとか、体育の時間が嫌だったとかいうことは僕にも多少あって共感できましたが、僕の場合は親しくなってしまうと、友だちとも遊んでいたので学校でオシッコもできないほどは苦しくはなかったです。

でも、一方で世俗的ないい方でいえば、現役で東京大学に入り、絵もうまく、ピアノも弾け、英語もドイツ語も喋れるなんて、普通の人から見ればうらやましいかぎりの属性だとも思いました。しかし、人間はいくら属性が優れていても幸せになるとは限らないということがいいたいのだと思いますが、逆に客観的に見てもう少し自信を持たれてもいいのではという気もしました。

一つ皮肉だと思うことは、中島先生に限らず、過去に不幸だった人はそれを訴えることで逆に皆に注目されて、それで現在はけっこう精神的にも経済的にも豊かになってしまうということがよくあることだということです。
それは不幸な時代の代償なのかもしれません。

中島先生も、今はある意味達観されたようにも見えます。本人じゃないのでわかりませんが。