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放射線
2011年3月23日水曜日
一般理論
今日は朝日カルチャーセンター新宿校「ケインズ-経済学の名著に学ぶ-」松原隆一郎先生です。
3回目最終回。
今日はケインズの主著『雇用・利子および貨幣の一般理論』です。
ケインズがこれを書いたのは未曾有の不確実な時代。
『貨幣改革論』から『貨幣論』までは、「インフレ」が最大の悪だったが、その後「失業」が主なテーマになる。
ケインズは大蔵省顧問でありつつ、週末はケンブリッジにいって若手経済学者たちと議論を重ねた。
P.スラッファからの影響を受ける。
中央銀行が操作する特定の貨幣利子率に向けて商品利子率が収斂されていく。
それは完全雇用とは限らない。
云々。
経済学の知識のない僕はほとんど理解できませんでした。
利子率を操作可能な場合、将来に見通しがある場合、金融緩和によって有効需要が拡大する。
まあ、とにかく今までの新古典派の経済学の市場主義に対して新しい考えを示したことはわかりました。
2011年3月22日火曜日
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地震
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ライプニッツ
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ネットいじめ
2011年3月8日火曜日
無縁社会
2011年3月7日月曜日
憲法
2011年3月6日日曜日
小室直樹
今日、東京工業大学、世界文明センターで、先日亡くなった小室直樹博士の記念シンポジウム-社会科学の復興をめざして-をききにいきました。
宮台真司さん、橋爪大三郎さん、他です。
小室直樹さんは、皇国少年で戦争に負けた屈辱から、日本が二度と戦争に負けないために学問を修めようとしました。
京大、阪大、MIT、ハーバード、東大などで、数学、経済学、社会学、心理学、政治学などを習得しました。
社会学者としてはT.パーソンズの構造機能分析を使い、経済学ではP.サミュエルソンから一般均衡理論を習いました。
社会科学の統一理論をめざしましたが断念して、後期にはジャーナリスティックな活動をしました。
後期は田中角栄を官僚に太刀打ちできる政治家として擁護しました。
また、M.ヴェーバーの宗教社会学から影響を受け、日本人に近代的エートスがあるかどうかを問題にしました。
出演者の方々の声を聞くとすごい人だったようなことは伝わってきます。
僕は、一般向けに書かれた『痛快!憲法学』を読み途中なのですが、刑事事件で合法的な手続きを経ないと有罪にはできないということを知って驚いた記憶があります。
登壇者のような頭のいい方々にとっては、さらに知的な魅力を持った人だったのでしょう。
2011年3月5日土曜日
自然科学
2011年3月4日金曜日
2011年3月3日木曜日
2011年3月2日水曜日
2011年3月1日火曜日
孤独
僕は、社会学者宮台真司さんのファンで、朝日カルチャーセンターで宮台さんの講座はほとんどとっているのですが、今回の講座で哲学者の中島義道さんと、堀内進之介さんとの鼎談ということで面白いと思いました。
哲学者の中島義道さんは、僕がカルチャーセンターでカントの講座をとりたいと思ったときに講師でした。
その頃は本屋で『うるさい日本の私』という本が出ていて、正直あまりいい印象ではなかったです。
いわゆる保守の論壇人で、最近の若者はけしからん式な議論だと勝手に想像していたので、ちょっと怖い人かなと思って、とろうかどうか悩んでいましたが、カントについては他にいなかったので勇気をもってとりました。
すると、先生の雰囲気は想像していたのと少し違って、生徒にはちゃんと礼儀正しく接するし、文句といっても最近の若者が・・・というのではなくて、自分は生きている現実感がないということをいわれて、誰かに殴ってもらったらといわれたが、それでも殴られたというだけで現実感はないといわれていました。
他人を批判するよりも、自分が生きていて苦しいという感じでした。
でもその時は、自分が現実感がないのを生徒に話すということは、生徒の存在自体は認めてるんだと、ちょっと意地悪く思いました。
その後も、自分の生きづらさを綴ったと思われる本を出版されて、読んでいませんがタイトルを見ているだけでもつらそうに感じました。
あるとき母に『私の嫌いな10の言葉』を買ってきてといわれ、見せたところ毒っけのある母はあの本を読んで今までつかえてたものがとれたようにすっきりしたといっていました。
僕自身が働くのがいやなときに『働くのがイヤな人のための本』を読んで、ご本人が本当につらいんだ、しかも自分の弱い面もさらけだして正直な人だなと思いました。
今回の鼎談をききにいく準備として『孤独な少年の部屋』『孤独について 生きるのが困難な人々へ』『きみはなぜいきているのか?』を読んでみました。
『少年〜』は小さい頃作った、異常に正確な地図や年表などを、エピソードともに紹介した本です。『孤独について』は、さらに細かい先生の生涯を描いたものです。
『きみは〜』は、同じように生きるのがつらい引きこもりの人へのメッセージというかたちで書かれた小説です。
これらを読んでいて思ったことは、単に昔は貧乏で苦しかったということではなく、両親ともに家柄もよく上流社会も知っている、その後戦後の貧しい底辺も知っている、だからどちらか定まらない不安定さと、両方の社会の汚い部分を見てしまったゆえの厭世感ができたのだなということです。
特にお嬢さま育ちの母親の重圧が苦しかったのだろうなと思いました。
また、学校で人見知りで休み時間が苦しいとか、体育の時間が嫌だったとかいうことは僕にも多少あって共感できましたが、僕の場合は親しくなってしまうと、友だちとも遊んでいたので学校でオシッコもできないほどは苦しくはなかったです。
でも、一方で世俗的ないい方でいえば、現役で東京大学に入り、絵もうまく、ピアノも弾け、英語もドイツ語も喋れるなんて、普通の人から見ればうらやましいかぎりの属性だとも思いました。しかし、人間はいくら属性が優れていても幸せになるとは限らないということがいいたいのだと思いますが、逆に客観的に見てもう少し自信を持たれてもいいのではという気もしました。
一つ皮肉だと思うことは、中島先生に限らず、過去に不幸だった人はそれを訴えることで逆に皆に注目されて、それで現在はけっこう精神的にも経済的にも豊かになってしまうということがよくあることだということです。
それは不幸な時代の代償なのかもしれません。
中島先生も、今はある意味達観されたようにも見えます。本人じゃないのでわかりませんが。
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