2011年3月1日火曜日

孤独


僕は、社会学者宮台真司さんのファンで、朝日カルチャーセンターで宮台さんの講座はほとんどとっているのですが、今回の講座で哲学者の中島義道さんと、堀内進之介さんとの鼎談ということで面白いと思いました。

哲学者の中島義道さんは、僕がカルチャーセンターでカントの講座をとりたいと思ったときに講師でした。

その頃は本屋で『うるさい日本の私』という本が出ていて、正直あまりいい印象ではなかったです。
いわゆる保守の論壇人で、最近の若者はけしからん式な議論だと勝手に想像していたので、ちょっと怖い人かなと思って、とろうかどうか悩んでいましたが、カントについては他にいなかったので勇気をもってとりました。

すると、先生の雰囲気は想像していたのと少し違って、生徒にはちゃんと礼儀正しく接するし、文句といっても最近の若者が・・・というのではなくて、自分は生きている現実感がないということをいわれて、誰かに殴ってもらったらといわれたが、それでも殴られたというだけで現実感はないといわれていました。
他人を批判するよりも、自分が生きていて苦しいという感じでした。
でもその時は、自分が現実感がないのを生徒に話すということは、生徒の存在自体は認めてるんだと、ちょっと意地悪く思いました。

その後も、自分の生きづらさを綴ったと思われる本を出版されて、読んでいませんがタイトルを見ているだけでもつらそうに感じました。

あるとき母に『私の嫌いな10の言葉』を買ってきてといわれ、見せたところ毒っけのある母はあの本を読んで今までつかえてたものがとれたようにすっきりしたといっていました。

僕自身が働くのがいやなときに『働くのがイヤな人のための本』を読んで、ご本人が本当につらいんだ、しかも自分の弱い面もさらけだして正直な人だなと思いました。

今回の鼎談をききにいく準備として『孤独な少年の部屋』『孤独について 生きるのが困難な人々へ』『きみはなぜいきているのか?』を読んでみました。

『少年〜』は小さい頃作った、異常に正確な地図や年表などを、エピソードともに紹介した本です。『孤独について』は、さらに細かい先生の生涯を描いたものです。
『きみは〜』は、同じように生きるのがつらい引きこもりの人へのメッセージというかたちで書かれた小説です。

これらを読んでいて思ったことは、単に昔は貧乏で苦しかったということではなく、両親ともに家柄もよく上流社会も知っている、その後戦後の貧しい底辺も知っている、だからどちらか定まらない不安定さと、両方の社会の汚い部分を見てしまったゆえの厭世感ができたのだなということです。

特にお嬢さま育ちの母親の重圧が苦しかったのだろうなと思いました。

また、学校で人見知りで休み時間が苦しいとか、体育の時間が嫌だったとかいうことは僕にも多少あって共感できましたが、僕の場合は親しくなってしまうと、友だちとも遊んでいたので学校でオシッコもできないほどは苦しくはなかったです。

でも、一方で世俗的ないい方でいえば、現役で東京大学に入り、絵もうまく、ピアノも弾け、英語もドイツ語も喋れるなんて、普通の人から見ればうらやましいかぎりの属性だとも思いました。しかし、人間はいくら属性が優れていても幸せになるとは限らないということがいいたいのだと思いますが、逆に客観的に見てもう少し自信を持たれてもいいのではという気もしました。

一つ皮肉だと思うことは、中島先生に限らず、過去に不幸だった人はそれを訴えることで逆に皆に注目されて、それで現在はけっこう精神的にも経済的にも豊かになってしまうということがよくあることだということです。
それは不幸な時代の代償なのかもしれません。

中島先生も、今はある意味達観されたようにも見えます。本人じゃないのでわかりませんが。

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