2010年10月31日日曜日

国立科学博物館


今日は写真の教室の課題で、上野の国立科学博物館に行って写真を撮ってきました。

外から見るとせまいかなと思いましたが、中は広くさらに巨大な別館があって、これなら外国人に見せてもはずかしくないなと思いました。

2010年10月30日土曜日

宗教現象


今日は雨の中、朝日カルチャーセンター新宿校で社会学者の宮台真司さんと同じく社会学者の大澤真幸さんの対談「宗教現象としての社会」を聴きにいってきました。

宮台さんが熱があるようで、いつもとくらべてちょっとボーッとした感じで、穏やかに話されました。

大澤(大)宗教現象としての社会とはおかしいのではないか、逆ではないかと思われる方もいるかと思うが、T.パーソンズは社会を宗教現象としてとらえていた。

現在、近代合理主義になって脱呪術化したかといえばそうではなく、オウム真理教事件やアメリカ同時多発テロなど宗教が問題になってきている。

宮台氏は宗教的なものに関して、あるいみ肯定的に見えるが、どうか。

宮台(宮)学部の先輩でお互いに学者にはならないといっていたのにこんなふうに話すのは感慨深い。

社会学との出会いは、高1のときE.フロムの『自由からの逃走』を読んだ時。
さらにフランクフルト学派のものを読んで、ファシズムや、理性の暴力性をこんなにすっきり説明できるのかと感動した。

東大にアウェアネストレーニングを持ち込んだのも自分。
トレーナーの人が「こんなものは完全に機械的なものだ」と教えてくれた。
神秘体験をおこすことは実は簡単。しかし若者はそういうフックにすぐに引っかかってしまう。
「別にいインチキでもいいじゃないか」と思うようになってきたがその感覚が皆にひろまっていった。2000年あたりから。
この世界はまじめに生きるに値するかという疑問が生じてくる。
たわむれて生きろ、と言ったら自殺者が読者の中からでたので戦略をかえた。
「意味から強度へ」を「社会から世界へ」とした。

大。どういう意味で社会が宗教現象か。
社会とはコミュニケーションの連鎖である。どうして理解しあえるのかは、背景にある状況にある。
では、背景に根拠はあるのかと問いつめていくと、最終的に根拠はない。全てのものが根拠がない、未規定。
未規定なものを見えるようにしたのが宗教である。

そこに全ての未規定性をあずけるのが「神」。
ルーマンによると、神とは暗号=サイファ。

社会が可能であるとはそこに宗教がある。
有名な社会学者は宗教社会学者であった。
ヴェーバー、デュルケム、ジンメル、パーソンズ、ルーマン。

一方で、近代の思想は宗教批判を含んでいる。
カント、ニーチェ、マルクス、ポスト構造主義。

宮台氏は単純な宗教批判者ではないように思うが。

宮。1989年に書いた宗教の定義は「前提を欠いた偶発性を無害にする装置」。
クリプキはユダヤ人で天才分析哲学者。
ヴィトゲンシュタインのパラドックスを主張。
1+1=2が真実かどうかは誰もわからない。ただ経験的に正しいと思われているだけで、もしかしたら別の理論が発見されるかもしれない。このように世の中のあらゆる言説はただそれがそうだと信じられている事実性によってのみ認められている。

また、固有名は述語の束だと考えられていたが、そうすると述語が変わると別の人間になってしまう。
固有名は述語の束ではない。世界の唯一性によって示される。
世界は一つである。だから固有名は成り立つ。

なぜユダヤ人がこのように考えるのか。かれらはディアスポラ。存在理由を保つ為に戒律を作ってまもってきた。
世界が一つだからユダヤ人も成り立つ。

合理的に考えていくと未規定なものをどうするのかという問題が出てくる。そこから宗教は生まれる。

サイファ=暗号をはりつけるやり方はいろいろある。生活形式に依存している。
世界の外に神様がいると思っているけど、それは君の生活形式によっているのではないかといえる。
ある種の育ちかたをすれば未規定なものから始められる。

大。クリプキは若い頃一緒に読んだ。
意味は究極的には未規定。
人間のルールは何の根拠もない。現にあるコミュニティが受け入れていることが正しいとされる。コミュニティが「神」や第三者の審級であったりすると宗教。

暗号が「神」。人間の言語にも暗号がある。名前。例えば「宮台真司が社会学者でない」という命題は有意味。述語から名前を規定できない。固有名は規定できないもの。
クリプキは宗教を裏から説明している。

ところで、一神教の伝統のない日本人に宗教を教えるにはどうしているか。

宮。「神」はコミュニケーションできない、と教える。日本の神々のようにお百度参りをすればご利益があるわけではないという。

大。コミュニケーションしない「神」の方が特殊で、人類学的にいえば日本の神々の方が普通に見られる。

コミュニケーションしない「神」は、宗教をつきつめたもの。決定不可能、未規定なものを引き受けてくれる。ムハンマドにちょっと話をするが。

自分は宗教批判的だが、はじめは宗教に入っていって内側から批判したい。

宮。自分はペロポネス戦争以前のギリシアの「万物学」に関心がある。
プラトンの『パイドロス』の中でソクラテスは、規定不可能なものを絶対神にたくすエジプト的なものは弱いといっている。

初期ギリシア、そしてニーチェ、ハイデガー、フランス現代思想を肯定する。
後期プラトンから1970年代ぐらいまでの「形而上学」の方が例外である。
それは、近代化の役割を果たしたけれど、今は副作用が大きい。

では、人間はそれほど強いかという疑問が出てくる。

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』は1960年に編集を変えられている。元は冒頭でカンパネルラが死ぬ。それが、旅の後にカンパネルラ死ぬとなってしまった。

宮沢賢治は日蓮宗の田中智學の国柱会の会員だった。

カンパネルラとジョバンニが友達であったか。「親友になれるのに・・・」と書いてある。
カンパネルラは学者の息子ですごい家に住んでいる。

これは、ジョバンニの階級的怨念。死ぬべきして死んだ。
しかし、旅でカンパネルラは自分の思っていた人ではないとわかる。
自分よりはるかに他人の幸せを考えている人だった。

つまり、世直しのはなし。
世直しは間違ってしまうことが多い。
必ず人は死ぬ。
しかし、でもしかたない。
誰にも本当の幸せはわからない。でもしなければならない。

ローマ法王ベネディクト16世、ハーバーマスとやりとりをする。
若い頃は改革派神父だったが、のち異端審問に転向する。
世直しはしなければならないが、法王がいってしまえばキリスト教が終わってしまう。

世の中には、世直し、現世利益的宗教といやし系、来世的宗教がある。
日蓮宗は前者に重きをおき、浄土真宗は後者に重きをおく。

世直しは、革命家が独裁者になる皮肉におちいる可能性がある。
いやしは、現実問題を放置することになりかねない。

未規定なものに向かう。しかし人間は弱いもの。かりそめであれ背中をおす仕掛けがあってもいいのではないか。

大。ハーバーマスは現代の問題は宗教的に語られないからどこかものたりないといった。

『銀河鉄道の夜』は、ある意味での宗教批判。単純に退けるのでもなく、本当の神とは何かをめざす。手の込んだ文章。

「神」の名をみだりにとなえてはいけない、というのは「神」は定義できないから。
中世に否定神学という考えがあって、「神」は何であるのかは定義できない、だから何でないという形でしか定義できない。

東浩紀さんの『存在論的、郵便的』では、比喩として否定神学的という表現がある。
何かを否定しているつもりでも、否定しているものの範疇に入ってしまっているではないか、という批判。
未規定性といっても、それじたい宗教の範囲に入ってしまうのではないか。

宮。ことばが通じてると思っている段階では否定神学の範囲内。
ことばじゃないもの、流れに突き動かされた経験が重要。

よい宗教と悪い宗教があるわけではない。
よい宗教者、悪い宗教者はいると思う。
よい神父様は、こちらの疑問に思っていることに十分にわかっていて順次答える。逃げない。パフォーマティブに振る舞う。

大。『銀河鉄道の夜』のように宗教の内から宗教批判をやりたいと自分は思っている。
ブレヒトの劇の中の台詞。
「神」は存在するかどうかをたずねられて「君はそれによって生き方が変わるのか?それなら君には「神」が必要だ」

「神」を声高に否定する無神論者は実は「神」が必要。

クリプキも一種の宗教批判。

宮。クリプキは宗教がどこからきているのかをいっている。宗教の必要性を説いているとも読める。

中2の時に読んだ高橋和巳の『邪宗門』に大きな影響を受けた。
新興宗教の教祖の家に生まれた青年が革命家になろうとしたが結局、宗教を継ぎ破滅する話。
ありそうもないことをやっているのがすごいと思った。

イエスも普通ならありえないことをやっていったので、ミメーシスがおこって後々語り継がれていった。

大。宮台氏と対立してるようで似ている。

中世の十字軍の時代の説話。
老婆が片方の手に水、もう片方の手にはたいまつを持っていた。水は地獄の火を消すため、たいまつは天国をもやすため。
もし人が天国に入りたいからよいことをしたら、地獄に堕ちたくないから悪いことをしなかったら神はよろこばれるだろうか」

宮。二人の素潜りダイバーがいて、一人は自殺してしまう。二人とも社会から世界へ行ったが、片方は社会にかえってきたが、もう一方はかえれなかった。

どうやって社会にもどるかも重要。

大。自分も宗教に入っていって、戻ってくることをしたい。そのときは宗教の見方が変わっているはず。これが自分のやりたい宗教批判。


以上。


深く長く大きな話を聴きました。根源的な問題をこれだけ濃く語られるのもめずらしい感じがします。とちゅうで、精神が不安になるぐらい深い話でした。これをじかに聴けてありがたいことだと思いました。

2010年10月29日金曜日

低成長

今日は、朝日カルチャーセンター新宿校で経済学者の飯田泰之さんと哲学者の萱野稔人さんの講座「低成長社会の経済「学」」を受けてきました。

飯田先生はマクロ経済学の計量モデルを作ったりしていて、萱野先生はフーコーやスピノザを研究されていた方です。

まず飯田先生は「低成長」というと一般の人には「0成長」だと思われるので、できるだけそのことばは使わないようにしているそうです。

われわれ素人はいろいろな勘違いをしている。例えば、日本の輸出依存度は低いのに、高いと思っている。
需給ギャップがあるが、それは社会的需要がないというのも間違え。
GDPとは別に幸福度を計るべきだといっても、その数値はGDPにほぼ比例する。

日本人がお金を使わないのは、将来への不安。お金だけではなくてシステムへの不安。非常に不安的なシステムである。

経済成長を量として考えるのも古い。今は商品の質で付加価値をつけることが重要。
大きな成長は期待できないが2~2.5%ぐらいが適当。

ワークシェアリングは、仕事を分けることが難しい、できたら海外にもっていかれるので難しい。

需給バランスをとるには、財政、金融、為替、がある。
財政出動をすると円高になり輸出業にマイナス。
金融政策でするしかない。
為替とは、円とドルの交換比率。アメリカがどんどんドルを出しているので円高になる。日銀はせめてアメリカ並みに円を出すべき。そうすれば、戻らないまでも今より円高は進まない。

一個の商品はドルの値段が変わらないかぎり、円高でも売れ行きに違いはない。ただ円にもどす時に損をする。

金融政策はあくまで対処療法。でも対処療法もしなければならない。

本当によくするには、色々なことを同時にやらなければならない。

日本は税率が高いわりに、税収が低い。
ルールが明確でないことが大きい。官僚の裁量権が大きすぎる。ルールの明確化が必要。

派遣について、日本はホワイトカラーの流動性が低いのにブルーカラーの流動性が高いのが問題。

社会保障について。日本の社会保障は、格差をさらに広げることになってしまっている。
ベーシックインカムは理念としてはいいが実行不可能。
子供には子供手当。高齢者には一階部分の定額年金。
真ん中の世代には給付付き税控除がいいのではないか。

提言としては、
短期には、金融緩和、円安。
長期には、規制の明確化。
安心社会にするには、所得再配分システムを普通の国と同じにする。

ということでした。

この講座を聴いて、印象に残ったものは、答えは意外とつまらないけど色々な政策を同時にやるしかないという言葉でした。
往々にして、マスメディアや政治家は極端なことを言って、すぐにでもうまく変えられると主張しがちですが、実際はセットでやらなければならない。
われわれ国民も極端な政策で全てが一挙に解決することを期待しがちですが、財政破綻した国のパターンは財政再建と大盤振る舞いをくり返す悪循環におちいっていくということでした。

経済を立て直すには、落ち着いた眼で見た冷静な判断が求められていると思いました。

2010年10月28日木曜日

webサイト


今日はwebサイトの作りかたを教わりました。

先生と生徒をつなぐネットサービスがあってそこで探した先生です。

僕よりずっと若い。

夜、雨で寒い中来てくださってありがたかったです。

2010年10月27日水曜日

今日


今日は寒かったですね。

暖房を入れました。

寒いけど、温暖化が進むよりはいいかな。

2010年10月26日火曜日

写真表現


今日は写真の教室で、写真の分類について教わりました。

写真には、コマーシャルフォトグラフィー(広告)
エディトリアルフォトグラフィー(出版)というのがあって、
それとは別に「表現としての写真」があって、それはシリアスフォトグラフィーというのだそうです。

日本ではこの区別があまりなされていないようです。

写真雑誌でアマチュアに賞をおくることがあるが、それは全国にいるアマチュアカメラマンがカメラ産業を支えているからであって、表現的には写真の質を下げているということです。

そして、土門拳さんや篠山紀信さん荒木経惟さんらの写真をスライドで見ました。

2010年10月25日月曜日

デザイン


今日は「現代美術特論」の授業で、僕のやってきたものの発表をやりました。

今まで、デザインを学んできたのですけれど、デザインには自信がなくて恥ずかしいと思っていましたが、一応普通に見てもらえてよかったです。

海老塚先生に「コンピュータの中だけでデザインを考えず、もっと広い視野でデザインを考えなきゃいけない」といわれ、そうだなと思いました。

2010年10月24日日曜日

今日


今日は「現代美術特論」と「芸術学特殊研究」の発表の準備をしました。

途中で昼寝しましたが、だいぶできてよかったです。

2010年10月23日土曜日

現代政治哲学



今日は、朝日カルチャーセンター新宿校で政治社会学者、堀内進之介先生の「現代政治哲学講義」という講座に行ってきました。

近代の哲学は「神の死」によって、第三者の審級がなくなって価値や規範が語られなくなりました。
しかし、科学技術の発達で今までにない問題も出てきて、価値論が必要になってきました。

1971年、アメリカのJ.ロールズが『正義論』を出して話題になります。
これは、リベラリズムの基本を考えた本です。
そこでは出される仮定は次のようなものです。

もし、全員が自分の属性を全く知らない「無知のヴェール」をかぶったとしたら、その中で何を選ぶか?
恐らく最低の階層にあっても生きていける政策を選ぶのではないだろうか。自分が最下位になる可能性もあるのだから。
それが、「善」とは区別された「正義」だとしました。

このロールズの意見に二つの反対の意見が出てきました。

一つはコミュニタリアニズム。一つはリバタニズム。

コミュニタリアニズムからは、共同体のことを考えていないと批判されました。
一方、リバタニズムからは、所得の再配分は財産と自己所有の権利に反すると批判されました。

ロールズも後に変わって、自分のリベラリズムは、政治的リベラリズムに限るとしました。

知ってることも多かったですが、政治哲学の基本の基本を学べる講座でした。

2010年10月22日金曜日

大学院


クリエイティブなことは学んできましたが、もう少しアカデミックなことも学びたいと思い、大学院にまた進みたいとふと思いました。

しかし、いつまでも学校ばかりいっているのは現実逃避と怒られるかなと思っていましたが、今日大学院の主査の先生におもきって相談しました。
やはり「もっと目の前のもの作っていかなきゃいけない」といわれました。

そのとおりです。

2010年10月21日木曜日

快適睡眠


堀忠雄著『快適睡眠のすすめ』を読みました。

睡眠に関する知識が豊富に書かれています。

睡眠は90分ごとのサイクルで繰り返す。
僕はいつも12時に寝て夜中の3時に目が覚めるのですがまさにそのサイクル通りでした。

また、睡眠のパターンも年齢によって違うようで、僕が昔のようにぐっすり眠れないと思っていたのは年齢のせいでしょうがないということもわかりました。

また、父はもう老年ですが、いつも夜中に目が覚めて、昼間うとうとしていますが、それも年齢によるものだとわかりました。

お昼寝も午後2時ごろ短時間とるのがいいらしいです。
寝る前にぬるいお風呂に入ることもいいそうです。
早く起きて、夜ぐっすり眠れるようにするのがいいそうです。
枕も自分に合ったものを選ぶのがいいそうです。

これからはこれらを試していきたいと思いました。

2010年10月20日水曜日

サマーウォーズ


昨日DVDで、アニメ映画『サマーウォーズ』を見ました。

よくできている。うまい。

物語は、高校の先輩の女の子が実家に帰っていく。それにつきあった男の子がネットの世界の混乱をまねき、ネットの人工知能と戦うものです。

三つの要素の対比が見るものを刺激します。

一つは、現実の世界。古い長野の旧家の世界。
次にネットの世界。
そして、地球の危機の規模の世界。

それぞれをコントラストを出すように描かれています。

しかし、僕から見るとリアルに描かれるべき現実世界が、いかにもアニメにありそうな描かれかたをしていて、今までのアニメを超えてはいない。

それから、長野の旧家の大勢の親戚の集まりを描くことで、生活世界の雰囲気を強く印象づけようとしてますが、今の世代の人から見るとこの家族の世界自体が虚構にしか見えないのではないか。

僕はかろうじて、昔の日本の世界を知っている世代だと思うのですが、バブル以降の世代にとっては古き良き日本というのは一つの憧れでしかないのではないでしょうか。
僕も感動して泣きそうになりましたが、僕のかすかに体験した古き良き日本を描ききってはいないように思いました。
だからといって作品の評価が著しく変わるというというわけではないのですが。

絵も、現実世界はうまくブランドまで見えるまで細かく描かれています、そしてネットの世界もきれいに描かれています。

ある意味、よくできた優等生的作品といえるかもしれません。

2010年10月19日火曜日

吉本隆明


今日は、朝日カルチャーセンター新宿校で文芸評論家の高澤秀次先生の「吉本隆明『共同幻想論』を読みなおす」という講座を受けてきました。

この本が書かれた1968年は世界中で学生運動が盛り上がった時期で、フランスではパリの五月革命が起こりました。その時活躍したのがポスト・サルトルの思想家たちでした。
日本においての思想界のスターが吉本隆明さんでした。

当時はマルクス主義の影響が大きく、マルクスの下部構造が上部構造を規定すると多くの人が考えていました。吉本のユニークな点は下部構造をかっこに入れて、上部構造だけを扱ったことです。

批評家の柄谷行人さんは、共同幻想は内部から見た時にだけ可能だと批判します。
上部構造論は、アドルノ、ホルクハイマー、ハーバーマス等もやっていてたといわれます。

この本は『古事記』と『遠野物語』の分析です。

今回は『古事記』についてでした。

西郷信綱さんという吉本さんより年長の学者が『古事記の世界』という本を書いていますが、当時吉本に批判されたおかげで、吉本の読者は否定的に見るようになりましたが、中身は構造主義や記号論を使ってわかりやすく書かれていたと高澤さんはいいます。

また、吉本さんの欠点でありユニークな点は「神話」と「物語」を分けないということです。

吉本さんによる神話の解釈は、
「父に疎まれる子」
「兄妹姦」
が基本にあります。
また、
「欠乏」
「過剰」
の対比をよく行います。

それらで、吉本さんなりの『古事記』解釈が進んでくのですが、今の歴史学からすれば、間違っているところもあるそうです。

しかし、フーコーも歴史的記述には誤りがあったといいます。
間違ってもチャレンジしたことに多くの人が魅きつけられたのではないでしょうか。

2010年10月18日月曜日

眠り


夜ちゃんと寝られるように、昼間は寝ないようにしてます。

ただ、短期間の昼寝は体にいいそうです。

2010年10月17日日曜日

睡眠


ジャーナリストの鳥越俊太郎さんと医師の塩見利明さんの『眠って生きろ』という本を読みました。

僕自身、朝起きるのがつらくて睡眠に問題があるので興味深く読みました。

睡眠の知識についていろいろ書かれていました。

なるほどと思ったところもあるのですが、少し内容が少ないように感じられました。

もっと睡眠について学んで、朝のつらさを何とか和らげたいと思いました。

2010年10月16日土曜日

共産党宣言


今日は朝日カルチャーセンター新宿校で、神奈川大学教授の的場昭弘先生の「早わかりマルクス『共産党宣言』1日入門」という講座を受けました。

『共産党宣言』の初版は1984年の2月革命直前に書かれた。

72年に、マルクスとエンゲルスの名前をつけて『共産主義者宣言』というタイトルで第二版がでました。

『党』か『主義者』かという争いは日本だけにあって、それは旧左翼と新左翼の対立で出てきたことです。

4章ありますが、今日は一番要点をおさえた1章だけを解説されました。

「階級」とは経済的カテゴリーで、資本主義社会になってはじめて全面化した。

それまでは、「身分」であった。

どのようにブルジョワ階級が生まれたか。
もともと中世の都市国家からはじまる。
都市国家は古いブルジョワで代々くつ屋はくつ屋、ギルドがあって競争はない。親方は市議会議員などになる。
これが都市国家ブルジョワ民主主義であった。
が、その城壁の外に農村から追い出された「城外市民」がいた。
彼らがおよそ1000年かけて新しいブルジョワ階級になる。

古いブルジョワに対して、安いものを売って、となりの街にいっても売りまくる。お金を貯める。
大航海時代に市場を外の世界に求めた。
質から量への変化が起こる。
そこで生まれた新たなブルジョワ階級の下に搾取される労働者「プロレタリアート」が生まれる。

ブルジョワははじめプロレタリアートに旧支配者の封建的なものをこわさせる。しかし、それで彼らは豊かにはなれなかった。
やっぱり敵はブルジョワだとなる。
ブルジョワの中からプロレタリアートを応援する人も出てくる。マルクス自身もそうであった。
それを外部注入として批判する人もいるが、革命家は革命が終われば去らねばならぬとうことをマルクスは知っていた。
モーセが約束の地に入れなかったように。

この本は現在のグローバリゼーションを最も上手く描き出した本である。
48年革命で「国家」による革命への締め付けが強くなったが、冷戦崩壊後グローバル化した資本主義が剥き出しの欲望をあらわす。

各国が同じマクドナルドのハンバーガーを食べるようになった。
現在、豊かな国は食べ物が余っている一方、10億人の人が飢えている。

先進国は安い労働力で途上国の労働者に労働をさせる。民族文化も壊していく。

マルクスは最後に「ブルジョワ階級の崩壊とプロレタリア階級の勝利は同時に避けられない」と言っている。
ただし、それには時間がかかる。新ブルジョワ階級が生まれたのに1000年かかった。資本主義社会が生まれて200年しかたっていない。


今まで漠然とわかっている気になっていたマルクスの思想が少しでもクリアになったように思いました。
マルクスは単にブルジョワを憎んでプロレタリアートを支援したという単純な話ではなく、その発生を説明したのだと聞いて、なるほどと思いました。

2010年10月15日金曜日

円高

景気の悪い日本の通貨をなぜ投資家は買うのか、いまいちよくわかりません。

政府日銀の対応が悪いということは聞くのですが、どうして皆「円」を買うのか。

わかる人、わかりやすく教えて下さい。

2010年10月14日木曜日

写真プリント


今日は写真の教室で、暗室で写真プリントをしてきました。

課題だった「家族の写真」。

2010年10月13日水曜日

疲れ


看護師さんにも疲れたら休むようにいわれているので、今日は一日寝てました。

2010年10月12日火曜日

ゆめ


今日はtwitterでフォローしているアイドルと男性タレントが夢に出てきました。

こんなところにもtwitter効果って・・・。

2010年10月11日月曜日

2010年10月10日日曜日

写真


今日は、写真の学校の課題で家族の写真を撮りました。

2010年10月9日土曜日

大塚英志


今日、朝日カルチャーセンター新宿で、評論家、まんが原作者、民俗学者の大塚英志さんと、文芸評論家の高澤秀次さんの「物語の変容-80年代以降」という講座を受けてきました。

大塚さん曰く、文学には「私をわかって」という文学と「社会的」文学がある。

田山花袋と柳田國男の違いだといいます。

近代とは「ことば」を使って他者とコミュニケーションをして公共をつくるものである。今は近代文学は終わっても近代は終わっていない。近代をやり直すことができる時代である。
その為には、ことばをつくる訓練をしなければならないと思う。

柳田國男は、一方でロマン主義者で他方で近代主義者でした。
大塚さんは近代主義者としての柳田を評価しています。

高澤さんは、今年は大逆事件、日韓併合、『遠野物語』100年であるといいます。これらの事件で、いわゆる「日本人」という概念が成立したといいます。

大塚さんは80年代、文学が物語化、神話化したと考えます。
村上春樹は、神話学者J.キャンベルを読んでいる。G.ルーカスもキャンベルを読んでいる。
80年代の文学は、文学の「スターウォーズ化」であった。

それよりは、物語を誰でもつくれるものとして、方法からちゃんと教えた方がいいと思って実践しているといいます。

2010年10月8日金曜日

円高


円高ですが、円高って「円」が「ドル」より価値があるって市場が判断したことですよね。

円高で困る人がいることは結果論であって、円高になったこと自体は、日本経済がアメリカ経済よりも高く評価されたことで日本にとっては喜ぶべきことではないでしょうか。

何か円高が進んだのが、政府の失策のような印象を与える報道もありますが、円高そのものと、その波及効果ははっきり分けなければいけないのではないでしょうか。

円高になったのは日本経済が高く評価されたか、アメリカ経済が低く評価されたからであって、それ自体は事実として認めるべきだと思います。

その上で輸出産業に大きな負の影響を与えるので対策は必要である。
最も望ましいのは、アメリカ経済自体が回復してくれることだと思います。

市場介入は緊急避難的な政策であって、新興国が安い労働力で優れた製品をどんどん輸出していれば日本の輸出産業がかなわないのは当然のことではないでしょうか。

アメリカもかつて日本企業に安くていいものを売られて困ったことがありましたが、日本もこれだけの経済大国なので今度は追いつかれる番でしょう。

そうすると輸出産業で新興国と競争するのは難しいか、海外に生産拠点を移さざるをえない。だから、今必要なのは輸出に頼らない産業への転換。産業構造改革だと思います。

ただ単に円高だと不利になるからという理屈だけで市場介入しているだけでは将来が見えてこないし、他国の理解も得られないと思います。

2010年10月7日木曜日

ゴッホ展


今日、平日の昼間暇だったのですいていると思って、国立新美術館に「ゴッホ展」を見にいきました。

たくさんの自筆の作品と影響を受けた作品が展示されていて、たいへん面白かったのですが、量が多すぎて最後の方は見るのに疲れてしまいました。

ゴッホの初期の絵から見ていっても、正直言って技法的に上手いという感じはあまりしなかったです。

本当に手先が器用で、きれいに上手く描く絵描きならいくらでもいるでしょう。

それよりも、ゴッホの絵には何か強い「精神」が込められている。
上手くはなくとも、人を引きつける強さがある。

本人もそれを意識していたのではないか。

そして、「絵」というよりも、これを描いたゴッホという人に興味がいく。

つまり、我々観衆は「絵」というメディアを通してゴッホとコミュニケーションをしているのだと思いました。

ゴッホという存在を知るための、絵は一つの手段である、とさえいえるのではないでしょうか。



「「ゴッホの手紙」は比類のない告白文学。」「手紙を見ないであの人の絵を見ることは不可能」「ちっとも絵らしい絵ではない。美しい絵でもない。完成された絵でもない。」「セザンヌは書簡を読まなくってもあの人の絵はよくわかる。」「ルノアールも書いたもの読まなくても美しい。」「ゴッホはそうではない」(小林秀雄講演第七巻より)

2010年10月6日水曜日


アニマルセラピーに行った後の犬が疲れてエサを食べなくなっていましたが、今日元気が出てきてお粥を食べました。

2010年10月5日火曜日

強制起訴


僕は法律に詳しくはないのですが、今回、小沢元代表が強制起訴されることが検察審査会で決まったようですが、これは問題はないのか。

近代法では「疑わしきは罰せず」という推定無罪の原則があるのだと思うのですが、一般市民の方々どれだけ法律を理解して決定を下していらっしゃるのか。
裁判員制度もそうですが、市民の意見を聞こうというのは、動機としてはよいのかもしれませんが、その市民が法律の基礎を知っているかどうかで判断が間違った方向にいってしまう可能性もあると思うのです。

法律はときには一般常識とは異なる判断をすることがあるのだけれども、ただ単に「常識的に見て」とか「メディアの報道を見て」判断してしまうということは非常に危険だと思います。

近代法はリンチではないのですから、法と証拠に基づいて判断されるものであって、証拠もないのに、あるいは状況証拠でもって判断することはおかしいのではないでしょうか。

小沢元代表には、国民に向かって説明はしてもらいたいですが、疑わしいだけで起訴されるのは、素人ながら問題だと思います。


2010年10月4日月曜日

フーコー


今日は朝日カルチャーセンターでの「フーコーと現代」という講座に行ってきました。

先生は、東京大学の金森修先生です。

フランスは今でもはっきりとした階級社会で、普通の人が行く学校とエリートが行く学校がはっきり分かれています。

フーコー(1926-84)は、はじめエリートコースに進みますが、その後外国に行ったりしてエリートコースからはずれます。

70年代初頭から、最高の知識人が教えて誰でも受講できるコレージュ・ド・フランスという学校で教えます。

それと同時に政治的な活動にも熱心でした。

彼は有名な同性愛者であってエイズで亡くなるのですが、先生曰く病気のことを知っていながら同性愛を続けてきたのは一種の自殺だといえる。

フーコーの最初の仕事は精神医学の問題で、『狂気の歴史』(1961)で狂気が時代によってどう変わるかを研究しました。

昔はフールというおどけ役の人がいてそれなりに認められたのが、古典時代に「疾病」とされて治療の対象になりました。それをフーコーは批判的に分析します。


フーコーの書いたものは資料的な間違えもあり事実に反するという批判もあります。

しかし、ポストモダンブームが終わった今でも、世界中でもっとも多く引用されるのがフーコーだそうです。

2010年10月3日日曜日

アニマルセラピー


今日は犬をつれて老人ホームを訪れる、アニマルセラピーに母と犬とで行ってきました。

今までは、お年寄りに近づくのを嫌がっていたうちの犬。それでも真ん中で芸をしているだけでもいいですよといわれていました。

しかし、今日はうちの犬がお年寄りのところに近づいても嫌がりませんでした。
近づいたお年寄りの方々は、涙を浮かべて喜んで下さいます。

今まで何度も行っていますが、今日は一番よかったと思いました。

帰ってから、、犬も僕も疲れて眠ってしまいました

2010年10月2日土曜日

モチベーション

中野ジェームズ修一の『一流の人がやる気を高める10の方法』という本を読みました。

僕は一時期、ダイエットでウォーキングをして10kg以上体重を落としたことがあったのですが、最近運動をやらなくなって、過食も加わってもとの体重にリバウンドしてしまいました。

どうしようかと思って中野さんの本を読んだのですが、中野さんの意見は僕には非常に新しいと感じられました。

彼は自分は「フィジカルトレーナー」「パーソナルトレーナー」であると同時に「フィットネスモチベーター」というのです。

モチベーション、やる気を出させることを目的として、トレーニングだけでなく心理学も応用して成功されてる方です。伊達公子さんや福原愛さんのトレーナーでもあります。

昔の日本の体育会系の精神論とは全く違ったアプローチでのぞみます。

内容は、

1.「やみくもに物事をはじめない」
2.「高すぎる目標を掲げない」
3.「有言実行する」
4.「一度サボってもそこであきらめない」(人がサボるのは当たり前、何度でもチャレンジすればいい)
5.「ストレスをコントロールする」
6.「『〜ねばならない』をやめる」
7.「失敗にではなく成功にこだわる」
8.「目標を段階的に引き上げる」
9.「全ての人に認めてもらおうとしない」
10.「自分をライバルとする」

この本を読んで、昔の体育会系のノリだったらすぐに止めてしまうであろう自分でも、何とかやっていけそうかなという気になりました。

古い頭の人からは根性が足らんといわれるかもしれませんが、そこで止めてしまったらもともこもない。
ですから、現代の人間にはこのようにモチベーションを上げる方法があってしかるべきだと思いました。

読み終わって少しポジティブな気持ちになりました。

2010年10月1日金曜日

姿勢


中国に対してどういう原則でのぞむのかはっきりしていないことが問題なのではないでしょうか。

もちろん、原則は思いつきではなく、十分な情報と分析の上でのものですけど。

どのようなカードを出すべきか、僕はあいにく不勉強でこうすればいいとはっきり言える立場ではありません。

優秀な専門家に依頼して、日本のとるべき立場、一貫した原則をしめしてほしいです。