2009年7月20日月曜日

ブラック・ジャック


今日、朝日カルチャーセンターで「哲学の読書会『転校生とブラック・ジャック』を読む」というのに出た。
「転校生とブラックジャック」というのは哲学者、永井均が2001年に書いた哲学書で、タイトルからいって一般向けに書かれているが、内容は深い。
先生と生徒何人かの対話形式で出来ている。
その本を入不二基義という哲学者が読んでいくというもの。
私はかつて朝日カルチャーセンターで永井均さんの「ウィトゲンシュタインと哲学的諸問題」だったかな?タイトルは正確ではないが、講座に出た。
おそらくまだ50代ぐらいの学者としては若い方だと思うが、それが分析される立場になるのも偉いものだなと思った。
しかも徹底的に精読して(ちなみに朝日カルチャーセンターは年4期ある)前2期で25ページしか読んでない、大変丁寧に読む講座だ。
しかしそれもそのはずで、永井均はきわめてユニークな視点で哲学を展開する。ユニークというとなんか甘い感じがするが、きわめて厳しい視点である。哲学をしようとしてしたのではなく、自分の問題を深く掘り下げていったら自然に哲学者になった、かのような事を聞いた気がする。
私の浅はかな知識でも、永井氏と同じ問題意識を持っている哲学者は(部分的に同じ視点で論じてる人はいるが)現在、過去、日本、外国を問わず、いない。
永井氏の哲学の根本のテーマは「私」だ。
「私」をテーマにした哲学者は確かにいる。例えば大阪大学総長の鷲田清一さんは講談社現代新書で「じぶんこの不思議な存在」という本を出している。いかにも深い感じがするタイトルだが永井氏の発想とは全く違う。
鷲田氏の「聴くことの力」「臨床と言葉」など感動させられた本も多くあるから悪ぐちを言うつもりはないが、「日本は『哲学学』をする人は多いが「哲学」をする人が少ない」というが、彼の哲学は、永井氏の「私」とはレベルが違う。
あるいは、哲学者の中島義道氏は直接「カントの『純粋理性批判』を読む」で教わったが、彼も「日本には本物の哲学者はいない」というけど。中島さんの話は永井氏ほどは徹底してない。(口は悪いがいい人なんだけど)
「私」について語るときに多いパターンが、「私」は人間関係によって決まる、という「社会学的」な説明。
あるいは「アイデンティティー」の問題とする「心理学的」説明。
永井氏の「私」は、それらとは一切関係ない。
彼の書いたものが難しいという人がいるが、私は非常にすんなり頭に入ってくるものが多い。(難しいいところもあるが、他の偉い哲学者の難解な文章よりはわかりやすい)
彼のいう「私」というものを正確に理解するには、知識はあまりいらない、しかし知能とある種のセンスとある種の体験を持った人には通じる。
しかし、私から見ると彼をかなり理解してる人でも、その重要性を正確に理解してる人はほとんどいない。
永井氏はウィトゲンシュタインも研究しているが、ウィトゲンシュタインの関心は「言語」であって、「独我論」に触れた部分はそれほど多くはないのでは?(詳しくは知らないけど)
私も子供の頃いろいろ考えるのが好きで、クラスで「私は口喧嘩では負けたことがない」といってた女の子に「ごめんなさい」といわせたりして、非常に理屈っぽいところがあった。
よく一人でさまよい、思索に耽っていることがあった。その時間は非常に楽しい時間だったが「まあこんなこと子供で考えているのは自分ぐらいなものだろうな。他人にいってもまず理解されないだろう」と思ってた。
普段は、そんなことは他人にはいわずに少年時代は友達とずっと遊んでいたけど。
永井氏もにたようなタイプの子だったかもしれない。もちろん私には彼のようなインテリジェンスはなかったが。
彼の思想は昔から「独我論」と呼ばれ、それ自体はめずらしいものではない。
昔、教育テレビで(記憶が曖昧で間違ってたらごめんなさい)確か認知科学者のダニエル・C・デネットが「あるとき一つのクラスの子供達にアンケートをとったら、独我論的
思考をもったことがある子が4〜6割ぐらいいた」とかいってた。
それなら、独我論なんてめずらしくないじゃないかと思われるかもしれないが、そうではない。子供時代に感じているのに大人になったら忘れる人が多いということだ。
それは「社会性」「他社性」を身に付けたことだから、心理学的にいえばよいことである。しかし彼らは、独我論の恐ろしさを忘れてしまっている。
永井氏の独我論が子供時代からあったことは著書で何度も触れている。しかし、永井氏の独我論は、普通の人の独我論とはレベルが違う。
それを理解させるのは至難の業で、永井氏の本を読んだり講演を聴いた人で、彼の言ったことの恐ろしさを本当に理解している人はほとんどいないと思う。
理屈上わかる人は1割ぐらいはいるかもしれないが。体験としての独我論を体験として知るものはごく僅かだろう。
独我論や懐疑論に陥った人がまずとるのが、他者の視点である。フッサール現象学のように「ある」か「ない」かは、一度、括弧に入れて、多くの人があると感じているのなら「ある」と仮定してみてもいいんじゃないか、というパターン。
もしくは、理論上、実証出来ないのなら考えるのを止めて、実践に身を投じようというもの。
しかし永井氏の議論はそれらとも全く違う。(ちなみに永井氏はいわゆる「社会思想」を「思想」と呼んで、純粋に論理的に真理を目指す「哲学」と明確に分けている。永井氏の哲学に倫理性がないという批判を浴びせるのはトンチンカンというものだ。)
永井氏の問題設定はこうだ。
もし私=AとBさんが入れ替わったらどうなるか?
Bさんは、私=Aと、身体、脳、記憶など、全てが同じに作られている。
さてどうなるか?
答えは、何も起こらない。BさんはBさんで客観的にも、主観的にも完全に連続している。Aも連続して存在していく。
「私」が入れ替わったという大事件が起こり、それなのに何一つ変わらない。だって、身体も脳も記憶も全部A=AでB=Bなのだから変わりようがない。
本のタイトルのように、心(内面)だけ変わる物語というのは大林監督の名作にもあるし、それ以外にも多くの物語がある。身体を丸ごと変えてしまうというのは手塚が「ブラック・ジャック」で何度か描いている。
しかし、何も起こらないというのは、おそらく誰も描いていないのではないか?
何も起こらないからすごいのではない。それによって、彼の思索の哲学的深さがわかるからいったのだ。
つまり、「私」とは、身体にも、心にも、記憶にも規定されない。しかし、例えば、鈴木俊一は「鈴木俊一」を「私」だと思っている。そして、私が入れ替わるということを抽象的には想像できる。したがって「私」が「ない」とはいえない。確かにある。しかし入れ替わっても何も変わらないのは何故か?二流の哲学者なら、先ほどのように、「他者」があるかどうかを問題にする。しかし、そんなことは永井哲学ではどうでもいい。
つまり、身体、心、記憶、他者、これら全てを差し引いても残る「私」、をれを問題にしている。混乱を避けるためにそれを仮に「わたし性」とでも呼ぼう。「私性」は、何にも還元できない。AからBへ移ったのは、その「私性」なのだ。それは、計測できない。したがって、世界を見ても何も変わらない。BになったAは、Bの記憶も引き継いでいるのでA自身も入れ替わったことがわからない。ただ、今までAの目から見ていた世界がBの目から見た世界に、主体は変わる。しかし、それが起こったことは誰にもわからない。
永井氏は「独我論」を他者に証明することが理論上できないと知ったときに戦慄したという。
世界には私しかいない。他のものは全てニセモノである。
そのことを他者に証明することは出来ない。
もっといえば、世界とは「私」が作っているものである。他人に証明する必要さえない。説明すればうなづくかもしれない、さびしさを癒してくれるかもしれない。しかし、そんなことはまるで意味がない。だって彼、彼女だって私が作ったものにすぎないから。
世界の端緒は「私」である。「世界」や「社会」というけれどそれらも全て「私」を通して知っているにすぎない。
「独我論」とは読んで字のごとく「我だけ」の世界。
そこには、他者はいない。完璧なる孤独の世界。
待っているのは、その「私性」の消滅、すなわち「死」だけである。
親も、家族も、友達も、恋人も、伴侶も、子供も、この「私」の絶対的孤独を突き抜けることは出来ない。せいぜい死ぬまでのお慰み。そして、たった一人で死んでいく。
「私」がなくなれば(その後の世界を想像することは出来ても)理論上「世界」は終わる。
「独我論」の恐ろしさの一端でも感じていただけただろうか。
繰り返すが、多くの思想家はそこに「他者」を持ち出す。それは、永井氏に言わせれば「思想」であって、(そう考えたければ考えていいんだけれど)それで、永井氏の「独我論」を否定することは出来ない。
永井均のユニークなところは、このように普通の人は恐くて見ないできた「絶対的孤独」から思索をはじめることだ。それが理解できないのは、そのような孤独に戦慄したことのない「しあわせ」な人たちだろう。

2009年7月15日水曜日

小説


私の大学は美大だけど文学の授業もある。
先生も芥川賞作家だし、選択科目なので受けてみようと思った。
実は、私は小説はほとんど読まない。というより読めない。
難しい言葉で場面を説明してても、例えば昭和初期の生活なんて見た事ないないから、頭に浮かばないで、こんがらがってくる。
それから、いかにも「文学です」って気取った文体も好きになれない。
私も個人的に小説を書いた事が何度かある。それは自分の考えを論理的な言葉で表せなかったので、仕方なく物語りの形で書いたが、修飾的表現は極力排した。
せっかく偉い作家に直接指導してもらえるというので、毎週、短編を書いていった。しかも時間がないのでだいたい一晩で一編のペースで書いていった。10編ぐらいにはなっただろうか。
先生によく言われたのは、鈴木君のには「文体」がないという事だった。
初めはよく意味が分からず、わざとぶっきらぼうな文章を書いているのにそれじゃだめなのかな?と思った。
先生は皆に何編かの短編のコピーを配り、読んでくるように言われた。
私は「自分は自分のスタイルがあるのに作家らしい作家のマネになってしまう」かと思って嫌々読んだが、自分が書くとき時々思い出したりする。そして、その影響を受けてしまっている。その方が楽でスムースにいく。いいことかどうかはわからないが。
のちに、先生は人の文章を読む事はマネする事ではないといわれた。そして、簡潔な文もしぼりにしぼって書くからいいのであって、ただ簡単に書けばいいのではないと言われ、それは納得した。君が書いているのはコントのようだともいわれた。私は出来るだけ抽象化して、誰にでもあり得るということを言いたかったのだが、先生は典型的なカウンターカルチャー世代の文学者なので、もっと苦しんで文学らしい文学を書いてほしいようだ。でも一瞬「今は、これでいいのかな?」ともつぶやいてもいた。
私がある週2編持っていったら、「僕たちは実はすごい人と会っているのかも」と言われた事もある。
昨日の授業は最後なので2日で(といっても夕方まで寝てたりしたが)少し長めの作品を書いた。
火曜日は朝9時に出て夜10時に帰る忙しい日なので、倒れないように前日の12時までに書き終えた。(いつもは4時ぐらいまでかかってたが)
母に見てもらい誤字脱字を直し気持ちよく万全のたいせいで授業に臨んだ。
毎週出しているのは、私だけ。といっても毎週2人ぐらいしかこない授業だが。
とにかく、結構工夫した話なので褒められることを期待して待ってた。
今回の話は、タイトルは「幸福」で、普通の青年が幸福とは何かと問われ、まず平凡な生活を見る。すると、平凡な人は平凡さに耐えかねて自殺してしまう。次にやりたい事をやっている人が幸福だと思い、あるミュージシャンの人生を見る。彼は始めは無名だったが出世して金と名声を得るがスキャンダルをおこし、人が離れていき最後には孤独死する。そこで青年は「世界で一番幸せだと思っている人」の人生を見せてくれという。すると出てきたのは全身大火傷で死の間際で苦しみもがいてる老人だった。「なんでこれが世界一の幸せ者なのか?」その老人は、悪い金持ちで、裏の権力者で、みな彼を畏れるが本当に心を開ける人はいない孤独な人であった。でも最後に偶然出会った少年に親切にし。死ぬ間際少年にはげまされて死んでいく。というもの。
確かに文章は下手だと言うのはわかってきたがストーリーは好きだった。
他に男の子と女の子が出席してたが、先生が彼らに「どう思った?」と訊くと、男の子は「『宮崎アニメは全部見て』とかはいらないんじゃないか」といった。私は内心「それは主人公が平均的青年だという表現なんだけど」と思ったが、何もいわなかった。「藤子・F・不二雄の短編マンガに似ている」と。私は内心「藤子・F・不二雄は私の哲学に非常に近い。彼の短編も持ってる。中学までドラえもん映画を見に行った。だからその通りなんだけど、だからだめではない」と思う。次に女の子は「私は人生の教訓めいたものは読まない。人生の問題に解答をあたるようなものは嫌いだ。答えのない状態に耐える強さが欲しいと思ってる」といわれた。
先生は私に「君はモラリストだね」といわれた。
私はモラリストとは「モラル」を「道徳」と訳す場合が多いので「道徳家」と誤解されやすいが、そうではなく、 17世紀ごろフランスで人間性について語った知識人達で、非常に皮肉に富んだ文章を書いて、道徳とは逆の事もしばしば辛辣に書いた人たち。ということは知っていたが、彼女は「道徳家」ととったのか、「私はモラリストは大嫌いだ」とはっきり言われた。
ちなみに彼女の作品は、
以前は知らない女の人が出てきて部屋にまねいて大事なものをあげる。というのを淡々と書いていて、
次に、女友達の葬式に上海にいって同時に彼氏にも会う。東京に帰るが上海に大事なものをわすれてきて上海に帰るというもの。
そして今回は、みそ汁から石が出てきた。それを大事にとっておいて会社に行く。会社で男の人も石が出てきたんだと言って二人で石を大事にする。というもの。
以前先生に生徒の作品を見てどう思うかと訊かれ「いかにも女の子っぽいと思いました」といった。すると「じゃあ同じ青空を見て男と女は違うように見えるのか?」ときかれ「ぼくは違うと思います。例えば10分間空を見せて、何でもいいから文章を書いて下さいと言ったら違うものが出てくると思います」といった。「ぼくはユング派のカウンセリングを受けていてフロイトやユングは男女差にすごくこだわるんですよ」といった。
あるとき彼女の、上海にいく小説を読んで先生が私に「ユング的に言えばどうなるんだい」というので私は「例えば、成田とか上海にはいろんな意味があると思いますが、この小説は、そういう分析をしてもしょうがないものなんじゃないでしょうか」といった。すると先生は柄谷行人がむかし「意味という病」という本を書いて云々・・・。
私は「ぼくは女の人を差別しているんじゃなくて羨ましいいんですよ。ぼくもそういう文章書きたいんですが男が書くとどうしても硬い文章になってしまうんですよ」といった。
私が感じたのは、彼女は一人っ子らしいが、なんか、男嫌いなんじゃないかと思った。でも作品を見ていくうちに同性愛的世界から、女友達が死んで、今回、男と大事なものを共有しているというのはだんだん男に心を開いてきた感じがした。
あるとき私にどうしてここに来たんですかときいた。私が答えると「ありがとうございました。ただなんとなく気になったので」といわれたので、個人的に私の事が大嫌いというわけではないと思う。
しかし、私の作品を見て「モラリスト」は大嫌い。と目前ではっきりと言われ正直すごく傷ついた。
どこが傷ついたかというと「答えのないことに耐えられる強さが欲しい」というのが正しいから。
私も、常識的な幸福は必ずしも正しくないんだよ。と、常識を批判する方のつもりでいたが、彼女から見れば「それじゃあこっちが本当の幸せじゃない」というのも一つの押しつけじゃないかということだろう。
彼女の作品と比べると文章も下手だし、たしかに彼女の文章には答えはどこにもない。
私の作品は答えはあるが、それは言葉では表現できないというもの。
彼女の方が徹底している。
以前、先生に「ここは、美大ですけど他の大学と違いますか?」ときいたところ。「思ったほど違わない」といわれたが、わたしは彼女のようなタイプは美大、しかも多摩美的だなあと思った。
一つの特徴は、文章書いてくるんだけど題名がない。
ぼくは気取った題名が好きでなく、簡潔なぶっきらぼうな題名をつけるが、彼女は題名さえつけない。これも私よりすすんでいる。文章フェチ、文章萌えとも違う。
自分の感性に正直であろうとしている。
私もそっちタイプの人間だと思ってたところ彼女にハンマーでがつんと叩かれ、考えてしまった。
美大に入ればセンスいい人いっぱいいてかっこいいんじゃないかと思って入ったのも、結局かっこつけたいだけなんじゃないか。実際作る作品も面白くないし下手だし。
偏差値に憧れて有名大学入る人を「俺は違う」と批判できるか?もうすぐ40歳という中年オヤジがギター習ったりダンス習ったり、するのも。急にファッション雑誌読み始めたり、そういうのも美大生の感受性に刺激を受けましてといってるけど、もともと感受性あると思ってたけど、ないのをごまかすためにやってるんじゃないの?
むかし宮台さんが「本当にタフな子はボディービルなんてしない。だから東大はボディービル大会で優勝するんだ」といっていた。また宮台氏は「福田和也がぼくに言っている事は、永井均がニーチェに言っている事と同じだ。『まったり生きろ』『お前が言うな!』」
自己弁護すれば、私の作品に何か力があるから、何か彼女の感情を刺激したのかも。
どちらにしても、クリエイティブな能力を育むのは、クリエイティブな環境にいることが大事だと思う。
傷ついたけれど、言ってくれてよかったといつか思えると思う。
こういう感受性の鋭い人の中にいる事が私は嬉しいんだけどそれも不健全なかっこつけか?
 感性の鋭い人に、たとえ否定的でも評価してもらう事は苦しくても一つの発見である。
学部時代、デザインが下手で悩んだが、いつも山登りだと思っている。登っても登っても頂上にはとどかない、なんでだろうと嘆いても上は見えない。でもしばらくしてふと下を見ると、ずいぶん登ったな始めのころよりずっとよくなってる。そういうことがよくある。
将来、外国へ行きたいという夢があるので英語の勉強をしているのだが、TOEICという試験を受けるために学校に通ったが、始めに模擬テストを受けたら、約1000点満点で590点だった。初めてにしてはいいじゃないといわれ、3ヶ月勉強して、本物の試験受けたら590点。全く同じ点数だった。それからマンツーマンの英会話学校いって、イギリスにも3週間いって毎日英語の勉強して、さてどれくらい伸びたかなと試験受けたら580点と下がっていた。泣き笑いするしかなかったが今でもすこしづつ勉強してる。すると、、昔聞き取れなかった文章が聞き取れたり、すこしづつでも進歩はしてるんだと思う。
他にも勉強も苦手、絵を描くのは得意だと思っていたら、予備校いったら、美大受ける人だから周りのひとは皆うまい。予備校時代に絵の自信もなくなった。写真ならデッサンできなくてもシャッター押せばいいから楽かなと思ったら、やはりいい写真とる人にはかなわない。小説は20歳のときにひとりで書いた事あるので得意かな?と思ったら、当然ことながら、そう簡単にかけるものじゃない。シナリオを習った事もあるが、40人ぐらいのクラスで投票が行われて、ひとり2回自分のでもいいから、いいと思った作品に手を挙げて、といわれ投票が行われたが、私の作品に手を挙げる人は、誰ひとりいなかった。0票。まあそれでもつづけていけばいつか下を見たとき、けっこう上まで来たものだと思う事を信じて、あきらめずに行こうと思ってる。
文体については、人と違うものを作るにも、人のものを知っている必要があるといわれ確かにそうだと思い、とにかく人の作品をたくさん読むということになった。
1日1冊ぐらいの勢いでいきなさいといわれた。
心の傷も残ってるが、鋭い刃物で切った傷は治りが早いのでいづれ治るでしょう。
先生は「君の作品はどこか別のところにいけば、ものすごく評価されるかもしれない、でも我々が思っている文学とあまりにも違うのでぼくにはわからない」といってくれた。
心の傷を抱えて5限の「芸術人類学」にでる。
すると、何か今の自分とだぶるような内容もあった。
<真理>とは、今の科学では、全て言語で表せるものと思われている。しかし、昔は違う。古代ギリシアでは「真理とは女性である」「真理とは常に薄いベールで覆われた裸の女である」と考えられてた。
男性とは「陽」であり、外へ出て行く力。
女性とは「陰」であり、内へ向かう力。
男性的なものによって奪われてはならない。
「真理」とは表に現れた瞬間失われてしまう。
「閉じ」つつ「開く」
「開き」つつ「閉じる」
ハイデガーは「今までの人は「存在者」を扱ってきたが「存在」そのもそは扱ってこなかった」
「存在者」は分離できるが「存在」は分離できない。
モノを作るには2つの方法がある。
一つは「ポイエーシス」これは花が開くのを待つように自然に現れるのを待つもの。「贈与」の世界。
もう一つは「テクネー」で、これは露に暴く。挑発する。
物象化する。男性的。
という内容だった。

2009年7月12日日曜日

暴力


昨日、母が私の嫌がることをやっているので、私は口をきかなくした。
それじゃあ、何の進展もないと思って、「私はそういうことされて不愉快だ」と手紙を書いた。
すると母は「ごめんなさい、手紙を書いてくれてありがとう。もうしないように気をつけます」と手紙を書いてよこした。
私は、毎週日曜日カトリックの教会に行っている。
うちは、母がカトリックの信者で、母方の親戚、母の姉妹、私の女のいとこは全員カトリックの信者。カトリック系の学校に行っていたから。私も幼稚園はカトリック系の幼稚園に通っていた。二番目の姉が病気で亡くなったとき、彼女は17歳ぐらい。苦しんでガンを患っていて死ぬ間際に洗礼を受けた。彼女はよろこんで「これで神様のところにいけるのね」といっていた。彼女の遺骨は日本のカトリックの総本山、東京カテドラルの納骨堂に治められていて、毎月6日の彼女の命日に両親は花を手向けにいく。
わたし自身は洗礼を受けていないが、教会にはよく連れていかれた。
大人になって、いろいろカルチャーセンター等で思想の勉強をしてると、西洋の思想には「ギリシア(ヘレニズム)」の伝統と「キリスト教(ヘブライズム)」の伝統があること知る。(他にもゲルマンやケルトの伝統もあるが)
学部時代、旧約聖書の権威の秦剛平先生の「宗教学」をとって旧約の大まかな流れは知った。
さらにカルチャーセンターでキリスト教関係の講座をいくつかとった。
でも、考えてみれば教会に母が毎週行ってて、行くのは信者だろうがなかろうが自由だしミサの後「キリスト教入門」などの講座もあるので、無料だし、直にキリスト教文化に触れることにもなるし教会に行ってみようと思った。
今朝日カルチャーセンターで「ギリシアの歴史」を学んで、日曜は教会に行っている。
今日ミサに母とは別に行ったところ、先ほどの話にもどるが、教会で会い、母は私が不愉快だからやめてくれといって、やらないと約束したことをやっていた。
私は怒り心頭に発して、母親の胸ぐらをつかんで引きずり回してどなった。
すると、うちの教会の偉い神父様が来て、私を止めた。
私は、あまりにもひどいことをしたので怒り、初めは言葉で主張して約束したのに、それを破られたらどうすればいいんですか?言葉が通じないなら実力で訴えるしかないじゃないですか。といったら「でも、きみのやってることも暴力じゃないか」といわれた。
その後、それで時間が過ぎてしまったが「キリスト教入門」に出席した。シスター田中というご年配のシスターで非常に優しく接して下さり、わかりやすく教えて下さる方なので講座が終わった後、私はいきさつを説明してどうしたらいいんでしょうか?私のやったことは悪いことなんでしょうかと尋ねた。
すると、シスターは「私は昔『交流分析』をやっていて、『何かを言いたいときは、相手に受け取られるような表現をすることが大事』だ」といわれた。人間には9種類の人間がいて、自分のことわかってくれるのは10回に1回ぐらいなのだから、わからないのが当然なんです。といわれた。「『あなたが〜』ではなく『わたしはこう思った』という方がいい」といわれた。皆自分が正しいと思ってしまう、だから争う。私たちの正しさは相対的な物。絶対的な正しさを持っているのは神様だけ、といわれた。
私が「シスターが前おっしゃられた『この世はメチャクチャで荒れ野です』といわれて少し楽になりました」といったら、「荒れ野にもちゃんと天使が使えておられるのよ」いわれた。
自殺する人というのは自分を持ってない人、いつも「世の中がわるい」と思ってる。
自分だけが正しいと思うのは間違えで、「選民思想」は間違えだと言う。
神様は全ての人を平等に抱きしめて下さる。全ての人に「アヴァ(幼児語で「パパ」)」と言う権利をお与えになった。全ての人を「我が子よ」と受け止めて下さる。
そのためにはこちらから内側から心を開かないとドアは開かない。
それから暴力については、「暴力」というのは自分の弱さをごまかすもだと言われて「ごまかさない人生の方がいいじゃない」といわれた。
確かに他の人でなく母親に暴力を振るうというのは気の弱い証拠かもしれない。他の人には恐くて暴力なんか振るえないかもしれない。
腹が立ったら、「自分は今腹が立ってるな、と知っていることが大事、他人がどうこうではなく」といわれた。
うなづいて聞いていると「あなたは、とっても理解力があるわね」といわれた。
家に帰り母に「さっきは暴力を振るってすみませんでした」と謝った。

2009年7月10日金曜日

太陽


火曜日の「芸術人類学」について。
忙しくて書こう書こうと思っていたら時間が過ぎて今日になってしまった。
今回の講義は、いままで問題にしていた「exchange」に対する「gift」の本質をずばり宣言した、非常に重要な回だった。
まず、予想通りバタイユが出てくる。
わたしは、バタイユの入門書を読んで朝日カルチャーセンターの講座をうけて、彼の「無神学大全」を買って途中まで読んだ。
見田宗介さんの「現代社会の理論」を宮台さんがラジオでわざわざ紹介してたので、読んだらバタイユとイリイチがでてきたので知った。浅田彰さんの「構造と力」で読んだ人も多いかもしれない。
私のバタイユ理解は、
この世の中は「過剰」である。従って意味のない消費「蕩尽(とうじん)」を勧める。
理性的な判断よりも情念を肯定するところはニーチェから学んで、歴史の終わりという概念はヘーゲル(コジェーブ?)から学んだということ。
日本では浅田彰や栗本慎一郎らに影響を与えた。
80年代の消費社会のイデオローグにもされてしまった。
しかし、ニーチェとヘーゲルという対照的な二人の理論を学んでいるところが面白い。
私は嫌いではない。
ここから本題。
われわれは生産しているときも消費している。例えば工場で物を造っていつときも機械や電気を消費している。
じゃあ元々はどこから消費する物が「与えられてる」か?
バタイユは、我々の生存は全て太陽に依存しているという。
例えば電気を利用するのも石炭を燃やして発電をする。石炭とは何億年前の植物の光合成が固まった物である。水力発電も水が太陽によって暖められ蒸発して雲になり雨となって降り注ぐ。
米オバマ大統領が景気対策として太陽エネルギー開発にお金をかけるという政策(実体的効果より心理的効果の方が大きいだろう)をとったため最近太陽光発電がはやっているからかなのか、もともとそう考えていたのかはわからないが、とにかくこれからの時代は「太陽エネルギー」の時代だと言う。そしてエネルギーに基礎を置く「エネルゴロジー(エネルギー学)」があらゆる学問、宗教、芸術等の基礎になるだろうという。学問だけでなく宗教や芸術までも基礎づけるとは、なんとすごい話だと思った。
ちなみに太陽にももちろん寿命はあるがわれわれ人類よりは長いだろうということで、「人類にとっては」無限で一方的な「贈与」なのだ。
旧石器時代は、太陽よりも月が大事にされた。それは、性別で言うと女性的。洞窟の中で祭り事をやった。それは子宮の中のメタファーであった。
新石器時代になると、農業が始まる。そうすると太陽が重要になってくる。春分、夏至、秋分、冬至とういう一年の日の動きが大事になってくる。春分の日近くには「復活祭(イースター)」、秋分の日近くには「収穫祭」、冬至近くには「クリスマス」など。
そして、太陽の動きを知っている人を「ひしり(日知り)」→「聖(ひじり)」とよばれ尊ばれる。
天皇の起源も「ひしり」だという。
日本の神話にも太陽が多く登場して、月は少ない「月読み(つくよみ)」
月も太陽の光を受けている。
結局全て太陽が大本だと言う。
そして今後の科学はエネルギーの科学「Energology」になるという。
バタイユの「普遍経済学」(純粋なる贈与)も、もとは太陽だと言う。しかしバタイユは理論よりもエロスの方に行ってしまって理論化していない。
現在われわれは近代科学技術の中で生きている。とりわけ情報技術によって情報交換をしている(このブログも)。それも、完成に近づいている。
エネルギーの学問。そもそも、エネルギーとはアリストテレスの「エネルゲイア(現実体)」に始まる。
物は同一性があり名付けることが出来るが「エネルギー」は同一性がない〈絶え間ない放射〉である。
太陽はどこからどこまでが太陽か定義できない。そのエネルギーは太陽系の隅々までに及んでいるから。
エネルギーは「同一性」より「差異」にかかわる。
自ら変化し続けている。デリダの「差異の哲学」にも共通する考え方だと言う。
今までの経済学のほとんどが「交換」の経済学であった。ただ一つの例外が18世紀のフランスに出た「重農主義」だと言う。農業だけが生産的だと主張する。
「gift」
Le don pur de la nature
「自然の純粋な贈与」
「贈与」=「gift」=「don」
しかしイギリスでは「工場」や「労働」が生産をすると考えられていた。そして、「交換」の経済を発展させ金融商品を次々に発明して、いま失敗してしまっている。
「労働」するにも人間の物質代謝がある。
パンを食べれば、小麦粉の中にある蓄えられた太陽エネルギーを摂取していることになる。
だから、これからは「贈与」「エネルギー」による経済学が必要なのだが。一方「交換」の経済はある意味安全である。境界線をはっきり決めるから。しかし「贈与」は境界線をつくらない。一体化していく。スピリットに関わる。ある意味エロティックでもあり、そして異物が侵入してくるということは危険でもある。

2009年7月4日土曜日

マルクス


今日は朝日カルチャーセンターで「早わかりマルクス『資本論』1日講座」というのに行ってきた。
講師は神奈川大学の的場昭弘先生。
私が初めてマルクスの名を知ったのは、たぶん小学校の社会の時間だと思う。
1970年代後半から80年代前半だろう。
子供のころの私は背も低く、性格も恥ずかしがりやで気が弱くケンカしても誰にも勝てない。姉とも14歳は離れているので大学生に小学生では勝てない。
そんな子で、みんなにかわいがられはした。でも。強い者が弱い者を助ける社会であってほしいと強く思っていた。
そうでないと自分のような弱い奴は生きていけない。
逆に強い者は多少弱い者を助けても生きていける。
だから、政治とは弱い者を守る者であってほしいと思っていた。
それが私の政治信条の基本になっていると思う。
「社会主義」という言葉を初めて聞いたときは、ソ連の全体主義の実態も明らかになったころだった。世の風潮も社会主義を批判的にとらえる感じが強かった。
テレビで真っ向からマルクス主義者ですとは言いづらいかんじもあった。
しかし、私は世間がどう思おうがそんなことはどうでもよく私にとっては「弱者を大切にする」という心情から社会主義には初めから親近感を持っていた。しかし、ちょっと理想的すぎてそんなに世の中うまく行く者かな?ちょっと希望的観測すぎるかなとすこしごまかしも感じた。
しかし小か中学のときの歴史の時間にマルクスのことを教わってマルクスのしようとしていることがわかるような気がした。そして他の人が反対しようが笑おうが私は基本的にはマルクスを肯定的にとらえる。こう考えた。
私が2浪して成蹊大学に入ったのが1990年。ベルリンの壁が壊れたころだった。TVのニュース速報で「いま、ソビエト連邦が崩壊しました」というのを聞いた。あれだけの大国がこんなにあっさりと崩壊しちゃうのかと苦笑した記憶がある。
社会主義国は「人間の平等」を謳っていながらほぼ全ての社会主義国で革命の指導者が英雄として崇拝される。皮肉なことだが、宗教でも教祖がいくら偶像崇拝を禁じていてもどうしても偶像を造ってしまう。人間の多くは何らかの偶像なしには生きていけないらしい。苦笑するしかないか。
ただ、ソ連はゴルバチョフによって民主化し最後に崩壊した。ゴルバチョフ自身は社会主義を否定しないと言っているので社会主義の改革運動として期待して見てた。
だから、ソ連という独裁国家が改革されるのはいいと思っていた。しかし、さらに人民は勢いに乗って社会主義自体を否定して自由主義国になっていくのは、私の立場からは複雑な心境だった。
だから、中国のように社会主義を守りつつ改革していくのが一番賢明だと思った。
ともかく、大学に入ってこれからいろいろ社会を知っていこうと思っていた。そこで「ベルリンの壁の崩壊」は私にとっては強烈な経験だった。
単純に社会主義を訴えることが難しくなっていた。
確かに、これだけ社会主義国が独裁国家になって経済的にも貧しく国民の収入も自由主義国と比べたらずっと低い。
私はもしマルクスが生きていたらこれら社会主義国を徹底的に批判したと思っているけど、社会主義、マルクス主義が、ほとんどの国で失敗した事実は認めざるをえない。
もちろんマルクスが言ってることと現実の社会主義国は違うと思っているが、マルクスに何の責任がないとは言えない。それは将来勉強していきたいとは思っていた。しかし、多くのマルクス主義者と同じようにマルクス自身を批判したくないという心情は公正ではないかもしれないが、私の中にもある。
現実的に考えてソ連型の社会主義ではない、「弱者を大切にする思想」はないものかと思っていた。
アメリカには、共産党は連邦議会に議席を持っていないので事実上社会主義政党はない。かわりに民主党が弱者救済を「リベラル」という立場から主張する。そして政権も何度もとっている。
日本にアメリカの民主党みたいな政党はないのかなと思っていた。とにかく「自民党」と「社会党」には一生投票しないと決めてた。「自民党」とは考え方が違うし「社会党」は体質が大嫌いだった。その時の情緒で動く。前言を翻す。個人的に好きな政治家は自民にも社会にもいるが、党の体質は我慢できない。社会党に入れるぐらいなら共産党に入れる。「自民党と組むことはない。自民党との亜流政権もない」といった翌日、村山政権が出来た。村山首相は人間的には好きだけど、しかしそれだけで政治はやっていけない。
私が初めて選挙権を得て誰に投票しようかと新聞の告知を見ていると「社民連」というのがアメリカの民主党に一番近いのではないかと思い、社民連はミニ政党でちょうど私の選挙区に若くて清潔な感じの社民連の候補がいたので、その人に生まれて初めて投票した。名前が珍しく「くだ」見たいな字で「かん」と読むらしい。
現在、私は民主党のサポーターだが、ある意味民主党が出来る以前からの民主党支持者と言ってもいいかもしれない。
マルクス主義→社会民主主義→リベラルと時代とともに、左の人が掲げる看板は変わってきている。しかし、私はマルクスを応援してたのにブームが去ったら知らんぷりするような真似はしたくない。
マルクスの社会主義が独裁国家を作ったのは認めつつも、マルクスから学べる者が多くあると思う。その立場は明確にしておきたい。
一方、マルクス主義者の中には、ちょっとでも右寄りのことを言うと圧殺するようにヒステリックに叫ぶ奴がいるけど、そういう奴に限って世の中がマルクスを否定しだしたら簡単に態度を変えるから。そういう奴と組むことはない。
小泉首相時代、小泉首相が独裁的に、新自由主義の立場からどんどん政策を決めていって、国民的人気を博したことがあった。郵政解散といって新自由主義に反対の人を公認せず対抗馬を出しまたそれをテレビや雑誌がおもしろおかしく伝える。そしてまた首相の注目度が上がる。ネットでも若者が右寄りの発言をかなり強烈にしたり、民主党を嘲笑するような発言がブームになったことがあった。そして小選挙区ということもあり自民党が絶対安定多数を獲得した。
私は個人的好みは別として小泉首相は一貫していると思うし、対抗馬を出すのも普通に考えれば自民に不利なのに筋を通したのは評価すべきだとも思う。ただし、政治信条が違うので支持することは決してないが。
世の中が右傾化してきて、少し前に左から政権交代を期待されてた民主党も憲法改正を主張する前原氏が代表になり、世の中に皆右寄りになってきて普通の人もそれが当たり前だという風潮が強くなった。ネットで左よりの発言をすると袋だたきにあう感じだった。多くの人が今は左翼の時代じゃないでしょうと右傾化にあわせていった。
その状態が我慢できず、多摩美に入ってから行っていなかった朝日カルチャーセンターで「大塚英志(マンガも政治も扱う評論家兼編集者兼マンガ原作者)さんの講座」「丸山政男(リベラル)のひととなり」そして「マルクス入門」を受けた。
そのことを誰か害って噂になったのかどうか知らないが吉本隆明さん1960年代に書いた「カール・マルクス」を文庫本で出版したりして、マルクスを偏見を持たずに見直そうという空気も少しあった。
そして、今回の金融危機。入院してたので母にきくまで知らなかったが、また今マルクスを見直そうというブームが出てきている。
前回は新自由主義の勝利に反発してだが、今回は新自由主義の失敗をどう捉えるかということに関して、資本主義を徹底的に研究したマルクスにもどろうという感じがする。
他にも、近代経済学の立場からも、一から経済が学べる本がいっぱい出版されている。
と、ここまで偉そうにマルクスを語ってきたが、じゃあマルクスが何を言ったか知ってるの?と訊かれたら・・・マルクス関係の簡単な本は読んだことあるけどマルクス自身の著作は一つも読んでない。「共産党宣言」すら読んでない。
哲学者の中島義道さんは「哲学を学ぼうとしたら(天才は除いて)大学に行かなきゃだめだ。カルチャーセンターレベルではダメだ」といわれていた。
だから、哲学やマルクス経済学を大学で学んでいない私がマルクスを詳しく知らなくてもしょうがないでしょう。
そのかわり、マルクスについて議論する権利もないけど。
前回のときも的場先生で、今回も的場先生だった。
この金融危機の時期に、新書3冊で「資本論」を意訳して、かなり強い意志を感じる。
私は今、東京でマルクス経済学を学べる大学がないのかなと思っていた。マルクスがこれだけ多くの人に影響を与えたのに肝心の著作を読んでいない人が多いのはおかしな話だが、実際読むのは、素人では無理。
私は多摩美の大学院生だから他大学を受けることは出来ないが、聴講だけでも出来ればいいなと思っていた。
そしたら朝日カルチャーセンターで的場先生の「資本論」を読むという講座があったのだが、時間的に受けられなくて残念だった。
そこで今回「資本論」1日講座ということで有り難い企画を立ててくれて非常にうれしい。
しかし、大学4年、院で2〜5年かけて学ぶことが90分でまとまるのかなと少し心配もあったが、行けてうれしい。
的場先生の「共産党宣言」や「経済学哲学草稿」の講座には出てたのだが、肝心の「資本論」は、(私の勉強不足のせいだが)何が書いてあるのか知らない。これじゃマルクスを偉そうに語れるわけがない。少しでも知りたいと思った。
90分しかないのに、始めは自分の本の話とかしていて大丈夫かなと心配になった。
的場先生は、頭の固い教条主義的マルクス主義者ではなく、穏やかで紳士的に丁寧に教えてくれる。
マルクスに対しても好きなことは好きなんだけど客観的に見るところは見ていて、こういう人にマルクスを教えてもらいたかった。
本題に入ると、まず「第1巻」は理論的な部分で必要だがつまらない。「第2巻」「第3巻」が面白いといわれた。
マルクスは未来についてはほとんど語っておらず現状を徹底的に分析しているが「第3巻」に未来について触れていると。
中身について。マルクスは「資本主義社会」とは何か?を徹底的に考える。私が思うに、おそらくマルクスの時代に人類の社会構造が劇的に変わって素朴にそれをどう理解すべきかと悩んだのではないか。
そこでマルクスが出した答えは「資本主義社会」とは、全てが「商品」になる社会だと考える。
うちの大学の中沢先生の「芸術人類学」も似てると思ったが逆にマルクスの影響を中沢さんは受けているのだろう。
前述の吉本隆明さんの「カール・マルクス」の推薦文を中沢さんが書いている。
マルクスは「商品」には二重性があるという。
「使用価値」と「交換価値」
ちなみにここで言う「商品」には「労働力」「貨幣」なども特殊なものとして入っている。
また「水」「空気」のようにただの物も特殊な例とする。
(かつて吉本隆明さんが「水」を買う時代になったからマルクスがきかない時代になったといって、批判されてたと読んだことがある)
資本主義とはお金を貸してお金を増やす社会だという。
資本家がお金を出して生産手段を買って労働者に賃金を払う。ここが昔の奴隷制と違うところで、労働者は作って一方で買う人になってもらわなければならない。
資本家は、出来るだけ安く労働力を買って、商品を高く売る。そうやって資本家は働かせて自分は儲ける。それをマルクスは「搾取」という。
では、商品の「価値」はどこから生まれてくるのかというとマルクスは「人間の社会関係」によって決まるという。
確かに、途上国と北欧福祉国家では、税金も物価も全然違う。
労働力も「商品」として買われた以上それは、買った人の物。しかし「労働力」によって生産されたもは、より大きな「価値」を持つ。だから資本家は正当な取引によっているのだから違法ではないが、労働者が働いて出来た新たな「価値」を「剰余価値」という。
「剰余価値」には二つの面がある。
一つは「絶対的剰余価値」もう一つは「相対的剰余価値」
「絶対的剰余価値」は、資本主義社会以前からあった。封建社会でも農民に働かせて領主が儲ける。
そうやって、たくさん働かされて作る価値が「絶対的剰余価値」
一方、労働時間を短くして効率的に働き、より多くの価値を生み出す。その生み出された価値を「相対的剰余価値」という。
一見「相対的剰余価値」の方が短時間労働で効率的に「価値」生み出すのはよく見える。しかし、それはトリックであって、実際はより低賃金で資本家はより儲かる。
やはり「労働者」は搾取される。
ところで、このような「資本主義社会」はどうやって生まれたのか?
Aが金持ちなのは父が事業で成功したから。
Bが貧乏なのは父が働かないので。
もとをたどれば自分の祖先は悪い事したか?してたかもしれない。
遡れば16世紀、大航海時代。スペイン中南米で国家による暴力で略奪などを行っている。
囲い込み運動でひどいことしてきた人もいる。
悪いことして儲けても、それを隠す。
「資本家」ひとびとを「労働力」として働かせるそこに一つの「労働者」の否定がある。
しじでマルクスはさらに「否定の否定」があるという。
今回の「金融危機」などで「資本家」が落ちぶれたら・・・
「かつて奪われたもが奪い返す」とマルクスは言う。
そこで「自由な協力体」が生まれるだろうと。
私の感想は、労働者と資本家を別けて対立的に捉えている。
資本家もバカじゃないから「革命」で殺されるより、弱者保護に向かうだろうから「革命」もう、あまり起こらないのではないか。労働者のことを考える政策に変えていくだろう。
近代経済学はマルクス経済学からいろいろ学んだのでつづいたが、マルクス経済学はそれはない。そこが欠点だという言葉もどこかで聞いたことがある。
とにかく、労働者のためにこれだけ緻密な研究をして、世に残した。超有名人になったのだが。
しかし、社会主義の名の下で多くの人が苦しめられたのも事実で、それをどう考えるかは今後の課題だろう。