2009年7月10日金曜日

太陽


火曜日の「芸術人類学」について。
忙しくて書こう書こうと思っていたら時間が過ぎて今日になってしまった。
今回の講義は、いままで問題にしていた「exchange」に対する「gift」の本質をずばり宣言した、非常に重要な回だった。
まず、予想通りバタイユが出てくる。
わたしは、バタイユの入門書を読んで朝日カルチャーセンターの講座をうけて、彼の「無神学大全」を買って途中まで読んだ。
見田宗介さんの「現代社会の理論」を宮台さんがラジオでわざわざ紹介してたので、読んだらバタイユとイリイチがでてきたので知った。浅田彰さんの「構造と力」で読んだ人も多いかもしれない。
私のバタイユ理解は、
この世の中は「過剰」である。従って意味のない消費「蕩尽(とうじん)」を勧める。
理性的な判断よりも情念を肯定するところはニーチェから学んで、歴史の終わりという概念はヘーゲル(コジェーブ?)から学んだということ。
日本では浅田彰や栗本慎一郎らに影響を与えた。
80年代の消費社会のイデオローグにもされてしまった。
しかし、ニーチェとヘーゲルという対照的な二人の理論を学んでいるところが面白い。
私は嫌いではない。
ここから本題。
われわれは生産しているときも消費している。例えば工場で物を造っていつときも機械や電気を消費している。
じゃあ元々はどこから消費する物が「与えられてる」か?
バタイユは、我々の生存は全て太陽に依存しているという。
例えば電気を利用するのも石炭を燃やして発電をする。石炭とは何億年前の植物の光合成が固まった物である。水力発電も水が太陽によって暖められ蒸発して雲になり雨となって降り注ぐ。
米オバマ大統領が景気対策として太陽エネルギー開発にお金をかけるという政策(実体的効果より心理的効果の方が大きいだろう)をとったため最近太陽光発電がはやっているからかなのか、もともとそう考えていたのかはわからないが、とにかくこれからの時代は「太陽エネルギー」の時代だと言う。そしてエネルギーに基礎を置く「エネルゴロジー(エネルギー学)」があらゆる学問、宗教、芸術等の基礎になるだろうという。学問だけでなく宗教や芸術までも基礎づけるとは、なんとすごい話だと思った。
ちなみに太陽にももちろん寿命はあるがわれわれ人類よりは長いだろうということで、「人類にとっては」無限で一方的な「贈与」なのだ。
旧石器時代は、太陽よりも月が大事にされた。それは、性別で言うと女性的。洞窟の中で祭り事をやった。それは子宮の中のメタファーであった。
新石器時代になると、農業が始まる。そうすると太陽が重要になってくる。春分、夏至、秋分、冬至とういう一年の日の動きが大事になってくる。春分の日近くには「復活祭(イースター)」、秋分の日近くには「収穫祭」、冬至近くには「クリスマス」など。
そして、太陽の動きを知っている人を「ひしり(日知り)」→「聖(ひじり)」とよばれ尊ばれる。
天皇の起源も「ひしり」だという。
日本の神話にも太陽が多く登場して、月は少ない「月読み(つくよみ)」
月も太陽の光を受けている。
結局全て太陽が大本だと言う。
そして今後の科学はエネルギーの科学「Energology」になるという。
バタイユの「普遍経済学」(純粋なる贈与)も、もとは太陽だと言う。しかしバタイユは理論よりもエロスの方に行ってしまって理論化していない。
現在われわれは近代科学技術の中で生きている。とりわけ情報技術によって情報交換をしている(このブログも)。それも、完成に近づいている。
エネルギーの学問。そもそも、エネルギーとはアリストテレスの「エネルゲイア(現実体)」に始まる。
物は同一性があり名付けることが出来るが「エネルギー」は同一性がない〈絶え間ない放射〉である。
太陽はどこからどこまでが太陽か定義できない。そのエネルギーは太陽系の隅々までに及んでいるから。
エネルギーは「同一性」より「差異」にかかわる。
自ら変化し続けている。デリダの「差異の哲学」にも共通する考え方だと言う。
今までの経済学のほとんどが「交換」の経済学であった。ただ一つの例外が18世紀のフランスに出た「重農主義」だと言う。農業だけが生産的だと主張する。
「gift」
Le don pur de la nature
「自然の純粋な贈与」
「贈与」=「gift」=「don」
しかしイギリスでは「工場」や「労働」が生産をすると考えられていた。そして、「交換」の経済を発展させ金融商品を次々に発明して、いま失敗してしまっている。
「労働」するにも人間の物質代謝がある。
パンを食べれば、小麦粉の中にある蓄えられた太陽エネルギーを摂取していることになる。
だから、これからは「贈与」「エネルギー」による経済学が必要なのだが。一方「交換」の経済はある意味安全である。境界線をはっきり決めるから。しかし「贈与」は境界線をつくらない。一体化していく。スピリットに関わる。ある意味エロティックでもあり、そして異物が侵入してくるということは危険でもある。

0 件のコメント:

コメントを投稿