2013年9月30日月曜日
2013年9月28日土曜日
「社会学ゼミナール 「アルゴ」から見えるアメリカ」
朝日カルチャーセンターの「社会学ゼミナール 「アルゴ」から見えるアメリカ」、講師、宮台真司先生、堀内進之介先生、にいってきました。
ベン・アフレック監督作品映画「アルゴ」を見てきて、グループに分かれてディスカッションをするものでした。
「アルゴ」は、1979年に起きたイラン大使館人質事件の中で、カナダ大使館に逃げた6人をアメリカまで救出する作戦を描いた映画です。
宮台先生は、史実を描いた映画は倫理的かプロパガンダかが問われるといいます。
政治的な映画と政治的に映画を撮ることは両方あるともいいます。
グループに分かれて討議して、みんなこの映画に描かれたことが真実か否かに疑問があるという意見でした。
宮台先生は、客観的な歴史はないといいます。
どんな歴史でも、特定の視座から描かれています。史実と違うから悪いとはいえません。
S.スピルバーグの映画「ミュンヘン」でのスピルバーグの意図は、イスラエル批判だといいます。史実と違っていても、そのメッセージが大事だといいます。
「アルゴ」の冒頭で、イラン革命の経緯を描いていて、アメリカの責任にも言及していますが、これが公正なのか、単なる言い訳なのかは意見の分かれるところです。
史実でいえば、6人を救出したことで残りの52 人の人質の命が逆に危なくなったといいます。
本当はハッピーエンドとはいえない状況でした。
この映画は、悪いプロパガンダではないのかという意見が、英語のサイトとイランでだけおこって、他ではあまりおこりませんでした。
では、この映画主張していることは何なのでしょうか。
クリント・イーストウッドと比較すると分りやすいといいます。
クリント・イーストウッドは「理不尽でも前へ進む」。
ベン・アフレックは「唖然、呆然と立ち尽くす」。
アフレックはいつも「中心」ではなく「周辺」にいます。
しかし、それを逆転させて、それこそアメリカだというふうになります。
堀内先生が、M.ウォルツァーの「汚れた手」という概念を出します。
この映画は反語的に読めて、アメリカの良い面ばかりを描くことによって、実際のアメリカの不条理を浮き上がらせるといいます。
「汚れた手」というのは政治的なエリートは道徳的期待を裏切っても責任を担わなければならない、というものです。
M.ウェーバーの「責任倫理」にも関係します。
宮台先生は、その議論を受けて、それは、イエスがユダヤ教の本来の姿としてみたもの、また、宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」で描いた世直しにも通じるといいます。
アフレックは「汚れた手」ではない。しかし、彼はクリント・イーストウッドが何を描いたのかをよく知っている。
最後に、アフレックの描いた世界は、アメリカの古き良き時代、過去のものなのかという堀内先生の質問に、宮台先生は次のように答えました。
オバマ大統領が先日講演で「アメリカのコア・インタレストが脅かされるときは躊躇なく攻撃する」と語った。
これは、すごいこと。チョムスキーも「これをオバマがいったら終わりだ」といっていた。
こんなに大変なことなのに、安倍首相が「アメリカについていきます」といっても日本では話題にならない。
面白い時代になった。
今までのゲームが通じなくなった。
ベン・アフレック監督作品映画「アルゴ」を見てきて、グループに分かれてディスカッションをするものでした。
「アルゴ」は、1979年に起きたイラン大使館人質事件の中で、カナダ大使館に逃げた6人をアメリカまで救出する作戦を描いた映画です。
宮台先生は、史実を描いた映画は倫理的かプロパガンダかが問われるといいます。
政治的な映画と政治的に映画を撮ることは両方あるともいいます。
グループに分かれて討議して、みんなこの映画に描かれたことが真実か否かに疑問があるという意見でした。
宮台先生は、客観的な歴史はないといいます。
どんな歴史でも、特定の視座から描かれています。史実と違うから悪いとはいえません。
S.スピルバーグの映画「ミュンヘン」でのスピルバーグの意図は、イスラエル批判だといいます。史実と違っていても、そのメッセージが大事だといいます。
「アルゴ」の冒頭で、イラン革命の経緯を描いていて、アメリカの責任にも言及していますが、これが公正なのか、単なる言い訳なのかは意見の分かれるところです。
史実でいえば、6人を救出したことで残りの52 人の人質の命が逆に危なくなったといいます。
本当はハッピーエンドとはいえない状況でした。
この映画は、悪いプロパガンダではないのかという意見が、英語のサイトとイランでだけおこって、他ではあまりおこりませんでした。
では、この映画主張していることは何なのでしょうか。
クリント・イーストウッドと比較すると分りやすいといいます。
クリント・イーストウッドは「理不尽でも前へ進む」。
ベン・アフレックは「唖然、呆然と立ち尽くす」。
アフレックはいつも「中心」ではなく「周辺」にいます。
しかし、それを逆転させて、それこそアメリカだというふうになります。
堀内先生が、M.ウォルツァーの「汚れた手」という概念を出します。
この映画は反語的に読めて、アメリカの良い面ばかりを描くことによって、実際のアメリカの不条理を浮き上がらせるといいます。
「汚れた手」というのは政治的なエリートは道徳的期待を裏切っても責任を担わなければならない、というものです。
M.ウェーバーの「責任倫理」にも関係します。
宮台先生は、その議論を受けて、それは、イエスがユダヤ教の本来の姿としてみたもの、また、宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」で描いた世直しにも通じるといいます。
アフレックは「汚れた手」ではない。しかし、彼はクリント・イーストウッドが何を描いたのかをよく知っている。
最後に、アフレックの描いた世界は、アメリカの古き良き時代、過去のものなのかという堀内先生の質問に、宮台先生は次のように答えました。
オバマ大統領が先日講演で「アメリカのコア・インタレストが脅かされるときは躊躇なく攻撃する」と語った。
これは、すごいこと。チョムスキーも「これをオバマがいったら終わりだ」といっていた。
こんなに大変なことなのに、安倍首相が「アメリカについていきます」といっても日本では話題にならない。
面白い時代になった。
今までのゲームが通じなくなった。
2013年9月27日金曜日
『オン・ザ・ロード』
ウォルター・サレス監督作品『オン・ザ・ロード』を新宿武蔵野館2で見てきました。
1957年にジャック・ケルアックによって書かれた伝説的小説の映画化です。
東部のインテリの青年が、少年院上がりの青年と出会い、アメリカ中を車で走りながら、ドラッグ、セックス、犯罪などに浸っていく姿を描いた作品です。
1960年前後の時代の大きな変わり目の若者たちにとっては、憧れる生き方だったと思います。
非常に丁寧に、よく作られた作品だと思いました。
巨匠、フランシス・フォード・コッポラ監督が長年映画化をしようとしてできなくて、やっとできた作品だけのことはあります。
ただ、今見ると当時のように熱狂的に支持されるようには見えません。
やはり時代を経て、若者の自由も現代ではあたりまえになってしまっているし、当時の血の流れるような、生き生きとした感覚もなくなってきたようにも思います。
当時を忠実に再現しようとした、ある種まじめに作りすぎた作品という感じもします。
60年代以降、このような若者の暴走を描いた作品は多く作られたので、本家本元の本作品がかすんでしまった感じもします。
しかし、これはこれで面白く、ちょっと重いけれど、何十年前のアメリカにタイムスリップしたような気分になれました。
1957年にジャック・ケルアックによって書かれた伝説的小説の映画化です。
東部のインテリの青年が、少年院上がりの青年と出会い、アメリカ中を車で走りながら、ドラッグ、セックス、犯罪などに浸っていく姿を描いた作品です。
1960年前後の時代の大きな変わり目の若者たちにとっては、憧れる生き方だったと思います。
非常に丁寧に、よく作られた作品だと思いました。
巨匠、フランシス・フォード・コッポラ監督が長年映画化をしようとしてできなくて、やっとできた作品だけのことはあります。
ただ、今見ると当時のように熱狂的に支持されるようには見えません。
やはり時代を経て、若者の自由も現代ではあたりまえになってしまっているし、当時の血の流れるような、生き生きとした感覚もなくなってきたようにも思います。
当時を忠実に再現しようとした、ある種まじめに作りすぎた作品という感じもします。
60年代以降、このような若者の暴走を描いた作品は多く作られたので、本家本元の本作品がかすんでしまった感じもします。
しかし、これはこれで面白く、ちょっと重いけれど、何十年前のアメリカにタイムスリップしたような気分になれました。
2013年9月26日木曜日
『新スナップ写真の方法』
丹野清志著『新スナップ写真の方法』を読みました。
奇麗な、教科書的な写真でなく、自分の感じたままを撮るスナップ写真。
機材もコンパクトカメラで十分。
なるほどと、安心させられました。
技術的なことも知ってはおきたいのですが、技術に操られてしまわないように、自由な発想は忘れないでいたいものです。
奇麗な、教科書的な写真でなく、自分の感じたままを撮るスナップ写真。
機材もコンパクトカメラで十分。
なるほどと、安心させられました。
技術的なことも知ってはおきたいのですが、技術に操られてしまわないように、自由な発想は忘れないでいたいものです。
2013年9月25日水曜日
『写真は心で撮ろう』
石川文洋著『写真は心で撮ろう』を読みました。
技術よりも、心が大事だということを知りました。
戦場カメラマンとして活躍した著者の生き方には感銘を受けました。
戦争の話が多くて写真の話が少なかったのが少し残念でした。
技術よりも、心が大事だということを知りました。
戦場カメラマンとして活躍した著者の生き方には感銘を受けました。
戦争の話が多くて写真の話が少なかったのが少し残念でした。
2013年9月24日火曜日
2013年9月23日月曜日
2013年9月20日金曜日
2013年9月19日木曜日
松島
19日。
松島にいきました。
朝5時半に起きて、身支度をして朝風呂に温泉に入りました。
朝食はホテルの和風バイキングでおいしかったです。
チェックアウトをして、荷物を預けて出かけました。
仙台駅まで歩いて、仙石線というローカルな電車で松島海岸駅までいきました。海沿いの公園を歩いて10分ほどでフェリー乗り場でした。
ちょうど出発の直前でしたので、すぐに切符を買い松島を一周するフェリーに乗りました。
松島は海の中にたくさんの小島がある風光明媚な場所です。
とても奇麗な場所でした。あんな小さな島にも松が生えているのが不思議でした。
カモメにエサをやることができて、エサを持った人のところにカモメが食いに飛んできました。面白かったです。
フェリーが戻ると、仙石線の1時間に2本しかない電車に間に合いそうだったので急いで駅までいきました。
そして仙台に戻って、お昼頃ラーメンを食べました。そしてホテルに荷物を取りにいって、また仙台駅にいって新幹線の切符を買って、乗って東京まで帰りました。
家に着いたのが午後4時頃でした。
松島にいきました。
朝5時半に起きて、身支度をして朝風呂に温泉に入りました。
朝食はホテルの和風バイキングでおいしかったです。
チェックアウトをして、荷物を預けて出かけました。
仙台駅まで歩いて、仙石線というローカルな電車で松島海岸駅までいきました。海沿いの公園を歩いて10分ほどでフェリー乗り場でした。
ちょうど出発の直前でしたので、すぐに切符を買い松島を一周するフェリーに乗りました。
松島は海の中にたくさんの小島がある風光明媚な場所です。
とても奇麗な場所でした。あんな小さな島にも松が生えているのが不思議でした。
カモメにエサをやることができて、エサを持った人のところにカモメが食いに飛んできました。面白かったです。
フェリーが戻ると、仙石線の1時間に2本しかない電車に間に合いそうだったので急いで駅までいきました。
そして仙台に戻って、お昼頃ラーメンを食べました。そしてホテルに荷物を取りにいって、また仙台駅にいって新幹線の切符を買って、乗って東京まで帰りました。
家に着いたのが午後4時頃でした。
宮沢賢治記念館
18日。
宮沢賢治記念館にいきました。
大沢温泉からバスで花巻駅にいって、そこから新花巻にいきのバスを教えてもらったら、そのバスが直接、宮沢賢治記念館行きだったので、そのままいきました。
宮沢賢治はただ優しい人というだけでなく、いろいろな分野における才能があった天才だったのだということを知らされました。
近くのイーハトーブ館という小さな美術館と、宮沢賢治童話村というちょっとしたテーマパークのようなところにいきました。
そこから新花巻までどうやっていこうかと考えました。バスまでは時間がありすぎて、タクシーもつかまらなさそうでした。そこでiPhoneで地図を見ながら歩いていくことにしました。
道を一本間違えて、慌ててもどって走っていって新幹線に間に合いました。
仙台にいって、ホテルに荷物を預け、チェックインにはまだ早いので、青葉城址まで歩いていきました。
地図で緑になっているので公園のようなものかと思いましたが、実際は結構森の中を上りました。上には神社やお土産物屋さんなどがありました。
ソフトクリームを食べて、かなり歩いたのでタクシーでホテルまでいきました。
夕方、ホテルの温泉に浸かって、ホテルの近くの牛タン屋にいって牛タンの定食を食べました。
歩数計でいうと19000歩くらい歩きました。
宮沢賢治記念館にいきました。
大沢温泉からバスで花巻駅にいって、そこから新花巻にいきのバスを教えてもらったら、そのバスが直接、宮沢賢治記念館行きだったので、そのままいきました。
宮沢賢治はただ優しい人というだけでなく、いろいろな分野における才能があった天才だったのだということを知らされました。
近くのイーハトーブ館という小さな美術館と、宮沢賢治童話村というちょっとしたテーマパークのようなところにいきました。
そこから新花巻までどうやっていこうかと考えました。バスまでは時間がありすぎて、タクシーもつかまらなさそうでした。そこでiPhoneで地図を見ながら歩いていくことにしました。
道を一本間違えて、慌ててもどって走っていって新幹線に間に合いました。
仙台にいって、ホテルに荷物を預け、チェックインにはまだ早いので、青葉城址まで歩いていきました。
地図で緑になっているので公園のようなものかと思いましたが、実際は結構森の中を上りました。上には神社やお土産物屋さんなどがありました。
ソフトクリームを食べて、かなり歩いたのでタクシーでホテルまでいきました。
夕方、ホテルの温泉に浸かって、ホテルの近くの牛タン屋にいって牛タンの定食を食べました。
歩数計でいうと19000歩くらい歩きました。
共徳丸
17日。
気仙沼に打ち上げられた、漁船、第十八共徳丸を見にいきました。
もう解体工事が始まっていました。
新幹線で一ノ関までいって、そこから大船渡線という二両編成のワンマンの小さな電車に乗って田舎道を一時間かけて気仙沼までいきました。
そこからバスで一駅でした。
帰りは、大船渡線が一時間に一本以下なので、早く帰らなかったので乗り過ごしてしまい、時間を持て余してしまって、気仙沼駅まで歩いて写真を撮りながら帰りました。
それでも気仙沼駅で一時間ぐらい待ちました。
一ノ関に戻って新幹線で新花巻までいって、夕方にシャトルバスで大沢温泉というところにいきました。
旅館に泊まって、川のほとりの露天風呂に入りました。
気仙沼に打ち上げられた、漁船、第十八共徳丸を見にいきました。
もう解体工事が始まっていました。
新幹線で一ノ関までいって、そこから大船渡線という二両編成のワンマンの小さな電車に乗って田舎道を一時間かけて気仙沼までいきました。
そこからバスで一駅でした。
帰りは、大船渡線が一時間に一本以下なので、早く帰らなかったので乗り過ごしてしまい、時間を持て余してしまって、気仙沼駅まで歩いて写真を撮りながら帰りました。
それでも気仙沼駅で一時間ぐらい待ちました。
一ノ関に戻って新幹線で新花巻までいって、夕方にシャトルバスで大沢温泉というところにいきました。
旅館に泊まって、川のほとりの露天風呂に入りました。
2013年9月16日月曜日
2013年9月15日日曜日
2013年9月14日土曜日
2013年9月13日金曜日
2013年9月12日木曜日
2013年9月11日水曜日
2013年9月10日火曜日
2013年9月9日月曜日
2013年9月8日日曜日
「ニコニコ映画実況〜紅の豚〜」
ニコニコ動画の「ニコニコ映画実況〜紅の豚〜みんなで一緒にジブリ作品を見よう<テレビ実況生中継>」をタイムシフトで、作品は見ずに見ました。
いつもニコニコの映画実況は、作品を見ずに、ニコニコだけを見ています。
前回の、「天空の城ラピュタ」も実況を見ました。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが出ていました。
今回は、宮崎駿監督が長編映画の監督から引退するということで急遽決まった放送でした。
宮崎監督に関しては、いずれ書きたいと思います。
いつもニコニコの映画実況は、作品を見ずに、ニコニコだけを見ています。
前回の、「天空の城ラピュタ」も実況を見ました。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが出ていました。
今回は、宮崎駿監督が長編映画の監督から引退するということで急遽決まった放送でした。
宮崎監督に関しては、いずれ書きたいと思います。
2013年9月7日土曜日
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2013年9月5日木曜日
2013年9月4日水曜日
2013年9月3日火曜日
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