2015年8月20日木曜日

『戦争と平和』トルストイ

『戦争と平和』トルストイ全6巻を2012年10から2015年8月までかけて、読み終わりました。

ナポレオン戦争のロシアでの戦いを3人のロシア人男性を主人公にして描いた作品です。

小説のストーリーは複雑で、あまり理解できない部分もありました。

トルストイは貴族出身で、ドストエフスキーに比べると、やはり上品な作品になっています。

ロシア人というと粗野な印象もあったのですが、トルストイの手にかかるとフランス人より誇り高き民族に見えてきます。

戦争の場面や、秘密結社フリーメーソンの場面や、華やかな社交界の場面などリアルに書かれていて、他の人には書けないだろうという感じがしました。

長くて、いろいろな人がでてきて、読むのも大変だったのですが、面白かったです。

2015年8月19日水曜日

『とりかえばや、男と女』河合隼雄

『とりかえばや、男と女』河合隼雄、を読みました。

日本の古典『とりかえばや』をユング心理学者が分析した本です。

性の問題を心理学的にどう考えるかという疑問から読みました。

『とりかえばや』の物語は、姉弟が男女が入れ替わって育っていって、そこで色々な問題が生じる話です。

ユングは男性の中のたましいは女性像で、女性の中のたましいは男性像で現れるとし、それぞれアニマ、アニムスと名づけました。

河合氏はそれを次のように解釈します。
無意識には、「たましいの元型」というものがあるかもしれないが、「元型」とはそれ自身分らないものであるので、常に「元型イメージ」として自我に把握される。そして深いところにはおいては両性具有的なイメージとなり、次に男女の対イメージがある。それが男性的自我には女性として、女性的自我には男性として現れるのではないか。

なるほど、分りやすいと思いました。男女ともに無意識には両性具有的存在を持っているのだということが分ります。

ちなみによく、男女の入れ替わる話がありますが、そのときは多くは男女ともに美男美女であるように思います。人間美しくなると男女の区別がつきにくくなるのかもしれません。美男美女だからこそ入れ替わりの物語がエロティックに感じられるのではないでしょうか。

続いて著者は、西洋のロマンチック・ラブと日本の性愛との違いを述べます。
西洋のロマンチック・ラブは、もともとキリスト教の神への愛が世俗化したもので、その愛に性愛は含まれないとのことです。
日本の場合は一夫多妻制だったので全く違うといいます。

物語には偶然が作用しますが、最後の方で、「偶然」について書かれた部分で感銘を受けたところがありました。

「人間がまったくの偶然と思っていることでも、よく見ていると偶然とも言い難いことがある。・・・三点ABCがあるとすると、これは別に何ということもない三角形である。ここで、こんなのは何のこともない偶然にできた三角形さ、と思う人と、正三角形が少し変形している→正三角形のはずだと思いこむ人とがある。前者の人は偶然を偶然のままに棄ててしまう人である。後者は偶然に何かを読みとろうと焦りすぎる人である。ところが続いて点Dが見えてくる。ABCを正三角形と見る人は、Dの存在を無視するであろう。しかし、ABCDを二等辺の台形と思いこむ人もあるかも知れぬ。その人は、続いて点EFGが出てくると、うるさいと感じるかも知れない。しかし、A・・・Gの点を全体として眺める人は、それが同一円周上にあることに気づき、次は、Hあたりに点があらわれないかなと予想してみたりもできるのである。」

「偶然の意味ある一致」というユングの概念が少し分った気がしました。

全体を通して、男女の仲というのは単純に男対女といえぬ深いものがあるのだと思いました。

2015年8月18日火曜日

『カウンセリングの実際問題』河合隼雄

『カウンセリングの実際問題』河合隼雄、を読みました。

カウンセリングにの基本的な考え方、実例、原則、等が書かれた本です。
『カウンセリング入門』が素人に向けて書かれた本だとしたら、本書は専門家が読むに耐えうる、いやむしろ専門家になりたいなら是非とも読んでほしい本です。

はじめは、ロジャーズについて書かれてあるというので、ユング心理学者によってどう書かれているかという興味から読みましたが、内容はそれどころではない深い内容になっていました。

原則について書かれてあるのでカウンセラーがどう振る舞うべきかが書かれてあるのかと思いました。しかし、著者は原則を次々に述べるのですが、必ず留保をつけます。

カウンセラーはクライアントの家を訪ねていいのか、電話をしていいのか、転移はいいことかなど、答えていくのですが、必ずそのときによっては原則に反することがいい場合もあることを強調します。そのときに望ましいと本当に感じたなら、そっちに従えといいます。

僕は、カウンセラーなるもの「必ず」こうしなければならない、あるいは「絶対」してはならない、という原則があるのかと思って、それを知ることができると思っていました。
しかし、「必ず」ということはないと著者はいいます。

これは、「必ず」こうしなければならないということが、教条主義に陥ってしまって、本物の気持ちがこもらない対応になることを戒めているのだと思います。

だからといって理論や知識を疎かにしていい訳ではありません。理論や知識を学習することは極めて重要で、それをふまえた上でのはなしです。しかし、その理論が、つい理論に頼って自分の言葉で話さなくなってしまうことを著者は警告しているのでしょう。

気持ちがこもるといいましたが、実際のカウンセリングはそんなに「温かい」ものではありません。深くて親しくない関係が理想だといいます。もちろんこれも例外はありますが。

ロジャーズの理論についても、表面的な理解で誤解している人が多いといいます。これも常にそのとき次第だといいます。

僕はカウンセラーではありませんが、人と接するときに心理学的にいってどれか正しい答えがあるのかと思っていました。しかし、この本で常に例外があると知り考え方が変わって、ものの見方が広くなったようです。

また、場合によってはどんなに努力してもどうしようもないことがある。そのときの自分には、それしかできなかったことがある、ともいいます。これも感銘を受けました。

カウンセリングはただ心理的問題を解決するものではありません。そういう軽いものもあるでしょう。それはそれでよいのですが、ときにはもっと重い問題を背負って、どうしても自己変革をしなければならないときがあるといいます。しかし、それは新たな可能性への飛躍でもあるのです。それをユングは「自己実現」といいました。自己実現とは、そんななまやさしいものではありません。それには大変な苦しみがともなうといいます。

自分自身の苦しみの意味についても考えてしまいました。

また、時が熟するのを待つことの重要さも書かれています。この辺は同じユング派でも、フォン・フランツ女史と比べてより穏やかだと思いました。原則を重視するドイツ人と、優しさを大事にする日本人の違いでしょう。

2015年8月17日月曜日

『紫マンダラ 源氏物語の構図』河合隼雄

『紫マンダラ 源氏物語の構図』河合隼雄、を読みました。

ユング心理学者の『源氏物語』の分析です。

著者は、若い頃『源氏物語』を読んであまり面白くなく途中で挫折したそうです。

現代語訳をだした谷崎潤一郎も、光源氏を「女たらし」と批判していたそうです。

しかし、見方を変えて見たときにひじょうに魅力的にうつった。
『源氏物語』を光源氏の物語だととらずに、紫式部が自分のいろいろな面を物語に反映させたものだとして見たといいます。
すると、光源氏とは、紫式部の分身である女たちを映し出すためにたてられた非個性な存在だということになります。

そう考えると光源氏を中心に、女たちがそれぞれ、母ー娘、妻ー娼、という構図をとって曼荼羅をかたちづくります。

そうしてみると、紫式部は実に見事に自らの内なる女性像を描いたといえます。

ただし、後半になってくると光源氏にだんだん人間としての個性が生まれ、自律的になってきます。すると、逆に源氏の威光が薄れていくといいます。そして、現代の小説に近くなる。それはそれで面白いのですが。

このような見方で『源氏物語』を読むとよく分ります。
いままで漫画でしか読んだことがなかった『源氏物語』のストーリーも分って、とても面白かったです。

2015年8月16日日曜日

『カウンセリング入門』河合隼雄

『河合隼雄のカウンセリング入門 実技指導をとおして』河合隼雄、を読みました。

著者の若い頃のカウンセリング指導の記録です。

古い時代の記録なので、当時は臨床心理士なんていなかったので、プロのカウンセラーを目指す人ではなく、教師などを相手にした指導でした。

その中で極基本的なことから、実際にみんなにやらせてみて指導していきます。

そこで強調されているのが、「とにかく聴くこと」だということです。
しかし、ただ意味もなく聴いていたのではだめで、ちゃんと理解を示すことが大事だといいます。

僕はあまり詳しくはないのですが、この態度はユング派というよりもむしろロジャーズ派に近いのかなと思いました。

一見内容は軽い感じもしましたが、最後の方でかなり重い話もでてきて、そこではちゃんと答えてるあたりはさすがだなと思いました。

技術というよりも、心構えのことを書いた本だと思いました。
しかし、これだけ名人技をできる人も少ないのではないかという疑問もわいてきました。

2015年8月15日土曜日

『永遠の少年』M-L・フォン・フランツ

『永遠の少年 『星の王子さま』 ―大人になれない心の深層』M-L・フォン・フランツ、を読みました。

ユング派の女性分析家による、小説『星の王子さま』と、作者サン=テグジュペリの分析です。

「永遠の少年」とは、ユング心理学がいう「元型」のひとつで、永久に大人になれない心性のもとになるものです。

「元型」とは、「大辞林」によると「ユングの用語。神話・物語・文芸・儀礼に見られたり、個々人の夢や幻覚・幻想のなかに見られる、時代と文化を超えた人類普遍的な心像(イメージ)や観念を紡ぎ出す源泉として想定された、仮説的概念。太古型。」です。

「永遠の少年」の元型に捕えられた人は、大人になる事の責任をとらずに、永遠に子どものままでいようとします。
著者は、そんな「永遠の少年」=「王子さま」に捕えられたサン=テグジュペリに厳しい態度で臨みます。
それは同時に、大人になりたがらない現代の「永遠の少年」に対するものでもあります。

訳者の文庫版のあとがきには、この本が出版されたときには読者から強い反発があったとあります。
また、単行本版のあとがきでは、ある女子大学でテキストとして本書を使ったところ「耳が痛かった」という反応が多かったそうです。

僕自身も、大人になりたくない気持ちが今でも強い方なので、「耳が痛い」と思いました。しかし同時に自分のことを理解してくれているという気にもなりました。本には付箋をたくさん付けて、興奮して読みました。

残念ながら2015年現在、絶版ですが、現代の「永遠の少年」には必読の書ではないかと思います。

著者もユングもいっている通り、「子ども」は良い面と悪い面がある両義的なものです。
本書は必ずしも「子ども」の全てを否定しているわけではありません。ただ、その負の側面を強調しているのは事実です。この本だけを読むと落ち込むかもしれません。

この本では、大人になれないことを「母親コンプレックス」が原因だとしています。そして、それをあたかも倫理的に批判しているようにも見えてしまいます。(著者は批難しているわけではないと強調しているが批難しているように感じられてしまう。)しかし、「アダルト・チルドレン」の本などを読むと、人がうまく大人になれないのは「機能不全家族」による「家族内トラウマ」が原因であることがあります。(サン=テグジュペリも冷たい家庭で育ったそうです。)その場合、本人を責めるのではなく、安心させ、嘆きの仕事をし、そして大人の人間関係を学ぶことが治療につながります。
ですから本書の分析は見事なのですが、大人になれないことをただ批判しているだけでうまくいくのか疑問な点もあります。

しかし、大人になりたくない人にとっては良書であることは間違いないと思います。

2015年8月14日金曜日

『星の王子さま』サン=テグジュペリ

『星の王子さま』サン=テグジュペリ、を読みました。

世界的に有名な童話です。

飛行機乗りの「ぼく」が、サハラ砂漠でであった少年=王子さまとの不思議な物語です。

王子さまは「ぼく」に色々な話をします。

自分の星のこと、訪れたさまざまな星でであった妙な大人たち、「王さま」「うぬぼれ男」「呑み助」「実業屋」等々。

王子さまは思います。「おとなって、まったくかわってるな」と。

そして地球でであったキツネにこういわれます。

「かんじんなことは、目には見えないんだよ」と。


本当に大切なものって何?
大人になるってどういうこと?

こんな疑問を投げかける寓意に満ちた純粋な物語です。

読んでいて、大変感動すると同時に疑問もわいてきました。

こんなに純粋すぎていいのか。大人になるって、こんなに汚いことだと思って生きていけるのか。

著者のサン=テグジュペリは飛行機に乗って消息不明になり、ついに帰ってきませんでした。
大人になることを拒否して、本当にいなくなってしまう。
これもひとつの生き方なのかなとは思います。
だからこそ、今でも世界中の人にこの物語は愛されつづけているのでしょう。

僕も大人になりたくないという気持ちがあります。
しかし、大人になることを拒否しつづけられるのか。
僕自身の問題でもあります。

2015年8月13日木曜日

『アダルトチルドレンと共依存』緒方明

『アダルトチルドレンと共依存』緒方明、を読みました。

表紙には次のようにあります。

「「アダルトチルドレン」という言葉は、本来、アルコール依存症家族の中で育って大人になったアダルトチルドレン・オブ・アルクホリックに由来する。また、「共依存」という言葉は、そのアルコール依存症者とそれを支える配偶者との関係を指す。これらが、次第にアルコール依存症の枠を超えて広い意味で使われるようになってきたのが現状である。前者は、家族がうまくいってない「機能不全家族」のなかで大人になった人たちにも当てはめて用いられるようになった。伝統的家族の崩壊とともに、世代から世代へ受け継がれていく病理を断ち切るために、改めてこれらの概念を整理し、心理学・精神医学の立場からわかりやすく解説したものが本書である・・・。」

僕はかねがね、「アダルトチルドレン」という概念を伝統的な精神医学や心理学が、民間の概念として軽視してきたことに不満を持っていました。
「アダルトチルドレン」として苦しんでいるいる人が現に大勢いるのに。しかも、治療によって回復することが可能なのに。これを無視していいのでしょうか。

この本の問題意識は、僕の問題意識と重なります。

「アダルトチルドレン」や「共依存」を、学問的に整理して、伝統的精神医学や心理学に訴えかけます。

こういう本が欲しいと思っていました。今までの「アダルトチルドレン」の本は、一般人向けに書かれたものが、特に日本では多かったです。この本では、外国の文献を主に参照して、専門家にも通用するように書かれています。感情に流されずに、公平に書かれた本だと思います。

「拒食症や過食症が、米国に送れて十年ぐらいしてわが国に上陸したように、「アダルトチルドレン」や「共依存」が頻出する日がやがてやってくると思われる。」

と、96年の段階で書いています。当然のことのようですが、重要な指摘だと思います。

本書ではまず「アダルトチルドレン」について、次に「共依存」について書かれています。
最後に、この両者からの回復の方法について書かれています。


「アダルトチルドレン」について。

クリッツバーグによると「アダルトチルドレンには、恐怖心、怒り、精神的な傷つき、恨み、邪推、孤独感、悲哀、屈辱感、自責感、無感動が認められる。さらに、悉無律(しつむりつ)(オール・オア・ナン)形式による絶対的確信、情報不足、強迫的思考、優柔不断、学習の障害、混乱、過敏などがあり、危機志向型人生(クライシス・オリエンティッド・リビング)を送り、操作的行動、親密性の障害、楽しむことの困難、注目を引くための集団への参加などが見られる。」

カーンによると「内なる感情を同一化する能力の障害、危険に遭遇したときの経験不足、見捨てられ感情、親密性を育む障害、介入や変化への抵抗が認められる。」

ブラックによると「依存、同一化の障害、感情表現の障害、親密性の障害、他人を信頼する力の障害などの特徴がある。」

フリエルとフリエルによると「その多くの部分が「否認」から生じている。酒を飲んで頼りにならない父、繰り返される両親の不和などの慢性的な「家庭内トラウマ」からこころの防御をするためには、子どもは自己を「分裂」(スプリッティング)させて、もうひとりの自分となって現実を「否認」するしかない。その結果として、現実の日常だけではなく、内なる自己の感情も「否認」し、他人との親密性を拒否し、自己をコントロールしてしまう。」

「分裂、価値観の切り上げや切り捨て、投影性同一化、否認などの「原始防衛」を大人になるまで用いつづけたり、慢性的な「見捨てられ感情」にさいなまれ、不安にさらされたり、抑うつになったり、共感されない人生を送る。」

「また自分の気持ちを抑圧するなどの「神経症性防衛」などを用いることもある。それらの結果として「境界型人格障害」や「自己愛的人格障害」などの人格障害や、「不安神経症」や「強迫神経症」などの神経症、あるいは「嗜癖」などの「症状」を呈するアダルトチルドレンになっていくひともいる。」

アダルトチルドレンの生きづらさについてこう述べます。

「子ども時代を子どもとして過ごすことができなかったアダルトチルドレンは、周囲に気を使い、自分の感情を抑えて子ども時代を過ごしている。したがって、大人になっても、素直に自分の感情を表現することができず、自分の気持ちを言いたいときに言い出しかねたり、抑えすぎて急に感情が爆発したりする。」

「また、ブラックが指摘するように、泣くときに泣けなかったり、ひとりぼっちで声を立てずに泣いていたりする。その抑圧された感情が、怒りになることもある。さらに、特定の感情経験に反応して、転職、結婚、離婚などのときに、「白か黒か」の決定的な決断をしてしまいやすく、「生きづらさ」を自らも体験している。」

「また、大人を信頼できない子ども時代を送ってきたので、他人を信頼する力が弱い。したがって、他人を信頼していないので、援助や助けを求めるのが下手である。同時に、甘えたくても甘えることができない子ども時代を送ってきたので、依存したくてもできずに、自分のこころをコントロールしたがったり、支配しようとする。さらに、間接的に相手のこころもコントロールしたがり、支配しようと一生懸命になる。しかし、相手のコントロールや支配が失敗すると、相手を恨み、信頼しなくなる。」

「子ども時代を寂しく暮らしてきたアダルトチルドレンは、大人になっても得体の知れない寂しさにさいなまれたり、抑うつ的になったり、不安になったりする。結婚や恋愛をしていても寂しく、家族を持ってもなお孤独なことがある。そして相手から見捨てられることに過剰に敏感であったり、自分が相手を見捨てるのに過度に鈍感であったりする。」

「また、両親の葛藤や家族関係の歪みに自分が関連しているのではないかと感じて子ども時代を過ごしていると、自責感が強く、自己評価も低くなりやすい。夫婦関係や家族関係が悪くなると、自分を責めてしまい、自己卑下してしまう。」

「ブラックが指摘するように、感情表現、信頼、依存、支配などに問題があるアダルトチルドレンは、上記のように、家族や社会での対人関係に微妙な問題を起こし、「生きづらさ」を感じながら人生を送ることになる。」

アダルトチルドレンは、症状に現れることもあります。フリエルとフリエルによると、その症状としては、うつ病、不安障害、パニック障害、恐怖症、強迫性障害、解離性障害、人格障害、同一性障害などが認められ、さらに摂食障害、嗜癖(アディクション)、胃潰瘍や大腸炎などの消化器障害、睡眠障害、呼吸器障害などがあるといいます。クリッツバーグは加えて、肩凝り、背部痛、性的機能障害、アレルギーなども認められといいます。マテューらは、アルコール依存症家族に育った狭義のアダルトチルドレンは、空間恐怖や単一恐怖が強く、気分変調症、全般性不安障害、パニック障害、反社会的症状を高率に持っているとしています。

思春期のアダルトチルドレン。

アダルトチルドレンは、思春期までをアルコール依存症家族や機能不全家族に育ったCOA(チルドレン・オブ・アルクホリックス)やCOD(チルドレン・オブ・ディスファンクショナル・ファミリー)が成人してA(アダルト)になったACOA(アダルトチルドレン・オブ・アルクホリックス)やACOD(アダルトチルドレン・オブ・ディスファンクショナル・ファミリー)のことです。
思春期のアダルトチルドレンは、クリッツバーグによると次の5つの役割のどれかを担わされるといいます。

1.「家族英雄」
2.「道化者」
3.「なだめ役」
4.「犠牲者」
5.「いなくなった人」

また、思春期のアダルトチルドレンは、比較的「静かな思春期」を送っている人が多いともいいます。これは、「激動の青年期」の前奏曲とも形容できるといいます。

大人になってからの役割は、ブラックのいう「責任を背負いこむ人」「順応者」「なだめ役」やロールやベプコーの「無責任者」と「過剰責任者」などがあります。

機能不全家族。
アダルトチルドレンは、「アルコール依存症家族」だけでなく「機能不全家族」からも生まれます。
「機能不全家族」の主な定義は以下の通りです。

ズパニック、「情緒的見捨てられ」があり、情緒的欲求が満たされない家族。その様な家族の子どもは「子ども時代の喪失」と「幻想的両親の喪失」の二つのタイプがあるといいます。

ブラッドショーやウィットフィールドら、「内なる子ども」を喪失した家族。

ウィークランドら、責めたり、感情的に過剰に反応したり、問題を否認してそれを解決しようとする家族。

クリッツバーグ、「否認」「硬直性」「沈黙」「孤立」の四つのルールがある家族。

フリエルとフリエル、以下の10の特徴のうちいくつかがあてはまる家族。

1.身体的虐待、感情的虐待、性的虐待、無視、その他の虐待。
2.完璧主義。
3.融通性のない家族ルール、生活スタイル、信念システム。
4.「話すな」のルールと、家族の秘密を守ること。
5.自分の感情を見きわめたり、表現したりする力のなさ。
6.家族の他のメンバーを介してのコミュニケーション。
7.二重メッセージ、二重拘束。
8.遊んだり、楽しんだり、自然に振る舞うことのできなさ。
9.不適切な行動や痛みに対する耐性がありすぎること。
10.境界が不鮮明な網状家族。

クラウスとクラウス、「抑圧家族」。

世代伝承について。

アルコール依存症家族に育ったアダルトチルドレンは配偶者にアルコール依存症者を選ぶ傾向にあるといいます。そこで、アダルトチルドレンはアダルトチルドレンを生むという「世代伝承」が起こる可能性が高いといいます。ただし、虐待を受けた親が必ずしも虐待をするとは限らないのと同じように、アダルトチルドレンの子が必ずアダルトチルドレンになるかは分らないともいいます。

寡黙について。

アダルトチルドレンは自分が受けた心的外傷を語りたがりません。それが、アダルトチルドレンの発見を遅らせているかもしれないといいます。本当に共感して安心できる場でなければアダルトチルドレンは自分の過去について話そうとしない。それは「否認」の心理機制が働くからです。カウンセラーはよほど注意して臨まなければいけないといいます。


共依存とは。

アルコール依存症者には、それを支える配偶者が必ずいます。彼女らは「支え手」(イネイブラ-)とよばれています。1970年代には、「コ・アルコホリズム」とよばれ、次第に「パラ・アルコホリズム」と、そして「コ・ディペンデンス」(共依存)とよばれるようになってきました。
そして、現在アダルトチルドレンと同様「アルコール依存症」のない「機能不全家族」にも拡大されるようになってきています。
アダルトチルドレンと「共依存」の人の特徴は共通したものが多いです。では、アダルトチルドレンと「共依存」は同じものの別称なのでしょうか。それは、「今後の検討が必要である」としています。しかし、アダルトチルドレンが個人のものであるのに対して「共依存」は「他者」が必要だといいます。「共依存」は関係性の病理なのです。

共依存の出現率に関して。

ウェグシェイダー=クラウスとクラウスは全人口の96%が、「共依存」だと報告しています。チェルマックは25%、ブラッドショウは米国人の100%が「共依存」だといいます。サティアは95%とします。ウィットフィールドは「共依存スペクトラム」を提唱して、「健全家族」0~5%、「機能不全家族」95%であり、95%のうち25%が重症の「共依存」で70%が比較的軽症の「共依存」だとしています。こうしてみると、「共依存」の概念自体がいまだ曖昧なままだと思えてきます。

援助専門職と共依存の関係。

ナース、医師、ケースワーカー、心理カウンセラーなどの「援助専門職」(ヘルピング・プロフェッショナル)には「共依存」の人たちが多いとされています。親や配偶者に嗜癖者が多いというのが理由ですが、正常コントロール群との厳密な比較がなされてないし、対象は「嗜癖」のワークショップに参加した者に限られているのであまり信用できないともいいます。

共依存の診断基準。

チェルマックの定義だと(狭義の)共依存の特徴は次のようになります。

1.逆境に直面したときに、自分や他者の感情や行動を支配したりすることに自己評価を置きつづける。
2.自分の欲求ではなく他者の欲求に合わせることが、自分の責任だと思い込む。
3.親密性や分離に関しての不安や境界の歪み。
4.パーソナリティ障害、嗜癖者、共依存者、衝動的な人とあいまいな関係がある。
5.次のうち少なくとも3つが存在する。
①過度の否認
②感情の抑圧
③抑うつ
④過度の用心深さ
⑤強迫性
⑥不安
⑦物質乱用
⑧反復する身体的、性的虐待の存在
⑨ストレス性の病気
⑩物質乱用者と少なくとも2年以上関係がありならがも援助を受けないでいる。

ウィットフィールドの(広義の)共依存の人間としての特徴は以下のうち一つでもあてはまるものがあることだといいます。

1.救済者
2.おべっか者
3.高成功者
4.自信喪失者
5.完璧主義者
6.犠牲者
7.殉教者
8.嗜癖者
9.強迫者
10.妄想者
11.自己愛主義者
12.いじめっ子
13.虐待者
14.失われた子ども
15.おどけ者

また、ウィットフィールドは「共依存」には以下の12の基本的特徴があるとしています。

1.学習性、獲得性
2.発達性
3.外部指向性
4.自己喪失の病
5.境界の歪み
6.感情の障害
7.関係性の障害
8.一次性
9.慢性
10.進行性
11.悪性
12.治癒可能性

シェフによると「共依存」には以下の17の臨床特徴があるといいます。

1.不正直(否認、投影、妄想)
2.感情の障害(凍りついた感情、歪んだ感情)
3.支配
4.混乱
5.思考障害
6.完璧主義
7.他者指向性
8.依存
9.恐れ
10.強剛性
11.批判主義
12.抑うつ
13.劣等感/誇大主義
14.自己中心主義
15.道徳観の欠如
16.無感動や無欲
17.悲観主義

メロディは「共依存」を「一次症状」と「二次症状」に分けています。以下の通りです。

「一次症状」
1.適切なレベルの自己評価を体験できないという自己を愛せない障害
2.自己と他者の境界設定ができずに、他者に侵入したり、他者の侵入を許したりするという自己保護の障害
3.自己に関する現実を適切に認識することが困難であるという自己同一化の障害
4.自己の欲求を適切に伝えられないという自己ケアの障害
5.自己の現実(年齢や状況)に沿って振る舞えないという自己表現の障害

「二次症状」(主なもの)
1.見えざる逆支配
2.恨み
3.スピリチュアリティの障害
4.嗜癖、精神疾患、身体疾患
5.親密性における困難

シャロン・ウェグシェイダー=クラウスは「共依存」に「支え手」(イネイブラ-)以外に4つの役割があるといいます。以下の通りです。

1.支え手(イネイブラ-)
2.家族英雄(ファミリー・ヒーロー)
3.マスコット
4.犠牲者(スケープゴート)
5.失われた子ども(ロスト・チャイルド)

ウィットフィールドによると「共依存」による「心身症」を生む「機能不全家族のルール」とは、次の6つであるといいます。

1.自分の感情や問題をオープンに話してはいけない。
2.話す必要のない人と話すのはいけない。
3.自分らしくあってはいけない。
4.常に強く、善良で、完全で、幸せでなければいけない。
5.遊びごころをもったり、楽しんではいけない。
6.感動してはいけない。

このように「真の自己」を隠してしまうことで「身体症状」が出現してしまうといいます。

「このことは「共依存者」が内科や整形外科やヨガなどの身体を癒す場所を訪れる可能性が高いこともしめしている。」

「共依存」の成因とは。
共依存にはいくつかの成因が考えられています。
◯ケミカル・ディペンデント
クロニンジャーらは、この言葉をアルコールや薬物などへの化学物質依存という意味と脳内の化学物質によって依存が成立するという二つの意味で使っています。
◯心的外傷後ストレス障害
幼少期から大人になるまでに心理的な外傷を受けた人が、精神的な症状を呈することです。
◯世代間家族システム
プレストとプロビンスキーは、人は「配偶者選択」のときに二者関係は不安定なので第三者を介入させるといいます。その際「行動」や「物質」が用いられることを「不安結合メカニズム」とよんでいます。すると「分化」が弱まり「融合」が強くなります。そして「親密性」と「同一性」の発達を障害するといいます。
◯対人関係モデル
ホッグとフランクは、サリヴァンの「対人関係論」の視点から、一方に「共依存」をもう一方に「対抗依存」置きます。健全な人はその中間の「中間依存」の位置にいます。しかし「共依存」の人はそれができなくなります。
◯心理的ストレス
メンデンホールは、アルコール依存症は「家族の病」だとは考えません。アルコールの「共依存」は、アルコール依存症者と一緒に暮らしているために起こるストレスによる状態だと考えます。
◯自己愛説
チェルマックの説は、機能不全家族に育ち、共感されずに育つと、「病的自己愛」が出現するというコフートの理論を援用したものです。


最後にアダルトチルドレンと共依存の治療について書かれています。
「アダルトチルドレン」と「共依存」は、ともにアルコール依存症や機能不全家族による、小児期からの慢性的で反復性の「家族内トラウマ」を原因としているので、その治療法も同じ方法になるといいます。
ズパニックは次の2つの治療原則が重要だとしています。

1.子ども時代の喪失を認め、理想化・幻想化している親を捨て去ること。
2.自分が自分の親代わりになる技術を学ぶこと。

そして治療のプロセスは、第1段階は、「否認」を解くこと。
第2段階では、否認していた怒り、抑うつ感、罪業感、絶望感を表現すること。子ども時代に剥奪されていた悲哀を真の意味で喪失体験する「グリーフ・ワーク」(悲哀の仕事)をすることです。
第3段階では、理想化された親の代わりになってくれる人を探すこと、だといいます。

否認を解くには、アダルトチルドレンや共依存について書かれた本を読むことを著者は勧めています。
それで回復する人はそれでいい。しかしそれでも回復しない人はセルフヘルプ・グループに参加することが大切だといいます。ただセルフヘルプ・グループは、自己憐憫になってしまう危険があるので注意が必要です。また、アダルトチルドレンや共依存の知識のある治療者を訪れることも大切です。治療者が心理教育的アプローチをすること。分りやすく、ゆっくりと、相手を傷つけないように説明する治療者が重要です。そこでは本人の育った家庭環境、心的な防衛機制、役割などを教える必要があります。

ただ、アダルトチルドレンや共依存には言語的アプローチだけでは限界がある場合があります。したがって、何らかの形で身体を使った「体験療法」が重要になってきます。
「アートセラピー」「ボディセラピー」「メディテーション」、傷つけた親に出さない手紙を書くなどをする「ジャーナリング」などの「体験療法」で「グリーフ・ワーク」をして理想化され幻想化された親を捨てることが重要です。その際、「リチュアル」(儀式)が効果的だといいます。

カウンセラーの姿勢でいうと、カウンセラーが支配的になるとクライエントはカウンセラーに「絶対依存」がおこり、両者の「共依存関係」がおこり、治療が長期化したり悪化したりすることがあります。カウンセラーは中立性を保つことが求められます。

そして、最終的に親の代わりを探すのですが、それはズパニックがいうように自分が自分を「育む親」(ニュートラント・ペアレント)になることです。アダルトチルドレンも共依存者も自己評価が低いので、肯定感を与える「エンパワーメント」が大切です。

ここに示したことが全てではありませんが、「家族内トラウマ」からの真の回復には、心の中の「内なる子ども」(インナー・チャイルド)や「内なる親」(インナー・ペアレント)の発見が大切です。それは、「偽りの自己」ではなく「真の自己」の発見です。

「<リカバリーはディスカバリーである>とクリッツバーグは指摘しているが、アダルトチルドレンと「共依存」における治療では、その言葉は実践的で意義深い」

なお、家族療法家のトレッドウェイは「共依存」の概念や治療に批判的です。親や家族を責めすぎているというのです。
しかし、これだけアダルトチルドレンや共依存が社会問題化している時代にはなんらかの概念や治療の発展が必要でしょう。

あとがきで著者は、日本でもアダルトチルドレンに関する関心が高まっているが、「アダルトチルドレン」という呼称に誤解が生じやすいので「トラウマ・サバイバー」と呼ぼうという動きがあると紹介しています。
僕も「アダルトチルドレン」という用語は誤解されやすいと思ってましたので、呼び方を変えた方がいいのではないかと思います。

2015年8月12日水曜日

「ナルシシズムの導入に向けて」フロイト

岩波書店『フロイト全集 13 1913-14 モーセ像 精神分析運動の歴史 ナルシシズム』のうち「ナルシシズムの導入に向けて」立木康介訳、を読みました。

『自己愛家族 -アダルトチャイルドを生むシステム-』という本の中で、フロイトの「ナルシシズム論文」が紹介されていて、読むことをお勧めしますとあったので読みました。

この歳になってフロイト自身が書いた論文をはじめて読みました。

内容は、リビード(性のエネルギー)がいかに自分に向かうかという考察です。

フロイトの文章は流麗なのですが、さすがに難しくて全部理解できたとはいえません。

袂を分かった、弟子のユングやアドラーに嫌みをいうところなどは面白かったです。

よくいわれることで、否定する人もいますが、フロイトは主に神経症を、ユングは主に精神病を扱ったので彼らの思想の性格の違いが生まれたというのがありますが、フロイトの文章を読んでいると本当に神経症的だなと思いました。特にユングに比べて。よくこんな細かいことまで分析するなと思います。すごい天才であると思うと同時に、ここまで細かく考える必要があるのかという疑問も浮かんできます。どうせ、この言説もいつかは覆されるのに。実際に患者のためになるのかという疑問もあります。そういう面では、僕はユングの方が実際的に治療に役立つことを考えた人なのではないかという気もします。フロイトと比べたらユングの思想の方が細かくはありませんが。

しかし、この時代にナルシシズム、自らにリビードを向ける病理に注目したのはすごいことだと思いました。

2015年8月11日火曜日

『自己愛家族 —アダルトチャイルドを生むシステム—』ステファニー・ドナルドソン-プレスマン、ロバート・M・プレスマン

『自己愛家族 —アダルトチャイルドを生むシステム—』ステファニー・ドナルドソン-プレスマン、ロバート・M・プレスマン(Stephanie Donaldson-Pressman and Robert M.Pressman,The Narcissistic Family Diagnosis and Treatment)(ザ・ナルシシスティック・ファミリー 診断と治療)を読みました。

アダルトチャイルド(複数形=アダルトチルドレン)が生まれるシステムを解明し、その治療法を提示した本です。

アダルトチャイルドとは、「アルコール依存症のアダルトチャイルド(Adult Child Of Alcoholism :ACOA)」の略で、アルコール依存症の家族のもとで育って、成人になって本人や他人に心理的に困難な事態を引き起こしてしまう人のことです。

アダルトチャイルド(AC)の人は、本書によると「常に自己評価が低く、親密な関係を保つことができず、そして(あるいは)自己理解への道が閉ざされているように感じて悩み苦しんでいる。」といいます。

ACは、本来はアルコール依存症の親に育てられたり、深刻な虐待を受けて育ったりした人をさす言葉でした。

しかし、著者が働くロードアイランド心理センターでは、ACの特徴を持っているのに、親が飲酒をしなかったり虐待がなかったりする場合が見られるようになってきました。

この人たちは、「いつでも人の世話をやこうとし、感情や欲望や欲求に鈍感で、絶えず人の承認を求めるといった共通の行動特徴をもっていた」。
また「何か悪いことが起これば、それは自分にふさわしいことだと感じ、一方良いことが起こるとそれは間違いか、偶然に起こったに違いないと感じていた。・・・彼らは物事をはっきり主張することに困難を感じ、いつも怒りの感情が表面化するのを恐れて、それを感じることが難しかった。・・・しばしばひどく怒るけれど、簡単に打ち倒されてしまう張り子の虎のように自分を感じていた。・・・彼らの人間関係は不信と疑い深さ(パラノイアとの境界にある)が特徴的で、しばしば全面的で無分別な信頼と自己開示によって生じた悲惨なエピソードに散りばめられていた。彼らは、慢性的な不満感を抱きながら、本当の感情を表すことで、不平や泣き言を言う人間だと思われることを恐れていた。・・・極端に長期にわたって怒りを抑えられる限り抑えてきた。そこで比較的些細な事柄に爆発してしまうのである。彼らは、自分の成し遂げたことについて虚無感と不満足感を感じていた。これは、外面的には非常に成功したと思われる人々の間にすら見出された」。といいます。

この本では、親がアルコール依存症でないのに、アダルトチャイルドと同じ様相を呈する人を、ある観点から考察しています。

それが著者が「自己愛家族」と名づけた交流のパターンです。
その特徴とは、「親側の要求が子どもの要求より優先されるということ」です。

「私たちは、自己愛家族の中では子どもたちの要求が、両親の要求の二の次にされるばかりでなく、しばしば後者(親)にとって重大な問題性を持つということを発見している。もし自己愛家族をよく知られた発達スケールのどれか(たとえばマズローや、エリクソンのものなど)に従って辿ってみるなら、もっとも基本的な信頼と安全についての子どもの要求が満たされていないことを発見するであろう。その上、その要求を満たす責任が、親の側から子どもの側へとシフトされているのである。このような家族の状況では、親が子どもの要求に応じるよりも、子どもが親の要求に合わせているのである。実際、自己愛家族は親システムの情緒的要求を処理することで消耗してしまう。自己愛家族では、両親の要求を満足させるために子どもたちが動員されるのである。」

「自己愛家族では、子どもの行為は子どもが何を感じ、経験しているかに関して評価されないで、その子どもの行為が両親システムに与える影響という観点から評価される。」

「自己愛家族では両親の反応によって、子どもたちは自分の感情を制限されるべきもの、あるいは取るに足りないものであると思うようになるのである。」

「子どもが問題を持っているのではなく、子ども自体が問題なのである。」

「さらに言えば、子どもは何かを必要としているのではなく(読書障害、不安、発達遅滞、抑うつ等の治療)、ただレッテル(怠け、馬鹿、わらいもの、へま、というような)を貼ることだけがあるのである。子どもの行いが両親へ及ぼすその結果こそがもっとも重要なことなのである。」

その結果、子どもたちはどうなるのでしょうか。

「このような子どもたちは、多くの時間をかけて、自分の感情が取るに足りないもの、あるいは否定的なものであることを学んでいく。彼らは自分の感情を切り離すようにし始め、それらを感じないまでになる。しばしばこの感情の否認は、子どもにとって実用性がある。なぜならそれらを表現することは、ただ火に油を注ぐことになるからである。自分自身の要求を理解し、それに気付き、承認する代わりに、このような子どもたちは自分の親たちの要求に対して、大げさに反応する感覚を発達させる。実際、彼はその両親の情緒的要求を映し出す影になるのである。親の要求は絶えず移動する標的のようで、子どもはそれに照準を合わせることが難しい。子どもたちは力とコントロールを持たないまま、状況を改善する責任を感じているので、失敗したという思いを発達させる。さらに彼らは自分自身の感情を是認し、自分自身の要求を満たす方法を学ぶことに失敗する。まもなく子どもたちは半永久的な感情喪失に陥る。成人になって、これらの人たちは自分の悲しみやフラストレーションや不満がさまざまに変化するのを感じる以外には、自分の感じていることに気付かないようになるかも知れない。」

そこからの回復の過程について、

「・・・そこには子どもの頃に、親たちが行ったことについて自分には何の責任もないし、またそれをコントロールすることもできなかったのだと患者が理解すること・・・」「また、彼らが大人として自分の回復をコントロールする力を持ち、それに責任を持っているのだということを理解すること・・・」「言い換えれば、機能不全の家族出身の子どもは、家族の機能不全によって作られたとしても、大人になればもはやそれによって左右される必要はないのだということなのである。」


アルコール依存症も虐待もない機能不全家族をどう考えるか。この点について、本書の見解は妥当で有効だと思います。

親の情緒的要求が子どもの要求に優先する。そうすると子どもは親の情緒的要求に合わせて、自分の感情を否定して行動しなければならなくなる。
それが、ある種のACを生みだす機能不全家族の構造だとする見方は、なるほどうまく分析したなと思いました。

ただし、本書は民間のカウンセラーが書いた本なので、学問的にはあまり認められてるようには思えません。それが残念です。

著者は「自己愛家族」とは、研究へ一つのフレームワークを与えたものだといいます。
このフレームワークを利用して考える研究が増えればいいなと思います。ですが、この概念は本書以外では見たことがありません。

しかし、僕のAC理解には非常に役立ったと考えています。非常に良い本だと思いました。

2015年8月10日月曜日

『アダルト・チルドレンと癒しー本当の自分を取りもどす』西尾和美

『アダルト・チルドレンと癒し—本当の自分を取りもどす』西尾和美、を読みました。

著者はアメリカでアダルト・チルドレンの治療を行っている心理療法家です。

アダルト・チルドレンとは、本書によると「機能不全な家族で育ち、自分や自分のまわりの人たちに問題を引き起こし、生きづらさを抱えている人たち」のことで「大人のくせに大人になりきれない子どもっぽい人たち」や「大人のような子ども」の意味ではありません。」「アダルト・チルドレンという言葉は、アダルト・チルドレン・オブ・アルコホリック(アルコール依存症の親をもち、いまは大人になっている人たち)からきたものです。最初は、アルコール依存症の人がいた家族で育った人たちが、どのような心の障害をもつようになったかが注目され、この言葉が使われました。しかし、その後、ドラッグやギャンブルや虐待など、いろいろな問題のある家族で育った人も同じような障害をもつようになっていたことがわかり、そうした、安全な場所として機能しない家族で育った人々をみな含む言葉となり、現在、アメリカでACA、ACOAといわれる場合、アルコール依存症の親に育てられて大人になった人たちだけでなく、各種の機能不全な家族で育てられた大人たち(アダルト・チルドレン・オブ・ディスファンクショナルファミリー)も含んでいます。」

著者自身が虐待を受けて育ったそうです。

「アメリカで、私は自分の癒しのためにいろいろなサイコセラピーを経験しました。そして、ある日、夢を見ました。アラスカの、氷でまわりが真っ白になっている港に自分の船が到着するのです。すると、いろんな人種の人たちがどこからともなくでてきて、私を迎えてくれ、みるみるうちに氷がとけていき、大きな歓声がわきあがったのです。不思議なことに、それ以来、父に怒鳴られるというフラッシュバックと胸のドキドキは消え去り、それからは一度も起こっていません。私がこの夢を見たときは、もう三十歳もなかばになっていました。私は癒しに全力で取り組んでいましたが、癒しというのはこのように非常に長い時間のかかるものです。」

この様な著者が、アダルト・チルドレンの定義とその実例、そしてその癒しの方法を記したのが本書です。中には、生々しい近親相姦の描写等があり子どもには見せづらい部分もありますが、これが役に立つ読者も多くいるでしょう。

ではアダルト・チルドレンを生みだす「機能不全家族」とはどんな家族でしょうか。
本書では「「機能不全家族」とは、メンバーの安全が守られず、適切な保護が与えられず、一人一人の人格が尊重されない家族」といいます。

そして具体的に、著者は次の様に挙げます。

身体的虐待

性的虐待

精神的、言葉の虐待
・仲が悪く、怒りの爆発する家族
・愛のない冷たい家族
・親の期待の大きすぎる家族
・他人の目を気にする、表面だけよい家族
・秘密があまりにも多い家族
・親と子どもの関係が逆転している家族
・子どもを過度に甘やかし溺愛する家族
・アディクションのある家族

面白いことに、著者がいうには、アメリカで色々な家族を見てくると、各国で家族の形は様々ですが、虐待は人種に関係なくどのような家族にも起こりうるらしいです。

ひどいトラウマを受けるとPTSD(心的外傷後ストレス性障害)をおこしたり、解離という症状をおこすこともあります。
PTSDの主な症状は、出来事を何度も思いだすフラッシュバック、記憶の部分的欠如、身体的精神的パニック、日常に興味がもてなくなる、他人と自分とは違うと感じる、感情の鈍磨、希望の欠如、不眠、怒りの突然の爆発、集中力の低下、いつもびくびくする、小さいことでひどく驚きダメージを受ける、等です。
解離(ディソシエーション)の主な症状は自分が自分からはなれてしまって、自分ではないかのように感じたり、二重人格のように人格が二つ以上に分かれてしまったり、トラウマの記憶が失われてしまったり、知らないうちに知らないところにいってしまったりする、等です。

また、アダルト・チルドレンは「共依存」にもなりやすいといいます。
「共依存」とは、自分のことよりも相手の世話にのめりこんでしまい、相手をますます無責任にしてしまうような人たちのことをいいます。
依存症のまわりには、必ずといってもいいほどそれを支える共依存の人がいるといわれています。
著者は共依存の特徴をいくつか挙げていますが、面白かったのは、「共依存の人はアディクションなどの問題をもった人に知らないうちに惹かれて恋に陥りやすいので、あまりにも強い引力を感じる人のそばには近寄らないことです。一目惚れなどしたら、さっと反対の方向に走りましょう。胸がどきどきしているのは、相手の機能不全さと、自分の機能不全さがマッチして、共鳴しているからで、愛のときめきではないかもしれませんから、注意しましょう。」というものです。

アダルト・チルドレンの癒しにはいくつかポイントがあります。
それを次に挙げます。

1.トラウマがあったことを認める。
2.安全な場を確保する。
3.秘密や想い出を表現する。
4.自分のせいでないことを自覚する。
5.肯定的な意味づけを、害のあった経験に与えていく。
6.感情に直面し、嘆きの作業をする。
7.できなかったことを表現し人生のやり直しをする。
8.内なる子ども(インナーチャイルド)をいたわり育てる。
9.不全な考え、行動等を分析する。
10.自分を受け入れ、許し、トラウマを与えた相手をできるだけ許す。
11.少しずつ成功できる行動を生活の中に組み入れていく。
12.新しい健全な考え、行動等を初歩から学ぶ。
13.自分でできる癒しの活動、自助グループへの参加等をする。

これらの活動は、一人でできることもあればセラピストやカウンセラーの助けを借りたり、自助グループに参加したりすることが役に立つこともあります。

そして、著者が実践している精神療法「リプロセス・リトリート」の紹介があります。
それは、以下のような内容から成り立っています。

1.リチュアル-自分の問題に決着をつける儀式。
2.ジャーナリング-自分の心の傷を書いてみる。
3.アートセラピー-心の傷を絵や粘土、コラージュ等で表現する。
4.ボディーセラピー-からだを動かすことによって解き放つ。
5.イメージセラピー-心の傷や癒される過程、インナーチャイルドなどをイメージする。
6.メディテーション-からだや心の奥からのメッセージに注目する。
7.話し合い-経験を話し合い、分かち合い、支えあう。
8.リプロセス-サイコドラマ(心理劇)などの体験的精神療法。

リプロセス・リトリートはカウセリング等と違ってからだを動かしたりする体験的な精神療法で、効果的だといいます。

最後に、では機能的な家族とはどういうものかという考察で終わります。
本書によりますと、「機能的家族とは、安全さと愛情と保護を提供し、子どもをあるがままに受け入れ、各自の個性や気質が認められ、意見や感情、思考の表現がうながされる家族です。それぞれにもわかる適切なルールがあって、しかしそれは硬直したものではなく、メンバーの発達段階に合わせ、柔軟に変化するものでなければなりません。」

そして、著者はいいます。
「親をむやみに批判して、それで終わりというのは、無駄なことです。親自身もまた、たとえそう見えなくとも、自分の不健全な行動に苦しんでいる人間の一人なのです。親も自分もいたわりながら、新しい、機能する家族をつくっていきましょう。」

2015年8月9日日曜日

『アダルト・チルドレンと家族』斎藤学

「アダルト・チルドレンの呼称は、診断の道具ではなく、まして人を誹謗するためのラベル貼りの手段ではありません。それは過去をとらえ直し、現在を理解し、将来を再構築するための手掛かりを与えるものです。(本書より)」

アダルト・チルドレン(AC)をもう一度、はっきり理解するため、昔(1997年刷)読んだ『アダルト・チルドレンと家族 心のなかの子どもを癒す』斎藤学を読みなおしました。

ACに関する概要と、その治療法が書かれた本です。

アダルト・チルドレンについて書かれた最初の本は1969年カナダでだされた『忘れられた子どもたち」というものだそうです。
その後1980年代にアメリカでアダルト・チルドレン運動といえるような運動があって、その概念が広く知られるようになります。

アダルト・チルドレンという概念はアルコール依存症の治療現場から生まれました。
アルコール依存症の親のもとで育った、静かで控え目な自己破壊的ともよべるような他者献身的な子どもに注目して、その人達をACoA (Adult Children of Alcoholic アルコール依存症のもとで大人になった人達)と呼ぶようになりました。
この本では、アダルト・チルドレンをアルコール依存症の問題に限らないで論じています。「親との関係でなんらかのトラウマを負ったと考えている成人」と広く定義しています。
その中には、「虐待する親」「機能不全家族」のもとで育った人も含まれます。
「機能不全家族」とは、父親が仕事依存であったり、やたら冷たかったり厳しかったりする家族のことです。

健全な家族とは、子どもにとって安全基地であり、その中で自らの自己を十分発達させることのできる家族です。
それが機能不全家族では、見たものを見ないことにし、感じたことを感じなかったことにすることが日常おこなわれます。その結果、言葉は敵視され、しゃべることに罪悪感を覚えるという独特の雰囲気がつくりだされます。

そんな中で育った子どもに共通しているのは、自分の都合ではなく家の中の雰囲気、母親の顔色、父親の機嫌などを優先して考えることです。

ジャネット・ウィティツによるとACoAの特徴は、以下の通り。

1,何が正常かを推測する(「これでいい」との確信が持てない)
2.物事を最初から最後までやり遂げることが困難である
3.本当のことを言った方が楽なときでも嘘をつく
4.情け容赦なく自分に批判を下す
5.楽しむことがなかなかできない
6.まじめすぎる
7,親密な関係を持つことが大変難しい
8.自分にコントロールできないと思われる変化に過剰反応する
9.他人からの肯定や受け入れを常に求める
10.他人は自分と違うといつも考えている
11.常に責任をとりすぎるか、責任をとらなさすぎるかである
12.過剰に忠実である。無価値なものとわかっていてもこだわり続ける
13.衝動的である。他の行動が可能であると考えずに一つのことに自らを閉じこめる

さらに、著者はACの特徴を述べます。

「ACは周囲が期待しているように振る舞おうとする」
「ACは何もしない完璧主義者である」
 ACとは、極端に自己評価が低い、自尊心を損なわれた人。なにかをすると厳しい批判の声がけなすので怖くて手が出せない。他人から見ると奇妙で突発的なかたちで職場を去ったり、家に閉じこもったり、自殺をはかったり、窮鼠猫を噛むといった暴力事件をおこしたりして周囲を驚かす。
「ACは尊大で誇大的な考え(や妄想)を抱えている」
「ACは「NO」が言えない」
「ACはしがみつきを愛情と混同する」
「ACは被害妄想におちいりやすい」
「ACは表情に乏しい」
「ACは楽しめない、遊べない」
「ACはフリをする」
「ACは環境の変化を嫌う」
「ACは他人に承認されることを渇望し、さびしがる」
愛を渇望して失望すると、それが怒りに変わることがある。ACの心の中にはこのような怒りが隠されている。それが、抑うつ感、無気力、喘息、潰瘍性大腸炎、過食・拒食症、薬物依存、ギャンブル依存などのかたちになって現れることがある。
「ACは自己処罰に嗜癖している」
窃盗癖、手首きりなどがあるが、窃盗などは意識的にしている訳ではない。抑うつ、無気力、自殺願望、アルコール、ドラッグ、過食・拒食などもふくまれる。また「達成後の抑うつ」というものもある。希望が達成したあとにひどい抑うつと無気力に陥ることが多い。
「ACは抑うつ的で無気力を訴える。その一方で心身症や嗜癖行動に走りやすい」
ACは他人に承認されない怒りとさびしさを抱えている。その苦痛を「退屈感」へと感情鈍麻させていく。そこから嗜癖へいくことが多い。嗜癖の対象としては、アルコール、ドラッグ、食物、仕事、ギャンブル、窃盗、買い物、恋愛、共依存、子どもへの侵入、等。
「ACには離人感がともないやすい」
離人感とは「自分が自分でないような感じ」

これらがアダルト・チルドレンの主な特徴です。

そして、それからの回復の道は3つの段階を踏むといいます。

1.安全性の維持
2.回想と悲嘆
3.人間関係の再建

これらの回復過程は、決して楽なものではありませんが、治る人がいることは事実です。

アダルト・チルドレンは正式な精神医学用語ではないようです。PTSD(Post Traumatic Stress Disorder 心的外傷後ストレス障害)は、精神医学用語のようですが。
しかし、確実にこのような機能不全家族で育って苦しんでいる人がいる。しかも、これは意識の問題ではなく、本人にはどうしようもない無意識のうちに起こることです。つまり、本人の甘えとか怠惰の問題と誤解されがちですが、本人の責任とはいえないものなのです。さらに、適切な治療で回復可能なのです。ですから、民間の概念と馬鹿にしないで精神医学の世界でも、このような生育環境での機能不全を真剣にとりあげてもらいたいものです。

2015年8月6日木曜日

教会

父母と車で教会にいって、帰りに買い物をしてきました。

2015年8月3日月曜日

『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』アルバート・E・カーン編

『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』アルバート・E・カーン編、を読みました。

20世紀最高のチェロ奏者の本です。

始め、編者のカーンは、カザルスの本を自分で書こうと思ってインタビューを重ねましたが、自分の文章などいらない、カザルス本人の言葉だけで十分だと考えて、カザルスの言葉だけを載せた本書ができました。

この本のカザルスの言葉が、帯に安野光雅氏が書いている通り、美しい。
時間とともに滑らかに流れる、まるでチェロの演奏を聴いているようです。

単なる音楽家かと思いきや、若いころは哲学や美術も学び、音楽以外の教養もあったのですね。

カザルスはスペインのカタロニアで、貧しい教会のオルガン弾きの息子として生まれます。
その後、音楽の才能を見いだされどんどんと出世していきます。

そして、王侯貴族や国家元首等とも親交を深めます。

しかし、スペインの内戦や戦争のために国外に亡命して、そこで自分のできる限りの平和活動を行います。

戦後もスペインの独裁政治に反対してついに母国へは戻りませんでした。

彼の波瀾万丈の人生も面白かったですが、彼の哲学、人間は本来高貴なものであり、自然は常に時間と共に変化し続ける美しい奇跡であり、芸術家はまず人間であらねばならぬというもの、に感動します。

奥さんが若くて、カザルスは彼女の父親より30以上年上だというのもすごいと思いました。