2012年7月31日火曜日

タイトル

ブログのタイトルは、今まで一語に統一してきました。
しかし、検索のしにくさもあって不便なので、これからは長いタイトルもつけようと思います。

2012年7月29日日曜日

ピザ

今日は、母の誕生日で姉家族とともにピザを食べました。

2012年7月26日木曜日

天皇

大塚英志著『少女たちの「かわいい」天皇 サブカルチャー天皇論』を読みました。

昭和天皇が崩御されたとき、著者は少女たちが天皇のことを「かわいい」と称したことに強い印象を受け、この論文を書いたといいます。

それは、「少女たち」と「天皇」がともに「イノセントさ」を共有するからではないかといいます。
こういう視点で書かれた天皇論はなかったので、なるほどと思わされました。

その他、ナショナリズムに関する論文を多数載せた本です。

僕が面白いと思ったのは、三島由紀夫がディズニーランドに惚れ込んでいたということです。なんとなくジャンクなものを否定していた人かと思っていたので、そう単純ではないということが意外でした。

最後に著者は、護憲的な意味での象徴天皇制賛成の立場から、天皇制廃止の論への変更を宣言します。
保守系論壇紙に書いている人が勇気があるなと思いました。

僕は大塚氏のサブカルチャー論に興味があって読んだのですが、政治的な文章も硬いけれども興味深いものでした。

2012年7月25日水曜日

少女民俗学

大塚英志著『少女民俗学 世紀末の神話をつむぐ[巫女の末裔]』を読みました。

日本における「少女」がいかに興ったかを、民俗学の知見から分析したバブル時代に書かれた本です。

岡田有希子の自殺やおニャン子など、題材として古い面もありますが「少女現象」を民俗学とサブカルチャーによって説明するところはなるほどと思わせるものがあります。

ここで思い出されるのが、社会学者、宮台真司氏によって社会システム理論に基づき厳密に分析された『制服少女たちの選択』でしょう。
この本では、まずコミュニケーションのスキルに従って接するメディアが違うこと、そしてブルセラを売る女子高生に罪の意識はなく、大人の説教は無効だと宣言していることが主張されます。

『少女民俗学』では、やや楽観的に「少女」について分析してあって『制服少女〜』のような厳密さはないけれども、1970年代前半にかわいいカルチャーが勃興してきたことは宮台氏の『サブカルチャー神話解体』などとも一致するところも多くあります。

しかし、はっきりと対立する面は、宮台氏が「説教は無功」と断言したことに対して、大塚氏は「付」で反対しているところです。
この本自体は、当時のサブカルチャーを扱った気楽に書かれた本であって著者もそのようにいっているのですが、後に書かれた「付 その後の<少女民俗学>」では、少女たちの暴走を目にして、かなり深刻ないい方になってきているところは興味を引きます。

宮台、大塚論争は結果的に宮台氏がのちに、大塚氏のいっていることの方が正しかったと全面的に認めて幕をおろします。

しかし、面白いことにその前には大塚氏は宮台氏の言説に触れて「少女たちの内面は本当になくなってきたのかもしれないと思うようになった」といっていたことです。

民俗学といういわば内面から攻めるやり方と、社会システム理論という客観的に攻めるやり方と両方をにらんで、少女に対するより深い理解が得られるのではないでしょうか。

僕はこの本を読んで、「少女」や「かわいい」がどういう経路で発達してきたかをしり納得させられることが多かったです。

2012年7月24日火曜日

吉本隆明

文芸別冊『さようなら吉本隆明』
中央公論特別編集『吉本隆明の世界』
現代思想7月臨時増刊号『総特集 吉本隆明の思想』
を読みました。

軍国少年として終戦を迎え、そこから自らの思想を深め、決して体制に媚びず、大衆にも迎合しない、この「自立」の思想家がどれだけ多くの人に愛されてきたかがわかりました。

戦争で死ぬつもりだったから、命がけもこわくなく、自分で掘り下げた思想だから、だれかに遠慮することもない。自分の道を行く。自らがその根拠とした「大衆の原像」を根拠に。しかも単なるポピュリズムには徹底して反対をして。

学生運動華やかなりし頃の偶像的存在、消費社会に移行するとそれをも批判覚悟で肯定する。そして、最後まで「反核」「反オウム」等に逆風を覚悟で反対する。

崇拝する人と、批判する人、嘲笑する人などがいる。

しかし、これだけのことをいった人がいるか。

最後には家族に愛されて天寿を全うした。
娘ばななさんのTwitterには泣きそうになりました。

2012年7月23日月曜日

コクリコ坂

宮崎吾朗監督作品「コクリコ坂から」のDVDを見ました。

以前、劇場でも見たのですがラストシーンを忘れてしまいもう一度見ようと思いました。

この映画のテーマといば、学園もの、ラブストーリー、ノスタルジー、インセスト、親を亡くした子どもの寂しさ、などでしょう。

同じ学園ラブストーリーの「耳をすませば」と比べると、「耳すま」の方がクリーンで透き通るような感じがして、「コクリコ」の方が中身が濃い感じがしました。

ノスタルジーの部分で、昭和の生活感を出した演出の細かさはさすがですが、学園紛争を思わせる部分は、一体どんなイデオロギーで学生らが動いているのかが不明瞭で、ただ学生運動の雰囲気だけを出している感じがしました。あまり政治色を出したくないのかもしれませんが、見ている方はなんでこんなに熱く運動しているのかが見えにくかったです。

インセスト(近親相姦)の部分も、テーマになっていますが最後は間違いだったというオチはあっさりしすぎてる感じもしました。

正直に言うと、昭和のノスタルジーの部分も、思ったほど懐かしさに浸れなかった。一つひとつの道具や場面は昭和なのだけれど、現在にあってもそうおかしくはない。もうすこし、ノスタルジーに浸れるようにしてほしいというのは贅沢でしょうか。

人間関係もジブリ作品らしく、みんないい人すぎて、現実感が損なわれている面もあるという気もしました。しかし、それこそがジブリ作品を安心して見られる理由でもあるので仕方ないでしょう。

全体としての感想は、それぞれの要素はよく出来ている、でも全体としてはもっと感情移入できる作品にできる余地があるのではないか。欲をいえば。

でも作品としては世界観、ストーリー、演出、キャラクターの魅力それぞれはよくできていると思います。

主人公がいい子すぎて、共感しづらい面もあったかもしれません。絵の動きも他のジブリ作品と比べると少しぎこちない部分もありました。

好きだからこそ、もう少し頑張って欲しい部分があって複雑な気持ちです。

2012年7月20日金曜日

日本史

後藤武士著『読むだけですっきりわかる日本史』を読みました。

今まで、あんまり理解できてなかった日本史を、親しみやすい話し言葉で解説してある本です。

一回読んだだけでは、頭に入りきりませんが、だいたいこういう流れだといういうことは理解できました。

これからの日本史理解の基礎になると思います。

2012年7月19日木曜日

浅草

家族で浅草に鰻を食べにいきました。

今年は不漁ということで、量も少なかったです。

帰りに浅草寺にお参りしてきました。

2012年7月18日水曜日

大塚英志著『「妹」の運命 萌える近代文学者たち』を読みました。

近代の文学に立ち現れた「私」は、「少女」や「妹」を犠牲にしてきたのではないかという批評です。

なるほどと思わせる、理路整然とした展開でした。

そして、近代主義者である大塚氏はそれを批判しています。

僕はそこまで徹底的に近代人になる覚悟あるか。
考えさせられる問題です。

本の中で、民俗学者の柳田國男が、旧姓松岡國男のときに美男子で詩を書く帝大生として田山花袋によって小説化せれて、一種のアイドルのように見られていたという事実が書かれていて面白いと思いました。

2012年7月17日火曜日

庵野秀明他監督の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」をDVDで見ました。

近未来でロボットにのり、正体不明の敵と戦わされる中学生の男の子の葛藤を描いた大ヒットアニメの新劇場版です。

TVシリーズ当時から、社会現象とまでいわれた話題作で、僕は当時はかなり入れこんで見ていました。TV版の最後は、気持ちはわかるがそれでは解決は難しいだろうと考えていましたら、旧劇場版でかなり人間の精神の深いところまで描かれていて、すごいしよくやったと思いました。

しかし、私の感嘆した旧劇場版は、時代の中で生まれたもので、1990年代という、古い共同体が解体していきグローバリゼーションがすすむ中、人々の不安と共振して出来たものだと思います。それは監督、庵野秀明さんの心理ともシンクロしていたのであれだけの迫力のある、ある意味で病的な世界を描けたのだとも思います。

そこで、今回の新劇場版は、その病気の部分を和らげて、テクニックとして徹底して面白いものをつくり直そうという試みだったのではないでしょうか。ですから、この作品は優れているのだが、もはや社会的事件ではないといわれるのでしょう。

僕はエンターテイメントとして徹底していくのかなと思ったのですが、TV版のストーリーをなぞっていて、あまり新しい感じはしなかったです。
アスカがでてくるのかと思ったら出てこなかったり、ちょっとかつてのように感情移入しまくりで、その世界観に浸りきりという感じではなかったです。

僕の方の感性が鈍ったからかもしれませんが、ちょっと以前より客観的に見てしまいました。映像の力はすごいものがあり、そこは質が上がっていると思いましたが、物語の方ではそんなに新しいものが出てきた感じがありませんでした。

年をとってから見るとシンジ君も自分とは思えず、大変だねこの子はという感じで見てしまいました。

2012年7月14日土曜日

2012年7月13日金曜日

本を読んでいました。

好きな作品だけに色々想像力をかき立てられます。

「耳をすませば」の僕のアイディアです。

最初に雫は、眼鏡をかけた地味な女の子。友だちの夕子は社交的で男友達も多いが、雫はいつも図書室に入り浸っていて、物語の世界に心をめぐらせている。将来は童話作家になることが夢だといって、現実の勉強も身が入らない。
彼氏をつくったらという夕子のアドバイスにも引いてしまう。

そんなとき自分と同じ本を読んでいる聖司という人がいることを知る。彼女の想像はひろがって素敵なジェントルマンを想像してしまう。

そんなときに、ある男の子に自分の書いた詩を見られて恥ずかし思いをする。その男の子を恨む。

ある日、市の図書館にいく途中猫にあって、追いかけていくと洒落た古道具屋さんがある。そこのご主人のおじいさんと仲良くなる。
そこに置いてある猫の人形が気になる。
自分は将来、童話作家になりたいのだとおじいさんに打ち明ける。
この猫とお喋りできたらいいのになとつぶやく。

おじいさんは「耳を澄ますてごらん、きっと聴こえるよ」と微笑む。

さっきの男の子がきて、実はおじいさんの孫だということがわかる。しかし、雫は意地を張って「あなたみたいな野蛮な人は好きじゃないの、私には別に好きな人がいるんですからね。あったことはないけど、必ず存在しているのだから」という。

雫が一人で帰ろうとした時、男の子は送っていくよという。雫は「いい」とむくれるが男の子は自転車であとをついていく。

そこで危うく交通事故にあいそうになって、男の子は雫をたすけて怪我をする。雫は大丈夫と心配する。そこで名札を見てこの子が聖司だと知る。

そこから関係が微妙に変わっていく。雫の中に何か暖かいものが生まれてきた。恋心。

またある日、古道具屋さんで猫の人形を見ている。「耳を澄ませばか・・・」とため息をつくとかすかにバイオリンの音が聴こえてくる。音のなる方にいってみると。聖司が弾いている。「すごーいバイオリンが弾けるんだ」「まあね、これくらいしか取り柄がないからね」

しばらく仲のよい日が続いた。彼女は日記に「好きな人ができました」と書く。

しばらくして、聖司はその才能を生かしてイタリアに留学することになることをしる。
聖司は雫と別れたくなかったが、親の英才教育のせいでいかされることになる。

雫は動揺してしまう。どうしようと思い、自分も昔からの夢を実現すべく童話を書くことを決める。

彼は、図書館でいつも童話を借りている人がいることがわかってその人の読みそうなものを負けずに読んでやろうと思っていた。それが雫だったと告白する。

「どうしてもいっちゃうの?」「うん、こればかりはしょうがないんだ」「立派なバイオリニストになってね」「お前も、立派な童話作家になって俺を驚かせてくれよな」「約束するよ」
見晴らしのいい場所にすわって「たのしかったな。でも短かった」「ううん。私にはすごく長く感じられた」「俺のことを忘れるなよ。そうだ、この人形。お前にやるよ」「でもそれおじいさんの宝物でしょ」「ものは一番欲している人にもらわれるのが一番幸せなんだってのがおじちゃんの口癖だよ」「ありがとう。そろそろ時間だね」「あ、見て朝日が」「本当だきれい・・・」「雫」「?」「俺はお前が好きだ。だから、待っていてくれないか、将来立派なバイオリン弾きになって帰るまで」笑って「もちろん。私のことも期待していてね」「ああ」見つめ合う二人。キスをする。「もういかなきゃ」と自転車で去っていこうとする。「じゃーね!待ってるからね!あなたの音色はいつも聴こえる。耳を澄ませば・・・」
雫の帰り道晴れ晴れとした表情。エンディングテーマ「カントリー・ロード」日本語版。

2012年7月12日木曜日

近藤善文監督、スタジオジブリ作品「耳をすませば」をDVDで見ました。

ピュアなピュアな青春映画というイメージを持っていました。
若くして亡くなった近藤監督の演出のきめ細かさは、のちの色々な学園もののアニメに比べても、繊細で美しいものでした。

テーマ曲の「カントリーロード」の日本語訳も胸に沁み入りました。

多くの人に感動を与えたのはよく分かります。

心に沁み入る要素は沢山ありました。

そこであえて、疑問点を書きます。

主人公と恋人が出会って、嫌いから好きになる変化に物語や必然性が乏しい。そこを丁寧に描いて欲しかった。

主人公が物語を書かなきゃと思う必然性を伏線として描いて欲しかった。

主人公が初めからかわいすぎる。初めはモテないメガネっ娘で本しか友だちがいないような劣等感を持った娘で、それがだんだん恋に落ちて変わっていくという風にしたらよいのではないか。

最後が結婚の約束までする、超ハッピーエンドで終わるが、もう少し含みを持たせた終わり方の方が、観客にその先を想像させてよいのではないか。

風景も東京の郊外というのが美しく描かれているが、なにか寂しくも感じてしまう。歴史性のなさ。

ラストは朝焼けのシーンで終わるのも、きれいだけれどももう少し現実感が欲しいという気もする。

などなど、優れた映画だからこそ、いろいろ贅沢をいってしまいます。

しかし、ジブリ作品で宮崎駿が監督しない作品でも、ヒットするのは「耳すま」「アリエッティ」「コクリコ坂」など駿氏が脚本を書いたものが多いというのも、他のジブリスタッフに頑張ってもらいたいところです。

2012年7月9日月曜日

アウグスティヌス

中世の哲学を読もうと思って、聖アウグスティヌスの『告白』を読みました。

初めに、神への賛美が繰り返されていて、ずいぶん単純な人なのかと思って読んでいったら違いました。

アウグスティヌスは、もともとはズバ抜けて頭のいい放蕩息子で、若い頃は女性関係でも奔放でした。

母親は敬虔なカトリックであったのですが、本人はマニ教にひかれたりして自由に生きてきました。

しかし、親友の死などをきっかけに段々回心していきます。その心の過程を神に告白するのが上巻です。その悩みと救いの物語には感動するものがあります。

そして、カトリックに改宗して「時間」の問題などを掘り下げているのが下巻です。
そこでは、様々な考察が行われるのですが、最後には神にすべてをゆだねる。

現代ではこういうことはあまりないのかもしれませんが、キリスト教の強力な中世には、偉い哲学者もこう考えていたのだなと思いました。

違う時代のものですが、感動させられる書物でした。

2012年7月8日日曜日

サブカルチャー

大塚英志『村上春樹論-サブカルチャーと倫理』を読み直しました。

大塚氏は、村上春樹の弱さを指摘しながら、最後にはそれを肯定します。
逆に、強がっている偽悪的な作者の方が危ないといいます。

少し複雑な立場ですが、僕もそれに近いかもしれません。

2012年7月7日土曜日

ゼロ年代

宇野常寛著『ゼロ年代の想像力』を読み直しました。

東浩紀『動物化するポストモダン』以降のサブカルチャーに即し、社会の変化を描いて、さらにその処方箋をも提出した、優れた評論でした。
しかし、少し複雑なので、もう一度読み直してみました。

ゼロ年代とは、最終的には無根拠だが決断主義的に選択された価値を、皆が争う状態である。

その処方箋として、「終わりなき日常」ではなく「終わりがあるが故に尊い日常」を生きる、ということ。

読み直して、以前よりもすっきり頭に入ってきました。

2012年7月3日火曜日

トイ

ジョン・ラセター監督作品「トイ・ストーリー」をDVDで見ました。

スティーブ・ジョブズが作ったピクサーという会社が作ったフルCGアニメーションです。
子どものおもちゃが命を持って、冒険をする物語です。

CGの画面はジョブズの完璧主義によるのか、おもちゃの世界とリアルの世界が完璧に表現されていました。

ストーリーも子ども向けなのに、子どもの残酷さを描いていて笑えるものになっています。
おもちゃの冒険を真剣にまじめに徹底して描いているので、それが面白かったです。

ささいなお話を、巨額の資金をだして真剣に作っているので好感が持たれるのでしょう。