2010年1月9日土曜日

理論武装


幹事長の金銭問題。いろいろな裏からの圧力もあることも予想される。
黙って、待っていてれば火が消える様子ではない。

重要なことは、一秒でも早く内容を精査して「理論武装」を固めることだ。
そして、悪かった部分と、悪くない部分を厳密に精査して、また出てこないようにちゃんと理論武装した上で、皆のコンセンサスをとって一貫して説明とともに疑惑を全て表に出すことだ。
全く誤りがないというのは、現時点では厳しい。謝るところは腹をくくり、そうでないところは「理論武装」をして、「罪」を「限定する」のが考えられる最善の策だと考える。

このまま、放置しておけば火の粉はひろがる。民主党の要として小沢氏をターゲットにしようというやからもいるはずである。

スキャンダル報道から身を守るのも、一種の「危機管理」である。
ある程度マイナスイメージがついても、その後いい政治をすれば挽回は十分可能である。
しかしマイナスイメージはできるだけ火の小さなうちに消すことが重要だ。このまま、無視し続けると敵はさらに調子にのって、毎日スキャンダル報道をされるハメになる。

一日も早い「危機管理」をするべきだと、強く要望したい。
何もしないで火の消えるのを待つのは危険である。

慈雨


なんと、昨日は大学院1年生が提出する「レポート」の締め切り日だった。
その前に、「審査シート」を提出して下さい、書式は後で送りますと副手さんにメールでいわれ今日まで審査シートの書式がこなかったので、今日来たらささっと書いてしまおうと思ったのだが、メールが来たのが19時過ぎだった。副手さんの彼女曰く、今まで休みで学校に来てなかったのですみません、提出は後でいいですといわれてホッとしていた。すると「研究レポート」は今日の19時までです、と書いてあった。1/8迄に提出のリストには「審査シート」としか書いてなかったのでてっきり「審査シート」=「研究レポート」だと思っていたら、よく探したら確かにレポートの提出方法のプリントがあった。8000字以上でとじて書式に従って提出とあった。しかしもう期限は過ぎてる。このまま留年になるのか。しかも私は2年間休学しているのでもう留年も許されず退学になるのかと思ったら副査の先生から、次の発表日前日迄でいいですというメールをいただいてたすかった。ありがたいと心から思った。というのは、いやがらせが学校にまでひろがっていて、私は厄介者と思われていると思っていたから。先生は別に大した意味もなくいわれたかもしれない言葉でも、私にとってはありがたいとほっとした。いままで、精神的いやがらせがエスカレートしていてこちらも、ナーバスになっていただけに。(先日来メールを調べても「レポート」提出のメールがなかったし、今日メール内を検索してもなかった。ところが副手さんに文句のメールを送った直後に出てきた。この奇妙さはなんらかのいやがらせのいっかんだと思われる)家庭内でもいやがらせ関係でイヤなこともあって殺伐とした気分でいただけに、干天の慈雨だった。

しかし、「大河の一滴」を読むと人のやさしさに触れる「極楽」はほんの一時で、またゴツゴツとした現実の地獄が顔を出すという。それが人生なのだとかの書はいう。

現在 山口絵理子さんの「裸でも生きる」を読み中。

2010年1月8日金曜日

経験


財務省に限らないが、官庁にはそれぞれの慣習や細かい規則があり、それらは本当に正しいものなのかは外部の者からではよくわからないものもある。藤井前大臣は大蔵官僚だったので、そのへんはよく知り尽くしていたので安心できた。

菅財務大臣の場合は大きな政策では、松下圭一の洗練された理論の最大の理解者として安心しているが、財務省の細かい業務についてなれてないと、ちょっとしたミスでも「知らないのかー」とバカにされてしまう。

そこで、藤井元大臣は身体は使えないが、まだ政権の役立ちたいといっているので、ぜひ本当の意味での「相談役」になって欲しい。アドバイスをするぐらいなら、多少からだが悪くてもできるだろうし、本人も望むところだと思う。「こうしようと思うのだけれども財務省の体質からいってどう反応するか?」一度きいてから行えば安心。

役所に限らないが、組織というのは古くからの「ならわし」があって、それを知らない新参者を排除する傾向がある。ちょっとした間違えを大きく非難することもある。

ドバイショックで円高になった時、あたかも政府が何か責任があるかのようなおかしな報道をして企業が困っていると主張してきたマスコミが、大臣が一言、円安の方が望ましいといって円が下がったら、これも何か悪いことをしているように報じる。こういう支離滅裂なマスコミはどうでもいいが、財務大臣として気をつけるべきところは経験者に謙虚にアドバイスを受けることをお勧めしたい。せっかく最高の相談役がお役に立ちたいとおっしゃっているんだから。

「汝自らの無知を知れ」で、どうどうと「私は財務省一年生なので皆さんの良きアドバイスをいただいてお互いに、国民に誇れるよき行政をしていきましょう」という謙虚な気持ちをもってそれを正直に言った方が組織の中では信頼されるのではないだろうか。もちろん一方では最終的な責任は全て自分でとるという腹をくくったうえでのことであることはいうまでもないが。無理して知ったかぶりして後で叩かれて損をすることのマイナスを考えればこのように謙虚さも持つところではそれを示す勇気も、よき指導者の条件の一つだと思う。

「民主党プレス 224号」で京セラの稲盛名誉会長がいわれている。

「人格、人間性ができている人は、良心が常に働いていて、物事を考える場合に、常に『人間としていいか悪いか』という判断基準で判断します。そういう人が人格者です。『あの人はいい人だ』と人々にも言われます。・・・そういう人は非常に公平で、公正で、そして謙虚さを持っておられます。同時にやさしいおもいやりの心を持っています。」

2010年1月7日木曜日

援護射撃


私は鳩山政権が4年間続いて、国民によかったと思われることを強く望む。
その理由は、私が民主党サポーターだからというだけではない。
鳩山政権は、もしかしたら2千年以上の日本の歴史の中で、もっとも民主的に選ばれた政権ではないだろうか。もし、その政権が失敗したら民主主義自体に国民が疑問を持つようになる。成功することによって日本に本当に民主主義が根付く可能性がある。

民主主義は普通の国民が政治に参加して決定に参加する(選挙を通して)。したがって、素人ゆえの間違いもあるのはおりこみずみの制度である。民主制とは、試行錯誤を前提としている。従って間違った場合、政権が交代できるようになっている。だから、いろいろ失敗もあってもとにかく全力でやってみて、任期がきたら国民の信を問う。これが、理想であり、それが実現するために私なりの意見を述べさせていただき、私なりの努力をしていきたいと思う。

財政その他のことについては以前の記事に書いたので、今回は小沢幹事長の問題について、私なりの提案をしたい。
まず、客観的にいえばたとえ支持政党の幹事長でも違法なことを許すことはできない。だから公正さをきするためには、もし間違ったことがあれば相応の責任をとるべきだということはいわざるを得ない。

その前提の上で、この事件が政権に与える影響を最小限にするための私なりのアイディアを提案しようと思う。

原則1、全てを自らの手で明らかにする。
どちらにしても、いずれバレるなら、知らないふりをしていると毎日新しい情報がスキャンダラスに報じられ、国民に悪いイメージを与える機会が多くなる。しかし、自ら第三者に依頼して本当に知りうることを全て手にして、それを国民に自ら説明すればどうなるか。全てを表に出したのだから、マスコミがどんなに探しても新しいスキャンダルは出ない。説明をしたのだから、もう「ちゃんと説明しろ」という批判の意味がなくなる。

原則2、どこまでが責任で、どこまで罰を受けるべきかを厳密に精査する。
万引きした人に死刑を適用したら、不当だと思うだろう。罪があったとしてもどれだけ重いのかによって罰は変わってくる。
この様なスキャンダルがマスコミでもてあそばれている場合は、この点が考慮されないことがある。とにかくマスコミが騒いでいるんだから、辞任しろとかそういう風に、法理よりも感情で叩かれる場合がある。それに惑わされず、責任に応じた罰を受ければ、嵐がさって冷静になったときそれは正しく評価される。そう考えて、どれだけの罰を受けるべきかを真摯に考えその範囲内でしっかり責任をとる。

原則3、「スキャンダル問題」という枠組みではなく「小沢一郎」というパッケージでマスコミに出るようにする。
スキャンダルに答えるというかたちをとると、ニュースは小沢スキャンダルを一つのパッケージとして大きく伝える。そうなるとマイナスイメージも大きい。
しかし、「小沢一郎」というパッケージで、「小沢幹事長に訊く」とういようなテレビ企画に出演すれば、まずこの政権交代を実現させた小選挙区制への執念や「日本改造計画」に書かれている官僚支配の打破を十年越しで命がけでやってきて、事務次官会議を廃止するなど、すごくいい事もやってきたことも紹介される。
でもそれだけでスキャンダルに触れないと「小沢ひいき」のマスコミ、といわれまた批判される余地を残してしまう。だから、このパッケージ内でマイナスのこともちゃんと隠さず言って謝るべきところは謝る。すると、「小沢スキャンダル」というパッケージだと国民の多くが小沢氏に悪い印象を与える。たとえば6〜7割の人がマイナスイメージを持つ。しかし、「小沢一郎」というパッケージだといい面と悪い面が両方でていい面で5割いいイメージを与えられる。残りの半分のスキャンダルのイメージが6〜7割悪くても、50+50×0.4=70と70パーセントプラスイメージを与えることができ、マイナスイメージが30%ということになる。

以上の原則に沿って、早めに自ら正直に調査し、罪の大きさを精査し、全ての局に満遍なく「小沢一郎」というパケージでニュースのインタヴューにこたえる。そして、同じことを聞かれれば常に全く同じ答えをする。すると、マスコミはこれ以上きいても何も新しい情報を得られないと判断して、もっと視聴率のとれる話題探しに向かう。

これが、私が考えつく限りスキャンダルの影響を少なくする「対マスコミ案」。

財務大臣


菅財務大臣。

官僚経験がないだけに、どこまで細かい政策について見識があるか。
しかし、市民運動から財務大臣にまでのぼりつめたという事は、霞ヶ関の悪い部分にも全く染まっていないともいえる。

松下圭一のような日本の頭脳をブレーンにしているだけに、政策の大きな方向性は間違わないという安心感はある。ややもすると市民運動出身者は政策が具体性を欠く場合があるが、菅氏にそれはない。それは、彼の著作を読めばわかる。

しかし、理想が大きければ官僚との摩擦も予想される。しかし50年以上続いた、あるいは明治時代から続いた、官僚支配を打ち破るには、多少の摩擦はあって当然。

私は官僚支配は徹底的に打ち破るべきだと思うが、日本の官僚自体はかなり高く評価している。自民党時代は、政治家が利益誘導で行動していたので、その歯止めをかけなければという義務感で強い権限を維持しようとしていた面もある。つまり官僚が悪いというより、政治家が悪すぎて、官僚が優秀すぎたので官僚支配になったともいえる。もちろん天下りなど、私利私欲があったことも事実だが。

しかし私の感じたところ、小沢幹事長が「日本改造計画」を書いた時、官僚はかなり評価したように記憶している。「日本改造計画」は官僚支配の政治を打破し、政治家が政治をする本来の姿にもどすことを主張した本である。にもかかわらず官僚が評価したのは、官僚自身も自民党型の利益誘導、大臣も名誉職になって実質的なリーダーシップがない、こういう政治にうんざりしていたのではないだろうか。

それであれば、しっかりとしたリーダーシップをとる政治家がいてくれた方が、本来の事務に専念できるので、優秀な官僚であれば政治家が強いリーダーシップをとることは歓迎するのではないだろうか。すべての官僚がそうともいえないし、イデオロギー的に民主主義者の菅氏を警戒する人もいるだろうが。

菅氏の今までの政治家と比べての特徴的な点は、
◯リベラルだけれども一方では現実主義者でもある。
◯利益誘導型の政治をしていないので、無駄な支出は抑えようという財政規律に対する意識をはっきり持っている。
◯「仕分け」で本来ならマニフェスト関連の予算が捻出されるはずだったのに、たった7000億円しか出せなかったことを問題だったと、はっきり認識している。
◯今までの慣例に縛られていなく、将来の長期的ビジョンを考えようという姿勢がある。予算の全面見直しや、複数年予算を組むことも十分期待できる。
◯自分の理想をちゃんと、理論化しようという姿勢が見られる。ともすると、理想主義者は理論化がほとんどないまま理想を語ることが多い。

ただし、市民運動から財務大臣にまでなったのは「左」からは歓迎されるが、「右」の論壇からは相当警戒されることが予想される。感情的な反発も容易に思い浮かぶ。他の民主党代表経験者は「保守」の要素が少しはあった。しかし、菅氏にはその保守の血がいっさい流れていない。保守マスコミはかなり反発することが予想される。進歩的マスコミが褒めれば褒める程、目の敵にして欠点を必死に探すだろう。

しかし、これは小沢幹事長にもいえることだが、感情的にマスコミがバッシングしてきても、本当によい政治を行い、よい結果を出せば国民は支持する。するとマスコミは、国民の強い支持のある政治家を攻撃するのは控えがちになる。
もちろん金銭問題などはマスコミと関係なくちゃんと正直に表にして謝るべきところがあれば謝るべきだ。しかし、二流の政治家は、それだけでつぶれてしまうが、その後に本当に国民に評価される「実績」を残せば国民からの支持を挽回することは可能だと思う。

ただし、あまり一人で頑張りすぎると、前大臣のようにぶっ倒れてしまうかもしれない。まわりの人も菅氏がやろうということに賛成なら積極的に支えていって欲しい。また、菅氏ご自身も、心身ともに健康の管理を常に考え一人で突っ走らず、仲間と「連帯」して行動して欲しい。理想が高くても、健康を壊してしまっては何の意味もなくなってしまうので。

2010年1月6日水曜日

がんばって


与野党の皆さん、次の国会は頑張って良い国会にして下さい。

与党の皆さんはもちろん、野党の皆さんも、これからは官僚に頼らない政治を小沢幹事長が不屈の努力をして作り上げているのだから、正に政治家同士の建設的な議論をしてこの民主的改革を実り多きものにして下さい。

野党の皆さんも官僚の答弁がなくなったことをすばらしいチャンスだと思って、国民のためになる議論をしてください。

私は毎日、何者かからかひどいいやがらせを受け続けています。いずれお話ししますが、内容を聞けばたとえ私と政治信条の反対の極右の人が聞いても許しがたいほど言語を絶するひどい非人道的なものです。もちろん、そのことで私の政治信条が変わることは一切ありませんが、私はもちろん命の危険はとっくの昔に覚悟しています。そのうえで、戦いつづけて頑張っていきます。

もし、私の頑張りが政治家の皆さん、あるいはこのブログをたまたま読まれた読者の皆さんの励ましに少しでもなれれば幸いです。

財務


財務大臣がご病気らしいが、私は現財務大臣を高く評価している。
確かに、史上最大の国債を発行したが、その状況を見てみよう。

リーマンショックによる戦後最大の不況で税収の大幅な落ち込み。
過去の政府が財政のことなど考えずに景気のためと乱発した国債。
これらは、現政権の責任ではない。

さらに、与党マニフェストによる歳出。仕分けによる無駄の捻出の少なさ。
これらは与党の責任である。しかし、ややもすると財政のことなどあまり考えずに、とにかくなんかあれば金を出そうと言う政治風土の中で、財政を守るものはある意味憎まれ役である。しかし、財政が悪いということは将来の国民の負担を増やすことになるので、自民党のように景気のためと採算を考えず、どんどん国債を出して景気対策を続けるのは全然国民のためではない。その中で大臣はその財政の重要性をよく理解されていたと私は思う。

ことに経験の少ない新政権の中で、多くの知識や経験、見識と使命感は人々に安心感を与えたのではないだろうか。同じ大蔵官僚出身の自民党の元首相も秀才とうたわれながらも大蔵大臣時代強く財政の規律をうったえたようには記憶してない。

あれだけの厳しい仕事をなさって、お体が悪く、高齢でもありお辞めになるなら次の大臣は、これだけ厳しく財政規律をうったえ憎まれ役になれるか。もし、大臣が変わるのであれば次の大臣はこのことをしっかり考え実行して欲しい。

2010年1月5日火曜日

辞任


与党幹事長の虚偽記載がまた問題になっているが、報告義務違反なら正しく報告し直せばいいだけの話だが、利権が絡んでいるとなると何らかの責任はとるべきだろう。

しかし、今まで政治家の責任については本当に妥当だったのかと疑問に思うことも多い。

例えば、前原代表が辞任したのも当時の永田議員が自民党の武部幹事長とライブドアの堀江社長との金銭問題を追及したが、その元がウソだったからだ。

法律に詳しくない人のために、基本的なことを言う。犯罪の場合、「故意」「過失」に別れる。「故意」とは、犯罪と知っていてわざとやった場合。「過失」とは、犯罪とは知らなかったが、当然とるべき注意義務をせずに結果違法なことをした場合。偽メール問題は、あきらかに「過失」なわけだから、悪いことは悪いが、代表が辞任する筋合いのものだろうかと疑問に思った。その前の菅代表の年金未納も事務方のミスなので、辞任するほどの大きな悪なのだろうかと思った。

もちろん民主党も自民党の疑惑を何度も追求してきたのだから、自分たちだけ追求を免れるのはアンフェアだと思う。だから、事実は明らかにして責任はとるべきだということはハッキリいっておく。

しかし、思うのは利権構造に絡むようなものと、単なる過失によるミスを一緒くたにされる場合がある。そのとき、決定権を持つのがマスコミの作り出す「イメージ」だ。政敵がイメージダウンを狙ってマスコミに情報をリークすることもあると思う。

そのマスコミだが、本当に信用できるのかという問題である。昔、私がテレビを見ていたころ、あるニュースショーの司会者が先ほどの件で、菅代表に「やめるのは当然だ」といっていた。しかし、どういう論拠なのかは全くいわず国民がこれだけ騒いでいるからという。しかし、騒がせているのはマスコミであって、マスコミがそういうスキャンダルをおもしろおかしく伝えて視聴率を稼ごうとしてるから、国民が騒いでいるように見えるのだ。本当にこれは、利権にかかわることなのか、それとも、よく考えればそれほど代表に責任は問えないのではないか、それを十分吟味した上で進退問題を語るべきだと思うが、それをしたのかは大いに疑問だった。

同司会者は森内閣の支持率が10%を切った時に当時の自民党の亀井議員に「どうして、森さんはこんなに支持率が低いのか」ときいた、亀井氏は「そりゃ、毎日毎日テレビや新聞や週刊誌で森さんの悪口ばっかりいっていたら支持率は落ちるのはあたりまえだ」といった。するとその司会者は「政権の批判をするのがマスコミの仕事だ。政権の悪口を言わなくなったマスコミは終わりだよ」とすごいけんまくでいった。

さて、森内閣が辞任して小泉内閣が誕生した。支持率は90%を超えた。先ほどの言からいうと森首相の10倍の悪口を言わなければならなくなる。私は小泉内閣誕生当初から不支持だったが、まわりはすごい小泉フィーバー。小泉首相のポスターは盗まれるは、写真集は出るはの大騒ぎ。世論調査によると、共産党支持者の中でも小泉内閣を支持する人たちも何割かいた。さて、そこでその司会者にここでこそ小泉首相の批判を堂々といってもらえると期待していたら、彼曰く「私は小泉支持だもん」。

マスコミに倫理を要求するのは肉屋で野菜を買うようなものかもしれないが、ここまで堂々と大嘘をつく人間が、政治家にどの口を持って辞めろと言えるのか?彼の言に従えば彼は「終わった」はずだが、最近本屋なんかで見るとまだマスコミ活動をしているようである。彼が何かの賞までもらったという話を聞いたことがある。

つまり、全てのマスコミがここまで最低な人間だとはいわないが、こいつに近いような人もいることは事実だ。

だから、政治家の責任を考える時にマスコミの「騒ぎかた」を基準にすることは避けなければならない。こいつのような人間の言葉に従ったら間違った判断をしてしまう可能性があるから。

冷静に何がどれだけ責任に値するのかを自分の頭で考えないといけない。そうでないとこの司会者のような醜態をさらすことにもなりかねない。

政治家についてはまず「李下に冠を正さず」で疑惑をもたれるようなことはしない。これを、守ってもらいたい。仮に無実が証明されても、このような政治の本題とは関係ないところで時間を使うのは時間がもったいない。与党になれば政敵はこちらの疑惑を必死になって探してくるのは火を見るより明らかだろう。

しかし、疑いがあるのならば検察は調べなければならず、マスコミは報道するだろう。そして中身よりも「悪いイメージがついたから」辞任なんてことになれば、自らの理想を実現できなくなってしまうではないか。調査には素直に協力して、謝るべきところは謝って、その上で理想を実現する努力をして欲しい。

「イメージ」をしのぐほどの「実績」で国民からの信頼を取り戻して欲しい。

少し


私が固有名を出すと、私はいくら脅しても変わらないとわかっているので、敵はその人に圧力をかける場合があります。ですから、これからはあまり固有名を使わずに抽象的なことを少しずつ書いていきたいと思います。

かつて、毛沢東時代中国で毛沢東が自由闊達な言論を励まし「百家争鳴」をかかげました。その後、毛沢東は自説を積極的にに発表すると結局は人民は毛沢東を恐れ彼に呼応して、当初の目的にに反して反動勢力と烙印を押された人の大弾圧になりました。その時代は毛沢東は中国のほとんどの人民から揺るぎない敬愛を受けているかのように写り、誰も毛沢東を批判できませんでした。

では、人民はどれだけこの「文化大革命」を支持していたか?当時は、反対する人なんて誰もいないと思われていました。しかし、毛沢東が死んだ後、人民がとった行動は?
「文革」指導者として、四人組を逮捕して死刑にしました。毛沢東夫人の河青は獄中で自殺しました。今でも、中国共産党は「文革」を誤りだったと正式に認めています。

現在、日本でも影で大きな権力を握る日本版「将軍様」がいるようですが、今だれも逆らえないだろうからといって、まちがって「将軍様」を讃えることをすると、後になってどうなるか?

少し、歴史を見れば、毛沢東、ムッソリーニ、チャウシェスクのように「恐怖」で人を支配した気になっている人が人民にどう思われていたかを顧みれば学ぶところがあるのではないでしょうか。

しかし、現在権力を持っているならしょうがない。犯罪者に義理を感じる必要はないのだからできることは「面従腹背」でしょう。表面上は従っても、魂は売らないということです。

圧力


いつものパターンですが、私が強い影響力のあることをいうと、それに危機感をいだいた敵がまわりに圧力を強くかけ必死に影響を抑えようとします。
その心理は手に取るようにわかって笑えます。敵の圧力が怖い人は、表面上は敵に合わせて下さい。その上で、心の中で「本当に客観的に考えたら、本当に悪いのかは誰なのか」を真剣に考えて下さい。その結果それが私(鈴木)であっても結構です。とにかくできるだけ利害を排し客観的に考えて下さい。

今回も、圧力強まったなというのは手に取るようにわかります。その圧力に屈しない人がすごく少ないのが残念ですが、しょうがないせめて私に好意を持つ人は先ほどのように考えを心の中にしっかりと持って下さい。

私へのいやがらせは毎日大規模にあるのですが、面白いいやがらせに「周りの人の服装を変える」というのがあります。見ればだいたい、圧力がかかったかどうかわかります。

偉い、政治家や学者でも、口では権力批判していながらあきらかに、命令されて服装が変わった人もいます。そういう時は、彼が権力批判や社会批判を強くすればするほど「ところで、その服装はどうしたの?」と聞きたくなります。権力批判も誰でも批判できる、雑魚に対しては喜んでするのに、多くの人が恐がってる人のことはとばしている人も多くいます。一応内容は聞くけど、皮肉なことに内容がよければよいほど、こんな偉い学者でも服装を断ることすらできないのかと絶望的な気持ちになります。本来ならみんなが恐がってる人をこそ批判すべきじゃないでしょうか。雑魚を批判しても何の意味があるのでしょうか。逆でしょう。

しかし、多くの学者にも圧力がかかっているのはほぼ間違いありません。社会批判や革命をいう知識人には、いうことはごもっともだけど、その服装を見ると本人がそんな服装していながらそういうことをいう姿に失笑するしかありません。ですが、あまりプレッシャーをかけて鈴木の出る授業には出たくないと思われても損ですので、あまり強くは批判しません。しかし、そのような苦笑する場面がしばしばあることはいっておきます。

ちなみに、私は引いたり押したり、戦術中ではしますが、私や周りの人に不当な圧力をかける主犯を裁判にかけ、刑務所にブチ込むことにはあらゆる努力を惜しみません。たとえ何十年かかっても。

いやがらせも悪質であればあるだけ大歓迎です。私がいくら圧力に屈しないといっても言葉だけじゃ信じられませんよね。圧力が強ければ強いほど、それでも全く変わらなかったならば、信頼される可能性が高まるからです。

ただし、それが私の人生の目標ではありません。そんなしょぼい人生なんてイヤです。私には、自分がいきたい人生があります。その道の途中にふさぐものがあれば、何としてもそれをどけなければならない。つまりゴミ掃除です。そのゴミが大きくて害があるとき、ゴミがあるから別の道を行くことはしません。取り除くのに時間がかかって取り除く前に人生が終わっても、一切後悔しません。別の道に変えずにそこで死んだら、自分の本心にはウソをつかなかったということですから。

参考図書はあまりに時間がかかるので止めました。
それより思ったことをすぐにかく方が大事だと思ったからです。

2010年1月4日月曜日

迫害


「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。・・・兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、私の名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。」

「マタイによる福音書 10-16」

2010年1月3日日曜日

女房


鳩山政権にはいい女房役がいないという人がいますが、確かにそうかもしれません。従来なら官房長官が相談役でしたが本来官房長官の役割は各省庁との折衝役。すると誰か首相に助言する人はいるか?首相の態度で問題だと私が思うのは、軽はずみに耳あたりのいいことをいってしまうことです。その時に、それはいわないで下さいとたしなめる人が必要だと思います。その人は、何が適切で何が適切でないのか判断をしなければいけません。その人は、この政権のポリシーやアイデンティティをしっかりとわきまえた人でなければなりません。

現在は小沢幹事長がその役を時々演じていますが、閣内にいないので、大きな声を出しすぎると二重支配とか批判する人も出てきてしまいます。

私は、いろいろ考えると菅副総理がその役を担うのがいいのではないかと思います。私が菅副総理の地元だからいうわけじゃありません。まず、国家戦略室とは、国の基本的な方向を示すところです。だから、大きな方向性は持っていなければ勤まらない。また、副総理という偉い役名をもらって第二位の地位にあるのだから、首相に助言する資格も一番あるともいえる。

それから、菅氏の発言などを聞いていると、かなり将来のことも具体的に考えておられる。政策もかなり理論化されている。しかし、首相ほどメディアで取り上げられないので、その内容を知らない人も多い。しかし、国家戦略室で国家の基本方針を決めるのだから、副総理の発言は大きな影響力を持ちうるはずだ。それに日本がこれからどういう方向に行こうとしているのかを知りたい人も多い。そういう人たちが次への投資をしてくれたりもする。だから、戦略相の発言は極めて大きな役割を負っているはずだ。

首相の発言をきていると、大きな理想はかかげるが抽象的すぎて何をしたいのかがはっきりわからない時がある。そういう苛立ちを国民が持ちだすと内閣への支持率に悪い影響が出ることもよくある。だから、もっと具体的に話すには、菅氏の立場が本来最も期待されているのではないだろうか。しばらく前のブログには「現在、深く熟考中」と書いていたが、3ヶ月で簡単に答えなんかだせるわけないのだから、これからでいいんですよ。これから、熟考したり、人の意見をきいたりしてできてきた「国家戦略」をわかりやすく、多くの人にどんどん知らせていって欲しい。批判も当然あるでしょう。批判の全くない政策なんてほとんどないんだから。しっかりと考えて出した政策なら堂々と議論すればいいと思います。首相の今までの態度だと、抽象的にいいことを言っているけれどいざ「じゃあどうやってやるの?」というと黙ってしまう。あるいは後延ばしにしたり、撤回したり。これじゃあ信頼も落ちてしまいます。いまこそ、「国家戦略」を託された大臣の出番ではないでしょうか。「理念」と「政策」をもって国民に説明して、首相にもちゃんと諫言するときはして、ビジョンを積極的に具体的に表明する役を担って欲しい。首相のあいまいさにイライラしてきている国民は、そういう大臣を求めていると私は思いますよ。この場に及んで、遠慮なんてしてる場合ではありません。
元々、菅大臣と鳩山首相ではじめた民主党じゃないですか。自民党のように、首相の足の引っ張りあいの醜い権力闘争とは、全く違うものです。4年間の鳩山政権を成功させるための助言です。

2010年1月1日金曜日

「日本の前途は暗い。見通しが立たない。そんな話をよく聞く。そのたびに、私は『本当かな』と思う。現実認識としても正しいかどうかわからないし、何よりも脳の使い方として間違っているのである。
脳は、楽観的でないとうまく働いてくれない。もともと、生きることは不確実でいっぱい。うまくいく保証など、どこにもない。だからこそ、未来は明るいと信じて前に進むことが大切である。前途は暗いと思っていると、本当に落ち込んでいってしまう。明るいと信じて歩いていると、いつの間にか雲の切れ目から薄日が差している。」

「妄想力」茂木健一郎より


みなさん、あけましてあおめでとうございます。

政府、与党のみなさん昨年は激動の年でしたね。

史上初の選挙による政権交代を、圧倒的多数で実現しました。このような民主的な政権交代を失敗させてはいけません。なんとか、あと4年頑張って、政権交代してよかったと国民が思えるようにしていきましょう!

昨年は、景気と予算とマニフェストの板挟みに苦しんだ年でした。でも、なんとか国債発行は44兆円に抑えることができました。まだまだ十分な抑制ではありませんが、この政権が財政規律を考えていることは理解されたのではないでしょうか。

マニフェスト変更と、虚偽記載の問題で2度も、国民にお詫びをしなければなりませんでしたが私は必ずしも悪いことだとは思っていません。というのは、今までも公約違反や金銭問題はありましたが、首相が真摯に謝罪したことはあまりなかったのではないでしょうか。
間違ったことは悪いけれども、それを素直に謝ったことは国民に悪い印象は与えなっかのではないかと思います。鳩山首相はちょっと軽はずみなところがあるけど悪い人ではない、という印象を与えたのではないかと思います。

さて、昨年来いやバブル崩壊以降の私の関心は財政でした。不十分とはいえ「仕分け」「暫定税率維持」「マニフェストの変更」などで、財政に対しても民主党は考えていると思うことが出来ました。しかし、まだ借金は山のように残っています。今年は歳出が増える政策も多くあります。また、予算をどこを削ってどこから得るか、難しい問題ものこったままです。

これらの問題には真摯に対応していってもらいたいし、意見があればその都度ブログに書こうと思っています。

今重要だと思うのはこの財政の苦しさを国民にうまく説明することです。説明がないと政府の失策で税金を上げられたと思う人も出てくるかもしれないからです。

しかし、今日元旦はせっかくですので違うことを書こうと思います。

政治っていうものは、単純化していえば、お金を集め再配分すること。法律を作ること。に集約できるのですが、実際にはもう一つ大事だと思うことがあります。それは、国民に「夢」をあたえることです。
ケネディ大統領は60年代中に人間を月に送ることを約束し、彼の死後それは実現しました。月に行く事は莫大な資金がかかる上、たいして利益のない仕事です。ですが、このことはアメリカ国民に大きな「夢」をあたえました。
ですから、今までお金の話ばかりしていたり、細かい制度の話をしてきましたが。もう一つ偉大な指導者がなすべきものは国民に夢をあたえることではないでしょうか。

もちろん、現在の財政状況では大きなお金はかけられません。しかし、何とか国民に将来はなんとなく明るい感じがすると思わせることはとても重要だと思います。

オリンピックや万博ではなく、もっと違ったやり方で今流の「夢」をいだかせてもらいたい。すくなくとも、そういう気持ちももって政治にのぞんでもらいたい。ただお金をあげるだけではなく。

具体的に何かというと難しいのですが。いろいろな識者の知恵も借りながら、考えていって欲しいです。

私が考えると、例えば「エコシティ」石油を一切使わない。ゴミのリサイクル率100%の街を実験的に作るとか、農業と現在のバイオテクノロジーと経営的戦略と観光のための美観や風習の保護などを結びつけて「新しい心のふるさと」を作るとか。観光を成長の源泉として力を注ぐなら、例えば大臣地元の京都を、ローマやパリやロンドンのように、古い街並をもっと残して、電柱は地下を通して、エアコンの室外機は木でかくして、建築基準も戦後の経済優先ではなく、美観をもっと考えたものにするとか。羅城門や朱雀門を再建するとか。とにかくいろいろ頭を使って、お金をかけないあるいは、かけてもそれ以上の経済効果のあるそういう「夢」を是非考えてもらいたいと思います。それは、お金のことばかり考えていては、政治ってつまらないなと人々に思わせないためでもあります。

今年、この10年代がみなさまにとってよい10年でありますように。