2010年1月5日火曜日

圧力


いつものパターンですが、私が強い影響力のあることをいうと、それに危機感をいだいた敵がまわりに圧力を強くかけ必死に影響を抑えようとします。
その心理は手に取るようにわかって笑えます。敵の圧力が怖い人は、表面上は敵に合わせて下さい。その上で、心の中で「本当に客観的に考えたら、本当に悪いのかは誰なのか」を真剣に考えて下さい。その結果それが私(鈴木)であっても結構です。とにかくできるだけ利害を排し客観的に考えて下さい。

今回も、圧力強まったなというのは手に取るようにわかります。その圧力に屈しない人がすごく少ないのが残念ですが、しょうがないせめて私に好意を持つ人は先ほどのように考えを心の中にしっかりと持って下さい。

私へのいやがらせは毎日大規模にあるのですが、面白いいやがらせに「周りの人の服装を変える」というのがあります。見ればだいたい、圧力がかかったかどうかわかります。

偉い、政治家や学者でも、口では権力批判していながらあきらかに、命令されて服装が変わった人もいます。そういう時は、彼が権力批判や社会批判を強くすればするほど「ところで、その服装はどうしたの?」と聞きたくなります。権力批判も誰でも批判できる、雑魚に対しては喜んでするのに、多くの人が恐がってる人のことはとばしている人も多くいます。一応内容は聞くけど、皮肉なことに内容がよければよいほど、こんな偉い学者でも服装を断ることすらできないのかと絶望的な気持ちになります。本来ならみんなが恐がってる人をこそ批判すべきじゃないでしょうか。雑魚を批判しても何の意味があるのでしょうか。逆でしょう。

しかし、多くの学者にも圧力がかかっているのはほぼ間違いありません。社会批判や革命をいう知識人には、いうことはごもっともだけど、その服装を見ると本人がそんな服装していながらそういうことをいう姿に失笑するしかありません。ですが、あまりプレッシャーをかけて鈴木の出る授業には出たくないと思われても損ですので、あまり強くは批判しません。しかし、そのような苦笑する場面がしばしばあることはいっておきます。

ちなみに、私は引いたり押したり、戦術中ではしますが、私や周りの人に不当な圧力をかける主犯を裁判にかけ、刑務所にブチ込むことにはあらゆる努力を惜しみません。たとえ何十年かかっても。

いやがらせも悪質であればあるだけ大歓迎です。私がいくら圧力に屈しないといっても言葉だけじゃ信じられませんよね。圧力が強ければ強いほど、それでも全く変わらなかったならば、信頼される可能性が高まるからです。

ただし、それが私の人生の目標ではありません。そんなしょぼい人生なんてイヤです。私には、自分がいきたい人生があります。その道の途中にふさぐものがあれば、何としてもそれをどけなければならない。つまりゴミ掃除です。そのゴミが大きくて害があるとき、ゴミがあるから別の道を行くことはしません。取り除くのに時間がかかって取り除く前に人生が終わっても、一切後悔しません。別の道に変えずにそこで死んだら、自分の本心にはウソをつかなかったということですから。

参考図書はあまりに時間がかかるので止めました。
それより思ったことをすぐにかく方が大事だと思ったからです。

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