2010年1月7日木曜日

援護射撃


私は鳩山政権が4年間続いて、国民によかったと思われることを強く望む。
その理由は、私が民主党サポーターだからというだけではない。
鳩山政権は、もしかしたら2千年以上の日本の歴史の中で、もっとも民主的に選ばれた政権ではないだろうか。もし、その政権が失敗したら民主主義自体に国民が疑問を持つようになる。成功することによって日本に本当に民主主義が根付く可能性がある。

民主主義は普通の国民が政治に参加して決定に参加する(選挙を通して)。したがって、素人ゆえの間違いもあるのはおりこみずみの制度である。民主制とは、試行錯誤を前提としている。従って間違った場合、政権が交代できるようになっている。だから、いろいろ失敗もあってもとにかく全力でやってみて、任期がきたら国民の信を問う。これが、理想であり、それが実現するために私なりの意見を述べさせていただき、私なりの努力をしていきたいと思う。

財政その他のことについては以前の記事に書いたので、今回は小沢幹事長の問題について、私なりの提案をしたい。
まず、客観的にいえばたとえ支持政党の幹事長でも違法なことを許すことはできない。だから公正さをきするためには、もし間違ったことがあれば相応の責任をとるべきだということはいわざるを得ない。

その前提の上で、この事件が政権に与える影響を最小限にするための私なりのアイディアを提案しようと思う。

原則1、全てを自らの手で明らかにする。
どちらにしても、いずれバレるなら、知らないふりをしていると毎日新しい情報がスキャンダラスに報じられ、国民に悪いイメージを与える機会が多くなる。しかし、自ら第三者に依頼して本当に知りうることを全て手にして、それを国民に自ら説明すればどうなるか。全てを表に出したのだから、マスコミがどんなに探しても新しいスキャンダルは出ない。説明をしたのだから、もう「ちゃんと説明しろ」という批判の意味がなくなる。

原則2、どこまでが責任で、どこまで罰を受けるべきかを厳密に精査する。
万引きした人に死刑を適用したら、不当だと思うだろう。罪があったとしてもどれだけ重いのかによって罰は変わってくる。
この様なスキャンダルがマスコミでもてあそばれている場合は、この点が考慮されないことがある。とにかくマスコミが騒いでいるんだから、辞任しろとかそういう風に、法理よりも感情で叩かれる場合がある。それに惑わされず、責任に応じた罰を受ければ、嵐がさって冷静になったときそれは正しく評価される。そう考えて、どれだけの罰を受けるべきかを真摯に考えその範囲内でしっかり責任をとる。

原則3、「スキャンダル問題」という枠組みではなく「小沢一郎」というパッケージでマスコミに出るようにする。
スキャンダルに答えるというかたちをとると、ニュースは小沢スキャンダルを一つのパッケージとして大きく伝える。そうなるとマイナスイメージも大きい。
しかし、「小沢一郎」というパッケージで、「小沢幹事長に訊く」とういようなテレビ企画に出演すれば、まずこの政権交代を実現させた小選挙区制への執念や「日本改造計画」に書かれている官僚支配の打破を十年越しで命がけでやってきて、事務次官会議を廃止するなど、すごくいい事もやってきたことも紹介される。
でもそれだけでスキャンダルに触れないと「小沢ひいき」のマスコミ、といわれまた批判される余地を残してしまう。だから、このパッケージ内でマイナスのこともちゃんと隠さず言って謝るべきところは謝る。すると、「小沢スキャンダル」というパッケージだと国民の多くが小沢氏に悪い印象を与える。たとえば6〜7割の人がマイナスイメージを持つ。しかし、「小沢一郎」というパッケージだといい面と悪い面が両方でていい面で5割いいイメージを与えられる。残りの半分のスキャンダルのイメージが6〜7割悪くても、50+50×0.4=70と70パーセントプラスイメージを与えることができ、マイナスイメージが30%ということになる。

以上の原則に沿って、早めに自ら正直に調査し、罪の大きさを精査し、全ての局に満遍なく「小沢一郎」というパケージでニュースのインタヴューにこたえる。そして、同じことを聞かれれば常に全く同じ答えをする。すると、マスコミはこれ以上きいても何も新しい情報を得られないと判断して、もっと視聴率のとれる話題探しに向かう。

これが、私が考えつく限りスキャンダルの影響を少なくする「対マスコミ案」。

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