2010年12月31日金曜日

大晦日


今日は思ったより論文が進みました。まだまだですが。

皆さん良いお年を。

2010年12月30日木曜日

論文

今日は先生のうちにうかがって論文の指導をしてもらいました。

2010年12月29日水曜日

火葬


今日は昨日死んだうちの犬の火葬場にいってきました。

うちの家族三人と姉の家族三人の六人でお寺に行ってきました。

車から出す時抱きかかえたら口からドバッと血が出てスボンにもろにかかりました。
ウワーッと思いましたが、このしみも犬の生きていたあかしになるのかなと思いました。

お骨にしてお経をあげてもらい帰りました。

帰りに久々に六人そろって外食をしました。

六人がそろって外出するのも犬のおかげです。

2010年12月28日火曜日

隙間


レオがいなくなって心の隙間のようなものがあるといったら、カウンセラーさんから「その隙間を手で包むようなイメージで」といわれました。


一昨日からうちの犬が食べ物も食べずに、水ものまずじっと半目を開いて寝ていて動きませんでした。

もう12歳なので、以前にも危ないかなという時もありました。けれど、また元気になりました。

でも今回はこれで最後かなという感じはありました。

夜、ネットを見ているとき、母がきてレオの手が冷たくなっているというのでいってみると確かに冷たかったです。

母が明日獣医さんのところへいくので今日は様子を見ようということをいうので、僕はまだ10時だから先生も起きているので、万が一間に合わないといけないといって先生に電話するようにいいました。

すると、先生はお酒を飲んでいるのでこちらには来られないけれども連れてきてくれれば診るといわれて連れていくことになりました。車に乗せるのにゴールデンレトリーバーなので重くて、しかも体を動かすとゲロっと吐こうとするので大変でした。

病院に行って、先生に見てもらって注射をうってもらって血液検査をして、点滴をしてもらいました。一応やることはやったけれども今晩がやまだといわれました。12時すぎていましたが近くに住んでいる姉に一言伝えるように母にいいました。

姉と甥がきて光をあてる健康用品をもってきて体にあてて手をみんなでかわるがわるさすってやりました。すると、今までほとんど動かなかったのが起き上がって周りを見だしました。

それからそれまでしなかったオシッコをして、ゲロッと吐いて少しスッキリした感じでした。

そして、僕は寝て母と姉が看病していましたが突然「俊きて、レオが息してないの」と母が叫ぶので、急いでいきました。

すると体は少し動いていました。僕は見よう見まねでおもいっきり心臓マッサージをしました。
するとまた口を動かし始めて生きてはいました。よかったと思っていましたが、また体が動かなくなってきて手脚が硬直してきました。
僕はさすってやることしかできませんでしたが、最後にレオは少し伸びをしてまた動かなくなりました。姉も母も「頑張ったね」「ありがとう」と叫び続け体をさすってやっていました。

僕が来る前に糞もだしていてそれを片付けたりもしてました。そして僕が摩っている間に姉がもう息していない「レオちゃん!レオちゃん!」と叫びました。
僕はまだ生きているような気がしていたのですが、姉たちがこれでいっちゃうの?と泣いているのを見て、もう逝ってしまったということがわかりました。

それでもまだ体は温かいし生きている感じがしました。しかし、目をつぶらせるとつぶったので終わりだとわかりました。

涙が目に浮かんできました。

一度呼び出されてまた引っ込んだ父も出てきて、「ありがとう」「先生のところにいけてよかったじゃないか」などといっていました。

僕が、獣医さんに電話するようにいわなかったら、姉に電話するようにいわなかったら、一度心臓マッサージをしなければ、最期を看取ることができなかったかもしれません。
そういう意味では幸運でした。
また犬自身も、家で家族に看取られて逝けてすばらしい最期ではなかったでしょうか。

そもそもこの犬を飼うきっかけは、家族の不和でそれを和らげるために父に毎日散歩させようと思って飼ったものです。

名前の由来は手塚治虫の『ジャングル大帝』です。
イギリス系のゴールデンレトリーバーは白いので白ライオンとかけたこともあるのですが、もっと重要な理由がありました。

主人公の白いライオンのレオの父は、人間の手からジャングルを命がけで守る戦いをする偉大な帝王でした。しかし、人間に殺されてしまいます。その子レオは、ジャングルと人間との和解をめざし自分が犠牲になって死ぬというものです。

だからうちのレオはうちの不和の犠牲になって和解をめざすものと考えていました。だからこそ、勝手に犠牲に捧げてしまった以上彼には幸せになって欲しいと心から思いました。

実際、父70歳の誕生日に買って、その頃は姉が出戻ってきて家の中が不和でそのとばっちりをまだ小さい甥ヤ姪がかぶっているような状態で、父も少しぼけ気味でした。
しかし現在は80歳をすぎた父もゴルフに行ったり株の売買をしたりして、毎日の犬の散歩もこころにもからだにもよい効果を与えた模様です。
家族も姉家族と一緒に食事したり、平穏になってきました。

僕の目論みはうまくいったのですが、最期にレオがよい死に方をしてくれて、完結です。
僕自身が犠牲になる代わりに、犠牲になってくれた、しかもたぶんみんなに看取られて幸せだったと思います。

毎食中、みんなのところにやってきてパンを与えたりして、レオパンをやるのが慣習になっていました。だんだん利口になってきて次はママのところへいけというと間違ったりしながら、最期にママのところへいってパンをもらう。朝食の時には母は秘かにヨーグルトをあげてたりしました。

家族で喧嘩をしたとき、僕が大声で母を批判したりするとあわててやってきて僕の手をずーっとペロペロなめ続けました。この子は本当に喧嘩が嫌いだったのだと思いました。そうされると僕も大きい声は出しづらくなりました。そういう意味でも和解をもたらした使者でもあったのだと思うのです。

2010年12月27日月曜日

指導


今日は大学に行って、先生に論文の指導を受けてきました。

2010年12月24日金曜日

広告業界


広告業界就職フォーラム発起人、吉開章さんの『広告業界就職のススメ(増補版)』を読みました。

年齢的に新卒で蹴活できないので、自分とは立場が違いますが、競争率の高い業界での蹴活でのコツが書いてあって面白く読みました。

自分は、デザイナー志望なので広告に限らないのですが、参考になったところは大いにありました。

2010年12月23日木曜日

モーニング娘。


今ごろ『モーニング娘。×つんく♂〈2〉』を読んでいます。

彼女たちの純粋さと努力と成功に感動。

このころから、入院してTVもネットも見られなかった日が続き、今年になってから少しずつネットでチェックしています。

今のモーニング娘。は、このころと比べると小さくまとまってしまっているかんじがします。

このころが普通じゃなかったのだからしょうがないか。

懐かしさと、寂しさを感じます。

AKB48は、好きでも嫌いでもない。ただ、TVを見ないので知らない。

2010年12月22日水曜日


大学院の課題をやらなければならないのに、寝てしまいました。

ゆず湯に入りました。

2010年12月21日火曜日

共同幻想論


今日はカルチャーセンターで「吉本隆明『共同幻想論』を読みなおす」4回目最終回で、講師は高澤秀次先生でした。

吉本は、対幻想論で当時としては先進的にフロイトを取り上げ、原始群族の「父祖」を共同で殺した息子たちが家族を作ったと考えた。
そして、共同体と家族が分離したとき自己幻想が登場したと考えた。

ヘーゲルに倣い兄弟と姉妹の関係を永続する対幻想と考えた。

古事記における、イザナギとイザナミの国生みの場面は共同幻想と対幻想が同致していると考えた。

アマテラス(姉)とスサノオ(弟)の関係。アマテラスが宗教的な権力の象徴であり、スサノオが農耕社会の象徴であると考えた。

ヤマトタケルの時代はもはや神権優位のなくなった現世的な政治支配者の父と子の葛藤。

最後に作家の中上健次は、角川文庫版解説で、この本と三島由紀夫の自殺が歴史的な事件だとして、この本が文学を死滅させたと記している。

2010年12月20日月曜日

生政治

今日は朝日カルチャーセンター新宿校で「フーコーと現代」第3回、講師は金森修東京大学教授です。

今回はフーコーの生政治論です。

古典時代の権力は、人を殺す権力だった。
しかし、18世紀ごろから人を生かす、人口を統計学的にとらえる、新しい権力が生まれたというものです。

フーコーの独自の視点です。

2010年12月18日土曜日

経済学


今日はカルチャーセンターで「経済学入門」の全2回の2回目に行ってきました。
講師は埼玉大学講師の宮崎雅人先生です。

全くオーソドックスな、マクロ経済学とミクロ経済学、さらにマルクス経済学の基本を教わりました。
いままで、漠然とはわかっていたものがはっきりとしてよかったです。

2010年12月17日金曜日

論文


論文が間に合わない、これだけのページ数、何を書けばいいのか。

1月早々締め切りなので、ヤバいです。

2010年12月16日木曜日

今日


今日は、体を動かして、夕方から写真の教室に行きました。

皆さん、今日は寒かったですね。

2010年12月15日水曜日

論文


論文書くのが大変だが、焦ってできないよりも、少しずつやっていこうと思います。

2010年12月14日火曜日

政権誕生


民主党が圧倒的多数で政権をとったその日のブログより。


政権をとった民主党の皆さんにいくつか、私の思うことを述べさせてもらう。
かつての細川政権も国民の8割の支持を得ながら、保守派の執拗な攻撃で(政治改革法案を何はともあれ通したことは今の政権交代を可能にした結果をもたらしたので十分評価すべきだと思うが)、自宅の壁を直すのに佐川急便から借金をしただけで証人喚問されたりした。
立場を失った保守層のネガティブキャンペーンは容易に予測できる。しかし、野党時代は民主党も自民党のあら探しをしていたのでそれは、ある程度しかたない。ただ、これからは一部の人たちから感情的反発を強く受けることは覚悟しておいてほしい。
それへのとるべき対応は、先ず単純なことだが、閣僚の「失言」には十分に注意をしてもらいたい。それだけで辞任に追い込まれることもあるのだから。スキャンダルも保守系メディアは血眼になって探すだろう。言うまでもないことだが、金銭の国民に疑惑をもたれるような集め方がないかは、常に自らチェックしておかないといけないと思う。「李下に冠を正さず」という諺があるように、適法であっても疑いをもたれる可能性がある行為は慎むべきだろう。
マスコミは権力をチェックするのが仕事なので、ちょっとしたことでも面白いネタがあれば、攻撃してくるものだ。
これらのことを避ける、合理的で最も効果のある方法は、正しい政治をやることだろう。
先ほど、自民党のいうことはそれほど間違ってないと述べたが、ではなぜこれだけ負けたのか?ちょうど郵政選挙と逆の結果が出たわけで「新自由主義の行き過ぎ」とか「不景気で雇用に不安がある」とかいわれるが、それもあるだろうが、それより私が感じるのが「とにかく今の政治を変えたい」という心理が有権者に共有されているのではないだろうか。それが、「小泉なら変えてくれそう」とか「民主党なら変えてくれそう」という期待になって現れたのではないだろうか。もちろん、その時の風もあるだろう。だから、民主党の議員の方々は、ブームはいつかは終わる。賞賛はバッシングに簡単にうらがえる。ということを肝に銘じて、くれぐれもこの勝利を自分たちの政策が国民に支持されたと、単純に考えないでほしい。
そして、官僚との戦いに臨んでもらいたい。そのためには、情熱はもちろん、官僚に負けない「知識」や「理論」「情報」などの裏づけが不可欠。人気取りのためにでた必ずしも政策や政治に詳しくない候補もいるだろう。そういう方々も、一生懸命勉強していただきたい。もう自民党のせいにすることはできない。あなた方が政治家としてふさわしいかどうかが問われる。おそらく支持率も始めは7割前後いくのではないか、その後必ず下がる。そこで5割をきるかどうか、そのあたりが重要な分岐点だと思う。単なるブームなのか本当の刷新なのかが問われる。
一度、否定的イメージがついたら、それをくつがえすのには大変な努力と時間がかかる。始めから予想される批判には行動をもって反論してほしい。
政権をとればメディアも世論も、よいしょはしてくれない。実際に景気や民主党のいう「心の通った政治」が実感できなければすぐに、批判に変わることを十分頭に入れておいてほしい。
最後に、選挙はゴールではなく、スタートラインに立ったということだ、ということを忘れないでほしい。オリンピックに例えたら、出場が決まった段階に当たる。本番で良い成績が出せなければ、世論はすぐにそっぽを向いてしまう。
これからが「勝負」だということを忘れないでほしい。
経済も、財政も大変厳しい。官僚は一流大学でトップクラスのエリートぞろいだ。彼らと対等に議論して勝つためには、先ずはビジョンン、知識、知恵、忍耐が必要になってくる。それに、こたえられる議員がどれだけいるか。
しかし、日本を変えてもらいたいという認識は、国民はもちろん、優秀な官僚にも共有された認識だと思う。正しい努力がなされれば民主党に協力する官僚もいるはずだ。
ゆめゆめ、これをゴールだと思わずスタートラインだと肝に銘じてほしい。
当選した議員の方々、与野党を問わずおめでとうございます。惜しくも落選された候補の方々お疲れさまでした。
これから、国民も参加する政治と代表もいわれているので、私たち国民も、傍観者ではなく、野次をとばすだけでなく建設的に政治を見守り、自分のできることは協力して行きたいと思う。昨日、日本の新しい扉が開いた、と後世の人に誇れる政治を全ての人がして行こうではないか。

2010年12月13日月曜日

インターネット


鈴木謙介氏の『暴走するインターネット』という本を読みました。

ずいぶん前に読んだのですが、修士論文でインターネットのこと調べなければいけないので、読みなおしました。

『ised』なども読んだのですが、インターネットについて概要をまとめてあって読みやすいのはこの本です。インターネットの歴史の流れが大雑把にわかります。

もっと細かいことを知りたい人は、専門書を読んでいただきたいですが、初心者でもわかりやすいのはこの本だと思います。

2010年12月12日日曜日

忘年会


今日は東京の明治記念館で、菅直人首相の忘年会に行ってきました。

大きな部屋にテーブルが並んでいて何百人と入る。

はじめに首相と、信子夫人がひとりひとりに握手をしました。けっこう親しい人もいるようで、慣れた感じの方のあと僕が行ったら名札を見て「鈴木さん?」って感じでした。

それから首相の挨拶があって、あとはバイキング形式で自由に食べてる間に地方議員の方々が挨拶をおこないました。

いろいろおいしそうなものがあったのですが、量が少なくてすぐになくなってしまいました。
僕はお寿司とそばと、あと洋食を皿に盛って食べました。

料理がなくなったのでしかたなく、お酒を飲んでいました。

最後に集合写真を撮って、あと会場を首相がまわって挨拶していました。
政治資金を集めるためのパーティーだということだったのですが、8000円で元が取れるのか少し心配になりました。

政局については語られませんでした。

2010年12月11日土曜日

現代政治哲学


今日はカルチャーセンター「現代政治哲学講義」3回目、宮台真司先生、堀内進之介先生です。

93年、アメリカリベラリズムの恭斗ロールズが立場を転向します。
それまで国内のリベラリズムを主張してきましたが、今度はより広い共同体どうしの共生へと問題をシフトします。

ローティによりますと、包括的リベラリズムから、政治的なリベラリズムへのシフト。
プラトン的な純血主義からプラグマティックへの変化、前進です。

権利について語るよりも現実に感情教育をしろと。これがエマーソンからの伝統だといいます。
それ以降リベラリズムとコミュニタリアニズムが近くなりました。
この二つに対抗する主張というのが、リバタリアニズムです。

リバタリアニズムすなわち自由至上主義はアナーキズム的な感覚から生まれたものです。
つまり自分のことは自分でやるので、放っといてくれ。自由を制限することだけは反対するが他のことは個人の勝手。

このアナーキーな感覚自体は宮台先生も出発点としてはあったといいます。
ここは正直だなと思うのは、宮台先生はやはり子供を持って家族を持って変わったといわれたところです。
僕にしてみれば、今までの宮台さんの主張は何だったんだとつっこみたくなりますが、ここまで正直に言われてしまうとしょうがないです。

現在宮台先生はコミュニタリアニズムに近いといいます。われわれが何かを選択する時に、すでにある価値観を持って選択しています。それが共同体的価値だといいます。
それに、自覚的に重きをおこうということです。

それにたいして堀内さんは、フーコーやブルデューを引いて、選択できなかったという記憶さえ収奪される可能性がある。だから用心が必要ではないかといいます。

宮台先生は二つの回答があるといいます。
一つはハンナ・アーレントが『イェルサレムのアイヒマン』を書いた時に、ショーレムから同じユダヤ人なのにどうしてこんな不謹慎な書き方をするのかと批判を受けていったことです。
自分はユダヤ人だからこそどんなことをいおうとも全てユダヤの精神が反映されている、これこそがユダヤ的だという方がおこがましい。というものです。

もう一つは、自分は子供にこれをしろ、あれをしろと言っていい。ただし最後はお前が決めろよとつけ加えればいいというものです。

堀内先生は、社会学では原理が先か現象が先かという論争があるといいます。

宮台先生は、原理が先だといいます。どっちを選べという事自体原理だから。しかし、どこまでその原理が適用可能かの線引きの問題はつねに恣意的だといいます。

20世紀の神学界で二人の天才神学者がいました。11月15日のブログにも書きましたが、カール・バルトとゴーガルテン。

ゴーガルテンはイエスがピラトとの取引をすれば救われる時に「神は取引をしない」といって磔になったところを重視して、決断こそが大事だと思いました。
対するバルトは、神は絶対者であって相対者である人間ごときには神の意志はわからない、だから決断をするなんておこがましいと考えました。

後にゴーガルテンはナチを称揚する神学者になるのですが、バルトはそれ以前にゴーガルテンの危険性に気づいていました。

キリスト教の遺伝子はイエスに会ったこともないパウロから始まります。教会が存続できるかがパウロの関心事でした。教会がないと人を救えないからです。
普遍性があるかどうか、普遍論争というのがありましたが、世の中に普遍的なものはある、しかしこれが普遍だといったらおしまい。凡人はじゃあなにが普遍ですかということになる。

堀内先生。アドルノは理性を徹底的に批判して、美学、感性を重視しました。コミュニタリアニズムとも近いのですが、感性といわれたらそれを批判できるのか。

宮台先生。自分も子供を森に連れていったりして教育しているが、その再帰性を意識すべき。
共同体は利己的で理不尽に他の共同体を絶滅させたりする。しかし、「ダークナイト」という映画で爆弾を止めるシーンがある。一面では人間は、案外悪くないという面もある、ということでした。

今日はいつもと比べてやけに明るい宮台先生でした。

2010年12月10日金曜日

ニーチェ


今日はカルチャーセンターの「ジャック・デリダ入門『哲学の余白』を読む」講師西山雄二先生、第三回を聴きにいきました。

以前デリダはニーチェと違って自分が脱構築したといわないだけ謙虚だと、書いたことがありますが、今日の講座でデリダはニーチェの力への意思を自分の哲学とつながると高く評価していたことがわかりました。

むしろ、ニーチェこそ形而上学の完成者だといったのはハイデガーで、デリダはハイデガーに強い影響を受けながらも、ハイデガー的ニーチェ解釈を鋭く批判します。「ハイデガー的な型の読解からニーチェを救い出す」「ニーチェの思想の有毒性を無視することはできない」(『グラマトロジー〜』)

そういう意味では、僕のニーチェ解釈はハイデガー的であったと思います。
僕はニーチェが自ら形而上学を作ろうと思ったのではないと思いますが、結果としてニーチェ信者を作ってしまったことには無批判であったと思います。
ニーチェのテキスト自体は、脱構築のさきがけという理解は間違えとは思いませんが、この点ではニーチェに対する好き嫌いがでてくるようにも思います。

ニーチェは新たな形而上学を作らなかった。しかし、ニーチェを新たな形而上学として読んだ読者を大量に生み出したのは事実ではないでしょうか。

2010年12月9日木曜日

なんとなく


今日は、運動して、本読んで、ネット見て、論文書いて、なんとなくすごしました。

2010年12月8日水曜日

ギリシア神話


木村千鶴子さんの『ギリシア神話がよくわかる本 愛のドラマから星座の由来まで』という本を読みました。

ギリシア神話について子供でもわかるように書かれた本です。

断片的には知っていたけれど、やはりギリシア神話は性欲と暴力がすごく描かれている。

それから、体系だった一つの本ではないので、いろいろな話がいろいろでてきて覚えきれない。
この本に書かれなかった物語もあるでしょうし。これでギリシア神話を全てわかったわけではないでしょう。
しかし、一片でもギリシア神話にふれることができて、少しは賢くなったかなと思いました。

2010年12月7日火曜日

Podcast


Podcastで英語のニュースを聴いています。

全部は分らないですが。

2010年12月6日月曜日

ネット


ネット見つつ論文書く。

wikipediaのコピーになってしまう。

2010年12月5日日曜日

2010年12月2日木曜日

2010年12月1日水曜日

政治


M.ヴェーバーの『職業としての政治』という本を読みました。

ヴェーバーは19世紀から20世紀にかけて活躍した、社会学史上最大の社会学者です。

彼が学生向けにおこなった演説がこの『職業としての政治』です。

まず、政治の本質は権力であり、国家とは暴力の独占だといいます。

そこで民衆を従わせる方法に三つあるといいます。

一つは「伝統的支配」
一つは、指導者への個人的帰依による「カリスマ的支配」
一つは、「合法性による支配」
です。

そこから、現代の政治ができあがる歴史的な分析に入ります。

最後に、政治家に求められる資質をあげていきます。
心情倫理と責任倫理の解説をします。

ヴェーバーの情熱が伝わってくる迫力のある本です。
ヴェーバーの思想もよくわかりました。

薄い本なので是非、政治家の方にも読んでもらいたと思いました。

以下、引用。

国家も、歴史的にそれに先行する政治団体も、正当な(正当なものとみなされている、という意味だが)暴力行使という手段に支えられた、人間の人間に対する支配関係である。

正当性の根拠からの問題から始めると、これには原則として三つある。第一は「永遠の過去」が持っている権威。第二は、ある個人にそなわった非日常的な天与の資質(カリスマ)が持っている権威。「カリスマ的支配」である。最後に「合法性」による支配。

政治家にとっては、「情熱」-「責任感」-「判断力」の三つの資質がとくに重要であるといえよう。

もし政治が軽薄な知的遊戯ではなく、人間として真剣な行為であるべきなら、政治への献身は情熱からのみ生まれ、情熱によってのみ培われる。しかし、距離への習熟がなければ、情熱的な政治家を特徴づけ、しかも彼を「不毛な興奮に酔った」単なる政治的ディレッタントから区別する、あの強靭な魂の抑制も不可能となる。政治的「人格」の「強靭さ」とは、何を措いてもこうした資質を所有することである。

山上の垂訓とは福音書の絶対倫理のことであるが、今日、この掟を好んで引用する人々の考えているより、もっと厳粛な問題である。
一切か無か。
「結果」などおよそ問題にしないのが、この絶対倫理である。

倫理的に方向づけられたすべての行為は、「心情倫理的」に方向づけられている場合と、「責任倫理的」に方向づけられている場合がある。

この世のどんな倫理といえども次のような事実、すなわち、「善い」目的を達成するには、まずたいていは、道徳的にいかがわしい手段、少なくとも危険な手段を用いなければならず、悪い副作用の可能性や蓋然性まで覚悟してかからなければならないという事実、を回避するわけにはいかない。

政治にタッチする人間、すなわち手段としての権力と暴力性とに関係を持った者は悪魔の力と契約を結ぶものであること。さらに善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実であること。これが見抜けないような人間は、政治のイロハもわきまえない未熟児である。

信仰の闘争に参加した追従者はひとたび勝利を収めるや、いとも簡単に平凡きわまるサラリーマンに堕落してしまう。
およそ政治をおこなおうとする者、とくに職業としておこなおうとする者は、この倫理的パラドックスと、このパラドックスの圧力の下で自分自身がどうなるだろうかという問題に対する責任を、片時もわすれてはならない。

悪魔の力は情け容赦ないものである。もし行為者にこれが見抜けないなら、その行為だけでなく、内面的には行為者自身の上にも、当人を無惨に滅ぼしてしまうような結果を招いてしまう。
「悪魔は年をとっている(老獪である)」(ゲーテ『ファウスト』)

結果に対するこの責任を痛切に感じ、責任倫理に従って行動する、成熟した人間がある地点まできて、「私としてはこうするよりほかはない。わたしはここに踏み止まる」(ルター)というなら、計り知れない感動をうける。これは人間的に純粋で魂をゆり動かす情景である。なぜなら精神的に死んでないかぎり、われわれ誰しも、いつかはこういう状態に立ちいたることがありうるからである。そのかぎりにおいて心情倫理と責任倫理は絶対的な対立ではなく、むしろ両々相俟って「政治への天職」をもちうる真の人間をつくりだすのである。

政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら。堅い板に力をこめてじわじわっと穴をくり抜いていく作業である。もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なことの達成も覚束ないというのは、まったく正しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している。

現在の世の中が、自分の立場からみて、どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職(ベルーフ)」を持つ。