2010年12月1日水曜日

政治


M.ヴェーバーの『職業としての政治』という本を読みました。

ヴェーバーは19世紀から20世紀にかけて活躍した、社会学史上最大の社会学者です。

彼が学生向けにおこなった演説がこの『職業としての政治』です。

まず、政治の本質は権力であり、国家とは暴力の独占だといいます。

そこで民衆を従わせる方法に三つあるといいます。

一つは「伝統的支配」
一つは、指導者への個人的帰依による「カリスマ的支配」
一つは、「合法性による支配」
です。

そこから、現代の政治ができあがる歴史的な分析に入ります。

最後に、政治家に求められる資質をあげていきます。
心情倫理と責任倫理の解説をします。

ヴェーバーの情熱が伝わってくる迫力のある本です。
ヴェーバーの思想もよくわかりました。

薄い本なので是非、政治家の方にも読んでもらいたと思いました。

以下、引用。

国家も、歴史的にそれに先行する政治団体も、正当な(正当なものとみなされている、という意味だが)暴力行使という手段に支えられた、人間の人間に対する支配関係である。

正当性の根拠からの問題から始めると、これには原則として三つある。第一は「永遠の過去」が持っている権威。第二は、ある個人にそなわった非日常的な天与の資質(カリスマ)が持っている権威。「カリスマ的支配」である。最後に「合法性」による支配。

政治家にとっては、「情熱」-「責任感」-「判断力」の三つの資質がとくに重要であるといえよう。

もし政治が軽薄な知的遊戯ではなく、人間として真剣な行為であるべきなら、政治への献身は情熱からのみ生まれ、情熱によってのみ培われる。しかし、距離への習熟がなければ、情熱的な政治家を特徴づけ、しかも彼を「不毛な興奮に酔った」単なる政治的ディレッタントから区別する、あの強靭な魂の抑制も不可能となる。政治的「人格」の「強靭さ」とは、何を措いてもこうした資質を所有することである。

山上の垂訓とは福音書の絶対倫理のことであるが、今日、この掟を好んで引用する人々の考えているより、もっと厳粛な問題である。
一切か無か。
「結果」などおよそ問題にしないのが、この絶対倫理である。

倫理的に方向づけられたすべての行為は、「心情倫理的」に方向づけられている場合と、「責任倫理的」に方向づけられている場合がある。

この世のどんな倫理といえども次のような事実、すなわち、「善い」目的を達成するには、まずたいていは、道徳的にいかがわしい手段、少なくとも危険な手段を用いなければならず、悪い副作用の可能性や蓋然性まで覚悟してかからなければならないという事実、を回避するわけにはいかない。

政治にタッチする人間、すなわち手段としての権力と暴力性とに関係を持った者は悪魔の力と契約を結ぶものであること。さらに善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実であること。これが見抜けないような人間は、政治のイロハもわきまえない未熟児である。

信仰の闘争に参加した追従者はひとたび勝利を収めるや、いとも簡単に平凡きわまるサラリーマンに堕落してしまう。
およそ政治をおこなおうとする者、とくに職業としておこなおうとする者は、この倫理的パラドックスと、このパラドックスの圧力の下で自分自身がどうなるだろうかという問題に対する責任を、片時もわすれてはならない。

悪魔の力は情け容赦ないものである。もし行為者にこれが見抜けないなら、その行為だけでなく、内面的には行為者自身の上にも、当人を無惨に滅ぼしてしまうような結果を招いてしまう。
「悪魔は年をとっている(老獪である)」(ゲーテ『ファウスト』)

結果に対するこの責任を痛切に感じ、責任倫理に従って行動する、成熟した人間がある地点まできて、「私としてはこうするよりほかはない。わたしはここに踏み止まる」(ルター)というなら、計り知れない感動をうける。これは人間的に純粋で魂をゆり動かす情景である。なぜなら精神的に死んでないかぎり、われわれ誰しも、いつかはこういう状態に立ちいたることがありうるからである。そのかぎりにおいて心情倫理と責任倫理は絶対的な対立ではなく、むしろ両々相俟って「政治への天職」をもちうる真の人間をつくりだすのである。

政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら。堅い板に力をこめてじわじわっと穴をくり抜いていく作業である。もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なことの達成も覚束ないというのは、まったく正しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している。

現在の世の中が、自分の立場からみて、どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職(ベルーフ)」を持つ。

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