2010年12月10日金曜日

ニーチェ


今日はカルチャーセンターの「ジャック・デリダ入門『哲学の余白』を読む」講師西山雄二先生、第三回を聴きにいきました。

以前デリダはニーチェと違って自分が脱構築したといわないだけ謙虚だと、書いたことがありますが、今日の講座でデリダはニーチェの力への意思を自分の哲学とつながると高く評価していたことがわかりました。

むしろ、ニーチェこそ形而上学の完成者だといったのはハイデガーで、デリダはハイデガーに強い影響を受けながらも、ハイデガー的ニーチェ解釈を鋭く批判します。「ハイデガー的な型の読解からニーチェを救い出す」「ニーチェの思想の有毒性を無視することはできない」(『グラマトロジー〜』)

そういう意味では、僕のニーチェ解釈はハイデガー的であったと思います。
僕はニーチェが自ら形而上学を作ろうと思ったのではないと思いますが、結果としてニーチェ信者を作ってしまったことには無批判であったと思います。
ニーチェのテキスト自体は、脱構築のさきがけという理解は間違えとは思いませんが、この点ではニーチェに対する好き嫌いがでてくるようにも思います。

ニーチェは新たな形而上学を作らなかった。しかし、ニーチェを新たな形而上学として読んだ読者を大量に生み出したのは事実ではないでしょうか。

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