2010年12月28日火曜日


一昨日からうちの犬が食べ物も食べずに、水ものまずじっと半目を開いて寝ていて動きませんでした。

もう12歳なので、以前にも危ないかなという時もありました。けれど、また元気になりました。

でも今回はこれで最後かなという感じはありました。

夜、ネットを見ているとき、母がきてレオの手が冷たくなっているというのでいってみると確かに冷たかったです。

母が明日獣医さんのところへいくので今日は様子を見ようということをいうので、僕はまだ10時だから先生も起きているので、万が一間に合わないといけないといって先生に電話するようにいいました。

すると、先生はお酒を飲んでいるのでこちらには来られないけれども連れてきてくれれば診るといわれて連れていくことになりました。車に乗せるのにゴールデンレトリーバーなので重くて、しかも体を動かすとゲロっと吐こうとするので大変でした。

病院に行って、先生に見てもらって注射をうってもらって血液検査をして、点滴をしてもらいました。一応やることはやったけれども今晩がやまだといわれました。12時すぎていましたが近くに住んでいる姉に一言伝えるように母にいいました。

姉と甥がきて光をあてる健康用品をもってきて体にあてて手をみんなでかわるがわるさすってやりました。すると、今までほとんど動かなかったのが起き上がって周りを見だしました。

それからそれまでしなかったオシッコをして、ゲロッと吐いて少しスッキリした感じでした。

そして、僕は寝て母と姉が看病していましたが突然「俊きて、レオが息してないの」と母が叫ぶので、急いでいきました。

すると体は少し動いていました。僕は見よう見まねでおもいっきり心臓マッサージをしました。
するとまた口を動かし始めて生きてはいました。よかったと思っていましたが、また体が動かなくなってきて手脚が硬直してきました。
僕はさすってやることしかできませんでしたが、最後にレオは少し伸びをしてまた動かなくなりました。姉も母も「頑張ったね」「ありがとう」と叫び続け体をさすってやっていました。

僕が来る前に糞もだしていてそれを片付けたりもしてました。そして僕が摩っている間に姉がもう息していない「レオちゃん!レオちゃん!」と叫びました。
僕はまだ生きているような気がしていたのですが、姉たちがこれでいっちゃうの?と泣いているのを見て、もう逝ってしまったということがわかりました。

それでもまだ体は温かいし生きている感じがしました。しかし、目をつぶらせるとつぶったので終わりだとわかりました。

涙が目に浮かんできました。

一度呼び出されてまた引っ込んだ父も出てきて、「ありがとう」「先生のところにいけてよかったじゃないか」などといっていました。

僕が、獣医さんに電話するようにいわなかったら、姉に電話するようにいわなかったら、一度心臓マッサージをしなければ、最期を看取ることができなかったかもしれません。
そういう意味では幸運でした。
また犬自身も、家で家族に看取られて逝けてすばらしい最期ではなかったでしょうか。

そもそもこの犬を飼うきっかけは、家族の不和でそれを和らげるために父に毎日散歩させようと思って飼ったものです。

名前の由来は手塚治虫の『ジャングル大帝』です。
イギリス系のゴールデンレトリーバーは白いので白ライオンとかけたこともあるのですが、もっと重要な理由がありました。

主人公の白いライオンのレオの父は、人間の手からジャングルを命がけで守る戦いをする偉大な帝王でした。しかし、人間に殺されてしまいます。その子レオは、ジャングルと人間との和解をめざし自分が犠牲になって死ぬというものです。

だからうちのレオはうちの不和の犠牲になって和解をめざすものと考えていました。だからこそ、勝手に犠牲に捧げてしまった以上彼には幸せになって欲しいと心から思いました。

実際、父70歳の誕生日に買って、その頃は姉が出戻ってきて家の中が不和でそのとばっちりをまだ小さい甥ヤ姪がかぶっているような状態で、父も少しぼけ気味でした。
しかし現在は80歳をすぎた父もゴルフに行ったり株の売買をしたりして、毎日の犬の散歩もこころにもからだにもよい効果を与えた模様です。
家族も姉家族と一緒に食事したり、平穏になってきました。

僕の目論みはうまくいったのですが、最期にレオがよい死に方をしてくれて、完結です。
僕自身が犠牲になる代わりに、犠牲になってくれた、しかもたぶんみんなに看取られて幸せだったと思います。

毎食中、みんなのところにやってきてパンを与えたりして、レオパンをやるのが慣習になっていました。だんだん利口になってきて次はママのところへいけというと間違ったりしながら、最期にママのところへいってパンをもらう。朝食の時には母は秘かにヨーグルトをあげてたりしました。

家族で喧嘩をしたとき、僕が大声で母を批判したりするとあわててやってきて僕の手をずーっとペロペロなめ続けました。この子は本当に喧嘩が嫌いだったのだと思いました。そうされると僕も大きい声は出しづらくなりました。そういう意味でも和解をもたらした使者でもあったのだと思うのです。

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