2010年1月9日土曜日

慈雨


なんと、昨日は大学院1年生が提出する「レポート」の締め切り日だった。
その前に、「審査シート」を提出して下さい、書式は後で送りますと副手さんにメールでいわれ今日まで審査シートの書式がこなかったので、今日来たらささっと書いてしまおうと思ったのだが、メールが来たのが19時過ぎだった。副手さんの彼女曰く、今まで休みで学校に来てなかったのですみません、提出は後でいいですといわれてホッとしていた。すると「研究レポート」は今日の19時までです、と書いてあった。1/8迄に提出のリストには「審査シート」としか書いてなかったのでてっきり「審査シート」=「研究レポート」だと思っていたら、よく探したら確かにレポートの提出方法のプリントがあった。8000字以上でとじて書式に従って提出とあった。しかしもう期限は過ぎてる。このまま留年になるのか。しかも私は2年間休学しているのでもう留年も許されず退学になるのかと思ったら副査の先生から、次の発表日前日迄でいいですというメールをいただいてたすかった。ありがたいと心から思った。というのは、いやがらせが学校にまでひろがっていて、私は厄介者と思われていると思っていたから。先生は別に大した意味もなくいわれたかもしれない言葉でも、私にとってはありがたいとほっとした。いままで、精神的いやがらせがエスカレートしていてこちらも、ナーバスになっていただけに。(先日来メールを調べても「レポート」提出のメールがなかったし、今日メール内を検索してもなかった。ところが副手さんに文句のメールを送った直後に出てきた。この奇妙さはなんらかのいやがらせのいっかんだと思われる)家庭内でもいやがらせ関係でイヤなこともあって殺伐とした気分でいただけに、干天の慈雨だった。

しかし、「大河の一滴」を読むと人のやさしさに触れる「極楽」はほんの一時で、またゴツゴツとした現実の地獄が顔を出すという。それが人生なのだとかの書はいう。

現在 山口絵理子さんの「裸でも生きる」を読み中。

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