2010年10月7日木曜日

ゴッホ展


今日、平日の昼間暇だったのですいていると思って、国立新美術館に「ゴッホ展」を見にいきました。

たくさんの自筆の作品と影響を受けた作品が展示されていて、たいへん面白かったのですが、量が多すぎて最後の方は見るのに疲れてしまいました。

ゴッホの初期の絵から見ていっても、正直言って技法的に上手いという感じはあまりしなかったです。

本当に手先が器用で、きれいに上手く描く絵描きならいくらでもいるでしょう。

それよりも、ゴッホの絵には何か強い「精神」が込められている。
上手くはなくとも、人を引きつける強さがある。

本人もそれを意識していたのではないか。

そして、「絵」というよりも、これを描いたゴッホという人に興味がいく。

つまり、我々観衆は「絵」というメディアを通してゴッホとコミュニケーションをしているのだと思いました。

ゴッホという存在を知るための、絵は一つの手段である、とさえいえるのではないでしょうか。



「「ゴッホの手紙」は比類のない告白文学。」「手紙を見ないであの人の絵を見ることは不可能」「ちっとも絵らしい絵ではない。美しい絵でもない。完成された絵でもない。」「セザンヌは書簡を読まなくってもあの人の絵はよくわかる。」「ルノアールも書いたもの読まなくても美しい。」「ゴッホはそうではない」(小林秀雄講演第七巻より)

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