2009年10月19日月曜日

ひとつ

キリスト教入門講座10/4
◯神さまは全てのものが一つになることを願っている。
◯いろいろな宗教があるのは何故?いろいろな川も一つの谷川に通じる。
◯カトリックが強い時代があった。しかし1963年、教会は「キリスト教だけが本当の宗教」という考えを変えた。
◯カトリック、プロテスタント、ギリシャ正教、根っこは一緒。
ローマ帝国の時代、ローマ帝国が拡大して東を支配した。遠くてローマの命令が届かない。
東=大司教
西=教皇
1000年くらい、お互いに破門にしていた。
◯1500〜1600年、カトリックは西で発展した。
人々は王様のいうことはあまり聞かず、司教様の言うこと聞いた。
王は教会と結託して人々を言うことをきかせようとした。
王の保護で教会は大きくなった。
わがままになった。「免罪符」を発行した。
それを批判した司祭が95カ上の質問をした。
教会は彼を破門した。→プロテスタント
カトリックも反省しローマに司教を集め「ヴァチカン第二公会議」を開く。
私たちはおなじイエス・キリストの弟子である。
どの宗教も完成したものはない。
目指すものはキリスト。
ふりかえって見直しながら歩んでいく途中である。
◯カトリックは修行をやっていないのでは?
大事なときには、断食をしている。
「何々断ち」(何かを我慢してやらないこと)をしている。
普通の人が目指すのは「対話」である。
◯イエス「この小さなものに一杯の水を与えたものは、私に与えたことだ」
根っこは同じイエス・キリスト
今、3つの宗教は対話をしている。
アッシジにいろんな宗教者をまねいた。
◯家庭も一つになる事が大事
パパに買ってもらって嬉しい子は「パパに」買ってもらったから嬉しい。「よかったね」と言ってくれる人がいるから嬉しい。
家庭の中で「もの」だけがいきかうなら、バラバラ。
◯人は正しくなるために教会に来ているのではない。心底受け入れてくれる場を求めて来るのではないか。
「正しくならなければ」と力んで来るのではなく「こここそ我が家だ。神様ありがとう」と言えるのが本来の教会のあり方。
今ホームレスの人は、ホームレスではなくハウスレスになってる。
せめて教会はハウスではなくホームでありたい。
マルコ10「神が結びあわせて下さったもの」男女だけではない。
利己心、名誉欲が壊す。
◯がまんしなければならないときもある。
自分の中の状態をやわらかくしておく必要がある。
自分の中でゆったりした時間を持つ。
自分をかわいがること
ときどきなまけることも大事
自分の中がぽかぽかしてくる
10/11
◯初めて教会に来ると締め付けられる気がすると言う人がいる。
「愛」「愛」という。
できないことを押し付ける。
聖書に書いてあるのは「命令」ではなくて「呼びかけ」。
頭の隅に置いておいて下さい。必ずいつか動かします。
本当の自分の反応を大事にして下さい。
コリント人への手紙13「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばす、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」
これが嫌だと言う人がいる。
子供でもねたむ。ねたみは人間の心の根っこに住んでいる。
寛容になれと言っても、子供を殺されたら寛容にはなれない。
人間は自分でコントロールできない。
神様の力に動かされて「私、おもわずゆるしちゃった。神様ありがとう」ということがある。
信仰
信者になったからといってすぐに許せるものではない。
聖書の言葉あたまのどこかにのこってる。
「ゆるしたい」という気持ちになってくる。
神様はいつもその人に働きかける。
「愛せない」「ゆるせない」を正直に見て下さい。本心を知って下さい。
◯知恵=神様が下さる、福音の光で照らされた知恵。学校で教わる知恵ではない。
いろんなものの「本物」が見えてくる。
シスターは共同生活をしている。本質的に嫌いな人はいないが、時にイヤだと思うことがある。
本当を見られないとき、その人は何かを持っている。キャリア、経験、家系
「自分が正しいんだ」というものを持っている。これが正しく見ることをじゃましてる。
◯「愛」隣の人に分け与えてあげる。
「執着」何に執着しているか分からない。生活の中で気づく。
「執着」は人間を操る。政治家が「執着」もったらこわい。
イエスは皆が一つになることを望んだ。
十字架は、タテが神と人、横が人と人。
御自分の死をもって、人々を一つに集めるのが彼の唯一の目的。
◯最後にある御婦人が、「日曜学校にいってるうちの子が、おなじ日曜学校にいっている異性の子をかばったら、皆から好きなんだろ、結婚しろといじめられた」といわれた。シスターは「お母さんが一番大事だから、一生懸命祈って下さい。私はお母さんのことをお祈りします」といわれた。私は思わず「いじめっていうのはこの年齢ではどこにでもありますから。助けるときもあまり宗教を出さずに、言い方に気をつけるようにお母様がいわれたらいいんじゃないでしょうか」といった。シスターは「そうなの、公立では。私はずっとカトリックの学校行ってたから知らなかったけど」といわれた。
10/18 休み

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